第04話 舐める”絶望”
#4
風に踊る蝶々のような、可憐な白。
零したシロップのように目に鮮やかな赤。
母様が敷いた、暖かな絨毯のような黄。
色とりどりの花々が咲き誇り、草と土の香りが鼻孔を擽る、この丘を、彼女は愛していた。
丘の頂上には、平穏と安息そのものであるこの場所にはあまりに不似合いな、争乱と流血、そのものであるかのような“武骨な銃器”がオブジェとして飾られている。
ボロボロに錆び付き、土埃に塗れ、付近の植物の蔦にも絡みつかれた現状では、銃としての――命を踏み躙る凶器としての凶相は鳴りを潜め、いまでは朴訥とした、郷愁すら誘うような風情さえ、そのオブジェには漂っていた。
幼い自分の身の丈程あるそれは、彼女にとって手に余る、とても自分の腕では抱えられないもののように、自分がそれを手にすることなど考えられぬような、ひどく、遠い存在に思えた。
――だけど、嫌いではない。
これは、証だ。
この平穏が争乱と流血の果てに確立されたという“奇蹟”の証明。
そう、このオブジェには様々な想いが込められている。
かつて、父様が、母様が、皆が、闘争によって、この土地を勝ち取ったという矜持。
その闘争によって失われたもの達への鎮魂。
二度と“あれ”を繰り返したくないという祈り。
本当に様々な想いが、情念が、この錆び付き、土埃に塗れた銃には込められている。
草花の上に身を預け、その銃を見上げるのが、少女の日課だった。
平和を享受しながら、その礎となった闘争の歴史へと想いを馳せる――。
それが、少女の欠かすことのできぬ日課であった。
「神よ、感謝します。あなたが父様と母様を助け、導いてくれたこと。それによって、私がこの世に生を受けたこと、ここで祈りを捧げられること、本当に……感謝しています。願わくば、この幸福を迷える全ての土地、道を踏み外してしまった人達にも――」
切なる祈りを天へと捧げ、少女は瞳を閉じる。
陽射しは温かく、ここでの微睡みはいつも心地よかった。
×××
「なっ……あっ……?」
「どうした……? 私を“殴る”つもりだったとしたら、随分と踏み込みが甘いな――」
神々しくも毒々しい"畏敬の赤"の光を充填させた白銀の機甲が、“成す術なく”宙で静止していた。
まるで凝固した混凝土の中に封じ込まれたかのように、その腕はいまや一ミリたりとも動かすことは叶わなかった。
(そ、んな……)
戸惑いが吐息となって、サファイアの口内から零れ落ちる。
冷や汗が、機械的な白銀の甲冑に覆われた、乙女の皮膚から流れ落ちる。
加減は一つもしていない。
あの軍医の切り札を一撃で屠るような相手なのだ。
油断など出来るはずもないし、現に自分は即座に制圧することを目的に、全身全霊で“先制”を仕掛けたのだ。
だが、“結果”は惨憺たるものだった。
“創世の新星“、機甲の”救世主”、と謳われ、それに恥じぬ“異能”と“奇蹟”を秘めた白銀の機甲は、その腕は、『鎧醒』を果たした“女王”、麗句=メイリンの、“断罪の麗鳳”の黒い掌に捕獲され、ピクリとも動かせない状況にある。
獲物を捕獲し、引き裂く、鷹の爪を想起させる程に鋭利に尖りきった“クイーン・ホーク”の五指が、その爪先が“アルファ・ノヴァ”の白銀の鎧装へと喰い込み、容赦なく抉り始める。
その万力の如き、強力に過ぎる握力がサファイアの骨を軋ませ、刺すような痛みが神経を疾走り始める――。
「クッ……!」
捕獲された腕部装甲を、麗句の五指から解放すべく、畏敬の光を、“畏敬の赤”のエネルギーを左脚に重点的に充填。
創世石のエネルギーを充填され、あらゆる概念を、標的を斬り裂く“剣”と化した蹴撃が麗句へと放たれるが、麗句の右腕が払うような動作をとると同時に、大地から高濃度の“畏敬の赤”のエネルギーが噴き出し、その蹴撃を防御・相殺する。
――ドクトル・サウザンドとの戦闘でもそうであったように、高濃度に過ぎる二つの“畏敬の赤”の激突は、周囲の概念を歪ませ、時間・距離・速度といった様々な概念が、“時計の針が磁石で弄ばれるかのように”徐々に乱れ始めていた。
白と黒の鋼がぶつかり合うごとに、“畏敬の赤”の“適正者”である二人以外には立ち入ることのできぬ、戦闘領域の“異界”化が進行してゆく。
「……フン。この程度か? 『双醒』とやらは使わないのか? いま、お前が生き延びる術はそう多くは残されていないと思うがな?」
「………!」
己の腕を捕獲したままの麗句の言葉に、“アルファ・ノヴァ”の機械的な仮面の下に躊躇が滲む。その、彼女の“迷い”を察してか、麗句=メイリンは失望にも似た吐息を漏らすと、アルファ・ノヴァの腕を捕獲した五指を開き、鷹の貌を摸した漆黒の仮面、その眼部に昏い光を灯らせる。
「足掻いてみせろ。――“小娘”」
「……!」
クイーン・ホークの全身から放たれた、“畏敬の赤”の光。その塊が、アルファ・ノヴァを弾き飛ばし、体勢を崩した彼女へと、腰部に固定されていた武装、“赤塵の悲劇”を手にした麗句=メイリンが追撃を開始する……!
鉈のようでもあり、小刀にも酷似したその武装の刀身は、歯車のような無数の“回転駆動する刃”が密集するような形で形成されており、それは、全てを削ぎ削るかのような、耳に障る駆動音とともに、容赦なく獲物へと襲い掛かる――。
(あ……)
その様を目視した瞬間、瞬時に肢体を裂かれ、散る己の姿が、明確な予知の如く、鮮明に脳裏に浮かび上がる。……迫る“恐怖”が、彼女にその“言霊”を、”最後の手段”を選択させる。
「くっ……『双醒』!」
アルファノヴァの腰部の鎧醒器――“ヘヴンズ・ゲイト”から蒼の光が迸り、“護者の石”がアルファノヴァの白銀の機甲の上に、蒼の追加鎧装を構築してゆく。
振り下ろされた二対の“赤塵の悲劇”が、両腕に瞬時に構築され、起動した追加武装である双銃“蒼翼の醒銃・双”によって受け止められ、ぶつかり合った“朱”と“蒼”の光が、衝撃波として周囲に迸り、爆ぜる。
(やっぱり、この“力”――大きすぎるよ……!)
アルファノヴァの機械的な仮面、その額から頚部にかけて最後の蒼の追加鎧装が構築され、刀剣の如き、感覚強化器官の展開とともに『双醒』は完了する。
「それが託され、掴んだ“力”か。……美しい」
倍加したアルファノヴァの出力に己が“赤塵の悲劇”を押し返されながらも、麗句=メイリンは愉しげに笑み、一旦、距離を離すと、得物である“赤塵の悲劇”を逆手に構え直す。そして、
(危ない“力”なんだぞ、これは――!)
その“女王”の愉しげな様に憤るように、サファイアもまた、“蒼翼の醒銃・双”のグリップ・トリガーに指を絡ませる。
同時に“赤塵の悲劇”の先端部から噴き出した“畏敬の赤”の光が長剣の如く固形化・磨ぎ澄まされる――。そして、
「姉ちゃん……」
その“畏敬の赤”の異能を手にした者同士の死闘――戦況を見守る少年の胸にも、耐え難い不安と焦燥があった。
彼とて、姉の心と、力を信じている。
相手がどんなに強かろうが、姉が手にしている創世石が“物質としての神”なら――負けるはずがない。そのような想いもある。
まして、今の姉は“護者の石”との『双醒』も果たしている。だから絶対……!
「それはどうですかねぇ……?」
「……!」
だが、己に言い聞かせるように胸の内で繰り返すアルをあざ笑うように、“生首”が下卑た言葉を投げる。
いまや、首のみの存在となり、触手の如く首先から伸びるコードを蛸の足のようにして、地面を這い回るドクトル・サウザンド。振り返り、己をにらむ少年へと、その口が失笑とともにいま開かれる。
「女王は我々、六人の中で最も戦闘に特化した存在です。――彼女が持つ“麗鳳石”の役割は惑星に仇名す外敵の排除と対“畏敬の赤”。……手にしたものが“物質としての神”とはいえ、限られた容量しか”異能”の使用を“承認”されていない現在のお嬢さんには、やや荷が重い相手と言える。まして……」
「……っ!」
ぎゃひっ!?
他にも何事かを言いかけた軍医の首を、アルの蹴りが跳ね飛ばし、黙らせる。
本当に、本当に嫌な奴だ! 本当に……! だけど、
「……あいつの言っていることは間違いじゃないかもしれない……」
「ガ、ガブ……!」
その“嫌な奴”の口舌が語ろうとしたその、“最も聞きたくない”話の続きは友人の口から、険しい面持ちで戦況を見守る幼竜、ガブリエルの口内からもたらされる。
「ちょっと、ガブ! な、何言ってんだよ! お前、さっきも――」
「……アル、あいつが言ったように、あの“麗鳳石”は元々、いま『双醒』の源になっている“護者の石”と同じく“創世石を護る存在”、つまり創世石に仇名す者――創世石を狙う他の“畏敬の赤”級と戦う為のものなんだ。だからその戦闘力も他の“畏敬の赤”級に比べても抜きん出ているし、“創世石”と比べて劣るものでもない――」
その言葉に、アルはたまらず、ガブリエルへと詰め寄る。
「ちょ…ちょっと待ってよ! なんでその創世石を“護るための”石が、あいつらの……悪い奴等のところにあるんだよ! そんな連中が使えるんだったら、そんな役割、何の意味もないじゃないか!」
アルの戸惑いに、僅かな沈黙とともに頷き、ガブリエルは闇夜を舞う、“断罪の麗鳳”の姿を見据える。
「そう……“麗鳳石”は創世石を狙うような“悪人”には絶対に『鎧醒』出来ないはずなんだ。でも、あの女は“麗鳳石”に選ばれ、“逆十字の組織”にも所属してる。……最も恐ろしい敵かもしれない。正しい心を持ちながら、悪を成す――そんな人は」
「そ、そんな……」
だが、理解もできる気がした。
確かに麗句=メイリンという人間からは、“脅威”は感じても、“悪意”を感じることはなかった。
しかし――恐ろしい事にそれは、“敵”なのだ。
倒すべき、“敵”なのだ。
(フン……)
疾走する麗句=メイリンの足元で、連射された”弾丸”が地を穿ち、粉塵を巻き上げる。
(クッ…来ないで!)
震える指で引かれるトリガー。
『双醒』を完了した”アルファ・ノヴァ”の連射する“蒼翼の醒銃・双”の弾丸がいま、朱き長剣と化した“赤塵の悲劇”を振るい、接近するクイーン・ホークを威嚇・牽制していた。
「まったく……小賢しいぞ、”救世主”っ!」
着弾と同時に干渉され、歪曲した着弾地点の概念が、麗句=メイリンの視界を次々と惑わす。
だが、瞬時に“概念干渉”で歪曲された概念を矯正し、正確に、己の意図通りに肉体を躍動させる麗句=メイリンにとってそれは障害にすらならぬ些事であった。
彼女は結界のように張り巡らされた、無数の弾丸の軌道を掻い潜り、容易く標的との距離を縮めてゆく。
「く……!」
「当てるつもりのない弾丸など、盾にすらならん。撃つのなら私の”眉間”を、”心臓”を狙え。さもなくば――」
出力を上げ、より刀身を朱に染めた麗句の“赤塵の悲劇”、その刃が唸りを上げる!
アルファ・ノヴァも“蒼翼の醒銃・双”を、“蒼翼の醒剣・双”へと瞬時に展開・変形させ、その一撃を迎え撃たんとする。だが――、
「弱いッ!」
「――!」
麗句の一喝とともに放たれた裂帛の一撃は、“蒼翼の醒剣・双”の刀身を粉々に折り砕き、その衝撃に虚を突かれたアルファ・ノヴァの――サファイア・モルゲンの喉笛は、麗句の黒い鎧装に覆われた五指に捕獲される!
「がっ……!」
気道が容赦なく圧迫され、意識が白濁となる。だが、麗句の五指から伝わる、脳髄に直に喰い込むかのような、強烈に過ぎる“殺気”が、その白濁となった意識を強制的に覚醒させ、強引にサファイアの意識を“現実”と向き合わせる――。
「お前の戦い方は……“自分に挑んでくる子供をどう怪我させずに諦めさせるか”というような手緩さだ。対峙している相手が“爪”も“牙”もある“猛獣”であるにも関わらず、な」
「…………」
麗句が手にしていた“赤塵の悲劇”が役目を終えたかのように、再度、腰部に固定され、クイーン・ホークの左腕の鎧装が、”錠”を解除されたかのように、無数の剃刀が逆立つかのように展開する――。
「お前――まさか、”私を殺さずに”幕を引けるなどと、考えてはいまいな?」
「……!」
己の抱いた“迷い”。思考を具現化した麗句の言葉に、サファイアが息を飲んだ瞬間、クイーン・ホークの展開した左腕部鎧装から“畏敬の赤”の光が、燃え滾る焔の如き濃度で噴出する。
その“畏敬の赤”の焔を纏った麗句の、クイーン・ホークの左腕がいま――、
「その甘さの代価……いまその身で支払え」
“我異端にして神を穿つ朱”――! その刹那、天使と呼ぶにはあまりに禍々しく、悪魔と呼ぶにはあまりに美しい漆黒の鎧装から電子音声が鳴り響き、麗句の左腕が轟然と躍動する!
「姉ちゃん!」
刹那、炸裂した掌撃が蒼の鎧装を、機甲の救世主の鎧装を千々に砕く――。
悲鳴にも似た少年の叫びが大気を震わせ、錆にも似た苦い“味”が倒れる少女の口内に満ちる。
「よく舐めろ。それが、敗北。――“絶望”だ」
白銀の機甲の破片を舞い散らせながら、地面に叩き付けられた少女の耳に、女王の凛とした声が響く。
創世の新星がいま、地に堕ちた。
そう――この美貌の悪魔の前では、彼女が手にした“物質としての神”は、あまりに、無力だった。
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