第11話 対峙
#11
「貴方は……」
立ち込める血臭。
肉塊と成り果て散乱する戦闘員達の遺骸。
かつて、この鉱山を所有していたものの“悪趣味”と“顕示欲”を示すように、円形に作られた広大な空間に飾り立てられた、純金製の豪奢な騎士像。
そのような情景のなかに現れたのが、"気品"と"下劣な残響"を合わせ持つ独特の声音に、芝居がかった文言を紡がせる“機械仕掛けの男”となれば、いよいよ現実は“非日常”に塗り潰され、その体を失くす。
男の、軍医の全身から滲み出る獰猛な“悪意”に息を飲みながら、彼女は、サファイア・モルゲンは己と同じ“畏敬の赤”の適正者、ドクトル・サウザンドと対峙する。
「フム……成程。直接、この目に映せば、実に愛らしいお嬢さんですねぇ、“救世主”。フフ、彼の――あの“黒を付き従える者”の執着ぶりも、この愛らしさなら多少は理解できる…というところですかね」
「………」
サウザンドの言葉の意味はわからない。
だが、嬲るような、精神の奥底まで絡みつくような悪意が胸をむかつかせる。
――もとより彼女がこれまで認識していた“常識”は己が所持する“創世石”によって幾重にも塗り替えられ、捻じ伏せられ、その意味を消失している。
だが、直に目にする、このドクトル・サウザンドという男の異貌は、その悪意に満ちた精神は、サファイアの胸に緊張と怖気、日常とは隔離された、お伽話に紛れ込んだかのような違和感を去来させる。
赤色光に満たされた機械化された左眼から放たれる目線が、全身に絡みつき、衣服の下の肌はおろか、内臓の中身まで視られているかのような不快感が、強烈な吐き気となって彼女の内臓を襲う。
「私の名はドクトル・サウザンド。“全能なる神を殺す異能の機関”――秘密結社アルゲムの幹部の一人です」
――同時に理解する。
彼が、この男が、この街を襲った“災厄”の元凶。
”創世石”を託されたガブリエルをこの辺境まで追い詰め、アルの両親を殺めた“悪意”の源なのだ。
サファイアの拳が固く、握られる。
「実際、見事でしたよ、“救世主”。仮初の適正者という身分でありながら、私の傑作を二体撃破し、百を超える醒獣の群れも撃破・殲滅してみせた。……苦し紛れに突撃させた戦闘員が最も効果的だったのは、いささか想定外でしたが」
「……!」
――苦し紛れ。先ほど散った命は、そんな理由で無に帰したのか。無残な肉塊と成り果てたのか。
彼女の中で沸々と湧き上がる憤りを、それを表すように鋭くなる青の瞳を見つめ、軍医は“失笑”と呼べるような、嘲りを含んだ笑みを機械化された口許に浮かべてみせる。
「怖い表情です。いったい何に腹を立てていらっしゃるのです? 街を焼いたことですか? 煌都と繋がりのある外交官夫妻を殺めたことですか? それとも先ほど散った戦闘員達の“命”に対してですか? 流石は“救世主”。総てを救う気でいらっしゃる――」
「そんなんじゃない。ボクはこんな事が、皆が笑顔でいられない、弟が泣いて――ボクの大好きな人が血を流さなきゃいけない、こんな現状が許せないんだ。平気な顔で人を死に走らせる、貴方のような人が許せないだけなんだ。だから、終わらせにきた。――引っ叩きにきたんだ」
「引っ叩く……ふふふ、なかなか魅力的な回答ですね」
己を真っ直ぐに見据え、告げる“救世主”のその回答の、精神の奥底にある“何か”をまさぐるように、ドクトル・サウザンドは機械化された左手をカチャカチャと艶めかしく蠢かせる。
「ですが、そんな業の浅さで“創世石”に見初められる程、“畏敬の赤”の選定は甘いものではありません。貴方は求めているはずだ、“物質としての神”を手にしてもなお満たされぬ“願い”を――」
「えっ……?」
願い。
その言葉に、トクンと、サファイアの胸の中で、確かにうずくものがあった。
彼女の背後で相棒たる“機械を超越した機械”エクシオンが鉄人モードを維持したまま、ドクトル・サウザンドの背後に控える二体の機械人形“G・G”を牽制するように、全身から“創世石”より供給された“畏敬の赤”のエネルギーを蒸気の如く噴出させる。
「是非とも知りたいものです。そして、その願いが私の言ったように"総ての救済"なら、是非とも力を貸して欲しいのです」
「力を……?」
サファイアの反応一つ一つを愉しむように、大見得を切る舞台役者の動作を真似るように、サウザンドは口舌を流暢に滑らせ、両腕を大仰に広げてみせる。流麗でありながら、その動作はまるで“爆弾を落とす合図”であるかのように、視覚する者の目に禍々しく映し出される。
「我々の、アルゲムの真なる目的こそ、貴女の望む“世界の救済”なのですから――」
なっ…。
絶句。言葉がないとはこの事だった。彼等の行状はどう考えても、“世界の救済”とは程遠い。
まして、力を貸せなど――、
「ふ……ふざけないでっ! 誰が貴方達に……!」
「私とて組織の大幹部の一人。伊達や酔狂で“直に”姿を現したのではありませんよ。交渉や頼み事に、大仰な立体映像を使うのも無粋で、無礼な話かと思いましてね」
話だけでも聞いてみませんか?
そう告げるサウザンドとサファイアの立ち位置、丁度、その中間に球体の立体映像が浮かび上がる。どうやら、この惑星の立体地図といえるものらしい。サウザンドがタッチした箇所、“煌都”とその周辺地区、三大国を示す箇所が青く浮かび上がる。
「現在の世界の統治機関“煌都”の方針は見事なものです。己を構成する大国のみの繁栄へと的を絞り、結果的に――局地的にではありますが、かつての人類の栄華・文明を甦らせた。偉業といってもいい。ですが、世界から切り捨てられた部位は腐り、穢れ、蛆に塗れる。貴女も良く知っているはずだ。この街の外が、地獄という言葉も生温い、紛争や飢餓という蛆に肉を食まれる、“人間”が“人間”として生きてゆけぬ世界であることは」
「………」
確かにそれは彼女も良く知る現実であった。
立体映像の青く浮かび上がった箇所以外の地域が錆び付いたような色に変色し、果実が腐り落ちるかのように液化し、崩れ落ちる。
「ですが、ここ数年で紛争の数は激減し、分断されていた共同体が徐々にではありますが、統一され始めている。――何故だと思いますか?」
「……人だってそんなに馬鹿じゃない。争いに疲れ、過ちに気付くことだってある。ボクは、そう信じてる」
「フフフ……素晴らしい。このような状況にあっても理想を見つめる、なんとも曇りない瞳です。ですが、大事なポイント、お言葉も頂きました。そう、重要な事は“争いに疲れる”ことです」
サウザンドがパチンと指を弾くと同時に立体映像は姿を消し、代わりに此処に辿り着くまでにサファイアが交戦してきた“醒獣”、そしてサファイアの知らぬ――響が先刻まで交戦していた“銀鴉”の異形が、新たな立体映像として浮かび上がる。
「“醒獣”に、“超醒獣兵”。我々の組織が有する技術は、紛争にあけくれる者達にとっては実に魅力的に映るでしょう。そこでその愚か者ども両者に力を貸し、両者のパワーバランスを均一化。疲弊しきったところで、我等、組織の主導のもとに交渉の席につかせる。そんな目論見が世界でいま、繰り返されているとしたら? それによって辺境に秩序がもたらされ始めているとしたら? 我等が組織――アルゲムによって世界の統一が、徐々に成されているとしたら?」
「なんですって……?」
「『不可能』――とは言えぬはずです。貴女は身を持って体験した。醒石の力を、“畏敬の赤”の正に畏れ、敬うべき奇蹟を! 残念ながら“神”はこの世界を救いはしない。幾百、幾億の祈りを持ってしても我等人類の母星“地球”の救済は成らなかった。ですが、この惑星で、この約束の地で、我等は“神”を手に入れた。“畏敬の赤”という神の代替となる神秘を! ならば救えるはずです。より良き世界の創造が可能であるはずです。だから、我々は立ち上がる。神なき世界で神である為に――!」
己が演説に陶酔するかのようにサウザンドの肉の頬に朱が走る。そして、己が黒衣に刻まれた“神”への絶望と反逆を示した組織の――“逆十字”の紋章を翻し、“選定されし六人の断罪者”の一人、“軍医”の称号を持つ男は吠える。
「そう、そして組織が世界を救済する為には、総ての“畏敬の赤”を組織が掌握している必要がある。まして、この惑星という概念の核であり、我等が所持する六つの“畏敬の赤”の上位種である“創世石”は――何を犠牲にしても確保しなくてはならないのです!」
たとえ、街一つを焼き払ったとしても。無数の生命を食い潰したとしても。絶対に。
“愉しげ”に告げて、サウザンドは己の芝居に幕を下ろすかのように、仰々しく一礼する。
「ご理解いただけたのなら、是非とも、その力貸していただきたいのです――“救世主”」
「………」
沈黙が空間に満ちた。サウザンドは“G・G”の手から水の入ったコップを受け取り、美味そうに飲み干す。カーテンコールの喝采を待つ舞台役者は俯く“救世主”のご尊顔、その様子を伺う。
「……そうだね、よくわかったよ」
「ほう……」
そう、充分だった。
この男の、この男が所属する組織の在り様を理解するには、彼の演説は充分に過ぎた。
顔を上げたサファイアの青の瞳が毅然と、サウザンドの愉悦に歪んだ表情を見据える。
「君達がこの街を焼いて、アルの両親を殺めて――平気でいられる理由が良くわかった。そんなに血に溺れて、人を血に溺れさせることでしか世界を救えない人達、ううん、そうすることで世界を救えるなんて勘違いをした人達――そんな人達がかかげたお題目で、普通に、ささやかに生きている人達の幸せは、命は踏み躙られて消えていくんだ。そんな光景を、ボクは旅の中で何度も見てきた。そんな人たちにボクの手は、いつも届かなかった……」
蘇る、この街に辿り着くまでの旅路の記憶が、痛みが彼女の胸を軋ませ、固く握った拳に血を滲ませる――。
自分の目の前で消えてしまった命の火。あの日の少年の笑顔。
様々な顔が、脳裏に蘇る。自分の中に眠る“願い”。
いま、ハッキリとわかった。
“創世石”に見初められるほどの業深き願い、それは――。
「“武装した血液”、か。そうだね、血に溺れて、血に溺れさせることでしか“願い”を果たせない人達には相応しい名前かもしれない。だから、ボクもコレを使うよ、そんな君達と戦う為に――」
時間を巻き戻して、”あの手”を握ることはできない。
だけど、繰り返さないことはできる。
繰り返させないことはできる。
「ボクは血を纏う、血を流す!」
ボクが欲しかったのはその為の力。
そうだ、”救世主”なんて、“救世主”なんて、自分しかいないんだ――! だから!
「『鎧醒』ッ!」
適正者の呼び声とともに、空間をガラスのように叩き割り、出現した白銀の戦闘機甲が聖痕を浮かび上がらせたサファイアの全身に装着され、刃を幾重にも折り重ね、構築したかのような、鋭角的なシルエットを持つ機甲の乙女――“創世の新星”を顕現させる。
その機械的な仮面が倒すべき敵を見据え、その眼部に意志の光を宿らせる。
「……まぁ、一応、声は掛けてみましたが、大体、予想通りの展開となりましたね。仕方、ありません」
ドクトル・サウザンドも溜息とともに告げ、パチンと指を鳴らす。
「――!」
――同時に石畳の床を叩き割り、出現したのは巨大な独楽であった。
その独楽に飛び移り、サウザンドは己が手の内にある“賢我石”を自らの意志で強く輝かせる。
「始めましょう、どちらが“物質としての神”を得るに相応しいかを決める、選定の儀式を――!」
『鎧醒』。サウザンドの唇が紡いだその言霊とともに、独楽に劇的な、禍々しい“変化”が顕れる。決戦の刻が、きた。
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