第12話 悲劇Ⅱ
#12
(酷い……)
酷過ぎる。
もし、これが“非現実”だとするならば、この世界に“現実”など存在するのだろうか――。
あまりに過酷だった。
あまりに醜悪な“地獄”だった。
皮膚を焦がす焔の熱までも感じられた。
血臭も、死体が焼け焦げる臭いも、生々しく鼻孔を擽っている。
(なんて……酷い……)
少女は、サファイア・モルゲンは、いま焔の中で泣き叫ぶ彼女の意識の中で、この惨状を、耐え難い“悲劇“を見据えていた。
人類の惑星移住。
“大戦”による民族の分断。
数多くの文化の崩壊と融合。
様々な要因によって“宗教”という概念は、ほぼ消滅したに等しい。
だが、一欠けら、根強く残った信仰が“民族”として凝固した一例があった。
この惑星において最後にして唯一の“宗教戦争”――“カウランの悲劇”。
終戦後、辺境を焦がしたその“悲劇”の一端を、サファイアはいま、少女時代の麗句……“ミザリー”という名を持つ彼女の目を通して認識していた。
いま、ミザリーの腕に抱かれているのはその身の丈に合わぬ大型の銃器。
勝ち取った“平穏”の象徴として、草原に飾られていたその銃器である。
生まれ育った町が焼かれているのを見た少女は、半ば反射的にその銃器を抱えて走り出していた。
――“カウランの悲劇”が根強く“悲劇”として語り継がれてゆく背景として、まず、その長期化、複雑化が上げられる。
圧政、貧困。抑圧された状況下で、人々の微かな希望となっていた“信仰”。
その微かな希望……“信仰”で結ばれた者達による“聖地”の獲得、安寧の地の獲得。
それが、信徒たちが武器をとった理由であり、目的だった。
そして、それは実を結び、ミザリーの父や母の手によって“安寧”は、信徒達が自らの足で立ち、運営する“聖地”は獲得される。
ミザリーは指導者の娘として利発に、溌剌と育ち、太陽のように、聖地“カウラン”の安寧を照らした。
だが、それは永くは続かなかった。
微かな“信仰”の違い、“解釈”の違い、“理想”の違い。
それらの微細な綻びが、やがて大きな亀裂となり、“聖地”を分断した。
より“聖地”を、“信仰”を拡げんとする過激派が武装勢力と結託し、混乱をもたらした。
武装勢力の流入を皮切りに、“聖地”は不可侵の領域ではなく、ただの略奪対象に成り下がった。
……かつての“支配者”がその鎌首をもたげ、喉笛に喰らい付くのに、そう長い時間はかからなかったのだ。
焔に包まれながら、返り血に塗れながら少女は思う。
……何故、“象徴でしかなかったはずの銃器”に実弾が込められていたのか。
古びた外見とは裏腹に、その象徴の内部は何故、“新品同様に整備されていた”のか。
父は知っていたのかもしれない。
勝ち取った平穏が永遠のものではない事を。
このような日が来る事を。
それが、不可避である事を。
父も、母も、あの朱い焔の中に居る。
既に“主”の下へ召されている。
いま、生きているのは自分一人だ。
信じ難い事に、弾丸が自分を射抜くことも、焔が自分を包み込むこともなかった。
身の丈の合わぬこの銃も、苦も無く操ることができた。
……母様がくれた、この“護り石”のおかげだろうか。
焔の灯りを吸って輝くそれは、血のようなドス黒い赤を、神々しくも毒々しい赤を少女の目に、精神に焼き付ける。
真っ黒い鷹が、燃え盛る教会……その十字架の上から、彼女を見ていた。
己を試すように凝視するその鷹に、“悲劇”という名を持つ少女はキッとその眼差しを送る。
平穏が続かないのなら……奪われるものならば、私が護る。私が受け継ぐ。
私が祈り、感謝し、愛したこの町での日々を、もう一度、取り戻してみせる――。
「うう……ああ……」
(麗句……メイリン……)
雄々しいまでの決意とは裏腹の嗚咽が、少女の喉から漏れていた。
“五月蠅い、黙れっ!”、心の内で何度叱りつけても、その声が止むことはなかった。
少女の意志とは違うところで、慟哭は、嗚咽は響き続けていた。
……少女の痛みが、サファイアには良く理解できた。
いま彼女が抱えているものは耐え難い”喪失”と、許し難い”悔恨”。
”届けたかった”手と”届かなかった”腕――。
(同じだ、この人は……このボクと)
「うう……うあああああああああ……!」
魂の奥底から湧き上がる慟哭が、嗚咽が、焔に咽ぶ落日を震わせる。
抱えた銃器にはどこまでも不似合いな幼子の泣き顔が、サファイアの胸に、ナイフで切り付けられたかのような痛みとともに焼き付いていた――。
※※※
……時は、流れる。
(綺麗……)
成長した彼女の姿に、サファイアの胸に陶然とした感嘆の息が漏れる。
十代も半ばとなった少女は、身の丈に合わなかった銃器も自在に操る長身の、誰もが、同性さえも思わず見惚れるような、美しい“指導者”となっていた。
“信徒”達の希望を一身に担う象徴となっていた。
――“カウランの丘、解放戦線”。
圧政を、弾圧を繰り返す“支配者”に対し、“信仰”を互いを繋ぐ強固な鎖としたその一団は、絶えず抵抗し、信徒たちの安寧の地、“聖地”奪還のため、血を流し続けていた。
“煌都”によって管理され始めていた世界にあって、一向に整備されず棄てられていた辺境での紛争。これは、見棄てられた辺境に“秩序”を取り戻すための紛争でもあった。
白い甲冑にも似た強化装甲服を纏い、黒髪を風になびかせながら、”特殊振動剣”とともに戦場を疾駆する女傑の姿は、信徒たちの心を鼓舞し、圧政に苦しむ信徒以外の人々の胸にも熱いものを湧き上がらせた。
“辺境の聖処女”。
ミザリーの名は、やがて辺境を越え、“煌都”まで届く事となる。
そして――、
「ふふふ……」
いまその”聖処女”の口元には楽しげな、悪戯を企む悪童のような笑みが浮かんでいた。
その”作業”に余程夢中になっていたのだろうか、ところどころの甲冑を外し忘れ、体のラインが露わとなるような内装服をいまだ着たままの彼女は、戦場には確実に持ってゆけぬ厚手袋を両手にはめ、蓋の下から”濃厚に過ぎる”香りを漂わせる大型の鍋を仲間達が待つ食堂へと運んでいた。
(いまに見ておれよ、ガラクタ舌ども……)
これを食せば、“連中”の私への評価も、侮蔑もひっくり返るはずだ。
味見をした際に、己の食への才に驚嘆した程なのだ。
ミザリーは、“辺境の聖処女”は脳内に響く勝利のファンファーレとともに、食堂のドアを勢いよく蹴り開ける。
「さぁ待たせたな!、味覚だけには恵まれなかった、哀れな破落戸ども! 至上のスープを”辺境の聖処女”が創造し、手ずから運んできてやったぞ!」
満面の笑みとともに、ミザリーは大鍋をテーブルの上へと乗せる。その鍋から漂う”濃厚”な香りに皆――、
「……諸君、悪い報せだ。主への祈りは届かなかった……」
「畜生……! 主よ、貴方は何故、彼女を炊事当番としたのか……!」
「まっ、パンがあれば、俺は困らん」
「ミザリーっ、ドン・マイ☆」
「く、食ってから言え、貴様ら――!」
グロロー!
息を荒くし、顔を赤らめ、口を尖らせた“聖処女”を、屈強な男達の、化粧の代わりに矜持と意地を美貌に塗り込んだ女達の笑い声が包み込む。
“わかったわかった”と彼等は楽しげに、我先と器にスープをよそっていく。
長期化の様相を見せ始めた、苛烈な戦闘の合間の団欒。
戦場には不似合いな程に、和やかな空気が“解放戦線”の戦士達を癒し、疲弊した肉体を活性化させていた。
「何と言うか……美味いが雑だ」
「いやいやいや! 美味いと食えるは違うぜ、JJ?」
「過剰な塩気と油っぽさ、限られた材料で何故、ここまでの味が出せるのか――」
「ミザリーっ、ドン・マイ☆」
「ぐ、ぐむ~」
戦場での雄々しいまでの姿が嘘のように、小さくなった“辺境の聖処女”は自主的に座った端の席で、チビチビとスープを口に運んでいた。そして、
「ボクはこれ、好きだよ、ミザリー」
(少……年?)
ミザリーの中にあったサファイアの意識は、その、戦場に立っているであろう事が信じ難いような……可愛い弟と同年齢と思しき少年の姿に、微かな疼きを覚える――。
「パンをつけて食べるには丁度良いよ。なんていうかガッツがでる!」
「……ありがとう。でも私は単独で美味なスープをだな……」
いやでもこれ美味いと思うんだが……。
尖らせた口が小声で抗議するが、返ってきた反応は、少年の曖昧な“苦笑”だった。
思いの外、完璧主義者かつ落ち込みやすい性格らしい。弟のような少年の励ましにも、拗ねたミザリーの応答と表情は暗い。そんな彼女の背中へと――、
「ヘイ、“お嬢”!」
「……っ!」
筋骨隆々の美丈夫が張り手を送る。
相変わらず口を尖らせ拗ねている“聖処女”に、美丈夫は人懐っこい笑みを浮かべてみせる。
「“嫁入り”までにはまだまだ時間があるんだ。凹んでる暇なんざねぇんじゃねえか?」
「まぁ――“お嬢”の塩辛いスープが飲めない戦場ってのも寂しいもんだ」
「違いねえな……」
彼女に付き従う屈強な戦士達は悪態をつきながらも、次々と器におかわりをよそっていた。
……口は悪いが、一人一人の眼差しに“指導者”であり、素顔は粗忽な“お嬢様”である彼女への敬愛が満ちていた。
“家族”同然の気安さと安寧が、その戦場の“食卓”にはあった。
(でも……良かった)
彼女にも“仲間”があった。
彼女もまた、凄惨な”喪失”の後で自分のように、“家族”と呼べる繋がりを、温もりを手にすることが出来ていたんだ――。
確かな安堵が、ミザリーの中にある、サファイアの意識に満ちていた。
しかし――、
サファイアは“超常”による意識の混乱の中、ある重要な要素を無意識に、あるいは”意識的に”忘却していた。
そうだ、本来サファイアが知る”現在”の彼女は、“逆十字”の紋章を刻んだ、黒衣を纏う存在――。
“聖処女”ではなく、“堕”ちた“魔女”なのだ。
……そうだ。これでは終わらない。
真の“悲劇”の蓋は、いまだ開けられていない――。
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