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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第四章 血戦 PART2―Count Zero―
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第06話 その先にあるもの

#06


「ねー姉ちゃん、まだー? 俺、楽しみで昼飯抜いてきたんだよー?」

「はいはい、ちょっと待ってて。ちなみにボク、君がお昼、一人前以上食べてるの目撃してるんだけど?」


 細くしなやかな指が、可愛い弟がご所望の“手作りケーキ”への最後のデコレーションをほどこしてゆく。


 手作りケーキといっても、この自治区で手に入る範囲の材料で、とんちにも似た知恵と策謀を駆使して、やっとこさ焼き上げた“代替品”だ。


 “どちらかといえば、パンだ“という批判があれば、甘んじて受け入れる用意はある。


 だけど、弟の要望と、街の子供達が手軽に食べられるケーキがあればという発想から着手した“挑戦”である。何としても、少なくとも、美味しい“甘味菓子”ではあって欲しい。


「はいっ、お待たせー。ちゃんとイチゴも乗せといたよっ!」

「あ、すげぇ、見た目はちゃんとケーキだ」


 切り分けたケーキを皿に乗せ、運んできてくれた姉に、アルは弾んだ声を響かせる。


「味もたぶんきっとおそらくはケーキだよって――思うよ?」

「自信ないんだ……」


 姉の控え目な自信とは裏腹に、ケーキの味は良好だった。


 どちらかといえば、パン的な触感だけど、充分に美味だったし、丁寧に塗られた生クリームも、ケーキというものへの憧憬を満たして余りあるものだった。


 生クリームを口のあちこちにつけたまま、夢中でケーキを口に運ぶ弟の(かたわ)らへと、姉はホッとした様子でコーヒーを満たしたティーカップを運んでくれる。


「ごめんね、紅茶は切らしてるんだ。でも、このコーヒー、()いてもらったばかりの豆を使ってるから美味しいよ?」

「あ、う、うん。姉ちゃん、紅茶好きなのに……残念だね?」

「まぁ、紅茶なんかは流石に、自給自足とはいかないからね。流通してるトコまで出掛ける機会もなかなかないし……」


 ――サファイア・モルゲンとアル・ホワイト。


 二人の日常は穏やかさに、日溜りのような温かさに満ちていた。


 姉の仕事が特にない時は、弟が家に入り(びた)り、何かと気が詰まりがちな姉の心を、無自覚にほぐしてくれる。忙しそうにしながらも、楽しげな姉の様子に、アルは嬉しそうな、照れ臭そうな表情を浮かべながら、湯気を立てるコーヒーカップのふちをウキウキとした様子で、指でなぞる。


「そうだよね? 紅茶は……手に入りづらいよね?」

「う、うん。どした? コーヒー嫌い?」


 どこかおかしな弟の様子に、姉の顔が少し困った顔になる。


 その困った姉の顔に、アルはふふんと、得意げな顔で胸を張ってみせる。


「いやいや、俺ぐらいになると、むしろこの苦味がないと舌が喜ばないんだよね~」

「……アル君、さっきから砂糖だばだば入れてるその右手は何かな? その左手は明らかに薄めるためのミルクを探してるじゃないかナ?」


 困った顔から呆れた顔にシフトした姉の表情に、アルは悪戯っぽく微笑み、大事に背負ってきたリュックへと手を伸ばす。


「まっ、紅茶派なのは事実だけどね。でも俺や姉ちゃんはともかく、響兄ちゃんが飲めないのは困るんじゃない~?」

「んななっ…な?」


 弟の言葉に思わずサファイアの頬がぽうっと赤くなる。


 確かに響は“無意味に苦いうえに栄養源としても期待できない液体”という評価をコーヒーに下している。


 鼻孔を(くすぐ)芳醇(ほうじゅん)な香りも毒を口にさせるための“罠”と考えているらしい。サファイアから見れば、ジャムを直接食べることのほうがよほど不健康だと思うのだが。そして、


「はいっ! そんな姉ちゃんにプレゼント」

「……?」


 アルの手がリュックから取り出した包みを、まだ頬をピンク色に染めている姉の手に握らせる。丁寧に包装されたその缶は、かけられた青色のリボンも目に鮮やかで、それを選んだ人の気持ちが確かに伝わる、温かさに満ちていた。


「え……これ……」


 何より包装紙に記された店名から、サファイアにはそれが、どれだけ遠くにあり、得難いものであるか、瞬時に察することができた。――この街から一山越えた先にある珍しい食品や、嗜好品の流通地、そこにある紅茶の専門店だ。


「ア、アル、これ、プレゼントって……どうしたの? このお店、すごく――」

「へへ、みんなでさ、日頃の、その、お礼っていうか、プレゼントをしようって話になってさ。……確か、何年か前の今日なんだよね。姉ちゃんがこの街に来たのって」


 “あの事故”以前の記憶を持たないサファイアにとって、自分の誕生日や年齢は、様々な情報の統合による推測でしか掴めない、不確かなものだった。


 しかし、そんな彼女にも、明確な記念日が二つあった。


 一つは響に己の心の内を告げ、ここで共に――といっても彼はなかなか帰ってきてくれないが――暮らし始めた日。


 もう一つは、旅人だった彼女が、この街に居住を決めたその日。


 アルが言うように、丁度、3年前の今日が、その日に当たる。


「その日に合わせて、みんなで小遣いためて、俺とジュンが代表で買いに行ったんだ。……確かに遠かったけど、缶も包装も傷んでないでしょ?」


 リボンを解き、中身を確認すると、ちゃんと自分の好きな銘柄だった。


「……あの山はさ、確かにいまは人が通れるように舗装されてるけど、ボクだって越えるのは正直、シンドいんだよ? なのにもう、バカだな……」


 胸がいっぱいだった。


 本当なら、何でそんな無茶したの!?って叱らなくちゃいけないのに、目頭が熱くて仕方がなかった。そして――、


「サファイア姉ちゃん、お誕生日おめでとう!」

「ふぇ……?」


 部屋のドアがガチャと開くと同時に、街の子供たちの声が、彼等が手にしたクラッカーの音が、サファイアの胸と耳朶を優しく震わせる。視界に映る、無数の無垢な笑顔達に、涙を()きとめていた堤防は(もろ)くも決壊した。


「もう……みんな、ダメだよ、ボクなんかのために――」

「あー姉ちゃん、泣いた~!」


 溢れる感情に、座り込んだ姉に子供たちは寄り添い、ハッピーバースデーの歌声を響かせる。


 憧れの姉へ、親愛なる姉へ。


「えへへ、バースデーケーキは姉ちゃんに用意させちゃったけどね~」


 ……ああ、そうか。珍しくケーキが食べたいなんて我儘を言うと思ったら、そういう事だったんだ。


 ホントに、この子は――、


「ありがとう、みんな、本当にありがとう……! お腹いっぱい食べて帰んなかったら、姉ちゃん許さないんだからね!」


 涙を拭い、笑顔で告げる姉に子供たちは歓声で応え、和やかな空気が、清々しい時間が、サファイアの胸を満たす。


 そうだ、この子達がこのまま健やかに生きていけるように、成長していけるように、自分は手助けをしていこう、街の人達の力になっていこう――そんな想いが、これまで以上に彼女の胸に溢れていた。


 きっと、それが、ボクのこの手の「意味」だ。


 決意が、かつての『記憶』とともに、青い瞳のなかに滲んでいた。


 ――記憶――


 そう、これは、記憶。

 柔らかで、あたたかで、かけがえのない、懐かしく愛おしい記憶。


 その記憶を、想いを、遥か彼方から“観測”する一つの視点があった。


 その“瞳”はこの"記憶"の保持者であるサファイアやアルの手の届かぬ場所にあり、彼女等と対峙する麗句=メイリンにも認識することは叶わなかった。


 時間を、距離を、物理を、あらゆる概念を超越して、それはサファイア達を、その想いを“視”ていた。


 そういった意味では、まさに“神の視点”と呼べるかもしれない


 物質世界からは完全に隔離された、観念世界とでも呼ぶべき世界。


 そこに在る“彼”の姿は、見る者によって、千にも万にも兆にも変幻するだろう。


 だが、“彼”は間違いなくそこに居て、事態の推移を観測している。


 自らが覗き、得た”記憶”という情報データから復元サルベージするように、観念世界に新たにあらわれた、グリッドのみで構築された立方体ブロックの中に、手が、足が、顔が、浮かび上がってゆく。


 その下方には――この観念世界全体を覆い尽くすような巨大な腕が、神々しくも毒々しい”畏敬の赤”の塊である巨大な腕が漂っている。


 そのさらに下方に存在するのは、黄金の光を湛えた巨大な双眼。


 果たしてこれは、”彼”の所有物か否か――。 


 物質世界では、“彼”の祝福を受けた白銀の機甲と漆黒の機甲が、死闘を演じようとしている――。


(……全ては”此処”に戻り、”此処”から始まる。そうか、ようやく――)


 その、事象を見守る“彼”の思考が描くものは何か、その視線の先にあるものは――、


NEXT⇒第07話 極限

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