第13話 悲劇Ⅲ―前篇―
#13
「……以上で主たる手続きは終了だ。後は、細かな付随事項への署名を残すのみ。リィル・アーゲイル殿。これより卿らの聖地、カウランは、煌都の管理の下、独立自治を世界に承認される」
おお……と。
その言葉に、罅割れたステンドグラスの隙間から陽光が差し込む、薄暗い聖堂の中、響いたその言葉に、聖堂の奥に待機し、その会談の様子を見守っていた解放戦線の面々の喉から、感嘆の声が漏れる。
支配者の軍勢による急襲。日々繰り返される砲撃などによって、荒廃の一途を辿る聖堂の中心で、世界の統治機関“煌都”から送られた使者より、その言葉を賜るのは、いま再び勝ち取られた聖地、〝カウラン“をその手に担うことになる若き教主。
リィル・アーゲイル。
ミザリーが“辺境の聖処女”として頭角を現し、解放戦線の戦果が、その勇名が世界に、その統治機関である“煌都”にまでとどろくに至り、彼女たちの信仰の“源流”を司る大家――アーゲイル家の長子である彼が現地を訪問し、合流。
カウランの丘をその源流を含めた“信仰”の本拠地とすると宣言した彼は、解放戦線の新たな旗頭となり、その勢いを確実なものとした。
その勢いが、ミザリーの言葉を借りれば、“厚顔にして傲慢な”支配者を交渉の席につかせるまでに至る。
そして、辿り着く。煌都の承認を得た上での独立。
実質的には、煌都に併合された――煌都の一部としての独立を承認された形だが、信仰の自由が保障され、なおかつ今後の信徒達の安寧と平穏が確約されたのだから、望むべくもない条件であるともいえた。
長かった紛争は終わり、その腕が掴んだ“独立”の実感が、歓喜が、安堵が、解放戦線の面々の心身を滾らせ、震わせていた。
感極まって号泣しているのも一人、二人だけではない。
……無理からぬことである。
(しかし……な)
その褐色がかった艶やかな肌と、粉塵の中にあっても、鮮やかな光沢を感じさせる黒髪。
柔らかく、どこか儚さすら感じさせる表情を浮かべる、整い過ぎている程に整った顔立ち。
跪きて祈る“主”にすら見棄てられたかのように荒れ果て、泥に汚れ、埃に塗れたこの聖堂の中にあっても、独立へと至る道を拓いた若き教主の姿は、綺羅星の如き眩しさに満ちている。
その胸に切なる祈りと、厳かな信仰を秘めているとはいえ、無頼漢揃いの解放戦線の面々から見れば、彼はまさに“住む世界の違う”存在だった。
遺伝子から魂の出処に至るまで、何から何まで自分達とは違う存在。
そう感じさせる程に“遠い”存在。
それに匹敵しうる、否……隣に立つのが相応しい存在があるとするならば、それは――、
(……ミザリー)
彼等が慕い、見護り、憂う“辺境の聖処女”。
ミザリー・L・アルメイア。
彼女に他ならない。
その彼女は“内装服”の上に“強化装甲服”を纏った、彼女なりの正装で教主を、リィル・アーゲイルという青年を、熱を帯びた瞳とともに見つめていた。
両親が勝ち取ったものと同様のものを、信徒達の平穏と安寧を勝ち取ることができた。
彼女が瞳を潤ませ、頬を赤く染めているのは、その感慨、歓喜が大きな要因となっての事だろう。
だが、その三分の一、いや半分程はもしかしたら……、
(まったく――世話のかかる“お嬢”だ)
勝利の喜びに咽ぶ聖堂の中で、無頼漢達の瞳の奥に、手のかかる妹を見守るような、深い、穏やかさが満ちていた。
(………)
いま、ミザリーの記憶の中で、サファイアの意識もまた、その景色を見ていた。
ミザリーの記憶を軸に構築されていながら、その景色に彼女以外の視点――思考が含まれているのは、人間の精神に感応し、吸い上げる醒石の特性故の現象。
そう――いまもミザリーの首元で、両親の形見であるペンダントの一部として、否応なく畏敬の念を喚起させる“畏敬の赤”の輝きをその球体に宿す、“麗鳳石”のその特性に基づいた”再現”なのだろう。
”麗鳳石”が感知したであろう”感情”や”想念”は間違いなく、このサファイアの精神内に再構築された“ミザリーの記憶”に息づいていた。
(でも……)
ミザリーの首元に輝くのは、戦闘の最中に、”魔女の吐息“発動の際に眼に焼き付いたものと同様の”朱“――。
その麗鳳石の“朱”の輝きが、サファイアにこのミザリーが麗句=メイリンなのだと、再認識させる。
……で、あれば、この白を基調とした甲冑を纏う凛とした”聖処女”が、逆十字を刻んだ黒衣を纏う”魔女”となってしまっているという事になる。
(それでも……)
サファイアは、彼女を穏やかに見守る、この無頼漢達がいまも彼女の傍らにある事を願った。
たとえいま、彼女が黒衣を纏い、悪辣な組織に身を置いているとしても、この繋がりは、温かさはいまも彼女と共にあるのだと信じたかった。
それ程までにミザリーを想う無頼漢達の気持ちは真摯で、清らかだった。
そして、そのサファイアの気持ちを知ってか知らずか、場面は静かに切り替わる。
「しっかし“お嬢”の猫かぶりもひっでーよな。普段は隙あらば喉笛に噛み付く女豹が、あの人の前じゃカツブシを強請る猫だぜ、ありゃ」
「サール、口を慎め。お前の物言いは私をからかうどころか、その実、教主殿を侮辱しているぞ……!」
聖堂から解放戦線の基地たる“宿舎”へと連絡する地下通路の途中で、軽口を叩いたサール・マウリオを”辺境の聖処女”の眼光が一瞥し、彼女の手が床から拾い上げた木の棒が、剣の如くサールの喉元へと突き付けられる。
ぐるる…と、女豹の獰猛な呻り声がミザリーの喉から漏れている。
「ほれ、この調子だ。教主殿関連の冗談で、幾つ首が宙を舞うかわかんねぇぞ」
「フム……どうやら本物のようだな。我等の憂いは」
「……? どういう意味だ?」
両手を上げて降参するサールに、周囲の無頼漢達は次々と相槌を打ち、彼等の言葉に、ミザリーは木の棒をバトンのようにして遊ばせながら、彼等の顔を見回していた。その様に、解放戦線の猛者達は盛大に溜息を吐く。
……懸念していたように、彼女が自分の気持ちに気付いていない可能性は大いにあった。
「ミザリー」
「うん」
怪訝に満ちた少女の瞳をまじまじと見つめながら、戦場において彼女の右腕を務める副官、J・Jは言葉を紡ぐ。
「……惚れているのだろう、教主殿に。そうだな、元より半ば確定事項ではあった“嫁入り”ではあるが、お前の気持ちが伴っているのならば、俺達も安心してお前を見送れる――」
「な、なぁッ…?」
その時、少女に電流走る。
熟れた林檎のように両頬を赤くした“辺境の聖処女”の手は、動揺のあまり、手にしていた木の棒を明後日の方向に放り投げ、その口は餌をねだる金魚のようにパクパクと動き続けていた。
「俺達はずっと心配だった。料理が下手だとか粗忽だとか、美貌とは裏腹に中身は残念だとかという事以前に、“そういった”事に見向きもしないお前が」
「ば、バカにしてる……バカにしてるな!?」
熱暴走寸前の思考回路でも何となくわかった。
戦闘モードに移行したミザリー渾身のガゼルパンチが放たれるも、動揺に動揺を重ねたその拳は簡単にキャッチされ、挙句の果てにミザリーはその艶やかな黒髪をJ・Jに「よしよし」と撫でられてしまった。
「く…クォノォォォ――!」
思考回路はショート寸前。今すぐ蹴り倒す!
一秒間に百発を越える怒涛の足蹴りがJ・Jを襲うが、
J・Jの強靭な筋力は、日頃、男勝りに鍛えているとはいえミザリーの細腕と脚力では、とても振り払えるものではなかった。
そこに彼の感情も込められているなら尚更だ。
「くっそ、離せ……! このバ……」
「幸福になれ、ミザリー」
「え……?」
突然の言葉に、ジタバタと足掻いていたミザリーの腕から不意に力が抜ける。
唐突に離された腕にバランスを崩しながらも、何とか両脚で踏み止まった彼女が視線を上げると、皆が微笑んでいた。
”からかい半分”ではない、兄であるような、姉であるような――抱擁されているかのような温かい”熱”を伴った眼差しがミザリーを包み込んでいた。
「……子供の頃からお前は苦労のし通しだった。いや“苦労”なんてもんじゃない。まさにお前が歩んできた道は……見るに堪えぬ“苦難”で、まさに“悲劇”だった。だからこれからのお前は誰よりも幸福になれ」
「な、何を……」
「誰だって……まるっきり学のねえ俺にだってわかる。あの教主殿の隣に立つのに相応しい女はお前しかいないってな」
幼少時から共に育った悪友。
サール・マウリオの手が、ミザリーの背をドンと叩き、彼の顎鬚に覆われたその口が、何度も軽口を叩きあったその口が、ミザリーの耳元へ感慨深げな声を響かせる。
「ここが俺達の終着点。それがお前の“結婚”だってんなら、こんなに上等な話はねえ。なぁ、みんな?」
「サール……」
耳朶を濡らすのは、満足げでもあり、少し寂しげでもある彼の声音。
――まずい。これはまずい。
頬に熟れた林檎を二つ携えたミザリーは、一人慌てていた。
何でこんなに胸が熱いんだ。
何で、何でこんなに塩っぱい水が舌を濡らすんだ。
何でこんなに――、
「おめでとう、ミザリー」
「うぅぅ……」
何でコイツ等は、こんなにもイイ奴等なんだ――。
何かが堰を切ったかのように、感情を、自分自身を制御できない。
気が付いたら、喉奥から嗚咽が漏れそうになっていた。
悲しくもない。痛くもない。
でも――胸がいっぱいだ。
「うぅ…あ…」
ああ、と。
彼女を支え、見守ってきた兄姉達は思う。
可憐な花として生きられたはずの生涯の大半を、戦場の中で駆け抜けてきた彼女は、自身のあり余る感情を吐き出すことがひどく苦手だった。
普段から気丈に、溌剌と仲間達を鼓舞しているが、彼女本来の、少女としての感情は、皆を導き、皆の“聖地”を――“故郷”を取り戻すのだという、使命感の中で無意識に握り潰されている感があった。
それは強さではあるかもしれないが、“悲劇”であるとも言えた。
……だからこそ、兄姉達は願うのだ。
ここで彼女に、“辺境の聖処女”から、一人の少女に、ミザリー・L・アルメイアに戻って欲しいと。
使命はもう、既に十分過ぎる程に果たされたのだから――。
「うぅ……うあああああああああああああ」
不器用な感情は嗚咽となってミザリーの口内から溢れ出す。
故郷を失った時のような、慟哭による嗚咽ではない。
これは、重圧からの解放による”歓喜”と、兄姉達への”感謝”の嗚咽だ。
その彼女の肩を兄姉達は叩き、通路を先に進む。
ささいな、だが、心からの祝辞の言葉とともに。
そうだ、彼女が自分達を先導する必要はもうないのだから。
彼等一人一人の想いと言葉をミザリーは「うん…うん」と受け止めながら、涙を拭い、最後の一人が先へと進んだところで嗚咽をようやく断ち切り、戦場で何度も響かせた、その凛とした声を張り上げる。
「みんな!」
皆が振り返る。
戦場を共に駆けた、その熱く、温かな眼差しが。
「私は――自分の事を不幸だなんて思ったことはないぞ」
ミザリーは涙の雫で濡れたその手を握り、胸を力強くドンと叩いてみせる。
「私の“悲劇”という名は、悲劇という苦難を背負い、乗り越え、強く生きよ!という我が両親からの叱咤!」
胸を叩いた拳を振り上げ、少女は叫ぶ。
戦場で皆を鼓舞した時と同様に、高らかに。
「お前達と駆け抜けた、此度の“悲劇”。実に爽快で――楽しかったぞ!」
最大の賛辞だった。
彼女の苦難の連続だった、これまでの人生をして“楽しかった”と言わしめた。
それだけで、兄姉達は満足だった。
彼等にとっては“聖地”の奪還以上に価値ある勝利。
そう――言えたかもしれない。
無頼漢達は満足げな笑みだけを返答として残し、各々の塒へと続く階段を降りていった。
「………」
みん、な――。
残されたのは静寂。
そして、まるで、夢幻だったかのように、視界から失せてしまった兄姉達の姿に、ミザリーの心に言い知れぬ寂しさが満ちていた。
幸福すぎて嘘みたいだった。
気の抜けた体に、見に纏う甲冑の重さを感じる。
……そうか、無理してたんだ。私は。
実感とともに、彼女の腹腔から息が漏れる。
それは、役目を終えられた、安堵の息であっただろうか。
「ミザリー」
「……!」
そして、その息とともに、“少女”に戻りかけたミザリーの耳朶を、まだ幼い、声変わりもしていない優しい声音が撫でていた。
振り返ればそこに、声と同様に優しげな面差しの少年の姿があった。
「アル……」
(え……?)
ミザリーの唇が紡いだ名に、ミザリーの意識内に居るサファイアの意識が反応する。
これより前のビジョンでも見た、幼い少年兵。
彼は、自慢の弟と同じ名をしていた。
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