第10話 命の選択
#10
(チッ……コイツは――)
シャピロが己が目的を果たし、行動を開始したその頃。
シャピロと同じ”女王の誇り”の一員であるブルーとの戦闘の中、響の中で明確な焦りが、危機感が芽をだし、“骸鬼”の黒き鎧装に覆われた、人間としての皮膚に汗を滲ませていた。
先刻の炎の災禍によって焼け落ちた瓦礫が裂かれ、舞う。
ブルーが――その戦闘形態である“蒼鬼”が操る蒼裂布が周囲の瓦礫を掴み上げ、切り裂き、破砕し、ブルーの“念動力”がそれを無数の弾丸、己を防護する弾幕のようにして次々と射出する。
(”並の”手練れじゃない……!)
響の、骸鬼の肘の突起、黒獣刺が瓦礫の弾丸を弾き、一気に距離を詰める。
だが、瓦礫を弾いているその隙に、ブルーは己の位置を巧に変え、響の攻撃を受け流し、鋭利な殺意とともに放たれる“蒼裂布”が確実に響の肉を裂き、削ぐ。
忌まわしいことに体内の内なる魔獣“壊音”の活動によって、傷は瞬時に塞がり、決定的な損傷を負うには到っていない。あきらかに活性化している。いま眼前に在る純然たる“同種”との接触の影響だろうか。
“蒼裂布”が主の体を持ち上げるようにして、蒼鬼の異形を宙へと飛翔させ、両者の距離は再び離れる。
このように、たとえ同種であったとしても、己の異能に対する理解も、応用も、ブルーは響の二歩三歩先をいっている。いや、それだけではない。自分には――、
「……どうした? この程度なのか。まだ俺は――“前菜”すらだしていないぞ」
自らが念動力で浮かせた瓦礫を蹴り、反動で瞬時に間合いを詰めた蒼鬼の手刀が響を狙い、骸鬼の黒々とした腕がその一撃を受け止め、捕獲する。対峙する両者の眼光が火花を散らす――。
「……生ぬるい一撃だ。“折って”やろうか、色男」
「いや裂いて――貫くさ」
響が捕獲した腕に、破壊の意志を向けた瞬間、蒼鬼の青で塗りつぶされた皮膚“蒼き呪縛の装具”が剃刀のように逆立ち、尖り、響の、骸鬼の皮膚を裂き、赤い血で染める。
蒼鬼の腕は、骸鬼の腕を巧に擦り抜け、二人の距離はふたたび離れたが、蒼鬼の腕も無傷ではない。
響の破壊の意志は、骸鬼の剛力は、確かに蒼鬼の右腕を破壊し、あらぬ方向へと曲げていた。
だが、ブルーのなかに蠢いているであろう“壊音”と同種の何かは、瞬時にそれを矯正し、内部の筋肉や骨を瞬く間に再生・修復させる。
常人、いや、もはや“強化兵士”にすら目視できぬ速度にまで加速した、黒と蒼の影と化した二体の鬼は、月明かりのみを孕んだ深い闇の中で、激突を繰り返し、黒と蒼の肉片を撒き散らす。
凄絶に過ぎる交錯の中、ブルーの“蒼裂布”がまだ崩れずに残っていた、数少ない街の建造物達を縦横無尽に、容赦なく切り裂き、瞬く間に削り取った巨大な石柱を“杭”のようにして、次々と響へと射出してゆく。
――単なる攻撃や牽制のためではない。ブルーは響の地の利を奪う、明確な意図を持って、このような破壊を繰り返している。
建物一つで戦場の特性は大きく変わる。まして、それが“良く見知った通り”であるならば尚更だ。知識と現状の差が、判断に微弱ではあってもタイムラグを与える。
コイツは、銀鴉のような狂気に身を委ねる単純な相手ではない。そうだ、精神的な効果も計算して、ブルーはこの遠慮のない街への暴挙を重ねている。ああ、実に効果的だ。神経が逆撫でられ、全身の血が沸騰する――!
「だから……街を壊すなと、言っているだろうがッ!」
いま奴が破壊しているものは、踏み躙っているものは、皆が笑顔で暮らしていた、長が、父が、その生命を削って手にした、安らぎの家だ。奴の“行為”は皆への、父への侮辱、冒涜だ。
“殺す!” 暴発した“感情”に弾かれるように跳躍した“骸鬼”の漆黒の異形が、己に向かって牙を剥く石柱の杭や、瓦礫の弾丸を、一時的に縛鎖から解放された三頭犬の口に喰らわせながら、宙に浮かぶブルーへと猛進する。
「こんなものにこだわるとは、つくづく底の浅い男だな――」
主を護るようにブルーを囲んだ“蒼裂布”が、響の拳を受け止め、嘆息とともに蒼鬼は口顎から冷徹な、ナイフの如く鋭利な声音を響かせる。
「見せかけの希望だ。此処で一時の雨風を凌いだとしても、世界に蔓延する“悪意”という雨風が止むわけではない。この世界は“奪われること”の連続だ。奪われ、踏み付けられながらも、立ち上がる意志を持つ者のみが己の生命を拾い、前へと進む。貴様も知っているだろう。世界と対峙する時、人が持ち得るものは生命一つだ。世界と対峙できぬ弱者は淘汰され、世界と向き合える真に生きるべき者達、強者のみが世界を形作る。それこそがこの世界の、真の姿だと」
「ふざけるな――その貴様の言う“強者”の大半は、弱い者を食い物にして肥え太った“紛い物”に過ぎない。そんな奴等から人々を護るために俺達はッ!」
「そうだな、そうだろうとも。その“紛い者”達を狩るために、“女王”とともに世界を、醜く残酷なこの世を正すために我等は、“女王の誇り”は存在する。だが、ここは弱者を肥え太らせるだけの、家畜の巣に過ぎない。強者の収穫を待つ哀れな家畜どものな」
「何――」
「家畜の番犬に、この“似て非なる蒼”は敗れぬ。朽ちて死ね――“駄犬”!」
拳を受け止めていた“蒼裂布”が、拳を弾くように攻撃へと転じ、骸鬼の黒の鎧装を切り裂く。
鮮血が響の全身を染め、三頭犬の牙が蒼鬼へと襲い掛かるが、攻撃に対する“壊音”の反射でしかないその一撃は、蒼鬼の肘に在る槍の如き突起“蒼騎刺”によって弾かれる。
精細を欠く“兄”の、その骸鬼の反撃に、蒼鬼の眼部、細いスリットの中にある“黄金鬼眼”が、鋭く光る。
「 “躊躇い”か――」
「……!」
ブルーの言葉に、響の腸の中で焦燥が蠢き、体内で“壊音”が嗤う。
「そうだ、貴様の“神殺しの獣”の異能では、何も護れはしない。何も救えはしない。その軌跡の果てにはただ、“破壊”があるだけ」
念動力で己自身を宙に浮かせたまま、“兄”を見下ろすブルー=ネイルは、自らの血を啜るかのように瞬く間に損傷を修復させる響の――“骸鬼”の黒き異形を指差し、告げる。
「――貴様が“彼女”の元に辿り着いたところで、”彼女にとって最も恐ろしい敵”になるだけだ」
「黙れ……」
黙れ……! 眼前の“弟”と名乗る男へと、体内でせせら笑う“壊音”へと吐き捨てるようにつぶやき、響は血が噴き出し、骨が砕けるほどに己が拳を握り締める――!
「黙れえええええええええええええっ!」
粉塵を巻き上げ、触れるもの全てを破壊するような獰猛に過ぎる軌跡とともに響は、“骸鬼”の漆黒の異形は、忌まわしき同種へと、“蒼鬼”へと挑みかかる。
その内なる魔獣に突き動かされた本能は、護るべき、護ってきた家々の残骸を踏み砕きながら、標的へと牙を剥く。
その軌跡の果てに在るのは破壊だけ。
計らずも、そんな弟の言葉を顕すかのように――。
******
(はぁ…はぁ…)
自らの動悸が聴覚を支配し、視界は疲労と自らが放つ“紅”の光によって霞み、ぼやける。
人間としての視界が、疲弊を訴えても、“創世石”の適正者――“超越者”としての超感覚は、脳に、周囲の状況・動きを余すことなく伝え、息も絶え絶えのはずの肉体は、まともな、常識的なレベルの生物では、目視できぬ程のスピードで大地を蹴り、宙を舞い、“悪意”を持って襲い来る“賊”の群れを撃破・殲滅していた。
“創世ノ新星”。
それがいまの彼女の――“サファイア・モルゲン”という存在を表す名称。
刃を折り重ねるようにして構築された白銀の機甲。
そのスリットには、神々しくも毒々しい“畏敬の赤”の光が満ち、機械的な仮面――その眼下から頬にかけて流れるスリットにも血涙の如く、赤々とした光が滾っている。
戦闘という極限の緊張に喘ぐ、彼女の心を示すように。
《獣醒》《獣醒》《獣醒》《獣醒》《獣醒》
無機質な音声が、次々と異形の誕生を告げ、無数の醒獣の牙と爪、触手が彼女を襲い続ける。
――いま、サファイア・モルゲンは相棒である“エクシオン”とともに、“栄華此処に眠る”を抜けた先にある鉱山の中腹、テントや見慣れぬ機器、物騒な重火器、弾薬を積み込んだ車両が所狭しと並べられた、『賊』達の前線基地へと辿り着いていた。
一瞬の旅路であった。徒歩であれば、数時間を要する距離を“創世石”が“賢我石”の位置を、それを統べるドクトル・サウザンドの悪意を感知した瞬間、エクシオンも、“アルファ・ノヴァ”の機甲に身を包んだ自分も、到着という“結果”までの過程を省略するかのように、結果に到達するまでの事象を早送りするかのように、この場所まで辿り着いていた。
搭乗者を目的地まで運ぶ乗騎としての役目を終えたエクシオンは、鉄馬モードから鉄人モードへとその身を組み換え、アルファ・ノヴァの、サファイアの背後を護るようにして醒獣の群れと対峙している。
胸部に組み込まれた機関砲が、醒獣の異形をバラバラの鉄片へと変え、その核たる“醒石”を拳撃のように繰り出された鋼鉄の掌が握り潰す。
搭乗者と背中を合わせ、エクシオンは自らが成すべき最善の策を、選択肢を探るべく、周囲の状況を解析する。
【――十二時の方向の建造物から複数の生体反応、強力な“概念干渉”の発生を検知。同方向の包囲網の突破・突入を提案する】
「そうだね……ボクもいい加減、疲れてきたよっ!」
右腕部装甲に喰らい付く醒獣の顎・頭部を起動した“聖翼の光剣”で粉々に弾き飛ばし、剣戟のように放たれた蹴撃が“畏敬の赤”の光とともに、自らを包囲する複数の醒獣の異貌を破砕する。
瞬時に鉄馬モードへと身を組み換えたエクシオンへと白銀の肢体が飛び乗り、疾走を開始した“機械を超越した機械”が、生体の、概念干渉の反応を検知した建造物の鉄扉をぶち破る。
すぐに眼前に現れた地下へと続く階段を、鉄馬に搭乗したまま、粉塵を撒き散らしながら駆け下り、サファイアは建造物への中枢へとそのまま疾駆する。
元は鉱山用の施設であったのだろう。この石造りの建造物は、地下に広大なスペースを置き、迷路のような構造で来訪者を歓迎する。
当然のように待ち受けていた醒獣群を“畏敬の赤”のエネルギーを解放したエクシオンの突進で撃破し、鉄馬と搭乗者は円形に形作られ、純金製の騎士像などで飾り立てられた豪奢な、広々とした空間へと辿り着く。
周囲に醒獣の気配はなく、久しく忘れていた静寂が耳朶を打つ。
手が震えている。無我夢中になって、この手が振るっていたのは、紛れもなく――、
外から追手が来る気配もない。束の間の安堵に息を吐いたその瞬間、
「……っ」
【――搭乗者!】
適正者である少女の緊張が一瞬、途切れた。
全身を包んでいた“アルファノヴァ”の白銀の機甲から蒸気が噴き出し、その一つ一つが剥がれ落ちるようにして『鎧醒』が解除される。
同時に、鎧の中に密閉されていた皮膚に浮いていた汗が、大気に触れ、身を冷やす――。
フラリと、サファイアの肢体は崩れ落ちるように鉄馬から降り、近くの壁面へとその背を預け、座り込む。それと同時に、一気に疲労が、戦闘という極限まで張り詰めた緊張の中にいたことによる精神の疲弊が、彼女の心身へと襲い掛かり、肺が、内臓が、全身が、不快感を訴える。
「かっ…はっ…かはっ……!」
胃液が口内から零れ落ち、とめどない涙が頬を伝う。
最初の『鎧醒』を終えた時、肉体と精神は深い眠りに落ち、回復の為に数時間の“休眠”を貪った。それは、肉体を『鎧醒』に適応させるための過程。長時間の『鎧醒』に耐え得る肉体の下地はその休眠の中で密に、彼女の体内で構築されつつあった。
だが、その下地があったとしても、特に戦闘経験も持たない、まだ十代の可憐な少女にとっては、この絶え間ない戦闘は過酷に過ぎた。
――”畏敬の赤“の奇蹟を、“救世主”としての異能を手にしていたとしても、その精神までが鋼鉄のように“強化”されるわけではない。
脳内物質のコントロールで恐怖や闘争心を軽減・調整されていたとしても、彼女は飽くまで“乙女”だ。他者に拳を振るうよりも、手を差し伸べる慈愛の少女なのだ。
(フ……美しいな。その、様は)
「えっ――?」
そんな彼女の脳を、意識を、揺らす声があった。
鈴の音が鳴るような、甘美な、玲瓏な声音だった。
「だ、誰……? 誰なの!?」
(私か…? そうだな、私は――お前だよ)
「えっ――?」
予期せぬ返答に、サファイアが言葉を失くした瞬間、生温い何かが膝に触れ、濡らした。
赤々として、どろりとした何かが。これは――、
朦朧としていた意識が、聴覚が、次第に一つの音を捉え始める。
聞き覚えがある。これは“畏敬の赤”のエネルギーを凝縮した“疑似火薬”が炸裂し、弾丸を射出する轟音。これは――、
「エ…エクシオン、だ、駄目っ!」
朦朧としていた意識が完全に自我と重なった瞬間、サファイアはその光景を、状況をようやく認識した。戦闘は継続していた。自らが気を緩め、膝を折っていたその間も、潜んでいた戦闘員の一群が攻撃を仕掛けてきていたのだ。
エクシオンは瞬時に鉄人モードへと己を組み換え、胸部の機関砲を連射することで、戦闘から離脱している搭乗者を護っていた。だが、相手は醒獣ではない。その人の肉は無残に飛び散り、赤黒い液体を周囲に撒き散らす。
「クッ――『鎧醒』ッ!」
咄嗟に『鎧醒』し、白銀の機甲を纏ったサファイアは、エクシオンを取り押さえるようにして、機関砲の乱射を止めようと試みる。弾丸が白銀の機甲に直撃し、尋常ではない衝撃がサファイアの体を跳ね飛ばそうとする。だが、サファイアは離れない。これ以上は――、
しかし、そんなサファイアへと銃撃を逃れた戦闘員が容赦なく襲い掛かる。
装備した鉤爪を殺意に鈍く光らせて。
「こ、来ないでッ!」
襲い来る戦闘員に対し、防御のために動いた右腕。その右腕から反射的に放たれた“畏敬の赤”のエネルギーが戦闘員を弾き飛ばし、壁面へと叩き付ける。
床に転がり落ちた戦闘員は動かない。
――ありえないその体勢から絶命していることはわかる。
ボクが――殺したんだ。
【……貴女は戦闘不能の状態と判断】
「わかってる」
【危険の排除を最優先。戦闘は不可避の――】
「わかってるよっ!」
再度、『鎧醒』を解除し、サファイアは近くの壁面に拳を叩き付ける。
戦闘員は一人も残っていない。皆、死んだ。
「ボクのせいだ――ボクが、弱いから。キミにこんなことを、人殺しをさせてしまった。戦うことが辛いことだって、酷いことだってわかっていたつもりだったのに……」
ボクは、酷い奴だ。これを響やみんなにさせてる。
そうだ、それは酷いことだから、救世主なんて自分しかいないから、ボクは――、
「エクシオン。ボクのこの疲れも、“創世石”で――消せる?」
【……それは推奨できない。鎧醒による疲労は、概念を超越する“超存在”となる“人間という概念”の疲労だ。それを書き換えるとなれば、貴女は人間という存在を――】
「いいからやって! ボクは――!」
子供の駄々かもしれない。
でも、皆を救えるなら、この状況を打破できるなら。
「まったくお涙頂戴のお芝居がお好きですねぇ、貴方たちは」
「……!」
――そして、大仰な拍手とともに、聞き覚えのある、上品なようでいて、どこか下劣な残響を持つ声が広大な空間に響く。
「貴方は……」
「初めまして、ですかね。直接、顔を合わせるのは」
――ドクトル・サウザンド。
左半身を機械化した、異貌の”軍医”はその機械化された左手の鉄爪をカチャカチャと鳴らしながら、背後に自慢の傑作である二体の機械人形“G・G”を従えて、闇の中から悠然と姿を現した。
彼の手元で、彼の所持する”賢我石”が”創世石”に共鳴するかのように、妖艶に輝く。
そうだ。人間という概念に”畏敬”をもたらす真の戦闘の幕は――これから上がるのだ。
”全能なる神を殺す異能の機関”――アルゲムの最高幹部、”選定されし六人の断罪者”達との死闘の幕は――、
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