第16話 畏るべきものたち
#17
「な、に……?」
”悲劇”の最中、時間が、止まる。
その場にいる者総てが言葉を失い、そこに在る黒衣の来訪者の姿をただ、呆然と見つめていた。
”異常”といえば、これ程の”異常”もなかった。
顔を包帯で覆い尽くした男と、兜から”獣”としか思えぬ容貌を覗かせる、漆黒の巨鎧を纏った男。
誰一人、彼等を知らず、誰一人、彼等の”来訪”の意味を理解していない。
それは、ミザリーの意識の中、この”悲劇”に身を、心を震わせるサファイアもまた同様であった。
いや……ミザリーと意識を共有したこの状態での”観測”は、己自身の”体験”として、サファイアの精神を蝕み、意識体であるはずの現在の彼女の頬に、熱い涙の感覚さえも伝わせていた。
――それは、彼女の”心”そのものの涙であったと言えるのかもしれない。
その彼女の青い瞳が、見るに堪えぬ惨劇の中に、血の海の上へと降り立った二名の黒衣に刻まれている”逆十字”を捉える――。
(この人達は……)
”選定されし六人の断罪者”。
軍医も、麗句も確かそう名乗っていた。
だとすれば、彼等もまた、その六人を構成する人員なのだろうか。
こみ上げる吐き気と、嗚咽に咽ながら、サファイアは”現実”を直視しようと、彼等を凝視する。そして、
「伏兵か……」
「――!?」
これまでの五体とは別個に、闇の中に潜んでいた三体の”零鎧騎”が放った”重力指弾”が二名の来訪者の前で掻き消える。
彼等が何か防御姿勢をとったわけでも、狙いが外れたわけでもなかった。
まるで、それが当然の事象であるかのように、”重力指弾”は無効化され、その兵器としての意味を失っていた。
「な、なんなのだ、貴様らは……」
煌都の”虎の子”である”零鎧騎”の一撃を物ともしない”獣王”と”破壊者”に、是我論が畏れに満ちた声音で問いかける。
先程までの尊大さは既に鳴りを潜め、枯れ果てていた。
「”奇蹟”――そう呼ばれる事象の大よそのものは、単なる偶然の積み重ね、結果から逆算した論者の主観的な、楽観的な解釈に過ぎない」
しかし、”破壊者”――顔のない男は是の疑問に応える素振りすら見せず、ただミザリーを見つめ、その無感情な、打字されたが如き抑揚のない声を響かせていた。
「だが、お前の場合は違う。本来覆せぬ程の戦力差を覆し、勝利を掴みとったお前の奇蹟。それは”畏敬の赤” の加護なしでは成し得ぬもの――真の奇蹟を手にしたものでなければ、成し得ぬ偉業だ」
フェイスレスの指が、ミザリーの首元で輝く”麗鳳石”に触れ、慈しむようにその球体の流線をなぞる。
本能的に彼等が”何”であるのか、悟っているのか、虚ろげな表情を浮かべたミザリーはそれに対し、特に
抵抗を示さない。
”同朋”。そんなフェイスレスの言葉が、ミザリーの意識の中で状況を注視するサファイアの脳裏に蘇る――。そして、
「――!」
その時、計五発の”重力指弾が、フェイスレスの肩に着弾し、その肩の装束に組み込まれた大仰な角の破片を微かに飛び散らせていた。
まるで、通路の曲がり角で予期せぬ障害物に肩がぶつかったかのような、不可解な様子でフェイスレスは、”重力指弾”が着弾した肩口を見つめ、いまにも内部に充填された”重力”を爆裂させんとする球状の弾丸をむしり取る。
人体を粉々に爆裂させるそれは、フェイスレスの掌にいとも簡単に握り潰され、無意味な塵芥となって、血生臭い夜風へと流される――。
ミザリーへと気をとられている隙に、望みをかけた”零鎧騎”の急襲であったが、直撃すら、この”破壊者”の前では、服に泥が付いた程度の些事でしかなかった。
「……成程。奇蹟を殺す奇蹟。”創世石”を護る”麗鳳石”の持つ特性であったな――。蟻の力も届いてしまうとなれば、落ち着いて話もできん」
ミザリーの”麗鳳石”から溢れ出る”朱”を掌で撫で、呟いたフェイスレスは、己の隣に立つ”獣王”へと、包帯の隙間から覗くその碧眼を向ける。
「……”獣王”。どうやら、貴公の出番のようだ。元よりあのような”醒石”を使った悪しき遊戯。”調停者”たる貴公の容認できる範疇にはあるまい」
「……」
悪しき、”遊戯”だと……?
侮辱ともとれる言葉に、二人の来訪者の”異様”に気圧されていた”零鎧騎”達の気配が尖る。
そして、その”零鎧騎”達を見据える”獣王”『G』は無言ではあるが、確固たる意志を持って、その巨大な足を一歩、彼等の前へと踏み出す。
すると、
「……!」
――ズン、と。
確かに大地が震える感覚があった。
何か、巨大な、重量のあるものが落下したかのような衝撃が、その場にいる全ての者の体を揺らしていた。
そして、”獣王”の全身を包む鎧装の一部が弾け飛び、露わになった巨大な”尾”が地面を叩いたその刹那、
【――――――――――――――ッ‼‼‼‼‼‼‼‼】
あらゆるものを喰らい、あらゆるものを飲み込むような咆哮が、大気を、大地全体を鳴動させていた。
3m近い獣王の巨躯が小さく見えるような、”巨大”な咆哮だった。
まるで100m超の怪物が、その肺と喉からありったけの激情を吐き出したかのような、壮絶極まる咆哮だった。
兜から覗く咢は完全に開かれ、鋭利に発達した歯牙を剝き出しにしている。
それを聴き、目撃した瞬間、全てのものが認識を改めていた。
ああ、これは”人”ではない。
そこに立っていたのは、断じて”人”などではなかったのだ。
アレは、それを越え、遥かな高みに立つもの。
生態系の頂点――王。
理屈ではなく、感覚として、本能として、”人間”達はそう悟っていた。
「……この世界に神はいない。だが、それに近しい、そう呼ぶに相応しい存在は、僅かながら存在する。我等が手にする”畏敬の赤”。そして、それと結びつきながら、それを凌駕する存在……」
なぁ…。
呼びかけるように、フェイスレスの目がわずかに細められ、その碧眼の中で、”獣王”の鎧装がさらに弾け飛び、その肉体が更なる変貌を開始する。
「”神(GOD)”の名を冠する獣――『G』よ」
【―――――――――――――――ッ‼‼‼‼‼‼‼】
「ひ、ひいぃ……っ!?」
再度、”獣王”の咆哮が全てを揺らし、是は恐怖のあまり、ひっくり返り、丘の上を転がり落ちる。
この二度目の咆哮によって、彼の鼓膜は物理的に完全に破裂し、状況の掴めぬ無音の世界に叩き込まれた事が、彼の顔を青くさせ、その全身を脂汗に塗れさせていた。
(な、なに……?)
ミザリーの意識の中に在り、この場で二人の来訪者を除けば、唯一、”畏敬の赤”に対する知識・繋がりを持ち、”鎧醒”という現象を体験したサファイアには、その異様さが理解できた。――その不可解さが、理解できた。
弾け飛んだ黒の鎧装。それはアルファノヴァのそれと同じく”神幻金属”を用いた、『鎧醒』によって初めて現世に召喚される類のものだ。
つまり、彼は”これまで”が、『鎧醒』した状態であったという事になる。
事実、ミザリーの意識を介した”観測”であっても、その鎧装に秘められた”力”は、吐き気を催すほどに、サファイアの意識を圧迫していた。
心臓を鷲掴みにするような、畏るべき気配がそこにはあった。
だが、その『鎧醒』が解除されつつある現在、その気配は、変貌を続ける”獣王”の全身から発散される”脅威”は、先程までとは、比べ物にならぬ程に増幅され、肥大の一途を辿っている――。
まるで、『鎧醒』によって抑え付けられていたものが、解放され始めたかのように。
「か……」
……怪物め。誰かが漏らしたその言葉が、真に迫る響きを持って、聞く者の耳に突き刺さる。
有史以来、ここまで、その言葉に相応しい存在があっただろうか。
正常な進化の先にある存在とは、到底思えなかった。
黒く、ケロイド状に焼け爛れた皮膚は鱗のように全身を覆い、剣のようでもあり、鎧のようでもある背鰭は、その鱗や肉を突き破るようにして尾まで一列に生え揃っていた。
元より彼の背部から突き出ていた刀剣の如き、二対の背鰭は新たに生え揃った背鰭と共鳴し合うかのように、青白い光をその表面に湛え、闇の中に不穏な輝きを満たしている。
(蜥蜴……? 恐竜……? ううん、違う……!)
何度、その異貌を見直しても、正体は掴めなかった。
頭部は蜥蜴やイグアナなどの爬虫類を想起させる形状をしている。
だが、耳介や鼻孔など、哺乳類的な特徴もまた多く持ち合わせている。
全長6m程に肥大化したその巨躯と比較しても、巨大な拳は、ナックルウォークを行うゴリラのように、地面へと置かれ、大樹の如き脚は、岩肌を砕く程に膨大な重量を揺らぐことなく支えていた。
そして、その胸部にある水晶のような物質で描かれた紋様。
その場に居る者達の知識にはないが、それは勾玉と呼ばれる古代の装身具にどことなく似た形状を持っていた。
圧倒的なまでの生体の中に埋め込まれた、人工的なそれは、背鰭から体外へと漏れ出している青白い光を制御し、体内に循環させているように見えた。
そして、
「――――――!」
サファイアがその”異様”に、ただ呆然としていたその刹那、伏兵として地に伏せていた三騎の”零鎧騎”は跳躍し、次なる行動へと移行していた。
彼等が”勇敢”であったのか、”愚か”であったのか、それはわからない。
だが、彼等は腕部鎧装に顕現させたブレードを、”獣王”の体から漏れる青白い光に煌めかせながら、生態系の頂点たる”王”へと斬りかかっていた。
任務の弊害となる”異物”を排除するために。
【…………】
しかし、一撫で。
剛腕と尾の一撫でで、”零鎧騎”の肉と骨は木端に砕け、赤黒い残骸として闇夜に四散していた。
鎧装などは、まるで砂でできたお城のように、何の意味も、何の役目も果たさず、叩き割られていた。
だが、視界に拡がる惨状に対し、”獣王”の動きには、周囲に飛んできた羽虫をはらうかのような”軽い”気配があった。
少なくとも、”戦闘”と呼べるものではなかった。
――されど、”零鎧騎”は羽虫でも、単なる雑兵ではない。
基本的な性能としては、彼等が”イクス・ノヴァ”と同等か、それに近い能力を持つことを、”創世石”を通じて、サファイアは理解していた。
なのに、何なのだ、この――怪物は。
本能からこみ上げてくるかのような恐怖が、サファイアの意識体を震わせる。そして、
【……!……】
――糸。
木端に砕けた肉の内、わずかに形を残した腕から放たれた無数の糸が、”獣王”の黒いケロイド状の皮膚、その肉へと喰い込み、文字通りの”一糸”を報いていた。
”極糸の醒剣”。
ある時は、強固にして鋭利なブレードとして顕現し、ある時は標的を絡め取り、その肉と骨を細切れに寸断する糸として顕現するその武装は、”零鎧騎”達の置き土産として、”獣王”の両腕と尾を縛り、その動きを封じていた。
【04! 05! 最大出力で頭部を切り離せ! どんな生物であっても首と胴を切り離せば――”殺せる”はずだ】
【――了解!】
その指示は”願望”であるように、サファイアには思えた。あの糸は、従来、標的が”鎧醒”した状態であっても、容赦なく五体をバラバラにする”威力”を秘めている。
それが皮膚を裂くこともできず、動きを封じる程度の効果にとどまっている事自体が、本来なら彼等の足を止めてしまってもおかしくない程の異常事態――”恐怖”だった。
だが、彼等は動く。
飽くまで、この世界の統治機関である”煌都”の一員である彼等には、この”人類そのもの”にとって”脅威”と成り得る怪物は、何としても殲滅せねばならない対象であったのかもしれない。
世論という形で、”煌都”に影響を与えるまでの存在となったミザリーを抹消しようとしたのと同じように。
【……い……な】
「――!」
だが、現実は彼等の想定以上に、どこまでも非情であり、”異常”だった。
新たに”獣王”へと挑みかかった二体の”零鎧騎”は、”獣王”の胸部にある人工物めいた紋様、そして背鰭から迸ったエネルギーによって、”跡形もなく”消滅していた。
―”体内放射”。
そう呼ばれる”王”の異能にとって、周囲の岩肌はドロドロに溶解し、夜の冷気は灼熱の地獄へと変えられていた。
――確かに”生物”であれば、”殺せる”のかもしれない。
だが、この怪物は果たして、その範疇にある存在であろうか――。
【……フッ……クッ……クッ……】
「……!」
そして、”獣王”の口から、この場にそぐわぬ”声”が漏れる。
己の中に湧き上がる”感慨”を噛み締めるような、何かを懐かしむような、低い、哂い声――。
【……また、お前達は”つまらぬ物”を作ったな、小さき者よ――】
それは、聞き間違えようのない”言葉”だった。
紛れもない人語で、彼はそう言った。
”零鎧騎”達を見据えていたが、それは彼等を代表とした、もっと大きな括りへと向けられている言葉のように思えた。
例えば、己と対峙する存在全てへと。
例えば、”人類”という種、全てへと。
【……胸部安全装置を解除する。このようなものを捨て置くわけにはいかない】
【……了解】
「なっ……」
そして、その言葉は、”獣王”という存在は、”零鎧騎”達に最後の引き金を引かせる。
その気配に、是の憔悴しきった表情が、尋常ならざる焦燥で歪む。
「よ…よせ……! 三騎でそのようなモノを撃てば、こんな丘跡形もなく――」
是の懇願めいた絶叫も意に介することなく、”零鎧騎”達は胸部装甲へと手を伸ばし、拳部のパーツで鍵を回すようにして、その安全装置を解除する。
取っ手のようなものを引き出すと、胸部装甲が展開し、両肺にある醒石のエネルギーが充分に満たされたゼラチン状の物質と、中央に組み込まれた砲門のようなパーツが露わとなっていた。
取っ手にある引き金へと、”零鎧騎”の指が押し当てられ、サファイアへと、この状況を一変させる異能の発現を予感させる――。
【…………】
そして、対峙する”獣王”の両脚は大地を踏み砕き、彼は己が身を固定するように、その巨躯を地面へと深く沈ませる。
その尾は地盤を砕く程に、激しく地面へと叩き付けられ、肉をかき分けるようにして尾から伸びた骨状の物質が大地へと喰い込み、”獣王”の巨躯は完全に固定される。
背鰭は眩い程に青白く発光し、そのエネルギーは胸部の人工物めいた紋様を通じて体内を循環。
そして、いま、その大部分を喉へ、その口内へと集中させつつあった。
その様はまるで砲台のように、サファイアには思える。
その”砲”がいま、火を噴く――。
【”胸部醒砲”――発動!】
【―――――――――――――――――――――――ッッ‼‼‼‼‼】
”零鎧騎”達の胸部から醒石のエネルギーが迸った刹那、”獣王”の口内からも青白い光を伴った”熱線”が迸っていた。
それは、一瞬で三騎がかりの”胸部醒砲”を飲み込み、大地を大きく削り取りながら、”零鎧騎”を屠り、”破滅的結末”をその場にもたらす。
目が眩む程の閃光が過ぎ去った後で、サファイアの目に映ったのは、轟音とともに、遥か彼方で噴き上がる巨大なキノコ雲であった。
その様にさえ、随伴者たるフェイスレスは片眉すらも動かさず、腕組みしたまま、その情景を見ていた。
あまりにも、あまりにも、人知を超えた存在。
あまりにも、畏るべきものたちが、そこには居た。
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