第19話 正義の味方
#19
――轟音が、幼いブルーの鼓膜を容赦なく揺らし、不穏な振動が、その足を竦ませていた。
彼等が乗る船はいま、機関部の爆発を起因とする、煙と轟音が支配する地獄と成り果てていた。
(お……兄……ちゃん……)
その中でブルーは見た。
兄の最期を。
下方からの爆発によって、宙に舞い上がる彼の体を。
そして、そのまま遥か下方へと落下し、砕け散るその五体を。
(あ……あ……)
現実を受け入れられず、ブルーはただ立ち竦む。
そうだ、彼は散ったのだ。
いま、ブルーの目前で呆然と座り込む、小さな、小さな女の子を助けるために。
※※※
「おおおっ!」
互いの拳が、心臓を直接、叩き潰すように、互いの胸にめり込む――。
にらみ合うは、”人柱実験体”の証たる凶相極まる鬼の面。
”骸鬼”と”蒼鬼”。
それぞれの戦闘形態へと再び『鎧醒』した響とブルーは、”決着”のために、互いの渾身の一撃を、互いの身体へと叩き込んでいた。
だが、”兄弟”であり、”同種”の寄生体を鎧として纏い、共に”人柱実験体”である二人の力は極度に拮抗し、互いの心臓を殴り潰すまでには至らない――。
(ああ……そう、だ……)
”あの本”でもこんなシーンがあった。
確か、主人公は、兄弟のように育った男と、こんな馬鹿げた戦闘を繰り広げていた。
”闇の王”の甘言によって、”魔の騎士”に堕ちた、その男と。
”蒼鬼”の仮面の下で、ブルーはその口元を、わずかに緩ませる。
「――”影ノ月”ッ!」
「――!?」
”蒼鬼” の一角獣を思わせる一本角が展開し、その内部から高濃度の”精神感応金属”――”朱板”の分泌液によって生成された朱い刃が三日月のような軌跡とともに、響へと斬りかかる――。
「くっ……!」
ブルーの腹部を蹴り飛ばすようにして、拳を引き抜き、飛び退いた響の肩口を、”影ノ月”の刃が深々と斬り裂く。
着地と同時に、己が身を濡らす鮮血を振り飛ばしながら、響は眼前の難敵を見据える。
「まだ……こんな奥の手があったのか……」
心底、呆れた声が”骸鬼”の口顎から響く。
”それを躱す奴も大概だ”
”蒼鬼”の口顎からも同様に、心底呆れた声が響いていた。
――二人の気配がわずかに笑む。
同時に、
「おおお……っ!」
両者の渾身の蹴りが、夜の冷気を切裂く。
鍔迫り合う刃のように、ぶつかり合った二人の右脚が鈍い音を立てる――。
「ぐっ……!?」
蹴撃での勝負は、ブルーに軍配が上がった。
”骸鬼”の右脚に亀裂が走り、それは鮮血とともに砕け散る――。
すぐ様、”壊音”による再生が開始されるものの、響が体勢を崩したその隙は、ブルーにとって、千載一遇の好機に他ならない。
”行くぞ、兄さん……!”
「かあぁ……っ!」
深い呼吸の後、腰を落としたブルーの身体、その筋肉の一筋一筋に、力が満ちる。
彼の脚は、その”跳躍”のためにしなり、唸りを上げ、それと同時に、蒼鬼の鎧装の表皮――皮膚はバリバリと裂け、その内部で朱々と光る”精神感応物質”――”朱板”を露わとする。
(『鎧醒』、『朱板』、『念動力』……俺の総てを捧げる……!)
弾かれる最後の引き金。
尋常ならざる脚力と”念動力”で、周囲の瓦礫を吹き飛ばしながら高く跳躍したブルーの身体を朱々とした光が覆い、蹴撃の姿勢をとったその右脚を、回転する独楽のように”蒼裂布”が包み込む。
最大出力の己が一撃を、”念動力”によって弾丸として対象へと撃ち込む――。
その秘儀の名は、
「”狂える蒼き魔槍”――!」
蒼い閃光が夜を駆けた。
寸でのところで再生を果たした、響目掛けて、その”蒼き魔槍”は投げ放たれる。
「くっ……おおおおおおおおおおおおおお!」
骸鬼の口顎が開き、咆哮とともに、黒い鎧装に覆われた両腕が”蒼き魔槍”を真っ正面から受け止める。
だが、”狂える蒼き魔槍”は単なる”蹴撃”ではない。
己を受け止めるものを切裂かんと、その先端は、回転する”蒼裂布”の斬撃によって、護られている。
響の腕はミキサーに突っ込まれた生肉も同然に、切り刻まれ、蹂躙され、砕かれる。
それでも――、
「くっ……あああああああああああああ」
狂気じみた速度で両腕を再生させながら、”蒼き魔槍”を受け止める響の脳裏に、再びブルーの記憶が雪崩れ込む。
(ブ、ルー……)
それを飲み込みながら、噛み締めながら、響は”蒼裂布”を掻き分け、”魔槍”の核である蒼鬼の右脚へとその五指を喰い込ませる。
記憶という膨大な情報の海の中、”思い出”という、その一滴が、優しく響の脳裏に零れ落ちる――。
※※※
「ねぇ…お兄ちゃんは、この人みたいに…なりたいの?」
「うん、だってこの人、すごいじゃん」
「でも……」
その体を呪いで怪物に変えられて――。
その体でたくさんの人を助けたけども――。
兄弟のように育った友達を殺めることになって――。
「最後は、一人……だったよ?」
そのお話の主人公はとても優しくて、強くて、格好良かったけれども、幸福と呼べるかはわからなかった。
それでも兄は――、
「……うん、でも、ボクはこの人みたいに、みんなが笑って生きていけるよう、頑張りたい」
父さんも、母さんも、いなくなっちゃったけど、せめてお前だけでも笑えるよう――。
「”正義の味方”に、なりたいんだ」
※※※
「おおおおおお!」
骸鬼の両肩と胸の三頭犬の顋を封じていた"村雨"の縛鎖が弾け飛び、"音響兵器"でもある咆哮と、骸鬼の剛腕が腹部の"魔槍"――ブルーの右脚を引き抜き、放り投げる。
粉塵とともにブルーの身体が地面を転がり、ブルーは糸の切れた人形のようにその身をふらつかせながらも、力を使い果たした、その異貌を立ち上がらせる。
精神感応金属は、朱い光を消失し、"蒼裂布"もただの布きれとなってしまったかのように、地面にその身を横たわらせている。
――かろうじて『鎧醒』だけが維持されている。そんな状態だった。
「……ブルー」
そのブルーへと、同じく満身創痍な兄が告げる。
それは、響が初めて"今の"弟の名を呼んだ瞬間だった。
その拳は固く握られ、その眼差しは己の一撃を受けるために立ち上がった弟へと、向けられていた。
「――行くぞ」
大地を蹴り、一直線に、黒く光る異貌が疾駆する。
心臓より送り出された人間としての血が、黒の鎧装へと通う。
己がこれまで歩んできた道を、己がこれから進む道を示すように、兄はただ”真っ直ぐ”に、その異貌を、心を馳せ、駆けさせる――。
(……"黒騎士一人"……)
ようやく、脳裏に蘇ったタイトルとともに、遠い日、目に焼き付け、憧れた、あの本の”正義の味方”の姿が、眼前の兄の異貌と重なる――。
「おおおっ!」
銀鴉を屠った時と同様の、響の全霊の拳が、ブルーの腹部を抉り、その身体を宙へと舞い上がらせる。
――だが、銀鴉の時とは異なり、響もまた同時に跳躍し、ブルーよりも高くその異貌を飛翔させていた。
骸鬼の両肩の三頭犬の顎が開き、その内部から租借され、消化された”醒石”の残滓が噴き出す。
「――耐えろよ、兄弟」
……”邪牙魔穿”……!
噴き出した残滓による”加速”とともに、響の”蹴撃”がブルーの胸部へと突き刺さる。
骨を粉砕し、内蔵すら踏み潰すかのような衝撃がブルーの全身を貫き、空気との摩擦で五体が赤熱化する程の速度で、その蒼い体は大地へと叩きつけられる。
蒼の鎧装は木っ端と砕け、裂けた皮膚から飛び散った鮮血が、ブルーの視界を彩る。
その朱い景色の中に立つのは、漆黒の英雄。
あの日と変わらぬ、優しくて、強くて、格好良い、僕の――
その異貌に、ブルーの瞳は満足げに閉じられる。
――決着。
長かった二人の戦闘は、こうして幕を下ろした。
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