煌都―central―
「――“彼等を頼みます”、か」
単なる言葉ではない。
手紙の末尾を飾るその言葉には、綴られた文字には確かに、目頭を熱くするような熱情が込められていた。
今、“彼”が呟いたそのような言葉で文を結んだその手紙には、ところどころ角ばった武骨な文字で、綴り主の熱意が滲み出るような、切なる想いが、願いがビッシリと書き込まれていた。
整っているとは言い難い文字と文ではあったが、それを読む“彼”の心を捉え、動かすには充分に過ぎる熱量を備えていた。
(そして、そんな熱情の要因は――)
一緒に添えられていた写真には、“対象”となる四人の“強化兵士”と赤い髪の少女の姿が写っている。“煌都十六戦団”への入団に使用する“資料”としては、あまりに和やかな集合写真だが、このような穏やかな空気を写真の中に吹き込むことができるというだけでも、彼等、四人の人間性は――単なる“戦う為だけの生物兵器”ではない彼等の心は、十分に読み取ることができる。
(もうこんな時間か――)
窓から差し込んでいた温かく柔らかな日差しは既に失せ、夜の帳がこの“煌都”にも下りようとしている。
世界の統治機関である煌都の中心にして、遺跡技術と、惑星に持ち込まれた人類の全技術が結集した行政の拠点――『絆の塔』。橙色の光をその外壁に灯し、“星の煌めきを灯し世界を照らす豊穣の都“という煌都という名の由来を示すかのように、暖かな光を都市に伝播するその塔の、地上18階に位置する窮屈なオフィスの中、煌都十六戦団、第0課・対醒獣特務機甲隊『PEACE MAKER』隊長、リオン・マクスウェルは冷めかけたコーヒーを口に運び、椅子の背もたれへと己が体重をわずかに委ねる。
データを羅列したPCのモニターと書類を凝視し続けた目は眼窩に疲労を訴え、“彼等”の受け入れのための書類の作成に従事していた肩には、微かな痛みが宿っている。
もう数時間もの間、椅子に腰を預け、体を机に張り付かせているが、処理しなければならない総数の半分にも至っていない。戦後世界の“強化兵士”の在り方に対し、煌都が一つのモデルケースを示すというお題目こそあるものの、実際のところ、”強化兵士“を十六戦団の一員として迎え入れることに対しての『抵抗』や『障害』はリオンが想像していた以上に大きく、従来の職務外の”働き“が現在、リオンの肩を軋ませ、その精神を確かに疲弊させていた。
“あの男”――七罪機関なる過去に滅びた組織によって産み落とされた“人柱実験体”、『煌都』では“X―TRIAL”と呼称されるその七体の規格外品の中でも“最凶”と噂される一体――のような例外はあるが、彼の『煌都』への所属は飽くまで非公式なものだ。
正規の部隊であり、煌都防衛の象徴たる十六戦団へ同様の者達を所属させるのは、至難の業だろう。第7課による事前調査の結果、“彼等”四人の内一人は、人柱実験体――“X―TRIAL”と思しき異能と性能をその体内に宿している。常識で考えれば、正式な入団など、夢のまた夢といったところだ。
それでも――とリオンの背を押し続けるのは、彼等の受け入れの提案と、彼等という人間の推薦をしたジーン・ホグラン氏の熱意と、彼等四人に対する滾るような愛情だろうか。
一度、顔を合わせただけだが、彼の苦悩と四人の息子、娘達への想いは十分に察することができた。踏み躙ることなどできはしないし、それほどの“熱情”を引き出させる彼等四人の人間性は確かに信頼できるように思える。そこに重ねてのこの手紙である。
そして、もう一つの要因は――写真に写っている赤い髪の少女だ。
彼女は“強化兵士”ではない。だが楽しげに写真に写るその様子は、彼等四人との親しい関係性を想起させる。“X―TRIAL”という、神をも喰らうような、恐るべき存在の傍らに、ここまで輝くような笑顔で立てるという事は、よほどの“信頼”がそこには在るという事だ。
彼女に腕に組付かれ、照れ臭そうにする“X―TRIAL”と思しき青年の姿は、微笑ましい程だ。
それに、彼女には懐かしい“見覚え”がある。
同一人物ではなかろうが、記憶の中にある少女に彼女は良く似ていた。
彼女に送った言葉が頭を過ぎる。
そうだ、それは――、
「隊長――!」
疲労からか、リオンの思考が不意に過去へと遡りかけたその瞬間、柔らかな声がオフィス内の空気を震わせた。
「やっぱりここにいた。今日はお休みだったんじゃなかったんですか?」
耳を隠す程度には長い黒髪を揺らし、オフィス内に足を踏み入れた少年は“可愛い”と評判の童顔に無邪気な笑みを浮かべ、尊敬する隊長へと弾む声で声を掛ける。
己の識別色である赤の制服を身に纏うその少年――レイ・アルフォンスの顔には大きな十字の傷がある。彼の愛らしい顔との複合でいまや“疵顔”という通り名まで存在する。
「――どうしても片付けておきたい仕事があってね。君こそもう予定の勤務時間はとうに終了しているんじゃないか?」
「退勤打刻ついでの差し入れです! 来てるとしたら、どうせ食事も忘れて此処に張り付いてるんじゃないかと思って」
そう言ってレイはハンバーガーを詰め込んだ紙袋を、デスクの上に得意げに置いてみせる。
美味そうなトマトケチャップと肉、胡椒の匂いが鼻孔を刺激し、否が応にも食欲を喚起させる。――有難い名推理である。
多忙で忘却していたが、今朝、目を覚ましてからロクな食事をしていない。
リオン自身は認識していないが、彫りの深い端正な顔立ちも血色を失くしているし、執務用の眼鏡を外せば、目の下には隈が色濃く浮かび上がっているだろう。
普段は皺一つなく着こなされている、識別色であるエメラルド・グリーンの制服にもわずかではあるが皺が寄っている――。
「……入団、承認されるといいですね。その人達」
そう言ってレイはデスクの上の写真を手に取る。
「凄く良い写真だって思います。和やかで、朗らかで――こんな写真が撮れる人達なんだから、絶対、危ない人達なんかじゃない。そう思います」
少年は自身の感性の声を確かめるように告げて、真っ直ぐな眼差しをリオンへと向ける。
それは、リオンが一種の妬ましさを覚える程の若々しい眼差しだった。
自分が喪失してしまった、頼もしく、眩しい眼差しだった。
「食べましょう! この店――冷めたらあんまり美味しくないんです」
「ああ、有難く頂こう」
彼の言葉とその眼差しこそが、何よりの差し入れだったように思う。
滅入っていた精神に確かな活力が、さわやかな息吹が吹き込まれ、滾っている。
「 “キミが彼と共に進む、この道が、善き道となるのも、悪しき道となるのも、すべてはキミ次第。その危うさをこの天使が伝えてくれる”――」
「え? 何です?」
ムシャムシャとバーガーを貪りながら訊ねるレイに、リオンは胸に湧き上がる懐かしさとともに応える。
「その昔、旅先で出逢った“赤い髪の少女”に、そんな言葉を送った事を思い出したのさ。この写真の少女がその娘と実に良く似ていてね……」
そうだ。いま、自分が判断し、進む道は果たして、
良き道か。悪しき道か。
あの時、彼女に譲渡した“天使”は果たして何と答えるだろうか――。そして、
「キ、騎、樹……」
その微かな団欒の時を迎えたオフィスへといま、怪しげな影が迫ろうとしていた。
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