第09話 女王の気配
#9
――なんて、こった。
ジェイク・D・リーは、彼を初めとする保安組織ヴェノムの面々は、目の前で繰り広げられた、人間の理解を超えた別次元の戦闘に、人知の及ばぬ“異能”という名の嵐に、言葉という言葉を失っていた。
「フゥーやれやれ」
“一仕事”を終えた、シャピロ・ギニアスは額の汗を拭い、緊張から解放されたかのように息を吐き出す。実際にそう感じているのか、そう感じているようなフリをしているのか、ジェイク達には判断が付かなかった。
この男には――人間でないものが人間を演じているような不自然さがある。その異様に過ぎる戦い様を見た三人は、そのように感じた。
そして、ミリィの知覚強化端子、“魔法使い”としての眼でも、その実態を解析することは不可能だった。未知なる亡霊。彼が告げた、その字名どおりに。
「……うーん、流石に五体まとめてだと危なかったかも、だね。戦力を分断してくれた“黒を付き従える者”君には感謝しないとねぇ」
そう語るシャピロの周囲には、負わされた損傷によって“獣醒”を解除された五獣将の死屍累々が転がっていた。仲間の危機を察知し駆けつけたアーロウ、ティターンの二体も例外ではない。
――生命までは奪われていないが、“五獣将”にとって敗北以外の何物でもない光景がそこには在る。だが、五体の“ボス”であるラズフリートだけは獣醒形態を維持したまま、シャピロの前に立ち塞がるようにして意識を喪失していた。その憤怒と戦意に満ちた形相は、いまにもシャピロの首筋に喰らいつかんばかりだ。
「流石、五獣将の長、“英雄”ラズフリート――。“相性”の問題がなければ単騎で僕くらいは殺せたかもね。いや……此処にいるのが僕でなく、ブルーや“黒を付き従える者”君だったら危なかったかもしれないな」
(信じ、らんねぇ……)
いま倒れている五体は一体、一体が自分達を蹂躙し、叩きのめしたあの銀鴉以上の能力・実力を備えていたはずだ。それをどのようなトリックを使ったかはわからないが、この男は次々と、それも短時間で無力化してみせた。五体の異貌を鏡の如く、次々とその身に反映しながら――。
あのような異能は見たことがない。
三人は息を飲み、男の、どこか幼さの残る顔立ちを眺める。そして、
「あァ――! 君ィ――!」
「わ、わたし!?」
突然、振り返ったシャピロの指が指した己の顔に、ミリィの喉から素っ頓狂な声が漏れる。左右に立つ、ジェイク、ガルドが彼女を護るべく、ガードを固めるが、当のシャピロはそんな事は意に介すこともなく、手を振りながら、スキップでもしているかのような軽やかな足取りでミリィへと近づき、二人のガードすらも、ひょいと擦り抜ける。
(んなっ……)
まるで、体が動かなかった。――反射的に攻撃を仕掛けるには、あまりに“悪意”も“敵意”も稀薄すぎた。この男の笑みは、“無邪気”すぎた。
「君には感謝してるよぉ! 君が知覚強化端子による干渉が、超醒獣兵に有効だって実証してくれたおかげで、五獣将の情報を有意義に、安全に取得することができた。僕お手製の名誉勲章をあげたいくらいだよ」
シャピロの両手がミリィの手をぎゅっと握り、ミリィの喉から思わず「ひっ」と声が漏れる。
そんな反応も愛おしむように微笑むと、シャピロは彼女の手の甲へとチュッ、と口づける。
「なっ……なにしてくれてんだ、てめええええええええええええっ!」
ヴェノムの紅一点への”個人的な”暴挙。
これにはジェイクの肉体も反射的に、感情的に動いた。
“骨刀”まで発動させたジェイクの乱打ではあったが、シャピロは難なくかわし、ヒュウと口笛を吹いてみせる。
「おぉう! いやぁ君の力もなかなか優秀だね。微細機械を応用・発展させた生体金属で全身の骨格を強化。それにより、人間の上限を遥かに超えた運動能力を得ている。うん、この姿で行動する際には丁度いい、過不足ない能力だ。“覚えとこう”」
結果のみを言えば、ジェイクの攻撃は全て徒労に終わった。
余裕で佇むシャピロとは対照的に、肩で息をするジェイクは途方もない実力差の認識とともに、悟る。あァ、これは――”戦闘”ではない。
いくら攻撃を繰り出そうとも、場の空気が”戦場”のそれに変わることはなかった。
この男には、自分達と交戦するつもりなど、微塵もないのだ。
その目的もまた、微塵も掴めないが――。
「………!」
そして、動かず事態を見守っていたガルドの眼差しが、崩れずにまだ建っている周囲の建造物、その屋上へと向けられる。彼の本能、勘は確かに”それ”を捉えた。
「あ、君、いい勘してるね。”彼女達”一流の気配遮断に気付くなんて、腕力自慢のように見えて、なかなか繊細だね。縁の下の力持ちっていうのかな、君達チームが生き延びてこれたのは、彼の機微を察する知性によるところが大きいんじゃない? 副隊長さんは、対照的に直情径行の脳味噌筋肉みたいだしさ」
「な、な、なんだと、てめええええっ!」
肩を竦めて語られる己への暴言。
たちまち額に血管が浮き立ち、ジェイクの顔は見る見るうちに紅潮する。
殴りかかったところで結果は見えているが、”直情”に訴えたくもなる言い草であった。
「ジェイク! 静かに!」
「だけどよ、ミリィ! コイツ殴りてぇ……?」
そこでジェイクも察知する。
闇に紛れ、潜む何者かの息吹を。
「――何かいる。一人や二人じゃない。街全体に散らばるようにして、百は……くだらない?」
「ふふん、僕達の主の”女王”はさ、戦闘に――”創世石”に関係しない非戦闘員の犠牲を赦していなくてね。そのために派遣された彼女達の衣装は、僕も開発に協力しているんだ。”魔法使い”にも見つからないように研究に研究を重ねた、知覚強化端子に探知されづらい、”ステルス”仕様って訳。もっとも何かがそこに居るっていう”切っ掛け”さえ掴まれてしまえば、君クラスの”魔法使い”の目を誤魔化すなんて芸当は出来ないけどね」
ミリィの事をよほど気に入っているのか、その表情をよりニコニコとさせてシャピロは言葉を紡いでいた。そして、その表情に、ほんの少しだけ神妙さが過ぎる。
「――街を焼いてしまったのは本当にお詫びのしようもないけれど、”創世石”が雲隠れしてしまった以上、ああいう下種なことでもしないと、おびき出せないってのもまた事実だからね。僕達にとっても、主である女王にとっても、”創世石”が目的である以上、手段は選んでいられないからね。間違った者にアレを渡したら、世界が、この惑星がどうなるか想像もつかないからね」
神妙さを帯びてきていた語るシャピロの口許から”無邪気”な笑みが完全に失せ、その幼さを残した瞳が剣の如き鋭さを持つ。
「――”破壊”してしまったほうがマシってくらいにはね」
「……!」
異変が起きた。
シャピロがその不穏な一言を吐き出した瞬間、黒い影が周囲の闇にその容貌を浮き上がらせていた。
一、二、三……ミリィの探知通り、百はくだらないかもしれない。
――全体的な印象は戦闘員に似ていた。
だが、三人が交戦し、屠ってきた戦闘員、とは様相が異なる。
一つ目の仮面で顔を覆い隠しているのは同様だが、その体格はあきらかに女性。
そして、機械じみていた戦闘員達とは異なり、一人一人の意志が、矜持が、明確に感じられるように思えた。
「なかなか壮観でしょ? ジャック・ブローズや軍医の手の者が、この街の住民達を手にかけようとしたら動くように派遣されたのが彼女達――”戦闘員・F”。君達の活躍のおかげでその出番はなかったけどね」
「な、何……?」
「言うなれば保護者、だよ。事態が次の段階に移ったいまは、創世石の適正者を捜して徘徊している住民達が”危ないところ”に行かないよう見張ってるって感じかな。これに関しては君達も対象だよ」
「……っ!」
自分達への侮辱ともとれるシャピロの言葉に、三人の”強化兵士”の眼光が鋭くなる。だが、確固たる実力差も、語るシャピロの異能が別次元にあることもその理性・本能は理解している。
「ここから先の領域は”強化兵士”の力程度じゃあ踏み込めないよ。”黒を付き従える者”や僕達のような規格外品、あるいは、”畏敬の赤”の適正者以外にはね。君達はおとなしく此処で事態の収束を待った方がいい」
――女王の戦支度が整ったら、この場所が、”環境”が、元の状態でいられるとは限らないからね。
そう告げるシャピロの声音には、聴く者の腹に鉛を詰めるような重さ、緊迫があった。
明確な警告の意志があった。
「――さて、必要な情報は手に入れたし、僕はいくよ。状況を、その推移を見極めないといけないからね」
じゃあね、勇敢な君♪
同じ”魔法使い”である、お気に入りのミリィへと目を細め告げるシャピロの口許は、無邪気な笑みを取り戻していた。街路を蹴ったその足は、細身の体を宙に舞わせ、”縮地”と呼べるような俊足とともに、闇の中へと姿を消す。その様はジェイクの持つ身体能力、”速度”をそのまま摸したかのようだった。
”覚えとこう”。その自身の言葉を実践するかのように。
「女王……だと?」
シャピロが告げたその名をジェイクは口内で繰り返す。
怖気が全身を震わせた。あの銀鴉やいま、眼前で倒れている五獣将以上の脅威が、まだ潜んでいる。それに遥かに及ばぬ自分達への憤り、響やサファイアに迫る危機への焦燥が、恐怖を闘志へと塗り替え、三人の目線を周囲の”戦闘員・F”へと向けさせる。
「黙って通しちゃ、くれねぇか……」
彼女達との交戦が有益とは限らない。
事態を推し量る瞳が周囲を観察し、噛み締めた唇が血を流す。
――女王。その名のもとに、次なる状況は幕を開けようとしていた。
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