第14話 双醒 《後篇》
#14
「ふっ……くく、くはは……」
軍医の喉から、回り続ける歯車がずれ、軋むような、妙な笑い声が漏れる。
いま目の前に現出した事象――『双醒』などという戯けたイレギュラー。
無残に砕かれ、容赦なく踏み散らされるはずだった白銀の機甲は、“護者の石”による蒼の追加鎧装をその身に纏わせ、より雄壮な、荘厳な姿となって其処に在る。
まったく……次から次へと、ことごとく、呆れるほどに、神経を逆撫でてくれます。
サウザンドの鋼鉄の爪が、噴き出す激情を発散するように、己の肉の頬を掻き毟る。
「臓物を……己の体中の体液を総てぶち撒けて償いなさい――“救世主”ッ!」
己の受けた屈辱を噛み砕くように、憤怒と恐慌の二重奏がサウザンドの喉からほとばしり、“万魔殿”の触手と砲撃が一斉に、『双醒』を果たした“救世主”――サファイア・モルゲンへと襲い掛かる。
「姉ちゃん!」
【 “蒼翼の醒銃・双”――発動】
軍医――ドクトル・サウザンドの攻撃に反応するように、弟の呼び声に応えるように、蒼の追加鎧装部が眩く輝き、両腕部の追加武装“蒼翼の醒銃・双”がその“奇蹟”を発動させる。
手首に接続されながらも、その銃身は肘よりも後方へと長く伸び、翼のように白銀の機甲を飾り立てる。サファイアの手が握る引き金と直結した銃口から“畏敬の赤”のエネルギーを凝縮させた弾丸が射出され、砲弾を総て撃墜。それにより発生した爆発で触手を遠ざける。
「わわっ!?」
噴き上がる爆炎と熱は、アルに尻餅をつかせたが、それ以上の危害が少年に及ぶことはなかった。“蒼翼の醒銃・双”から射出された弾丸の一部は石畳への着弾とともに、砲弾の爆発からアルやガブリエルを護る防護膜を瞬時に形成。
蒼の力を添えられた“畏敬の赤”の弾丸は、概念干渉によって造られた“異界”の内部に、アルとガブリエル……二人が戦闘を無事に見守られるだけの“安全地帯”を生み出していた。
(サクヤ、さん……)
そして、ガブリエルは自らとアルを包む温かな防護膜の中、熱くなる胸と瞼を感じていた。
そうだ。彼は言っていたんだ。
お前が選ぶ道なら俺が全力で護るって。戦うにしても、逃げるにしても、俺が護るって――。
あれは、嘘なんかじゃなかった。
それは自らの死を賭して“救世主”へと託された願い。
死してなおも生き続ける、彼の“護者”としての熱き意志。
その結晶たる『双醒』を果たした雄壮たる、美麗なる鎧装。
それを見つめる白き幼竜の瞳から涙が零れ、その水晶の如き雫の中に、蒼と白銀の鎧装が“畏敬の赤”とともに雄々しく輝く。彼こそが、彼女こそが護者にして至上の適正者――創世の“救世主”。
「何故です! 何故それほどまでにアナタ達は他者に尽くそうとするのです!」
“万魔殿”の触手が荒れ狂い、ミキサーのように回転する鉤爪がこの地下空間を支える石柱を砕き散らす。轟々とした地鳴りが鼓膜を震撼させ、この舞台の、戦闘領域の崩落を予感させる。
「おわっ!?」
「……! アルっ!」
“万魔殿”の概念干渉の暴走によって存在意義が曖昧となりつつある“重力”によって、アルの足場となっていた石畳が防護膜ごと浮き上がり、崩落の予感は“確信”となる。
勝負を急ぐ必要がある――緊迫が、“蒼翼の醒銃・双”の引き金を握るサファイアの掌を濡らす。
「善意も、献身も、決して報われはしないのです。救われた感謝などその一瞬だけ。喉元を過ぎ忘却されたその熱は、結局は献身した者の肉を焦がす。貴女の進む道に救済などありません! 他者に利用され、ただ虚しく朽ち果てるだけです。彼女――“辺境のジャンヌダルク”と同じように!」
「……そうかもしれない。だけど」
サファイアの細い指によって引き金が弾かれ、“蒼翼の醒銃・双”から放たれた弾丸は、それ自体が強力な概念干渉を発生させ、万魔殿の概念干渉によって生み出された“異界”を矯正してゆく。
その弾丸を追うように、サファイアの、“アルファ・ノヴァ”の『双醒』を果たした機甲もまた、“万魔殿”へと高速で疾駆する。
砲弾も、触手による攻撃も、『双醒』――『創世石』と『護者の石』、その“二乗”の力によって、性能を大幅に上昇させたアルファ・ノヴァを捉えることはできない。
「あの時、掴めなかったあの手の、あの子の差し伸べてくれた手のおかげで、そのおかげでボクは生きる事が出来た。この青い石を託してくれた彼の犠牲と、想いのおかげで、ボクの手は――“奇蹟”を掴むことができた」
翼のように白銀の装甲を飾り付けていた“蒼翼の醒銃・双”の銃身が、駆動音とともにその身を起こし、蒼き聖邪断つ剣――“醒剣”としての本来の姿を取り戻す。
【 “蒼翼の醒剣・双”――起動】
「そして、そのボクの手は、弟の手を握ってやっていてくれってあの人から“想い”を託された手なんだ。この先に、どんなに辛い事が待っていたとしても、その“想い”は、約束は反故にしない! 救われた命も、託された力も無駄にしない!」
銃身が展開し、“蒼翼の醒剣・双”の刀身が姿を現す。
“畏敬の赤”のエネルギーを充填されたそれが、背後から襲い掛かる“G・G”達の機体を斬り砕き、爆散させる。
「クッ――だが貴女の“切り札”はッ!」
概念干渉による存在分割によって、発動すれば必ず敵中するという“創世石”の切り札――“SHINING ARROW”は対策がとれている。
大幅に性能は上昇しているが、まだ“万魔殿”の全性能・機能を凌駕するほどでは――、
「ヌッ……!?」
だが、その刹那、“万魔殿”の、独楽の駆動に“異常”が現れる。
“蒼翼の醒銃・双”によって、撃ち込まれた弾丸が独楽の回転を阻害し、独楽によって生み出されていた“畏敬の赤”の螺旋は徐々に消滅を開始していた。万魔殿が創世石の――アルファ・ノヴァの機能を解析し、対策・構築されたものなのであれば、この『双醒』を果たしたアルファ・ノヴァ、“蒼の衝撃”もまた万魔殿の機能に対応し、攻略するだけの力を備えていた。
対峙する相手や状況によって己の制限・機能を解放する――というサウザンドの予測を実証するように。
「もう――手品は遣わせない。生命も、願いも、踏み躙らせない!」
【 “CROSS END”――発動承認】
機甲から響き渡る電子音声とともに、サファイアの腕が、“蒼翼の醒剣・双”が十字に組み合わされ、腰部のバックルから溢れ出す“蒼”と“朱”の粒子がその刀身へと集中し、漲る。
その様を見据えるサウザンドの眼に、驚嘆と微かな歓喜が過ぎる。
これが、“物質としての神”、総ての“畏敬の赤”クラスを統括し、凌駕する上位種の力――!
「これで……終わりだ!」
【――発動!】
振るわれる腕とともに、閃光が万魔殿を切り裂く。
交差する蒼と朱の閃光は“咎人”への誅罰であるかのように、あるいは救済であるかのように、十字を描き、軍医によって建造された悪意の独楽を破砕・消滅せしめる。
巨人の容に固められていた犠牲者達の思念も、解放され、静かに掻き消える。
やっと終焉を迎えられた彼等の歓喜が、さざ波のように鼓膜を揺らした気がした。
「お、おおおおおおおお!?」
「―――!」
やがて訪れるは決着と崩壊。
足場としていた万魔殿を喪失し、サウザンドが無様に地面へと滑落すると同時に、凄絶な地鳴りが岩盤の崩落、この戦闘領域の終焉を告げる。
「アル…! ガブ君…!」
創世石の、概念干渉の出力を最大にし、サファイアは脱出を試みる。
“蒼翼の醒剣・双”から放たれたエネルギーの塊が天井を撃ち抜き、地上への道を作る。
続け様、創世石の力が、防護膜に保護されているアルとガブリエルを、戦闘員の遺骸を、総て天へと浮き上がらせ、地上へと運ぶ。
(お願い、間に合って……!)
時間としてはほんの一瞬の奇蹟。
その成否は――、
「けはっ……けほっ……!」
アルが崩落を認識したその数秒後、彼等は無事、地上へと帰還していた。
自らが乗せられていた石畳から身を転がせ、防護膜からも抜け出たアルは、地下とは違い、濃厚な地上の大気と粉塵に思わずむせ返る。
「姉ちゃん……!? ガブは……!?」
ガブリエルの姿はすぐに確認できた。
白い幼竜はアルの姿を視認するや否や、大粒の涙を零してアルの傍までその翼を羽ばたかせる。
まったくこんな大仰な姿になっても、泣き虫な娘だ。
「姉ちゃーん! 姉ちゃ……」
アルファノヴァが岩盤に穴を開けたことによる粉塵は濃く、視界は最悪だった。
焦りがアルの内臓を騒がせ始めたその瞬間、
「あ……!」
アルの瞳に映し出されたのは、地面に片膝を付きながらも、親指を立て微笑む姉の姿だった。
「姉ちゃん……姉ちゃん!」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
活動的な衣服から露出した肌には擦り傷、切り傷が目立ち、ボロボロだけれど、間違いなくそこにあるのは、ここにあるのは自分が慕う姉の体だ。
勢い良く飛びついたアルは、姉の胸に顔をうずめ、力いっぱいその体を抱き締める。
「ア、アル……! 姉ちゃん、ちょっと怪我してて血だらけだし、何回か戻しちゃったから汚いよ!」
「いいよ! なんだっていい! 姉ちゃんが無事なら……なんだっていいよ」
弟が顔を埋めた自らの胸から、嗚咽が響く。
まったく……相変わらず意地っ張りなくせに、泣き虫な子だ。
愛おしいボクの、自慢の弟だ。
「ありがとう、アル。アルが来てくれなかったら、勝てなかった。アルがいなかったら、ボクは――」
既に『鎧醒』から解放されている細い指が栗色の髪を撫でる。
そして、そんな彼女の胸に、ほんのすこし、なんというか、“いやらしい”感覚が走る――。
「あ、きっ、きゃっ!」
いつの間にか、顔を上げていたアルの手が自分の胸に添えられ、その所在を確かめるように、ふにふにと動いていた。まったく……油断も隙もない。
「こ、こらっ! アルっ!」
「無茶したお仕置きだよ! まったく……“救世主”になっても、相変わらずガードが甘いな!」
サファイアからの抗議のパンチをひょいとかわし、軽やかなステップで身を離したアルは、胸を張り、無邪気に笑んで見せる。
「その胸、どうせなら響兄ちゃんに揉んでもらいたいでしょ!」
「もう……響にも叱ってもらわなきゃ」
いつも通りの弟からのセクハラに、頬を朱に染めながらもサファイアは立ち上がり、アルの頭をポカリと叩く。そのアルの瞳が新たに察した事実に、悲しく細められた事に気付き、サファイアもその方向へと、青の瞳を向ける。
「エクシオン……壊れちゃったんだ」
「うん、ボクの為に一生懸命戦ってくれた。ボクに、色々教えてくれた。ボクに力が足りなかったから……悔しいな」
そこに在ったのは、“万魔殿”の触手によって貫かれ、ちぎられたエクシオンの上半身であった。
“彼”の傍に歩み寄り、灯りを消した眼部を撫でながら、サファイアは呟き、唇を噛み締める。そして、アルはそのエクシオンの周囲に、既にこと切れている戦闘員達の遺骸があることにも気付く。
「この……黒ずくめの連中も、姉ちゃんがあの地下から引っ張りだしたの?」
「うん、ボクのせいで死なせちゃった人達だからね。悪い人達かもしれないけど、お墓くらいは作ってあげようと思って」
……やっぱり姉ちゃんは献身の、慈愛の人だ。
その言葉を聞いてアルは思う。
不思議にも、不条理にも感じられたけど、やはり“物質としての神”とか、“創世石”とか、そんな危なっかしいものは確かに彼女のような人の手にあるべきなんだろう。
彼女だからこの局面を打開できた。街も、ガブリエルも救われた。
そう、思う。
「でも……そんな姉ちゃんでも、あんなヤツは助けようと思わなかったみたいだね」
「え……?」
キョトンとする姉をよそに、アルは周囲を見回しながら、言葉を続ける。
「あの……なんとかサウザンドっていうヤツ。あんな悪いヤツは流石に助ける気にはならなかった?」
その姉の気持ちに同意するように、うんうんと頷きながら語るアルに、サファイアの表情は真逆に蒼白となる。そうだ。そんなはずはない。自分は確かに――、
「ううん、ボクは確かに――」
(フフ……ご厚意は有難くお受けしマシたよ、“救世主”――!)
「……!」
悪寒がサファイアの背筋を駆け抜けたその瞬間、轟音がそれぞれの鼓膜を震わせた。
刹那、巨大な、漆黒の鎧装に覆われた腕が岩盤を撃ち抜き、姿を現す。
それは――漆黒ノ“鎧の巨人”だった。
全身のスリットに“畏敬の赤”の光を漲らせるその鎧の巨人は、明らかに『鎧醒』を果たしたものだった。その内部からサウザンドの、下劣な残響を持つ独特の声音が響く。
【まさか、私まで助けようとしてくださるとは恐縮の極み。それに、貴女の『双醒』の力も、”万魔殿“の内部に隠されていたこの本体、”単眼巨鎧“を破壊するには至っていなかった。それも不幸中の幸いでした。おかげ様で乗り込み、再度『鎧醒』を果たすことができた】
「くっ……!」
サファイアは創世石を組み込んだバックル“ヘヴンズ・ゲイト”を構え、再度、自らの前に立ち塞がる難敵、軍医――“単眼巨鎧”と対峙する。
ボクのせいだ。ボクが、ボクが甘いから――!
【『鎧醒』も『双醒』もさせません! 一気に消し飛ばして――】
「姉ちゃん!」
姉を、護者の意志を受け継いだ少女を護るように、アルが、ガブリエルがサファイアの前へと飛び出す。
“単眼巨鎧”の肩部装甲が展開し、禍々しい電光が迸る! だが、その刹那――、
【ナッ――!?】
その場にいる誰もが、予想だにしなかった事態が起こった。
一筋の光が、刃のような煌めきが視界を走った瞬間、眼前に立ち塞がった難敵は、“単眼巨鎧”の巨体は、真っ二つに裂け、四肢を寸断され、全身に漲っていた“畏敬の赤”の光を鮮血の如く迸らせる――!
【馬鹿な、これは……“女王”――貴女は!】
(消え失せろ、道化――)
静謐な、玲瓏な声が大気を震わせ、目視する者の意識を刈り取るような高濃度の“畏敬の赤”の光がわずかに残っていた“単眼巨鎧”の残骸を跡形もなく消し飛ばす。
あまりの事に、サファイアも、アルも、ガブリエルも、言葉を失い、立ち尽くしていた。
そんな三人の前に現れたのは、背に逆十字の紋章を刻んだ黒衣を纏う黒髪の、吸い込まれるような黒の瞳を持つ女性。
月明かりが生み出す陰影が、彼女を彫像の如く演出する。
(綺、麗……)
そして、そのあまりの美貌に、サファイアは息を飲み、震える。
――彼女の名は麗句=メイリン。
ドクトル・サウザンドと同じく“選定されし六人の断罪者”の一人にして、“畏敬の赤”の適正者。
“女王”の称号を持つ、かつて辺境の聖処女と呼ばれた女性――。
第三章 決戦 PART1―Ready to go― 了
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