第11話 悲劇Ⅰ
#11
(こ、これは……)
遠方で噴き出した朱の奔流。
その余波か、大気中に翳した響の掌、その指の隙間を夥しい量の“朱”が擦り抜けていた。
響の視覚の中にいま、“朱”が溢れている。
視覚だけでなく、精神にも直接刻み込まれるかのような鮮烈な”朱”が。
(畏敬の……赤)
これまでの死闘の中で幾度か漏れ聞こえたその単語。
それを視覚化したような神々しくも毒々しい……その、“畏敬の念を喚起させるような”朱の粒子達は、視覚以外の五感にも絡みつくような“濃度”で、響の周囲を、“栄華此処に眠る”“の廃墟の中を漂っていた。
「……“魔女の吐息”……」
「何……?」
耳朶を撫でたブルーの呟き。
その言霊に在る只ならぬ気配に、響の背筋を冷やかなものが伝う。
「わが主――女王の“禁じられた秘儀”。その発現を持っていま、この領域は完全に女王のものになった」
「女王の……ものだと?」
ガッ。
言葉を口内で反芻するのと同時に、響の右脚が、鋭利な蹴撃をブルーへと放っていた。
ブルーもそれを“蒼鬼”の腕部鎧装で難なく受け止め、捌く――。
「……察したか。お前が愛する“彼女”にとって、これが、“危険な兆候”であると」
続け様に躍動した響の拳をブルーの手刀がいなし、黒の鎧装に絡みついた“蒼裂布”が、響の五体を締め上げる――!
「だが案ずるな、女王に最後の持ち札である“魔女の吐息”を使わせた時点で、“彼女”も十分に畏るべき存在――」
「……!」
響を捕縛するブルーの目の中に、微かな焦燥が垣間見える――。
「俺にとっても“斃すべき”敵だ」
***
「な、なんだ……?」
そして、“栄華此処に眠る”“の廃墟から遠く離れた市街地でも、その異変は、”異常”は感知されていた。
自分達を包囲する”戦闘員・F”達の間に拡がるざわめきと動揺。
それは、”女王”なる人物の尖兵である彼女等と対峙し、睨み合っていたジェイク達、保安組織の面々にも確かに伝わっていた。
(この、”朱い”光――)
左の眼窩に埋め込まれた“知覚強化端子”を布で覆い、遮断した状態でも、空間を漂う“朱”の粒子達は、夥しい程の“超常”は、ミリィの強化された知覚を容赦なく抉り、掻き回していた。
(これは……あの時の……)
銀鴉との戦闘の際に、微弱ではあるが、空間に漂い、自分達の傷と疲労を癒したあの光――。
あの光と同種のものである事は、身体を芯から震わせる“畏敬の念”とともに理解できる。
だが、畏ろしくも、温かだったあの光とは異なり、この空間に溢れる“朱”の光は――、
「ひどく……悲しい」
気が付けば、瞳から涙が、涙が自然に零れていた。
何なのだ、この“慟哭”は。
この、“痛み”は。
「女王が”禁”を破り、場を占拠する――事態はそれ程までに深刻、という訳か」
「……!」
そして、低く硬い、聴覚を噛み砕かれるかのような強靭さを孕む声音が街路を震わせ、剛強たる輪郭が闇夜に浮かび上がる。
それは、恐竜の骨格をそのまま鎧装と化したかのような容貌を持つ”超醒獣兵”。
「て、てめえは……」
”五獣将”の長、ラズフリートの異貌である。
「フン――」
「なっ……!?」
“暴竜の一刺し”。
”尾”を形成する鎧装のパーツが波打つように逆立ち、夥しい程の剃刀の塊と化したその瞬間、旋回錐のように回転を開始したそれは、ジェイク達の背後に顕れた“存在”を瞬く間に撃ち貫いていた。
「な、なななな!?」
そこに在るのは黒々とした臓腑を想起させる塊であった。
目や口と思われるパーツが形成されかかっているところを見ると、それが生物であることは確かなようだった。
それらは街路に散乱する戦闘員の死骸を滋養として徐々にその数を増加させつつある――。
「面妖な――だが、この趣味の悪さ、得体の知れなさ、“下手人”の見当はつく……」
ラズフリートの何かを孕み、“秘匿”しているかのような、巨大な肩部鎧装から電光が迸り、彼の顎から、怒号にも似た咆哮が迸る。
そう、「何か」が進行している。
これまでの状況を塗り替えるような「何か」が――。
***
「……“魔女の吐息”……」
“剣鬼”の呟きが、重く床へと落ちる。
虚空を轟然と泳ぐ巨蟲。
“悪魔”の名を冠するその移動要塞は、人の目の届かぬ空の果てを全長2Km超の巨体とともに疾駆していた。
その中枢、組織の最高幹部のみが入室を許される“六星の間”にいま、
“剣鬼”。
“毒蠍”。
“獣王”。
“破壊者”。
現地での“創世石”奪還任務に参加していない、四人の“選定されし六人の断罪者”の姿があった。
彼等は注視していた。
自らの”野望”の行く末を握る”死闘”を、その顛末を。
「……女王は“禁忌”という最後の持ち札を切った。これで私達の”知覚”は現地から締め出されたに等しい……」
しかし――、
罅割れた空気の中、状況を考察する”剣鬼”の口舌、その若々しい声が止まる。
「“しかし”――なんだよ、急に押し黙りやがって。続けろよ、“剣鬼”」
複数の醒石を融合・精製し、造られたこの移動要塞の動力源“蟲瞑石”の上部に設置された、いまは砂嵐の如き歪みと“朱”一色を映すのみとなった水晶をガンガンと叩きながら、“毒蠍”の称号を持つ我羅・SSが渇いた声音を響かせる。
この中にあって一人、沈黙とは程遠い男から投げられた言葉に、”剣鬼”――シオン・李・イスルギの喉から大仰なまでの溜息が漏れる。
「……口を開けば、互いに持ち札を明かすことなる――。まぁ貴方にそんな“駆け引き“は無縁ですか」
「アん?」
嘆息混じりのシオンの返答に、我羅の片眉が不穏に吊り上がる。
だが、“一触即発”と至らないのは、その言葉の裏に、そういった“姑息”と無縁な同胞への敬意と憧憬が少なからず含まれている事を、この豪放な男が無意識に感じ取っているからもしれない。
「……あの領域は既に女王の手中。このままでは事の顛末を我々は見届けることができない。しかし、女王の朱が領域を覆い尽くした事で、逆に観測しやすくなった事もある」
「ほう……」
「………」
明らかに“空気”が変わった。
整った唇が言葉を紡ぐ度に、鞘から引き抜かれる刃が次第にその姿を現わすように、“剣鬼”の眼光もまた、徐々に鋭利になってゆく――。
“持ち札”が切られた。
そういう事かもしれない。
「そう――“我々”にとって有利な状況も一つ生まれた」
「“我々”ぇ?」
「……」
“剣鬼”の言葉に耳を傾ける我羅と“獣王”『G』の目線が、発言者であるシオンから、彼の目線の先に立つ一人の男――“破壊者”の称号を持つその彼の、“包帯で覆い尽くされた”顔へと移る。
各部に茨の如き刺の意匠を施した、拘束服に酷似した黒衣を纏うその男。
整然とその場に立ちながら、蛇蝎の如き、得も知れぬ気配を周囲に漂わせるその男。
“信仰のない男“――そんな名を持つ男の顔へと。
「……何が言いたい? “剣鬼”らしからぬ切れ味の悪い物言いだな、シオン・李・イスルギ」
あえて称号ではなくその名で呼んだ彼へと、シオンの、切れ長の美丈夫の眼が向けられる。
両の腕を組み、字を打つが如き無機質な声音を響かせる、この不遜な、“神殺し”を謳う組織――その実質的な首魁とすら呼べる男の全身から滲み出る重圧は、シオンの四肢から汗を噴き出させ、罅割れた室内の空気を、肌に喰い込み、五感を裂く程に尖らせる――。
「わかりませんか? 貴方程の異能を持ってしても――」
シオンの目元を隠していた、龍の貌を摸した仮面が自身の細い指によって外され、端正な、瑞々しい程に若々しい“剣鬼”の素顔が露わとなる。
その所作に一切の無駄はなく、その様は室内を蝕む瘴気を霧散させる程に涼やかで、鋭い――。
「……あの戦闘領域は女王の“魔女の吐息”によって、“あらゆる概念干渉が無効化“されている。他の”畏敬の赤“位であっても、”創世石“であっても、その禁忌は、”奇蹟を殺す奇蹟“は覆せない。だからこそ、あそこに身を潜ませていたものは、姿を見せざるを得なくなる――」
”己の内なるもの”を覆い隠していた仮面は無造作に床へと落とされ、シオンの左手は自然、腰に帯刀した刀の柄へと添えられる。
「――故に容易い。組織からの指令に背き、現地で暗躍する“裏切り者”を観測するのは――」
“空気”が、戦場のそれへと変わった。
喉笛に刃先を突き付けるような鋭さを孕んだ、シオンの声音。
穿醒剣“冥魏怒”と奇醒剣“氣雌羅”。
シオンが所持する多大なる機能を秘めた二本の秘刀はいまだ鞘に収まっているが、シオンはいま、その言葉とともに“抜刀した”に等しかった。
「女王が現地に伴った“戦闘員・F”には、かつて私の百騎《鬼》衆の所属であった者も多い。“女王”の援護という目的があれば、私の密命を受諾する者も少なくはありません――」
「アん? ちゅーことは手前……」
喰い付いた我羅へと向けられるのは、涼やかなまでの笑み。
”戦闘員・F”は、側近以外の部下を持とうとしない、麗句に対し、組織主導で誂われた”女性のみで構成された”戦闘部隊。そこには、シオンからの推薦で彼の”手駒”から多くの者が参加している。
いま、彼が口にした、その”企み”は、充分に”ある”話といえた。
「ええ、私の“鬼哭石”――そのエネルギーを結晶化した、いわば“分身”を現在、その一名に託してあります。もし、現地で不穏な動きをキャッチしたならば、私の“鬼哭石”へとその思念を送るように、とね」
それは、人間の精神に感応する“醒石“の特性を利用した通信機器と呼べた。
シオンが持つ”鬼哭石”と、実質”同一存在”である”分身”を用いた通信は、”奇跡を殺す奇跡”にも左右されず、無事、その思念を主へと届けていた。
距離や通信速度等の概念も、“畏敬の赤”位の醒石であれば、超越して余りある、些細な障害。
“剣鬼”が、シオン・李・イスルギが、その“情報”を得ているのは、もはや明白。
――確定事項といえた。
「フッ……戯けた話だ。であれば貴様自身が元老院の指令を違えているという事ではないか。それで、“何“を、”如何“に責めようというのだ――?」
「………」
“破壊者”、“獣王”共に、訝しげな目でシオンを捉えていた。
――当然といえば当然だ。
“裏切り者”を暴くためにとった己の手段もまた、“裏切り”なのだから。
「……その咎は受けましょう。しかし、軍医の奸計、第三者の謀略から女王を護るには止むを得ない処置でした。――そして、もし“創世石”を女王が奪取したならば、正面からの決闘で私が、我々が、いずれかが“創世石”を手にする。そのような“解り易さ”こそが、我々の六竦みには望ましい……」
――だが、そう“解り易い”話にはならなかった。
現地で暗躍するその者の手によって、事態は複雑化の一途を辿っている。
故に、自分はその“情報”を鞘より引き抜く。
「いま私が現地から受け取った思念。そのおぞましい“異常”……これは」
二度とは鞘へは戻せぬこの“情報”を――!
シオンの眼光の向かう先へ、我羅の、『G』の目線が動き、腕を組み悠然とシオンの言に耳を傾ける男――その一点へと集中する。
“破壊者”の称号を持つ、”顔のない男“へと。
「貴方の“死に至る欲望”の――」
轟、と。
シオンがその“決定打”を口にするよりもはやく、移動要塞全体を震わせるような衝撃が、室内を駆け巡っていた。
「な……!」
微かな驚愕とともにシオンが“そこ”を見れば、そこには肥大化した巨大な腕が、ケロイド状に焼け爛れた皮膚が鱗のような様相を呈している巨大な腕が、フェイスレスの立つ、すぐ側の壁面を易々と抉り取っていた。
これは断じて“人間”の腕ではない。
――『鎧醒』した結果ですらない。
「“獣王”……」
――“獣王”。『G』という記号とも呼称ともつかぬ名を持つ男の腕が、組織に対する、あるいは自分達、選定された六人の断罪者に対する“裏切り者”である“破壊者”へと再度、轟然と躍動し、どのような“手品”であるのか、瞬く間に立ち位置を変えたフェイスレスがそれを躱す。
解放された“情報”は想定以上の“嵐”を、室内に齎す――。
「……喧嘩。 コイツは良い喧嘩だ! 堪らねぇ――俺にも闘らせろ、”破壊者”ゥゥゥゥ―っ!!!!」
続くは、策謀という“姑息”の外にあった無頼漢。
我羅の両腕を拘束する鎖に繋がれた鉄球が、彼の昂ぶりとともに室内を乱雑に飛び回り、周囲の機器を破壊・蹂躙する。
純金製の首輪に埋め込まれた鎮静剤のアンプルは、その大半が既に空と成り果てていた。
シオンも既に鞘から 穿醒剣“冥魏怒”を抜刀し、“誅罰“を与えるための戦闘態勢へと移行している。
「フッ……成程、想定より少し早いが、私にとっては“解り易い”状況のようだ……」
「何……?」
そして、その“嵐”の如き状況にあっても……“裏切り者”、フェイスレスは悠然と、大仰に両腕を広げてみせる。
「喜びたまえ、諸君――いよいよ“神々の黄昏”が訪れる」
両腕を広げたまま、一礼した彼の全身から、霧のように“畏敬の赤”の粒子が溢れ、満ちる。
何処からか召ばれた、錆び付いたかのような黒色の茨が床を這い、広げられた彼の両掌から、高すぎる濃度から”液状化”した”畏敬の赤”が滴り落ちていた――。
「そう……“破戒”とともに世界は“再醒”する――」
”破壊者”が目覚める。
世界がいま、”書き換え”られる。
***
(ここは……?)
いま、少女の意識は、見知らぬ土地にあった。
いまの自分は年端もいかぬ少女だった。
無垢な、小さな女の子だった。
元気に、色とりどりの花が咲き誇る草原を駆けまわっている。
本来の自分にはない、鮮やかなまでの黒髪が少女の意識に、美麗に焼き付く――。
「ミザリー」
誰かがそう呼んだ。
“悲劇”という意味のその名を。
その名には、聞き覚えがある。それは――、
「父様!」
溌剌とした声が自らの名を呼んだ誰かへと応える。
ああ、そうだ。
この名は“あの人”の名だ。
あの“共繋”の中で知った彼女の本当の――、
(ああ、そうか……)
不意に気付く。
この“超常”の意味に。
その、意図に。
あの人は言った。
私の総てを見せるに値する、と。
(――ボクはいま、”麗句=メイリン”になってるんだ――)
麗句が切った持ち札。
それがもたらす“奇蹟”は、果たして――。
二つの魂が、いま、真の邂逅の時を迎えようとしていた。
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