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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第一章 覚醒の兆候―NEXT LEVEL―
6/171

第04話 最初の流血Ⅰ

#6


 ――ああ、また“ここ”なんだ。

 瞳を閉じ、眠りに落ちたサファイアは、その事実に暗鬱たる気分にとらわれていた。

奇妙に捻じ曲がった鉄柱、吼え続ける頭のない犬、空間を浮遊するグロテスクな羽虫。自分だけが原色として浮かび上がるモノクロの世界。


 昨日とまったく同じ夢の世界。

 なのに昨日のような恐怖心が沸き起こらないのは、あの天使のような存在への信頼があるからだろうか。さっき、あれほど強く響のことを想い、眠りに落ちたのに。なんてことだろう。自分があの天使の方をアテにしているとしたら激しく自己嫌悪だ。


 絶体絶命の危機(ピンチ)を救うものなら天使なんかより響やヴェノムのみんなのほうが相応しく、無理なくイメージできる。――ここが自分の記憶、知識から再構成された“夢”の世界ならそうあってしかるべきだ。


(そう…だよね。夢……これ夢なんだよね?)


 そして、一番、奇妙なのは夢と認識しているのに夢が醒めないということだ。

 どんな心地よい夢でも、夢とわかってしまった瞬間に消えてしまう。なのに、この悪夢のような世界だけが、なかなか解除されないのはどういう理屈なのだろう。


 ――そういえば、“人類はいまだ永い夢のなかにいる”という説をサファイアは何かの本で目にしたことがある。


人類が移住を果たし、そろそろ一世紀は経とうかというこの惑星ではあるが、移住時に鋼鉄の塊に過ぎなかったこの惑星が、何故、どのようにして人類が暮らしていけるだけの環境に変質したのか、その理由はいまだ解明されていない。


 人類にとってはまったくもって“都合の良すぎる“変化である。それ故にこの惑星への移住自体、自らの存続に絶望した人類が見ている”醒めない夢“なのではないか、そう考える者があらわれた。


 それはそれで突飛な話だとは思うが、もし本当に夢なのだとしても、五十年にも渡る戦争や強化兵士。そこに生きる人々が負った心の傷の凄惨さ。


そのどれもがあまりにブラックジョークが過ぎる。現実逃避にしてはあまりに過酷すぎる現実だ。


「きゃっ……?」

 

 そして、その刹那、目も覚めるような衝撃がサファイアの足もとを襲った。モノクロの世界が裂け、新たな光景が彼女の眼前に広がってゆく。


 ――そこにあったのは目も(くら)むような廃墟だった。硝煙と血の匂いが入り混じった、吐き気をもよおすような戦場の匂い。紡がれていた人の営みを完膚なきまでに破砕したかのような石片、瓦礫の山がサファイアの五感を刺激する。


 実際に見ているというよりは、脳に直接、情報を書き込まれているような、奇妙な映像の焼き付き方だった。


 歩を進めてみれば、ジャリッとした瓦礫の感触が足の裏を伝った。やっぱりただの夢じゃない。


“仮想現実”とでも呼ぶべきものだ。


 そして、廃墟を進む彼女の瞳にやがて、廃墟以上に凄惨な光景が映し出される。


(そんな……酷い……)


 サファイアは思わず目を見開き、立ち込める血の臭いに口元を手で覆った。


 広場のようなその場所で、あの天使の鋭角的なアーマーとは異なる白と青に(いろど)られた甲冑、赤い()とその下に青の隈取(くまどり)を持つ騎士(ナイト)のような機械的(メカニカル)仮面(マスク)、血に染まったような風にたなびくマフラー。


 それらを身に付けた戦士と思しき存在が全身を漆黒の槍に貫かれ、事切れていたのだ。槍には逆十字の紋章が禍々しく刻まれており、甲冑を貫いたその部分からは血が滴っていた。


 その流れる血の生々しさが甲冑の下にある人体の存在をサファイアに想像させる。確実に失われた生命(いのち)の存在を。


「キミ……どうしてこんな事に……」


 サファイアの指先が慈しむように傷だらけの甲冑をなぞる。ふと、響の傷だらけの体がそれと重なった。これは誰かを守るために傷つき、ボロボロになった防人のカラダだ。そう認識した瞬間、サファイアの頬を涙が伝った。


 この人が守りたかったものは何だろう。そして、それを守ることができたのだろうか。

 この人を愛していた人は――いま、どうしているのだろう。


(そうだよね、誰かを守り続けるってことは…)


 誰かのために傷つき続けるということ。誰かに守られるということは、その誰かを自分の代わりに傷つけてしまうということ。


 助けて欲しいと願うことは、彼を傷つけてしまうということ――。


(馬鹿だ、ボク……夢のなかだからだって、そんな大事なこと、忘れちゃうなんて……)


 好きな人が傷ついたぶんだけ安寧を得られるという現実。自治区(ナザレス)の平和の維持という難事に対して、まったく無力な自分という存在。響を兄と慕うアルが彼の不遇に思い悩んでいたように、サファイアも彼の力となれない、彼に血を流させてばかりの自分に思い悩んでいた。


 旅を続けていた頃も、自分の力が足りなかったがゆえに助けられなかった人たちが多くいた。まったく贅沢な話であるかもしれないが、サファイアは自分たちを助けてくれている響たちを助けたいと考えていた。


 彼が、彼等『VENOMヴェノム』が死に急いでいるような気がしてならなかったのである――。


(キミも……死に急いだ? 誰かの為に? それとも――)  


 サファイアが心で問い掛けた瞬間、ベルトの如き腰部の甲冑、その剣の(つか)(つば)()したと思しきバックルのような部分から青色の石がこぼれ落ちた。


 内部から光が染み出しているかのような輝きを持つ、美しい石だ。玉のようなその形状と、ふと心が吸い込まれてしまいそうになる(あや)うい“魅力”。


 それはガブリエルの首もとに付けられていたあの赤い石に酷似していた。そして、


「お前も選ぶ時がくる。※※※※ことを選ぶ時が」

「え…?」


 突然、鮮明な声に耳朶(じだ)を打たれ、ポカンとしたサファイアの表情は次の瞬間、緊張に強張っていた。サファイアの手を、確かに事切れていたはずの戦士の手が握ったのだから。


「あ…あああ…!」


 電流のような衝撃(ショック)が走った。


 手首が、足首が、胸が、額が、焼け石を押し付けられているかのように熱い。それだけではない。


 自分のなかの何かが急激なスピードで書き換えられているかのような、自分のなかに次々と新しい何かが組み込まれているかのような奇妙な感覚。

 

 瞳に映る全てが歪み、砂嵐のようなノイズが彼女の意識をさいなむ。

 

 だが、そのノイズのなかで一つだけ、自らのシルエットを明確に浮き上がらせる存在があった。それは機械的な仮面と鋭角的なアーマーを持つ――


「はっ……痛ッ!」


 まるでバネに弾かれたかのように、飛び起きたサファイアは勢い余ってゴロゴロとベッドの下に転がり、アルが屑鉄置き場から見つけてきたタヌキの置物に頭をしたたかに打っていた。


 さっきまで瞼の裏に焼き付いていた奇妙な“夢”の場景と、タヌキのなんとも間の抜けた表情が実にアンバランスでサファイアは思わず吹き出してしまった。


 ――やっぱり夢だったんだ。


 サファイアは胸のうちでつぶやき、安堵と疲労の入り混じった息を吐く。普通の夢と違ったのは確かだが、いま、自分がいるのは紛れもなく現実だ。タヌキの顔はその裏づけであり、住み慣れた我が部屋の何よりの証明といえた。


 そして、サファイアは夢のなかで発見した、素晴らしい自己矛盾へと思考を泳がせた。


 ”自分は響に助けてもらいたいと願いながら、響を助けたいと願っている“


 信じ難い矛盾だが、事実だから仕方がない。そして、その矛盾は自身の無力への嫌悪と言い換えられるかもしれない。響も、誰も傷つかず幸せになれるだけの“力”。どういうものかは想像もつかないけれど、そんなものがあればとサファイアは思う。


 あの“天使”はそんな欲求の表れなのかもしれない。


 まるで救世主(メシア)きどりだな、とサファイアは自嘲する。

 でも、どんなに救いを請い、願っても、この時代で自分を救うのは、自分の願いを叶えるのは結局、自分自身でしかない。


 救世主(メシア)なんて自分しかいない――それはこの自治区に辿り着くまでの旅のなかで学んだことであった。


「……がう?」


 そして、ソファーの上で寝ていたガブリエルは騒々しい家主の様子に目を覚まし、リビングから寝ぼけ(まなこ)でサファイアの寝ぐせだらけの頭を見つめていた。


「お、おはよ! 我が家の天使さん!」


 気恥ずかしさを隠すように、元気よく朝の挨拶をキメた後で、サファイアは“相棒(エクスシア)がまた()ねるかも”と、少し心配になった。


◆◆◆


「父さん! 父さん!」


 趣味である歴史書を眺めながら、朝のコーヒーを楽しむ父、ランディ・ホワイトの耳に息子の弾んだ声が響く。朝食を終え、自らの“愛馬”の状態を確認しに車庫に下りていたアルが元気良く階段を駆け上がってきたのだ。


 我が家の太陽とでも呼ぶべき、はつらつとした笑顔が目に(まぶ)しい。


「マウンテンバイクが直ってる! いつ直したの? めちゃくちゃ早業じゃん!」

「約束だからな、あの無茶をやめたら直してやるって」


 自分たち両親を信じて、あの背筋も凍るような恐ろしい無茶をやめてくれたのだ。ならその信頼には全力で応えなくてはならない。


 元『煌都』のスゴ腕機械技師(きかいぎし)で現外交官の父は自らのたくましい腕をポンポンと叩いてみせる。


「パパってイカすだろう?」

「超イケてる」


 互いに指差し、“旧世紀の”という表現も生ぬるいやり取りを交わすと、アルは使い古したリュックにごそごそと荷物を詰め始める。そんなアルに母は呆れ顔で口を開く。


「アル、歯くらい磨いていきなさい。それにあまりサファイアさんに迷惑かけちゃダメよ? これ持ってって、アンタはご馳走になってばかりだから」

「いいけど、兄ちゃんが帰らないと姉ちゃんも食べきれないんじゃない? 一つ肩の荷が下りたから今度はそっち方面に力を入れてみようかな?」

「愛のキューピッドまで努めるつもりか。やれやれ、ホワイト家の一人息子は進路選択に難アリだな」


 父が楽しそうに嘆息する傍らで、アルはお土産用に母が焼いてくれていたパイを大事そうにリュックに詰め、出発の準備を万全に固めていた。


 後は姉ちゃんが預かってくれている“アイツ”のところへ、父さんが直してくれたマウンテンバイクで、ひとっ走りするだけだ。


 そして、姉ちゃんにはやく知らせてあげなきゃ。父さんと母さんの“最高の決断”を。


「じゃ、いってきまーす!」


 (よど)み一つない快活な声が陽光のなかで弾み、少年の心の躍動を伝えていた。


◆◆◆


「隊長、おめかしに随分、お時間がかかっているようですねぇ」

「……うるさいぞ、お前」


 腫れた顔を鏡で確認しながら、響は自分をからかうジェイクをふてくされたように(にら)む。その頬に微かに浮かぶ朱は、これから愛しいもののもとへと戻ろうという青年の気恥ずかしさと、どこか高揚とした気分の象徴であろう。


 薄いシャツに包まれた鍛え抜かれた、引き締まった肉体はいまだ、防人(さきもり)、戦士としての緊張に満ちていたが、響自身の憑きものが落ちたかのような、健やかな精神状態、リラックスしたその在り様と重なることにより、涼やかな、魅惑的な香を放っていた。


 “強化兵士(カスタム・ヒューマン)”であるという(ネック)がなければ、街中の女性が放っておかないような美青年ぶりである。


 しかし、実際、そうであったとしても、彼の瞳はたった一人の姿しか追わないのだろう。あの赤い髪と青い瞳の、“彼女”しか――。


「大好きなんですよねぇ、サファイアちゃんのこと。一途っていうか、純情っていうか――」

「お前、急かしてるのか、邪魔してるのか、どっちだ」


 自分と同じ、いやそれ以上に腫れ上がった顔でニヤニヤ笑うジェイクの襟首(えりくび)をグイと掴み、響はいよいよ赤くなった顔で(わめ)く。


 ジェイクのからかいを受けて、一刻もはやく、彼女のもとへ走りたい、いまにも走り出してしまいそうな自分がハッキリと認識できて、気恥ずかしくなったのだろう。


 そして、それをためらわせるだけの自らへの(おそ)れが、いままでの彼にはあったということかもしれない。


(……ったく、ほっとけねえよなぁ)


 ジェイクはその響の不器用さ、彼が抱えているものの大きさにつぶやき、コートにも似た『VENOM(ヴェノム)』の制服へと手を伸ばす響を見据える。

 

 響は、私服らしい私服は持っていない。故に、大抵はこの真紅の戦闘服(バトル・ジャケット)を身に付けている。無論、適度なクリーニングは行っているが、身に付ける頻度が高いぶん、響とこの制服のイメージは切っても切れないものとなっている。

 

 ――保安バカ。仕事中毒(ワーカホリック)


 そんな彼の印象を定着させるのに、それは充分すぎる要素といえた。


「やっと、お休みの時間かい? まったくよく精が尽きないもんだね」

「……! おかみさん」


 陽もろくに差し込まない、薄暗い隊員寮で何やらじゃれ合っている若者二人に、おかみさんこと、街の食堂の女主人であるカミラ・ポートレイは、呆れたようなそぶりで言葉を投げていた。


「まったく、仕事をするなとは言わないけれど…(あり)一匹入れないつもりかい?」


 ――何もなくても、何かあるような動きしてるよ、アンタ達。 


 そう告げるカミラの言い分はもっともだった。保安組織である『VENOM(ヴェノム)』の面々があまりに忙しなく動き回るものだから、有志で結成された自警団員たちもつられるように動きを活発にしており、結果的に厳戒態勢とまではいかないが、それに準ずる警戒態勢が形成されつつあった。住民たちをいたずらに不安がらせたとしてもおかしくはない。


「そ、そりゃ…ねぇ、隊長?」

「そうだな、“勘”……てのじゃ不満か」


 カミラの問い詰めるような視線に、響は簡潔に答える。

 ――成すべき仕事をこなしながら、これからの自分たちを考えたい。それも理由の一つではあるが、“何か落ち着かない”、不明瞭な感覚が彼等を突き動かしているのもまた、事実であった。


 強化兵士(カスタム・ヒューマン)として戦場を渡り歩いてきた、戦場のなかで生きてきた彼等のなかに培われてきた“勘”。危険を察知する本能のようなものが彼等に何かを囁きかけ、動かしている。

 

 たかが勘と(あざけ)る向きもあるだろう。だが、その“勘”で九死に一生を拾ってきた彼らにとって、それは無視するにはあまりに重過ぎる感覚であった。

 

 響とて、帰りたいのは、やまやまなのだ。だが、心底に存在する形のない不安が安息に向かうことを許さない――その事に響たちも微かな戸惑いを覚えはじめていた。

 

 自らの、そして、カミラの不安、戸惑いを解きほぐすように、響は言葉を(つむ)ぐ――。


「……たしかに、何もないのかもしれない。けれど、何かを起こさせない、何かを見過ごさないのも、俺たちの仕事だ。幸い、憎まれるのや、迷惑をかけるのには慣れているしな」


 例え、自分たちが(うと)まれても、この街の平穏さえ守られればそれでいい。大山鳴動して鼠一匹という言葉があるが、本当に鼠一匹ならばそれでいい。


 一番大事なのは、地を揺るがす鳴動のなかでも、静寂のなかでも、人々に害をなす災厄を見逃さないことだ。


 その点に関して、この“猛毒(ヴェノム)”と呼ばれる四人の若者たちはまさしくプロであったといえる。妥協も、慢心も、彼らは自分たち自身に許可してはいなかった。


「……なるほど、ま、その辺はアンタたちの領分だからね、任せるよ。やけになってるわけじゃないなら何も文句はないさ」


 仕事を奪われるかもしれない状況にある彼等が自棄(やけ)を起しているのではないか。そんな不安とともに見にきてみたが、心配はなかったようだ。


 カミラはホッとしたように、苦笑にも似た安堵(あんど)の息を漏らす。


 かつての自分は生きるためにしたくもない仕事を続け、結果、煌びやかな名声と癒えない傷を心に刻んだ。脱け出すために己の顔すら焼いたのだ。


 目の下から頬のあたりまで残る火傷の痕。触れるたびにえぐるような痛みが心に走るが、現在の自分を形作る“大切な”傷痕だ。 


 自らの決断に後悔はない。だからこそ彼等にも悔いのない決断をして欲しい。たとえ、その決断をすることで彼等に癒えない傷痕が残るとしても。


「長だって、アンタたちを手放したいわけじゃない。人が生きるってことを誰よりも真剣に考えてる人だよ? アンタだってそれは――」

「説教は結構だ。それよりいまは……顔を腫らして帰って、(しか)られずに済む言い訳が欲しい」


 そう言って響は笑った。

 冗談のようでいて、本気で困っているような響の様子がカミラにはおかしく、つられて笑ってしまうのにそう時間はかからなかった。張り詰めた厳戒態勢などとは無縁な、なごやかな時間がいま、保安組織の隊員寮に流れていた。


 ――しかし、そのなごやかな時間のなか、響の瞳は一抹の不安を隠しきれずにいた。


(まさか、な……)


 いまもガルドとミリィがパトロールを続けている。カミラが言うように行き過ぎた警備状況であるともいえる。だが、響の胸は、その本能はまだ騒ぎ続けている。

 彼の視線が壁に立て掛けられた己の忌むべき半身、妖刀“村雨”をとらえ、彼の手は自然、それを掴んでいた。


(家には少し遠回りになるか……)


 帰宅には不似合いな武装を肩に担ぎ、響は隊員寮備え付けの電話機へと向かう。彼女に、帰宅がすこし、遅れる(むね)を伝えるために――。 


◆◆◆


「アル、またサファイア姉ちゃんのとこかー!?」

「午後は野球しようぜ! シスコンもたいがいにしろよ!」


 不死鳥の(ごと)く蘇えったマウンテンバイクを駆り、爽快な下り坂を疾走するアルのもとに、同年代の少年たちの声が届く。アルは“わかった!”と元気良く応えると、“シスコンは余計だ!”とマウンテンバイクの後輪で空き缶を飛ばしてみせた。


 こうした器用な一面、ガブリエルの保護などに代表される、大抵のことには物怖じしないわんぱくさが、“煌都生まれの都会っ子”として、アルがなめられなかった所以(ゆえん)といえる。


 そして、突然の辺境への移住によって荒れていたアルの悪さを彼等が許してくれたのは、子供たち全員のお姉さんとして慕われるサファイアの人徳あってのことであった。


 ――サファイアの子供受けは相当なものだ。“きっと子供っぽいからだ…”と本人は若干、落ち込んでいるようだが、本気で自分たちの目線に立って物事を考えてくれる大人というものは、子供たちからすれば、実に得難いものである。


 まして、サファイアはキラキラとした微笑みに太陽が隠されているかのような、愛らしく、綺麗なお姉さんである。


 下卑(げび)たことを言えば、初恋の相手としては申し分ない、男の子が総じて憧れてしまうような清らかな雰囲気がサファイアにはあった。


 アルに飛んだ“シスコン”という野次も、からかい半分、やっかみ半分といったところだろう。


 それはシスコンと呼べるほど、彼女の“弟”となることができたアルへの嫉妬と、一種の憧れと言い換えてもいい。そして、彼女の“弟”であることを認められるほど、アルも仲間たちに認められているということでもある。

 

 そして、そのアルのマウンテンバイクがいま、彼女の家の前に停められる。アルはそのままサファイアの相棒(エクスシア)が置かれている車庫へとマウンテンバイクを移動させると、エクスシアへと“おはよ”と声を掛けた。


 別に返事が返ってくるわけでも、生きているというわけでもないが、サファイアが大事にしている様子を見れば、このバイクも家族の一員なのだと思える。そう思えるだけの機械への愛着は機械技師であった父の影響かもしれない。


(でも、やっぱり“エクシオン”のほうがいいと思うんだけどなぁ……)


 後、『煌都』で見ていた同じタイトルのアニメみたいに“ロボットに変形したり”はしなくても自律(じりつ)して、街の治安を守る響兄ちゃんたちの手助けが出来たりすれば最高なんだけど……。


 胸の内でつぶやいて、アルはそういうメカをいつか作ってみたい、機械技師としての父の跡を継いでみたい――そんな“夢”が自分のなかに根付き始めているのを実感していた。


EXCEED(エクシード) MACHINE(マシン)(マシンを超越した存在)、“Exscion(エクシオン)”。うん、我ながら良いセンスだ!」


 そう(つぶや)くつぶらな瞳には、少年らしいキラキラとした輝きが満ちている――。


「ガブ、元気だった? 姉ちゃんにいじめられてない? すっかり小奇麗になっちゃって」

「ひどいなぁ、ボクのどこからそゆうイメージが湧くっての? こんなに愛に満ちちゃってる、花の美少女に向かってさ!」

「美……“少女”?」

「しょ、少女だよっ!」


 まさか、そこを突っ込まれるとは思っていなかったのか、サファイアは思いっきり頬をふくらませながら、昨日と同じく少しだけ砂糖を溶かしたオレンジジュースを持ってきてくれた。


 特に心配はしていなかったが、ガブリエルが自分の想像以上の歓迎を受けていたことを知って、アルは心から安堵していた。


 つやつやになった毛並みや、充分すぎる休息のおかげでどことなく無邪気な様子を見せるガブリエルをみれば、このままサファイアのもとにいるほうがガブリエルにとっては幸福なのではないだろうか、と弱気な考えも沸いてくる。


(いやいや、自分で責任とるんだろ? アル?)


 男に二言はない! 自分に言い聞かせてアルはガブリエルをギュっと抱きしめる。


「響兄ちゃんは? ……やっぱり帰ってないの?」

「うん、でも連絡あったよ。なんか胸騒ぎがするからとかなんとか……あと、大事な話があるって」


 そう言ってサファイアは壁に設置された電話の子機を指差す。

 数年ほど前に『煌都』から技術者を呼んで設置させたこの街における電話はいってみれば、街全体を繋ぐ巨大な内線電話のようなものだ。


 この街限定のものではあるが、扱いやすく、街の人と人の絆を繋ぐ大切な役割を常に果たしている。


 外部、主に『煌都』や他の自治区、町と連絡を取るための機器は別個に用意してあり、現在、それを利用する権限を持つのは長であるホグランと、外交官であるアルの父、ランディ・ホワイトのみである。


「大事な話って……詳しく聞いた?」


 父の“彼等にある提案をさせてもらった”という言葉を思い出し、アルは尋ねる。


「ううん、大事な話なら目を見て(じか)に話しなさい、って怒っちゃった。そしたら“す……すまない”って小さくなっちゃってさ。そゆとこ可愛いよね、響って」


 怒っているようでいて、幸せそうなサファイアの表情はアルの胸をチクリとさし、どきっとさせた。


「帰ってくればいいんだよ、ボクは……待ってるんだから」


 響にしてみれば、自分自身からもサファイアを守らなければならないという気持ちがあるのかもしれない。

 

 そして、サファイアが隊員寮に自室を持つ響に同居を申し出たのは、そんな響に自らの信頼を示すためなのかもしれない。


 心では深く繋がっていても、二人の間には“強化兵士”という事情が深い谷のように横たわっている。寝屋を共にしても構わないと、率直な想いをぶつけるサファイアと、そんな彼女を守るため、家から遠ざかり戦場へと身を投げる響。


 その現実は街の人々から響たちが受ける差別以上に、重く、悲しいものに思える。

 

 そして、そんな事情を生み出した“大戦”の禍々(まがまが)しさ、おぞましさがアルに若々しい怒りの息を吐かせた。


 地球という母星を食い潰して、やっと辿り着いた新天地で五十年の戦争。この救い難い人類という種を救うには神が(つか)わした救世主(メシア)の存在が不可欠かもしれない。子供じみているかもしれないけれど、アルにはそう思えた。


 せめて、この二人が、この街に生きる人たちが幸せになれるだけの奇跡が、力が欲しい。それだけの力を持つ人が現れてくれたなら――そんな力で自分が彼等を救えたなら。


 無いものねだりでしかないけれど、アルの真っ直ぐな心はままならない現実に激しく()がれていた。


「んーなに、深刻なカオしてるの? ガブくんが心配そうに見てるぞっ?」


 アルの表情が強張っているのを見つけると、サファイアは指でつんとアルの額をつついて微笑んでみせた。自らが抱える問題、悩みをいっさい感じさせない朗らかな姉の微笑みが、アルの胸に少し切なく、そして、とても温かく染み込んでゆく。


「こ、これ、母さんが姉ちゃんにって」


 ポぉっと、サファイアに見とれてしまいそうな自分に気付き、アルは慌てたように母がおみやげとして持たせてくれたパイをサファイアへと手渡す。


 サファイアは“あーこれ、大好き”と表情を綻ばせると、お返しは何がいいかなぁ、と小さな冷蔵庫のなかの材料を物色しはじめた。大人は何かもらうと、何か返そうとする。


 もともと、自分がサファイアにご馳走になってばかりだからと、母が焼いてくれたパイだ。それのお返しをもらうのは何だか変な感じだ。姉の美味しい料理が食べられる機会が増えるのは喜ばしいことだが。


(ん……?)


 そして、アルは自分の腕のなかでもぞもぞと動くガブリエルの鼻が、パイを包んだ箱から漏れる香ばしい匂いに(せわ)しなく反応していることに気付いた。


 なんとなくおとなしく、遠慮がちなイメージがあったが、この子、意外に食いしん坊なのかもしれない。


「ははは、姉ちゃんのくれた朝ごはんだけじゃたりなかったのか? ま、仕方ないよな、母さんのパイは絶品だから」


 そう言って、アルに鼻を撫でられたガブリエルはふと我に返ったかのように、身を丸めた。心なしか頬も赤くなっているように見える。


 はしたない自分を恥ずかしがっているかのようなその仕草がアルの頬もふいに赤くさせた。


「女の子……なのかな? なんだかそんな感じがする」

「そういうチェックはしてないな、けど、女の子だとしたらアルくんはちょっとエッチかなぁ?」


 どこさわってるの? ガブの胸元にある自分の手をちょちょんとつつかれ、アルの頬はますます赤くなる。“姉”には遠慮のない彼も、素は純情なようだ。


「そ、そんなこという姉ちゃんのほうがエッチだよ! 欲求不満なんじゃないの!?」

「残念、会えなくても――心に愛は満ちてますから」


 実に余裕ある対応だった。鼻歌まじりでもある。もうすぐ、彼に会えるという嬉しさからか、本来なら怒るような“セクハラ”反撃もどこふく風だ。


「まいっちゃうよなーガブ、胸焼けしちゃいそう」


 けど、悪くない。アルはそう思った。

 こんな風に――彼女にとって、みんなにとって幸せな日々がずっと続けばいい。

 

 今日のサファイアの笑顔には不意に滲ませるような、寂しさがない。

 

 響に会えるからだとしたら、それが毎日になるよう、響たちがこの街で暮らしていきやすくなるよう力になっていきたい。


「ん? どしたの? ボクの顔なんか見て」


 だって、彼女の微笑みは自分にとって――、


“プルルルルっ”


「!?」

 

 その時、不意に電話がなった。

 

 その音にぽおっとサファイアの顔に見惚れていたアルはふと、我に返る。アルとガブリエルのためにパイを切り分けていたサファイアも、いったん手を止め、電話の子機へと向かう。


 彼女のしなやかな指先が子機を持ち上げるのをアルの視線はついつい追ってしまっていた。


「あ――長、はい、はい」


 電話の主はどうも長、ジーン・ホグランらしい。父の機械技師としての師、ホグランおじさんのお兄さんだが、双子の兄弟ということもあり、そっくりすぎてアルには見分けがつかない。


「アル……ですか? いますけど」

「あ、こら、ガブ! くすぐったいぞ!」


 姉の口から自分の名前が出た瞬間、もぞもぞと腕のなかで動き始めたガブリエルのやわらかな体毛がアルをくすぐり、少年と一匹はじゃれはじめる。


「え……」

「やめろってぇ、おまえ、けっこう甘えんぼ? しょうがない……」

「嘘、つかないで、そんな、冗談――!」


 だが、そんなじゃれ合いはサファイアの喉が搾り出した鋭い声によって、中断される。予想外の、悲鳴にも似た彼女の声音は室内の空気を一変させ、アルとガブリエルの目をキョトンとさせた。


 見れば、サファイアの唇が青ざめ、震えている。彼女の朗らかな表情は凍りついたように固まり、喜びに赤味すら帯びていたはずの頬も真っ青になってしまっていた。


「そんな嘘やめて……長、ボク、怒りますよ?」

「姉ちゃん……?」


 突然、姉に起きた異変に、アルはガブリエルを抱えたまま、彼女に歩み寄る。アルの姿を瞳に映した瞬間、サファイアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「怒るって……言ってるのに……」


 そうつぶやいた瞬間、彼女は通話の途切れた子機を胸に抱き、崩れ落ちるようにその場に座り込んでしまった。その口内から嗚咽が漏れ出す。


「アル……ボク、ボク、なんていったら……」

「……え……?」


 濡れた瞳が自分自身を捉えたとき、ただ、呆然と姉を見つめていたアルは、それが自分にとって無関係のものではないことを直感する。


「キミの……キミの……ご両親が……」


 ――嗚咽(おえつ)が言葉となる。言葉が彼女に伝えられた“事実”に繋がる。

 その瞬間、アルの聴覚は消失した。これから伝えられるその事実を拒むように、彼の無意識が、視界も、思考もすべて、白く染めていた。


 今日は素晴らしい明日に繋がる、“始まりの日”であったはずだった。なのに、いまは――、


NEXT⇒第5話 最初の流血Ⅱ

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