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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第四章 血戦 PART2―Count Zero―
64/172

第15話 悲劇Ⅲ―後篇―

#15


「教主……殿?」


 動揺と猜疑に満ちた瞳が、この場にあって、信じ、すがるべきものを見つめる。


 落日とともに丘に満ちていた、()()えとした夜気が、肌を粟立てる。


 酒樽からぶちまけられた酒と鮮血が入り混じった、得も知れぬ臭気が鼻孔を刺し貫き、(はらわた)をむかつかせる。


 ――これは、いったいどういう事なのか。


 いったい何が起きているのか。


 事態を正確に理解できているものなど、誰もいない。

 

 “毒”という悪意。仲間の死という慟哭。


 それらの元凶たる、駆逐すべき“悪”に滾り震える己の身体。


 だが、それを冷えた眼差しで見据えるのは、自分達の長である若き教主、リィル・アーゲイル。


 その理解の及ばぬ現実が、戦士達の思考力、事態に対する肉体の反射を著しく鈍らせていた。


「教主殿、これは――!」

「……“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の皆さん、信徒達が驚いています。一瞬でも鎧装を外してやってはくれませんか? せめて同じ“人間”だとわかるように――」

「……!」


 ミザリーの問いに応えるでもなく――いや、無視するかのように投げられた教主の言葉。


 だが、呼びかけられた“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”なる存在達は動かない。


 若き教主と解放戦線の面々を分断するように立ち塞がる、白と紫の色彩を持つ鎧装を纏った、その五つの存在は、隙一つない、鋭利な気配とともにそこに立っていた。


 ……サファイアは思う。


 鋭利な(パーツ)が折り重なるようにして構築されたその鎧装は、どことなくだが自らの鎧醒形態(アームド・スタイル)である、アルファ・ノヴァと似ている。そして、その鋭さを覆い隠す鞘であるかのように、腕部や脚部に備えられた、流線型の鎧装はイクス・ノヴァのそれを想起させるものだ。


 もし、あれらの鎧装に量産型(プロダクションモデル)が存在すれば、このような形状になるのだろうか――。


 それだけではない、首元にある襟上の装甲に、“盾を包み込む四枚の翼”の紋章――煌都の紋章が刻まれているということは、煌都製のものという事になる。


 ――煌都が“創世石”の情報を手に入れているという事なのか。


 それも、恐らく少なくとも数年を(さかのぼ)るであろう、この“過去”の時点で。そして、


「まったく……厄介な事になりましたな、アーゲイル殿」

「……!」


 喉奥に詰まった泥を吐き捨てるような、耳にさわる皺がれた声とともに、役者がもう一人、舞台ステージの上に上がる。


 舞台の上に、丘の上にその姿を現わしたのは、“聖地カウランの独立を承認する”と、あの古ぼけた聖堂の中でリィル・アーゲイルに告げた、世界の統治機関である”煌都”より遣わされた使者メッセンジャー、その人。


 皮脂に塗れた禿頭はげあたまを苛立たしげに撫で、その顔に渋面を浮かべる、不摂生そのものの体型をした男の名は”(シー)我論(ウォルン)”。


 世界の統治機関である”煌都”の母体となった三大国ビッグスリーの一つ、“翆玲すいれい”の重鎮として知られる男だ。


 だからこそ、彼の”承認”と”宣言”は、実感を持って解放戦線の面々の身を震わせた。


 その事実をありのままに受け入れる事ができた。


 しかし、いまは――、


「――“英雄”はその胸に抱いた志を果たすも、その存在をこころよく思わぬ、不心得者達の手によって毒を盛られ、”謀殺”される。その後の事後処理エピローグの構成まで決定していたというのに、まったく品性のない、“私生児バスタード”のゴロツキどもが……余計な手間をかけさせてくれる」

「”私生児”の……ゴロツキだと……?」


 許せぬ侮辱に、ミザリーの、解放戦線の無頼漢達の気配が尖る。


 その手に銃器があれば、感情とともに引き金を引き、脳髄を丘の上にぶち撒けてやっていたかもしれなかった。


「フン……“聖人(セイント)”とでも呼べば満足かね? 死ねば仏になる――そのような宗教も遥か昔にあったらしいがな。だが、残念ながら現在の諸君は、“テロリスト”という“咎人(とがびと)”に過ぎん」

「テロ……リスト?」


 聞きなれぬ言葉に、ミザリーの声が僅かに震える。


「現在の“煌都”は『大戦』の終結以後、武力による領土の拡張、獲得を認めてはいない。しかし、お前達はそれをしてしまった。“辺境の聖処女”などという幻想じみた存在とともに、馬鹿げた戦果を世界に“情報”として伝播してしまった。お前達の情報は民衆にとっては恰好の娯楽だ。ミザリー・L・アルメイアという存在は、現実に存在する英雄譚として、お前達の知らないところでお前達の知らない影響力を持ってしまった。“世論”というな」

「……?」


 “世論”。これもミザリー達には馴染のない言葉であった。


 統治や統制といった言葉に縁のない辺境では、生まれ得ぬ言葉であるともいえる。


「――“情報”として届いてしまった以上、世界の統治機関である煌都としてはその争乱テロを止めねばならん。だが、英雄視されるお前達を鎮圧すれば、世論に響く。我等、“翆玲”が政権をとっているいま、それは“困る”のだ」


 民衆によって政権が、為政者が選別されるのも現在の”煌都”の――“議会制民主主義”の特色であるともいえる。


 そのようなルールが設定されていない混沌の地を、戦場を駆け抜けてきたミザリー達にとっては、まるで遠いお伽話とぎばなしの国の話であった。


 ……それは事実、そうであったかもしれない。 


「そこで、アーゲイル殿に一肌脱いでいただいた。教義もロクに理解しない“ゴロツキ”どもを諌めるために、煌都の信託を受け、現地へ赴いた若き教主としての役を請け負っていただいた」


「ば、馬鹿な……! 教主殿はむしろ我等を鼓舞して……!」


「“お前達にとっては”な。教主として、教団の長として、教えに背き暴走する“テロリスト”どもを諌めるために、彼が合流した。それが“事実”となる。そして、にも関わらずその暴威を増し、この土地を――自らの“聖地”を強奪したのがお前達という訳だ」


 さも汚らしいものを見据えるような眼差しとともに、是は嘲るような物言いを続ける。


「だが、こちらの教主殿はお優しくてな。飽くまでお前達の名が疵物とならぬよう脚本シナリオを紡いでくれた。ミザリー・L・アルメイアが毒殺という形で犠牲となり、その”悲劇(ミザリー)”を結末として,“カウランの丘”を巡る争乱は終結する。その犠牲と教訓を持って、教団は、教家アーゲイルは二度とこのような悲劇が、紛争が起こらぬよう、祈りとともに、煌都の管理の下、この“聖地”を統治する――。教義からは外れてしまったが、“聖地”に熱く想いを馳せ、散った“辺境の聖処女”を悲劇のヒロインとしてな」


「………」


 半ば嬉々として語られる“戯言(ざれごと)”に追い付かぬ思考。


 唖然として丘の上を見上げる解放戦線の面々。


 だが、(シー)の隣に立つ、彼等を束ねていたはずの、全幅の信頼を寄せていたはずの“教主”は、黙して口を開かず、ただ憐れむような眼差しとともに、ミザリー達を見ている。


 語られた“戯言(ざれごと)”に対する肯定も、否定もない。


 その様に、ミザリー達は知る。


 この“戯言”は真実であり、自分は“棄てられた”のだと。


(………)


 ミザリーの意識の中で、サファイアもその“真実”を悟り、理解する。


 ――煌都が定めた、他者の領土を武力によって奪ってはならない、武力によって自らの領土を拡張してはならない、という“法”は、五十年の長きに渡り続いた『大戦』の悲劇を繰り返さぬために成立したものである。


 だが、“煌都”の目の届かぬ辺境での出来事に関しては、それこそ“目が届かぬ”という理由で放置・黙殺されてきた。そこには、まずは自らの繁栄と土台を築くという、“煌都”の母体である三大国の思惑、“政治”が関わっている。


 しかし、ミザリー達、“カウランの丘、解放戦線”の活躍は、その軌跡は鮮烈に、雄壮に過ぎた。


 “聖地”を暴君によって奪われ、いまでは世界でほとんど失われつつある信仰を胸に、戦場を駆け抜けるミザリー達の英雄譚は、お伽話のように民衆の心を捉え、焦がすには充分な“熱”をもっていた。


 ……だが、彼女達の行いは、“煌都”が定めた“法”には反する。


 その名が情報として耳に入り、“目が届いて”しまった以上、“煌都”としては彼女等を止めねばならない。しかし、それをすれば、民衆の“世論”という牙は容赦なく、現在の“煌都”を()べる政権(あるじ)の喉笛に喰らい付き、その“継続”を脅かすだろう。


 だから、煌都は、没落しつつあった信仰の大家、アーゲイル家に話を持ち掛けた。


 世間に対しての名目上、平和裏に事態を収拾するための使者として、若き教主は現地へと送られた。


 その彼が旗頭となり、ミザリー達をより戦場へて駆り立て、結果的に武力による領土の獲得へと至ってしまったのは何故か。それは、彼の“欲”であったかもしれない。


 奪還された“聖地”の上に、没落しつつあるかつての信仰の大家、教家アーゲイル家の繁栄を築かんとする“野心”。それが彼の中にある引き金を弾いてしまったのだろうか。


 己が説く教えに背くような、その引き金を。


 そして、紛争の扇動者としての罪をミザリーに着せ、“毒殺”という形で舞台の上から退場させる。それが彼等のシナリオ。彼等の企み。だが、それは、“若馬”という二人の死によって阻まれる。彼女を想う、二人の若者の死によって――。


「……美辞麗句だな……」

「何……?」


 泥が這うかのような、重すぎる沈黙の後、


 彼女の、(くら)く、沈んでいた眼差しが、裂帛れっぱくの“決意”を持って上げられる――。


 (よど)んだ空気を、清水しみずに濡れた、抜き身の刃のような美しい声が斬り裂いていた。


 それは冥府に鳴る鈴の音のように、対峙するものたちの背筋を冷やす。


「飾り立てた上辺だけで、万に一つの“真実”も見当たらない。実の娘に“悲劇(ミザリー)”と名付けた、我が両親の想いとは相容れぬ、“醜悪”さに満ちた戯言だ」


 ドレスを翻し、剣を振るかのような勢いで、是達を指し示した彼女は、”辺境の聖処女ジャンヌ・ダルク”は叫ぶ。


「……“煌都”、その名の裏にある退廃を、我が耳と目が確かに聞き、見届けたぞ!」

 

 断罪するかのように己を指す指先。


 その手の中に、ないはずの“剣”を、(シー)達は幻視する。


 そして、彼女達の前に立ち塞がる、何事にも動じぬかのような鎧装の戦士達―――“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”達の中にも、一瞬、わずかに怯んだような気配が感じられた。


 例え、武装の類を何一つ持っていなかったとしても、彼女は、万の敵を相手に勝利を勝ち取った“聖処女”。――“英雄”であった。


「……それよ、我等が恐れるもう一つの要因(もの)は」

「何……?」


 その、あまりに美しい、その、あまりに堂々とした”英雄”の姿に、シーはわずかに目線をそらし、言葉を投げつける。


「そのカリスマ、その胆力。放置はできぬ。放置すれば、煌都に匹敵する一大勢力を、この世界に生み出しかねん。それは、“煌都”の名の下に、恒久的に築かれる“平和”にとっては、不要なものだ。お前は、世界にとって、あまりに“危険”なのだ」


「何を……私には、そんな野心など……!」

「ミザリー」


 いまにもシーへと、”丸腰で”斬りかからんとするミザリーの肩を、二つの手が掴む。

 

 振り返れば、そこに、長い時間を共にした友の温かな手があった。


 ――JJとサール。


 彼等の笑みが、不意にミザリーの足を止め、その隙に二人の友は、ミザリーの身体を後方へと下がらせ、悪意をもってこちらを凝視するシーと、“零鎧騎ゼロ・トルーパー”の前に立ち塞がっていた。


「お、お前達……!」

「ミザリー、お前の正しさも、お前の誇りも、いまは置いておいていい。いまは、ここから脱出することだけを考えろ」

「五対五十……数の上じゃあ俺達にまだまだ分があるぜ。まっ、お前とアルを逃がす時間稼ぎには充分なれるさ――」


 二人は共にギリギリまで引き絞った弓のように緊張に満ちた、だが、同時に何かを吹っ切ったかのような、どこか晴れやかな声でミザリーにそう告げていた。


 二人とも歴戦の勇士であるが故にわかる。


 あの五体が並の戦力でないことは。


 だからこそ、彼等は選択する。


 この場にあって、”最良”の選択を。


「全力で走ってくれ、ミザリー。付近の町にでも逃げ込めば、コイツ等も“無茶”はできねぇ。コイツ等は“秘密裏”にお前を処分したがってるからな……」


 解放戦線の面々が、次々とミザリーの周囲まわりへと歩を進め、彼女を護るように陣形を組む。


 その表情には一様に笑みが浮かんでいた。


 その行為に何一つ、迷いはなかった。


 彼等とて、その手に武器はなくとも、この数年を戦い抜いた勇士。


 その目に、鍛え抜かれた肉体に宿る闘志は、“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”達を射抜き、その気配を“交戦”へと傾かせる。”零鎧騎ゼロ・トルーパー”の各部鎧装が展開し、噴き出す蒸気音が、威嚇の咆哮の如く解放戦線の、その無頼漢アウトロー達の聴覚へと突き刺さる――。


「アル……! 行け……! この強情な娘を連れて、突っ走れ!」

「うん……!」


 きな臭い空気を霧散させる、サールの景気のいい号令。


 それに応え、アルの手が、仲間達を退がらせようとなおも叫んでいるミザリーの腕を掴み、強引に走り出す。


 ミザリーの抵抗も、その腕力も意に介さぬ程、少年の彼女を護ろうとする気持ちもまた、強かった。


「お、おい! アル……!」

「逃がすな! 生死は問わん。 塵一つ残さなくて構わん」


 失踪し、生死不明というのも英雄譚の結末としてはなかなか上出来ではないか――。


 駆け出した獲物の姿に、シーの口元に不穏な舌なめずりが走る。


「お前達に与えられた性能ちから、存分にためし――見せつけよっ!」

【……“了解(コンセント)”】


 感情を押し潰したかのような、無愛想な返答が応え、その号令とともに、“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の五つの影は躍動し、解放戦線の面々もその影へと挑みかかる。


 丸太のような太い腕が機械的な鎧装へと殴りかかるが、残像すらも掴ませぬスピードで、“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”達は移動し、肘に顕現させたブレード状の武装とともに、鮮烈に過ぎる“赤い飛沫”を夜の闇へと噴出させる。


「――!?」


 “殺戮”だった。


 何一つ、勝負となるような要因はなかった。


 数で勝り、豊富な戦闘経験を持っていたとしても、丸腰の彼等と、『鎧醒(アームド)』した“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”とでは、蟻が象に挑むのと、そう変わりはなかった。


 ――『鎧醒(アームド)』を体験し、その奇蹟を体現したサファイアには、嫌になるくらい、その事がわかった。


「みんな……!」

「ミ、ミザリー!」


 その、“殺戮”にミザリーはアルの手を振り切り、走り出す。


 仲間達を救うために。


 己の幸福を願った仲間達と共にあるために。


「おおおおおおお!」

【……!?】


 拾い上げた棒切れを持ち、斬りかかる”聖処女“に、何故か“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の動きは鈍り、その鎧装が否応なく後退させられる。彼女の首元で光るペンダントから()(こぼ)れる――いや、溢れ始めている“朱”が、“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の鎧装に、原因不明の不調をもたらしていた。


【……“03ゼロスリー”、“重力指弾(グラビディ・ソル)”を使え!】

【……“了解(コンセント)”!】


 不調から逃れるため、距離を離した“03ゼロスリー”と呼ばれた“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の拳部鎧装が展開し、拳、その指の付け根にある五つの球体を露わにする。


 致命的な危機を察した、ミザリーが飛び退こうとするも、“それ”の射的距離を逃れることは不可能だった。


【消えろ……“奇蹟(ストレンジ)”!】

「ミザリー!」


 ――!


 その刹那、ミザリーの視界にまた、鮮血が弾けていた。


 己のものではない。


 己を庇った、誰かのものだ。


 それは――、


「へ、へへ……よかった……」


 重力指弾に背中を抉られ、ミザリーの身体にもたれかかった彼は、幼馴染でもあるサールは、満足げにそう呟き、両目から流れ落ちたものをミザリーの肩に伝わせる。


「決めて、たんだ。死ぬときはお前を庇って……恰好良く……」


 それが、出来て、良かった。


 その言葉をミザリーの耳朶に残し、サールの身体は爆散していた。体内に撃ち込まれた“重力指弾グラビディ・ソル”が爆裂し、その内部に込められていた重力が弾けた結果だった。


「あ……あああああああああ!」

【ば、馬鹿な、人体越しとはいえ、“重力指弾グラビディ・ソル”の衝撃を喰らって――】


 悲しみに咆哮するミザリーを見る“零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の気配には、明らかに動揺が、恐怖が浮かび上がっていた。それは、理解を越えたものに対する人間の反応、”畏怖”・“畏敬”である。


 彼女のペンダントから溢れる“あか”の粒子は、次第にその濃度を増している。そして、


「走れ、走れ、ミザリー!」

「……!」


 血にまみれた友が、兄のように自分を護り、支え続けてくれた彼――JJが、首に欠かさずかけていた十字架クルスをむしり取り、叫んでいた。


 彼はそれを天へとかかげ、動かぬ屍となった仲間達の代わりに、想いをそらへと突き立てる。


「俺達の願いはただ一つ、必ず、必ずお前を……!」


 “幸福しあわせになれ、ミザリー!”。


 天へと吼えた彼の祈りは、その身に撃ち込まれた”重力指弾グラビディ・ソル”によって、鮮血とともに闇夜へと散った。


 己を裏切った教えのみなもとたる“主”へと捧げられたその叫びが、ミザリーの魂をまた、震わせる。


 奪われてしまった、彼の温かさが、その優しさが。


 彼等の、その、かけがえのない生涯が。 


「貴様らあああああああああああああああっ!」


【――!?】


 “朱”が溢れ、世界を染める。


 “零鎧騎(ゼロ・トルーパー)”の鎧装を蝕む“異常”は既に、不調などと呼べるものではなく、その鎧装は完全な“恐慌状態”に陥っていた。


 ――当然である。そこに在るのは彼等が纏う『醒石』の上位種、“畏敬の赤(アームド・ブラッド)”。


 “麗鳳石”なのだから。


 例え、『鎧醒(アームド)』していなくとも、その影響力は絶大。


 ”朱”の粒子が空間に溢れ、支配する限り、指先一つ動かすこともかなうまい。


「そこまでです、ミザリー・L・アルメイア」

「……!」


 だが、その声に“朱”の奔流がわずかに(たわ)み、彼女が“それ”を視認した瞬間、その”朱”は闇の中へと吸い込まれるように消滅する。


 己が信じ、愚かにも淡い想いを寄せていた男が、黒く鈍く光る銃口を、捕えたアルのこめかみへと押し当てていた。


 己が信じていたものが完全に崩れ去り、砕け散るのを、ミザリーはその時、確かに認識した。

 

「……教主殿、それは、それはあまりに卑劣だ」


 湧き上がる激情とは裏腹に、ミザリーは冷静に、己の想いを吐き出していた。


 強く、握り締めた拳からは、先程まで空間に溢れていた”朱”とは異なる血の赤がこぼれ落ちていた。


「主は、主は我等にそのような事をせよとは教えていない! 我等が信じてきた主は……!」

「……そんなものはもう死んでいるんだよ、ミザリー」

「なっ……?」


 教主の口舌が語った、いや、”教主殿”の口からもたらされたとは思えぬその言葉に、ミザリーは絶句し、己の耳を疑う。


「かつての世界において、宗教は大きな意味を持っていた。世界を動かす“権力”ですらあった。だが。現在では、“権力“どこらか、ただの”趣味“だ。そんな家に生まれた私の人生は既に死んだものに捧げられていた。その無念は、君には理解できないだろう」


 高貴な、綺羅星きらぼしの如き輝きに満ちていた彼の瞳はいま、腐臭すら漂うような汚泥の如きよどみに満ちていた。


 ――もしかしたら、これを覆い隠すための足掻きが、彼をあそこまで輝かせていたのかもしれない。

 

 それ程までのくらい何かを、彼もまた、その内面に宿していたのかもしれない。


「だが、君の名と奇蹟、その死によって――主は蘇える。人は知る。これ程までに人を動かす教えがある事を。そして、世界には主によって、もたらされる”奇蹟”がある事を。君という”悲劇ミザリー”を通じて、人は知り、主はふたたび、その価値を取り戻すのだ」

「なっ……あっ……」


 その時、ミザリーの胸中に去来したのは、怒りではなく悲しみだった。


 彼の中には始めから、教えなど、主など存在しなかった。


 ただただ、空っぽな自分の生きる道と、そこに生まれ落ちた己の運命を、少しでも意味あるもので埋めるために、それに、すがりついているに過ぎなかったのだ。


 もはや、自分の両親が、信仰の自由と信徒の安寧のために、聖地を切り拓いたような熱情も、神への感謝も、その本流たる彼等の中には、既に一片たりとも存在してはいないのだ。だが、


「主は……いるよ……」

「ア、アル……!」

 

 その若き教主へと”異”を唱えるものがあった。

 

 彼に羽交はがめにされ、銃口をそのこめかみに突き付けられた少年が、その喉が振り絞るように、言葉を若き教主の耳へと届けていた。


 澱みに満ちた教主の瞳が、無垢な瞳を覗き込む。


「……何を言っているのだ、少年」

「僕達は救われた。JJも、サールも言ってた。……何にもなかったんだ。本当に何にも残ってなかっんだ。後はただ、死ぬのを待つだけだったんだ」

 

 遠い過去を懐かしむように、その時の喜びをまた、噛み締めるように、少年は目の前の”聖処女”の顔をじっと見つめる――。


「でも、僕達はミザリーと出会った。ミザリーが僕達を助けて、僕達に教えを詳しく、丁寧に伝えてくれて――僕達はまた生きる意味に出会えた。彼女と主のためなら生きられるって、そう、思ったんだ――」


「…………」


「作り話じゃない、本当の気持ちからミザリーは、僕達に本当の救いを与えてくれた。ミザリーの気持ちの中に”主”も、”教え”も確かに生きてたんだ。だから、僕達は彼女のために――。作り話で、それはできないよ」


「うっ……ぐっ……」


 若き教主の瞳のよどみが、一瞬、渦を巻き、たわむ。

 

 引き金にかけられた指が震え、銃口も彼の動揺を示すかのように揺れ動く。


 だが、己の迷いを振り切るように、銃を握り直し、若き教主はミザリーを真っ直ぐに見据える。


「……だとしても私は成し遂げねばならない。それ以外に、私の進む道はないのだから」  


 ミザリー達の間で交わされた、いくばくかの問答。

 

 その隙に、”零鎧騎ゼロ・トルーパー”達はミザリーを包囲し、その息の根を確実に止めるべく、陣形フォーメーションを整えつつあった。


 いま、あの”重力指弾グラビディ・ソル”を撃ち込まれれば、”適正者”である彼女とて、絶命はまぬがれないだろう。


「ミザリー」

「え……」


 そのような状況下で、とらわれの少年はんだ、優しい声音をミザリーの耳へと響かせる。


「ずっと、ずっと、僕のお姉さんでいてくれるって言ったよね」

「あ、ああ……」


 ”零鎧騎ゼロ・トルーパー”達の拳部鎧装が展開し、”重力指弾グラビディ・ソル”の発射態勢へと移行する。


「僕、すごく嬉しかったよ」


(や、やめ……)


 その時、ミザリーの意識の中、サファイアもまた、叫んでいた。


 彼が、何をしようとしているかわかったから、叫ばずには、いられなかった。


「「駄目だっ! アルっ!」」

「なっ――!?」

 

 ――パン、と。


 渇いた銃声が響いていた。


 教主の腕に喰らい付き、その手が握る銃の引き金に指を重ねた少年は、ためらうことなく、その銃口を己の胸へとあて、引き金を引いていた。


 ――姉を、ミザリーを救うために。


「ア、アルゥ――っ!」


 泥の中へ崩れ落ちる少年へと駆け出したミザリーへ、一斉に”零鎧騎ゼロ・トルーパー”達の”重力指弾グラビディ・ソル”が撃ち込まれる――。


 だが、それは”麗鳳石”から再度、噴き出した”あか”の粒子、その奔流カーテンによってはばまれる。強靭なる”奇蹟”が、矮小なる”異能”を飲み込み、噛み砕いていた。


「あ……あああ……」


 絶望が、ミザリーの心に押し寄せ、倒れ、動かなくなった弟の姿が、ミザリーの喉奥から獣じみた慟哭さけびほとばしらせる――。


「貴様らが……貴様らがああああああああああああああ!」

「――――――!?」


 感情の爆裂とともに、世界を塗り潰すほどの”朱”が渦を巻き、あらゆるものを飲み込んでゆく。


 アルが己を撃った際に飛び散った鮮血によって、濡れた彼女の頬に、突然に降り出した雨が、血涙けつるいの如く流れ落ちる――。


 起きてしまった”悲劇ミザリー”。その最終幕の開演を告げるように。そして――、


【”覚醒”は成った。――いまこそ”鎧醒アームド”の時】


 まるで打字タイピングされたが如き、無機質な音声とともに、最後の登場人物が宙より舞い降り、舞台ステージの上へとその姿を現わす。


「なっ……?」


 それは、シーも、若き教主も、”零鎧騎ゼロ・トルーパー”達も知らぬ来訪者イレギュラー


 両肩に大仰なホーンを持つ、どこか拘束衣を思わせる黒衣を纏う、顔を包帯で覆った男が一人。

 全身を鎧装で覆い、背中から刃状の突起を”背鰭せびれ”の如く露出させた男が一人。 


 後者の兜から露出する口は、爬虫類の如く耳まで裂け、剝き出しとなったその歯牙は獣そのもののそれだった。


 前者の黒衣には各部に茨の如きスパイクの意匠が施され、禍々しくも、どこか厳粛な印象を見る者に与えていた。

 

 明らかな異常が、”異端”がそこには存在した。


 その二名は、目がくらむような”あか”とともに咆哮するミザリーを見据え、己が黒衣に刻まれた”逆十字”を闇の中で、静かに揺らめかせていた。


【ようやく出逢えたな――”同胞はらから”よ。旅立ちの時だ】 


 顔を包帯で覆った男が手を差し伸べ、虚ろな目で己を睨むミザリーへと告げる。


【”神なき世界で神である為に”――】

 

 ”破壊者リ・イマジネイター”と”獣王キング”。

 

 後に”選定されし六人ジャッジメントの断罪者・シックス”と呼ばれることとなる、黒き鎧装を纏う者達の邂逅が、いま、そこにあった。



NEXT⇒第16話 おそるべきものたち

 

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