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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第四章 血戦 PART2―Count Zero―
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第14話 悲劇Ⅲ―中篇―

#14


「アル……」


(え……?)


 ミザリーが呼んだその名に、彼女の意識/・記憶の中でその情景を観測していたサファイアの口から、戸惑いの声が漏れる。


 そこに立っているのは、別のビジョンでも見た、自慢の弟と良く似た背格好、年頃が強く、印象に残っていた少年兵である。


 まさか、名前まで一緒なんて――。


 サファイアは驚きとともに息を飲み込み、ミザリーの前に立つ少年の顔をまじまじと見据える。


 私は、お前だよ――。


 そんな麗句の言葉が、脳裏にまた蘇る。


「どうした……? 先程の会談、調印式もなかなか長かったからな。……子供のお前には、感慨深いと同時に随分と退屈な催しだったろう。足も腰も、すっかり棒だろうな」


 そう言ってミザリーは足取りが重く、疲労が見える少年の足をぱしっと軽く叩いてみせる。


 彼女の美貌に咲いた、可憐な笑みに、少年の頬は熟れた林檎を二つ携えていた。


「夜には酒宴もある。状況によっては徹夜オールも想定できる事案だ。いまのうちにゆっくり休んで――」

「うん、それはそうなんだけど……」

「ん……?」


 そこでミザリーは気付く。


 少年の瞳がどこか潤んでいる。


 少し、こぼれたしずくをその手がゴシゴシとぬぐい、無理に笑おうとしたその表情かおは、とめどなく溢れ出る感情と涙でぐしゃぐしゃになってしまっていた。


 頂上ピークを迎えた感情がそこにあった。


「ア、アル……?」


 その、ただならぬ様子に思わず、ミザリーの声が上ずる。


 予感があった。


 自分には受け止めきれぬかもしれぬ感情の塊、想い――その気配が。


「ミザリー、ぼく、ぼくね」

「う、うん……」


 弟のような少年から溢れ出る感情と涙声に戸惑うミザリーへ、少年は瞳から零れる塩辛い涙を飲み込みながら、言葉を続ける。


「ミザリーが教主様の御嫁さんになるって聞いたら、僕……なんだか、なんだか急に悲しくなって――!」

「え……えっ!?」


 ミザリーの声がさらに一段階上ずり、サファイアの浮かれた声がそれに続く。


(まぁ……! まぁ……!)


 花の種類よりも銃器の種類に詳しいような彼女でも、その言葉の意味は理解できた。


 ただ、対処する術がなく、ミザリーは慌てた。


 支配者の手勢である、百を超える賊に囲まれた時よりも、遥かに慌てていたかもしれない。


「あ、あのな……アル、ええと……私は……」

「ぼ、ぼく……」

「お、おお……」


 ぼくは、ミザリーが――、


 喉元まで迫った言葉の鉾先に、ミザリーは高鳴る鼓動とともに、ゴクリと息を飲み込む。だが、


「――ミザリーに、ミザリーにちゃんと”お嫁さん”ができるか、すごく心配になって!」


 ……ズコッ。


 と、これにはミザリーの意識の中にいる、サファイアも思わずズッコケた。


(ありゃりゃ……)


 一週回った驚愕に、ミザリーの口があんぐりと開き、目は白くなってしまっている。


 無理もない。


 まぁ……あまり人の事は言えないが、これまでのビジョンの中で、確かにそれを心配させるような“粗忽”は多々あった気がする。


 ――本当に人の事は言えないのだが。


「な、ななな何を言う! 私はこの解放戦線の指導者たるミザリー・L・アルメイアだぞ!? “お嫁さん”如き雑事、容易く――」

「洗濯だって毎日、毎日ちゃんとしなくちゃいけないんだぞ!? 人に洗わせてちゃダメなんだぞ!? 料理だって毎日、あんな塩辛いの食べてちゃ教主様も早死にしちゃうよ! 教義にだって反する!」

「きょ、教義に!?」


 ……彼女の料理はそこまでのレベルなのか。


 容赦ない少年の舌鋒にサファイアはいたたまれず目を覆う。


 確かに、料理途中のビジョンもあったが、大雑把に大雑把を重ねたようなレシピと調理だったことは疑いようがない。


「教主様が暮らしやすいように色々……ぼくがミザリーに付いてたみたいに、ミザリーが教主様をお世話しなきゃいけないんだよ。ぼくは……ぼくはミザリーのお世話がもっとしたかった」

「アル……」


 ……そうか。


 そこが本音なのだろう。


 しゃくり上げながら言葉を紡ぐ少年の肩に、朗らかな姉の表情となったミザリーの手が乗せられる。


「ずっとお世話がしたかった。だって……孤児だった僕に、何もできない僕に、居場所とその仕事をくれたのはミザリーだから」


(そうか……)


 サファイアは合点がいく思いだった。


 この少年は、戦場に立つにはあまりに普通の、どこか弱々しささえも感じさせる程の、優しい面差しの少年だった。……紛争中、孤児となり、行き場所を失くした彼を、ミザリーが自分の世話役として傍らに置いたのだろう。 


 ――自分に虚をつかれ、撃たれた彼女の“優しさ”をここでも、サファイアは思い知る――。


「ねぇ、ミザリー」


 涙を拭った、真っ直ぐな、つぶらな瞳がミザリーを見据えた。


「お嫁さんになっても、僕のお姉さんでいてくれる?」

「……勿論だ。お前はずっと私の弟だ。天に召されるまで――いや、その後も繋がりは途絶えない。私の手はお前の手をずっと、ずっと握っているよ」


 そう言って。ミザリーはアルを抱き締める。


 微睡む程に、穏やかな時間が流れた。


 血の繋がりはなくとも、心は繋がっている。


 そんな兄姉達と弟が自分にはいる。


 自分は幸福である。


 両親の願い通り、自分は“悲劇”という苦難を乗り越え、幸福を掴んだのだ。


 そう――思えた。


 ミザリーと同様に、サファイアもそう思った。


 この幸福こそが、この物語の結末なのだと信じたかった。


 ……先程までの“麗句=メイリン”との死闘を忘れる程に、サファイアはそう願っていた。


(あ……)


 姉弟の抱擁という温かな景色が遠ざかり、夜の冷気がサファイアの意識を擽る。


 次なる場面は、酒宴。


 瓦礫が散乱し、草木もまばらにしか生えていない荒涼とした丘。


 彼等が取戻した聖地、カウランの丘。


 そこに用意された豪奢なテーブルの上に、色彩だけで胃壁を擽るような、色とりどりの料理と、芳香を漂わせる年代物の美酒を詰め込んだ酒樽が乗せられている。


 テーブルの周囲に集まった解放戦線の面々は、白を基調とした礼服を身に纏い、やや下卑た話題を含めた談笑で場の空気を温めていた。


「ほら、アル。お前用に果実を絞ったものや、紅茶の類も用意してある。肉も魚も山のようにあるし、好きに楽しんでいいぞ」


 豪勢な料理を前にしてはしゃぐ弟に、姉の表情でそう告げるミザリーは、銀の装飾をところどころに施した、白のドレスを纏っていた。


 元来の美貌に寄り添うようなドレスを纏うことで、これまで縁が薄かった、年相応の愛らしさが、満開の花のように咲き誇っていた。


「 “馬子にも衣装”……か?」

「いや、むしろ馬子の衣装をこれまで着ていたわけだから、逆だろう」

「ミザリーに馬子」

「……お前等、多少でも素直に()められないのか」


 ぶーぶーと口を尖らせるミザリーに一同は肩をすくめ、やがて満場の拍手を響かせる。


 それはようやく訪れた、彼女の“少女”としての門出への、祝福の拍手でもあった。


 アルもその瞳を潤ませながら、手を叩いている。


「もう、勝手にしろ……」


 ふてくされたようでいて、幸せを噛み締めているようでもあるミザリーは、テーブルの上にあるシャンパンの瓶を手に取る。


 照れ隠しに一足先に開栓したい気分だった。


「……フライングは流石にマナー違反だぜ、ミザリー」


 まだ正式には、酒宴は始まっていない。


 主催者である教主、リィル・アーゲイルや、煌都からの使者の面々もまだ来場していないのだ。だから無頼漢ぞろいである解放戦線の面々ではあっても、酒類にはいまだ手を付けていなかった。


 しかし、ミザリーのこの“照れ隠し”は口実には持って来いだった。


「……よし! 毒見薬はこの俺が引き受ける!」

「右に同じく――私もだ!」


 解放戦線の中で“若馬(ヤングマスター)”と呼ばれる男女が、ミザリーの前に歩み出て、仰々しく(かしず)く。


 “毒見”を口実とした酒宴への“抜け駆け”が目的なのは、あえてここに書き記すまでもない。


 ミザリーは大仰に溜息を吐き、手にしていたシャンパンの瓶を“若馬(ヤング・マスター)”の目の届かぬ背後へと隠す。


「さ、流石に実際には開けないぞ。主催者である教主殿、煌都の方々もまだ到着されていないではないか」

「なればこそ、このような見苦しい些事は、事前に済ませておくが上策かと」

「右に同じく」


 まったくもって口八丁である。


 ミザリーは観念したかのように肩を竦める。


「この小瓶のほうにしておけ。この大瓶は恐らく酒宴の挨拶の時にだな――ってこら!」


 ミザリーが小瓶を手渡そうと、テーブルへと手を伸ばしたその隙。


 呆れるほどの早業で、シャンパンの瓶は“若馬”の、バンとパルの手の内に移動していた。 


 その手際の見事さに、周囲の無頼漢達は「ヒュー」と賛辞の口笛を鳴らす。


「我等がリーダーの門出を祝って……! へへっ……この役だけは譲れませんでありました!」


 バンの音頭に、無頼漢達の野太い歓声が応える。


 勢い良く栓を抜かれたシャンパンは、泡を心地よいほどに飛び散らしながら、豪快にバンの喉へと注ぎ込まれる。そして、パルが手放されたその瓶をテンポよくキャッチし、その残りを飲み干してみせる。


「”解放戦線”の絆よ! 永遠に!」


 満場の拍手と呼応する声が鳴り響いていた。


 バンとパルの気の効いたパフォーマンスに、場内に“若馬”コールが鳴り響き、酒宴はその開幕前から最高潮を迎えつつあった。


(はは……)


 その光景を、ミザリーの意識の中で見ているサファイアも、その盛り上がりに心からの拍手を送っていた。


 なんて素敵な夜だ。


 自分がミザリーなら、自分の幸福を間違いなく疑ったであろう。


 でも、これは現実。


 彼女にとってのゴールなのだ。


(そうだ……そうだよ)


 幾多の悲劇の果てにある優しい結末。


 それが目の前にある景色。


 そうサファイアは己の意識に言い聞かせた。


 ――だが、その意識に、雑像(ノイズ)が絡みつく。


(そうに違いないんだ……)


 思考を深める程に増幅される雑像ノイズ。 


 それは、視覚するだけで身を震わすような“朱”の色彩。


 ――白銀の鎧装を纏い、命を奪い合った、黒の装束。


 そこに刻まれた“逆十字”の映像ビジョン。そして、


「がっ……?」

「バン……?」


(えっ……?)


 それらの雑像(ノイズ)が弾け、サファイアの意識に、その視覚に”赤”が満ちた。

 

 それは旅路の中でも多く見た、人の中に流れる生命の色彩いろ


 バンの口内からほとばしった”鮮血”の赤。


 それは、絶句とともに、サファイアの、ミザリー達の視覚に焼き付く――。


「バ、バンっ!」

「ぐっ……がっ……」


 場に満ちていた歓声も、嬌声も息を引き取った。


 何が起きているか把握できぬバンの眼球が宙を仰ぎ、痙攣する体が助けを求めるように手を伸ばす。絶句を振り切ったミザリーが手を伸ばすが、それは何も掴めず、力を失ったバンの手は虚しく泥の中に落ちた。


 生命(いのち)が――いま失われた。


「バンっ! そ、んな……」

「ど、毒か……?」


 ミザリーの腕が物言わぬバンの身体を抱え上げ、副官であるJJが、数多の危機を、死線を潜り抜けてきた無頼漢達が、周囲の気配へと己が五感を研ぎ澄ませる。


 “毒”という悪意ある矢が放たれた以上、もはやここは“戦場”と呼んで間違いはなかった。


「い、嫌……どう、しよう、ミザリー……」

「パ、パル……」


 耳を疑う程に弱々しい、だが、突き刺さるようなその声音に、ミザリーの瞳は身を震わす彼女の方へと向けられる。


「わた、私も飲んじゃったよ……私、わたっ…」


 がっ……?


 また、鮮血が弾けた。


 またも、ミザリーの手は届かず、一つの生命が潰えた。


 何だ、これは。


「なんなんだ、これは!」


 思考が混濁する混沌の中、ミザリーの喉から怒号が迸る。


 その声はまるで剣だった。


 戦場で聖処女が振り上げる、抜き身の剣だ。


【……ミザ、リ……】

「――?」  


 そして、その抜き身の剣とは異なる機械的な声が、ミザリーの意識を揺らした刹那、上方より飛来する気配が、彼女の背筋を寒気とともになぞる。


「なっ…!?」


 色とりどりの料理や酒樽を乗せていたテーブルが粉微塵に破砕される。


 墜落同然に空から襲来した五つの影。


 現れたのは、白と紫に彩られた鎧装を纏った複数の存在――。


 その腰部に在るバックルには、眩く輝く球状の石が埋め込まれていた。


 サファイアには理解できる。


 これは“醒石”。


 この惑星に秘められた奇蹟の結晶にして象徴。


 自分達の運命を大きく変えた、それである。


「あ……」


 そして、ミザリーは、解放戦線の面々は見る。


 丘の上から自分達を見下ろすその人を。


 自らの長であり、この酒宴の“主催者”である若き教主、リィル・アーゲイルの姿を。


NEXT⇒第15話 悲劇Ⅲ―後篇Ⅰ―

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