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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第一章 覚醒の兆候―NEXT LEVEL―
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第05話 最初の流血Ⅱ

*本話の冒頭にややショッキングなシーンがあります。苦手な方はご注意ください。

 #7


 ―現実。現実なのだろうか。悔恨(かいこん)焦燥(しょうそう)憤怒(ふんぬ)。ありとあらゆる感情が全身から噴出し、まるでワルツを踊っているようだった。


 何故、このような事態に至ったのか、何故、防げなかったのかという苛立ち。目の前にある光景に対する胸を切られるような悲しみ。


 四人の若者たち、保安組織『VENOM(ヴェノム)』の面々はいま、地面に足を縫い付けられたかのような、重い沈鬱な気分のなかにあった。


 だが、それを食い破るほどの激しい怒りが、眼前にある“悲惨”が、彼等を奮い立たせ、その足を、心を前へと進ませていた。


 いま、ここに“在る”ホワイト夫妻は四人にとって数少ない後援者であり、親しい隣人――(いや)、“恩人”と呼ぶべき人達であった。強化兵士(カスタム・ヒューマン)である自分たちを夕食に招いてくれたこともある。

 あの時の料理の味、あたたかな食卓の風景は夫妻の(ほが)らかな笑みとともに、いまも彼等の胸に強く焼き付いている。


 だからこそ思う。


 夫妻は――断じて、このような姿にされていい人たちではない。


 夫妻の体はいま、リビングの壁に長い(くぎ)のようなもので打ちつけられている。その命を、生涯を閉じた状態で。


 しかも、ただ、打ち付けられているのではない。目をこらしてみれば、その四肢は鋭利(えいり)な刃物のようなもので切断され、歪なパズルのように左右逆に戻されている。


 その上、内臓は抜き取られ、朝食に使われていたであろう皿の上に乗せられている。それも取り出す際に使った傷口を縫合した上で、だ。


 遊び終えた玩具を元に戻す――そんな“賊”の異常な精神性が感じ取れるようで、強い嫌悪と吐き気にも似た怒りがこみあげてくる。


 同時に、犯人が持つ“切断する”という歪んだ衝動を強く感じる。そして、そういった衝動を意識の深層に植え込まれた()むべき存在を、彼等四人の“強化兵士”は誰よりもよく知っていた。


 この惨状を目撃するものへのメッセージなのか、切断面にはカードが差し込まれていた。カードに描かれているのは鳥類の骸骨(がいこつ)と血塗られた(てつ)(ばさみ)で構成された紋章(エンブレム)……そのうちの一枚には血文字で“いずれ邂逅(かいこう)する、同士達へ”と嘲笑うように書かれている。


 間違いなく挑戦である。


 自分たちへの、この街を(まも)る保安組織『VENOM(ヴェノム)』への。そして――、


(きわめつけが、これか……)


 壁に鮮血の赤で描かれた“(さかさ)十字(じゅうじ)”。かつて、神が救世主(メシア)を降ろしたとされる土地と同じ名を持つこの街で、このような行いをし、神への背信を示す(さかさ)十字(じゅうじ)を描いてみせる。


 ……ふざけている。静かに、おだやかに(つむ)がれるささやかな幸福、人の営みを足蹴にし、人の生命まで小道具として使い捨て! 上等な芝居(しばい)でも演じているつもりか。


 (たぎ)る怒りが戦闘衝動を介在して、キョウの全身を激しく震わせる。


「……私の能力(ちから)で街を視覚()た時、何も異常はなかった。何もなかったんだッ!」


 ミリィの悲痛な叫びが惨劇の室内に響く。


「さっきだって、ガルドと街を見回ってたんです! でも、不気味なくらい異常は発見できなかった。だって、そうでしょ? 昨日からずっと私達――」

「ミリィ、落ち着け! 落ち着けって!」


 取り乱しそうになるミリィの肩を抑え、副長であるジェイクはあえて、いつもの軽い調子で口を開く。


「落ち着けって……お前がそんなんじゃ、血気盛んな俺らはどうなる?」


 彼自身、平静でいようと試みてはいるのだろうが、声はどこか震え、上ずっていた。


 押さえつけようとしても感情の波が腹の底からとめどなくこみあげてくる。

 何故、このようなことになったのか。何故!? ここにいる誰もがその要因を探り、ふせげなかった自分自身へと汚い罵声を浴びせていた。


 昨夜から騒ぎ始めた彼等の勘が、この街に厳戒態勢に準じる状況を作り、虫一匹這い出せない――食堂の女主人、カミラ・ポートレイがあきれ果てるような現状を生んでいたことは事実である。


 だが、そのような警備体制にあるにもかかわらず、その“勘”だけが、最悪の現実(カタチ)としてあらわれてしまった。それは彼等の磨ぎ澄まされてきた、“勘”、その正確性を示すものではあるが、惨劇を未然に防げなかった悔いは大きい。


 いや、悔いなどと呼べるものではない。四人全員が、自らの無能さに歯噛みし、血を吐くような想いにとらわれている。頭のなかはグチャグチャだった。


 最善(ベスト)を尽くした上での敗北、失態。

 保安組織としての矜持(きょうじ)も、心も粉々に打ち砕かれてしまっていた。


「だが、悔やんで……(わめ)いて解決するものでもない」

「……!」


 そして、その時、響の口から漏れた言葉は、耳にした者たちの思考を一瞬、硬直させるほど、冷たかった。


 混沌とした状況下で、響の瞳は一人、冷静に事件現場を切り取り、観察、分析していた。その様子は機械的ですらある。


 だが、その抑えられた、抑えられすぎた感情が逆に、彼の心情を雄弁に語っているようにも感じられる。その取り(つくろ)った仮面の下で、この繊細すぎる青年がひどく傷ついていることは想像に(かた)くない。


 感情を――律するべきなのだ。


 響はそれを、自らの行動を通じて、部下たちに伝えている。

 隊員、一人一人の目が()わる。


 この現実を見据え、一刻もはやく、この悲劇を解決するために――。


「俺達の眼を盗んでこれだけのことをしてのける。只の野盗や昨日の子供をたぶらかすようなケチな連中の仕業とも思えない」


 そして、この異常性。心当たりはある。自分たちを欺くだけの力を持ち、殺傷行為に対する欲望・悦楽を本能に刻み込まれた存在。それは――、


「俺達と同じ強化兵士(カスタム・ヒューマン)……」

「それも、ミリィの能力を上回る魔法使い(ウィザード)、この街全体をカバーできる絶対監視を妨害(ジャミング)できるほどの――な。もしくは”それを連れた”奴だ」


 想定されるなかでも最悪の部類に入る敵。


 響の言葉に一同は息を飲むと同時に、各々の戦闘衝動を怒りで磨ぎ澄まし、決意で抑え込む。たとえ、どのような相手であろうと、必ずその正体を暴き、罪を(つぐな)わせる。


 自分たちという猛毒をその喉に流しこんでやる!

 四人の強化兵士(カスタム・ヒューマン)の瞳はその制服の紅蓮(ぐれん)(ごと)く、赤い炎を宿していた。


「離せ、離せよ! 俺の家だぞ、何で入っちゃいけないんだよ!?」

「……!」


 ――だが、きつく閉じられたドアの向こうから響く声が、律したはずの感情を激しく揺らす。


「アル…君…」


 こらえきれず(こぼ)れた涙が、ミリィの頬を伝ってゆく。

 “彼”の声に、必死に抑えつけていた慟哭が突き上げてくる。


 だが、自分たちは“彼”に向き合わなければならない。自分たちのために危険を冒してくれていた“彼”。自分たちに憧れてくれていた“彼”。


 可愛い弟のような“彼”に――。


「どけよ、どけって! 俺の家だ! 俺の家なんだ!」


 何故、行く手を(はば)まれるのか。納得できない。絶対に、認められない。

 少し前に“いってきます”と元気良く飛び出した家である。“ただいま”と戻って、何の問題があるというのか。


 門番のように、自宅のドアの前に立つ自警団員の青年に、少年……アル・ホワイトは怒り心頭だった。


 なんで、そのドアに触れさせてもくれないんだ――。 


「俺、会うんだ! 父さんと母さんに! じゃなきゃ、じゃなきゃ……」


 こんなの受け入れられない。信じられない。……いや、こんなこと、嘘に決まっている。だから、この目で見て証明する。


 サファイアの家から駆けてくる間、ずっと、そのことだけを考えていた。


 理不尽(りふじん)なことならこれまでもあった。


 世界の中心たる煌都こうとから辺境の自治区に移り住むことになったこともそうだ。けど、それには理由(わけ)があったし、いまじゃ煌都に戻ることのほうが考えられない。


 そう、意味のあることだったんだ。

 けど、これは違う。全然、意味がない。全然、意味がわからない。


「この……どっけぇ――っ!」


 怒りに、突き動かされるようにアルはドアへと突進する。

 だが――、


「わ――!?」


 突然、開いたドアに少年は突き飛ばされるように後退した。赤いコートのような“彼”の戦闘服が視界を揺らめき、“彼”の背でふたたびドアが閉じられる。

 金色の髪が風に揺れ、精煉された赤の瞳が少年を見据えた。


 ――確固たる意志を宿して。


「響…兄ちゃん…」


 少し尻餅をつくようなカタチとなったアルは目の前の、兄のように慕う青年の姿を半ば、呆然と見上げていた。


 それは、何故、彼が、響=ムラサメがここにいるのかを問うているかのようだった。その眼差しは、響の胸を(えぐ)り、心を(きし)ませる。


「響兄ちゃん! 通してよ、なんかの冗談でしょ? こんなの! 俺がいままで父さんと母さんのゆうこと聞いてなかったから、こんな悪戯(いたずら)――」


 アルのその様子に響の瞳が悲しげに歪む。……悪戯(いたずら)なんかにはできない。嘘になんてならない。


「――駄目だ。通すことはできない」


 言葉を(しぼ)り出す喉が焼けるように熱い。

 感情を制御(せいぎょ)し、胸を食い破らんばかりの激情(いたみ)を飲み込み、響は飽くまで、冷淡に言い放つ。

 その兄のように慕う男の姿に、アルは何かを察したのか、一瞬、(ひる)んだような目をする。だが、すぐに歯を食いしばり、無理矢理、響の横をすり抜けようと突進した。

 しかし、響はそれを(はば)む。非情なまでに。

 なんとしても、室内の惨劇を少年の瞳に映すわけにはいかなかった。

 それが保安組織の隊長としての、“兄”としての責務だった。


「あっ…」


 そして、やがてアルの足がもつれ、その体が地面に転がる。擦りむいた肘の痛みが、いままで誤魔化していた胸の痛みに繋がり、少年の瞳に涙が滲む。


 ドアの向こうにあるはずの、あの暖かな温もりが胸に蘇り、(それ)が、(こぼ)れる――。


「うっ……うう……うわぁぁぁぁ――っ!」


 慟哭(どうこく)


 ――泣いた。理不尽な現実。ただ、抗いようのない悲しみだけが眼前に在り、少年はそれを胸に抱くように背を丸め、(むせ)び泣いた。

 その“弟”の小さく震える背を響は優しく抱いた。


 心のなかで、すまない、と何度も詫びていた。

 自らのふがいなさに、噛み合わせた歯が(きし)む。


 己のなかの獣が騒ぎ出す。口を開けば、人ならざる咆哮(ほうこう)が喉を裂いてしまいそうだった。

 かならず(あだ)()つ。その決意が自らの肌に獣としての黒々としたものを()わせるのを感じる。


 悲しみという理性の抑制のなか、狂気と呼べるだけの怒りと憎しみ、響自身が己の奥深くに封印していた、真の“戦闘衝動”がその眼をゆっくりと――


「……!」


 開けることはなかった。

 響の瞳が新たに映した存在が、暴発と紙一重の(いびつ)な覚醒を中断させていた。


 彼女はそこに立っていた。


 自分の家を飛び出した少年を追いかけてきた彼女は、まだ肩で息をした状態で傷ついた少年の姿と、少年の背を抱く恋人の姿を見つめていた。


 その姿はひどく小さく見える。


 気丈に姉としての役割を果たそうとしているが、その瞳には(ぬぐ)い様のない悲しみが満ちていた。いま、街に痛みが溢れ出そうとしている――。


 この数年、手にした安定と引き替えに忘れ去られつつあった、喪失の痛みが。


 ◆◆◆


 事件現場であるホワイト家から程近い場所に一軒の教会がある。


 惑星の移住や、国や宗教といった共同体がことごとく破壊された大戦などによって、あらゆる文化・風習が混ざり合い、混沌とした様相を(てい)している現状の世界で、このような施設の存在はきわめて(いびつ)なものとなっている。


 ただ、神という超然とした、人知の及ばぬものへの祈り、感謝――そうした想いだけが生き続け、その発露の場所として求められた施設。


 それが現在の教会やそれに順ずる施設の在り様であった。この街のものに関しても、長であるホグランが聞きかじった知識を元に建てさせたものであり、“神が救世主(メシア)を降ろした土地”と同じ名を冠する街にあるものとしては、いいかげんにも程がある代物だろう。


 だが、人々は日々の幸せをこの教会で感謝し、明日の幸せをこの教会で祈る。それは、ある意味では、純粋な信仰と呼べるのかもしれない。


 かつて、信仰と各々の神の押し付けが凄惨な歴史を生んだことを思えば――。


 そして、いま、その教会で響とサファイアは束の間ではあるが、休息の時を得ていた。


 アルの面倒を見、なおかつ捜査に当たる響ら保安組織の面々、自警団員のための食事の準備などもおこなってくれていたサファイアへの感謝の気持ちもあるのだろう、仲間たちが気を遣ってくれたのだ。


 アルはいまミリィが見てくれている。落ち着いてきているというよりは、憔悴しきったままの彼の姿は、鈍い痛みとともに胸に焼き付いている。


 ステンドグラス越しに差し込む夕暮れの光が長椅子に腰掛けているサファイアの横顔を照らす。


 サファイアの表情に笑みはない。立ち込めた雲で陽が(かげ)り、周囲を照らすだけの力を失っている――そんな印象があった。


 普段の眩いほどの笑顔を知っているだけに、響の胸は苦痛に(うめ)く。他人の痛みを自分のことのように感じてしまう彼女にとって、今回の事件は身を切られる思いだろう。


 その痛みをすこしでも軽減(けいげん)させるべく、響はゆっくりと彼女へと歩をすすめる。


「ひどい……顔だね」

「…あ…」


 そして、響が彼女の隣に腰を下ろそうとしたとき、(うつむ)いていた彼女の視線がふと、響を向き、そんな感想を述べる。


 ……そうだ。事件が起きて、すっかり意識の外にあったが、本来、この顔の言い訳を探していたのだった。


「ちょっと、な。……でも、お前が心配するような話じゃない」


 昨夜の一部始終を思い返しながら、響は苦笑とともに答える。だが、その返答にサファイアは深くため息を一つ。


 瞬く間にその目は吊りあがり、脹れた頬を彼女の細い指が容赦なくつねる。


「心配もするよ! 大事な話もあるって言ってたし」


 ――そうだった。サファイアに電話をしたのはほんの三、四時間前だというのに、事件を境に過去と現在がくっきりと分け(へだ)てられてしまったかのようだ。


 サファイアの頬が紅潮(こうちょう)している。怒ったことで、少し元気がでたようだ。いや、悲しみの沼にどんどん沈んでいく自分を無理矢理にでも引き上げるために、あえてそうしたのだろう。


 アルのためにも自分はしっかりしてなくちゃいけない。そんな想いがあるのかもしれない。


「……おばさんにね、パイをもらったの。響、甘いの好きだし、おばさんのは絶品だから、響が帰ったらアルも、ガブ君も一緒に――」


 食べようと思って……。

 そこで彼女の言葉は途切れ、一筋の涙が(こぼ)れた。そのパイを作ってくれた人はもういない。


「なんでなのかな。なんでこんなことに……」


 昨夜(ゆうべ)はこんなことになるなんて思いもしなかった。明日をより良い日にするためにそれぞれ思い悩んではいても、その胸には希望が満ちていた。


 たとえ、ささやかなものでもそれは、明日を、今日という日を照らす確かな光だった。


 そんな光さえ嘲笑い、闇で覆い尽くす。今回の事件を引き起こした存在(もの)は、アルの両親を殺めただけでなく、多くの人間の心を切り裂き、踏み(にじ)ったのだ。


「ボク……忘れてたのかもしれない。みんなが幸せで、いろいろ大変だけど、がんばってる毎日が当たり前になって、こんなことが起こるってこと、まだ、戦後なんだってこと……」


 戦後十年以上が経過したいまでも、人命はいまだかつての重さ、崇高(すうこう)さを取り戻していない。この自治区のように安定した食料の供給があり、保安組織の活躍によって治安も保たれているという事例は極めて(まれ)である。


 あの時は憤慨(ふんがい)もしたが、平和すぎるからお前たちは出て行けと言われることも、幸せな話だったのかもしれない。自分達自身ではなく、自分達が愛する人達の幸せを考えれば――。


昨夜(ゆうべ)ね、夢のなかで大事なことを忘れてたの。響クンに守られてることに安心して、頼り切って、本当に大切なこと」


 サファイアは自分の手のひらを見つめ、唇を噛む。その脳裏に蘇るものを、想いを響は知らない。


 だが、十代の若さで戦後世界を旅してきた彼女の瞳に映し出されてきた景色が、今回の事件を介して(よみがえ)る――悪夢の(ごと)執拗(しつよう)に脳裏に絡みつきはじめているのは理解できる。


 彼女が歩んできた旅路のなかには今回のような、ホワイト夫妻を襲った惨劇に類似した光景が数多く存在したのだろう。


 “広い世界を旅してきたんだもん。そりゃ度胸も傷も大増量って感じだよ“


 かつて、彼女はそう(うそぶ)いた。

 どちらかといえば、細身で小柄な彼女の体のあちこちに、その印象にそぐわない傷跡が残されていることを響は知っている。


 普段はおくびにも出さないが、彼女の()が響の思う以上に、多くの修羅場を、陰惨たる光景を映してきたのは間違いないだろう。


 彼女の瞳はいまだ、自らの手のひらを見つめている。

 かつて、誰かを救おうと伸ばしたその手は、いまも所在(しょざい)なく、己の無力に震えている。


 ――届かなかった。彼女のその懺悔(ざんげ)にも似た悔恨(かいこん)はいま、彼女の全身から滲み出ている。


 いまだけのことじゃない。いままで助けようとして助けられなかったすべてのものに対し、彼女は悔やみ、()びていた。


 いつも明るくふるまっている彼女ではあるが、その心底にはおびただしく刻まれた傷痕があるのだろう。


 ……響は思う。彼女の身体の傷も、他の誰かを助けるため奔走(ほんそう)した結果なのではないか、と。同時に、自身を奔走(ほんそう)させるだけの何かが彼女のなかにあるのだと、響は認識する。


 いま、彼女は夫妻に手を差し伸べられなかった自分を悔いている。それがどうしようもないことだったとしても悔いずにはいられないのだろう。


 だからこそ、響はあえて口を開く。彼女の隣に腰を下ろし、冷たく、突き放すように。


「それこそ、お前が背負い込む話じゃない。お前の……人一人の手はなんでも掴めるほど、そう大きくできちゃいない。……抱えきれないものだってある。だから、この街には俺達がいる。今回のことは、俺の、俺達の失態だ。強化兵士(カスタム・ヒューマン)である俺達の、な」


 人を一人でも多く殺めさせるため強化された肉体。その力があれば、常人より一人でも多くの人を助けることができる。


 だから、戦うのは自分達だけでいい。背負うのは自分達だけでいい。彼女の華奢(きゃしゃ)な肩には重過ぎる。


「仇は討つ。こんなことは二度と繰り返させない。だから、お前は……お前の手はアルの手を握ってやっていてくれ。頼む」


 響の手がサファイアの手の上に添えられ、優しく握り締める。響の声にはサファイアを危険から遠ざけるための冷たさと、彼女を包み込むような想い――あたたかさとが入り混じっていた。


 それは己の“凶暴”な(サガ)ゆえに他者を拒絶(きょぜつ)し、(いつく)しむ響そのものともいえる声だ。


 だが、(ゆえ)に、それ故に、サファイアの頬は(ふく)らむ。


「……やだ」

「な、なに?」


 震える彼女の声が(つむ)いだ返答に、響の目が点になる。赤く充血した目が響を(にら)んでいる。いまにも(こぼ)れ落ちそうなほどの涙を()めた彼女の瞳に、響はただ呆然と声を失っていた。


「アルのことはボクが面倒見る。でも、響の言うことは聞いてやんない。絶対、聞・い・て・や・ん・な・い」

「な、何言ってんだ、お前……」

「響の言うことは聞けないって言ってんの! ボク、もう頭にきちゃったんだ」


 サファイアは()えると、長椅子から立ち上がり、教会の出口へと足を向ける。響も慌てて立ち上がり、彼女の手を(つか)む。


「待て! どういうつもりだよ、わけが……」

「自分のことは全部、自分でやる。響に守ってもらわなくても結構。響に……」


 口調こそ強いが、溢れ出す感情がそれを上回っているのか、彼女の言葉は切れ切れになり、涙声になってしまっていた。……(たま)らない。理由はわからないが、あきらかに無理をしている。


 その姿に、響は胸に(うず)く痛みを噛み殺すように唇を噛み、(なか)ば強引に彼女の身体を引き寄せる。


「何強がってる、これは俺達の――」

「……強がってるの、響じゃないか」

「な……?」


 自分が振り返らせたサファイアの表情に、溢れた涙でぐちゃぐちゃになってしまっている彼女の表情に響は息を飲み、投げかけるべき言葉をなくす。


「辛くて、悲しくて、どうしようもないのに、そんな冷静な顔して、優しくて、強くて、どうしようもなく隙がなくて――そんな奴の、そんな奴の前で、どう強がるなっていうの!?」 

「サファイア……」

「“強化兵士”は弱音吐いちゃいけないの? 全部背負わなきゃいけないの? 全部、自分たちのせいなんて――そんなの、ダメ、だよ……」


 止まらぬ涙に咽ながらも、サファイアは切れ切れに言葉を紡いでゆく。


「強がるな? 無理するな? 一番、強がってるの、響じゃないか! おじさんとおばさんが死んじゃって……大好きな街の人達が傷ついて、アルが泣いて、自分だって泣きたいくせに我慢して、自分だけ冷静なふりして……かわいそうだよ」


 透きとおるような青の瞳が響の赤い瞳を見据え、涙で(にじ)む想いをぶつける。


「もっと、頼ってよ、ボク、キミの彼女だし……」


 サファイアの細い指が保安組織(ヴェノム)の制服を掴む。


「家族だって、思ってるんだから……」

「―――」

「辛いことがあったら他の人の前では無理でも、ボクの前でなら、ボクの前でくらい泣いたっていいんだよ! こんなボクじゃ、それくらいしか力になれないけど……なりたいんだ! 響の――」


 サファイアがすべてを言い終える前に、響は彼女を抱き寄せていた。



 彼女の言葉は水面(みなも)を伝わる波紋のように響の胸に瞬時に染込み、彼の精神を“強制的に”冷静にさせていた防波堤を決壊せしめた。


 ……心のうちから流れ出たものが頬を、頬を伝ってゆく。


「……すまない、サファイア」

「あ…」


 急に抱きすくめられたサファイアは目をぱちくりとさせて、響の顔を見上げる。


「俺は……俺はいつもそうだ。自分のことで手一杯で、大事なことは何一つわかっちゃいない。……何も、わかっちゃいないんだ」


 もうそこに保安組織(ヴェノム)の隊長である彼の姿はなかった。

 もはや堪えるべき痛みは、滂沱(ぼうだ)の涙となって流れ落ちていた。


「しかたないよ、響は一生懸命で、優しいから……でも、もう無理しないでいいよ」


 てか、無理するな、ばか。

 響の胸に顔をうずめながらサファイアはつぶやき、彼の痛みをやわらげるように自らの腕を響の背へと回した。


 襲い来る悲しみで冷え切った体に互いの体温が染み入るように伝わってくる。


 たとえ、短い時間であっても、それは生きる(かて)となる瞬間――やがて二つの唇は重なり、それぞれの胸に確かな希望の火を(とも)す。


 生まれた希望(ぬくもり)が、傷を癒し、慟哭(どうこく)が、進むべき道を示す。


 この街を吹きぬける嵐の幕は、すでに上がっている――。



NEXT⇒第6話 降り立つは“逆十字”



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