第06話 "救世主"
#6
――ラ=ヒルカ。
公的な名称ではない。
この地に根を張り、“創世石”の、“畏敬の赤”の伝承を、この惑星の”創世の秘密”を知る者達だけが、その名を知っている。
そして、この土地に住まう者総てが、“創世石”――“物質としての神”を崇め、護る守護者であり、従順なる下僕であった。
五十年の歳月とともに、世界を混沌の淵、奈落へと突き落とした“大戦”時にも中立の立場を護り続け、“無欲な臆病者”と蔑まされた、この土地に住まう者たちこそ、いまや稀薄となった“民族”としての意識、連帯感を持ち続けてきた者たちだったかもしれない。
――呪縛。そう言い換えられるほどに強固な繋がりを。
その、最後の日。
世界の統治機関である煌都ほど派手ではないが、確かな繁栄が、人々の営みがあった都市に、“物質としての神”を護るために存在したその都市に、終末が来る。
皮肉にも護り続けてきた“神”、“畏敬の赤”の同種達の手によって。
その襲来を”創世石”により感知し、待つ、宮殿のなか、青年は、“護者の石”に選ばれし青年、サクヤ・ヴォルシュタインは、“彼女”に、普段と変わらぬ、人懐っこい微笑みとともに問いかけていた。
豪放で、自分勝手で、“創世石”の守護者という宿命に縛られながらも自由で。そんな彼が、“彼女”は、ガブリエルは好きだった。死の宣告に等しい”護者”の任を請け負いながらも、笑みを絶やさず、己の意のままに生きる彼が好きだった。
――“創世石”を護るためだけに造り出された自分という“兵装”に、心を、“恋”という生きる喜びを、教えてくれた彼が好きだった。
「――怖いか?」
「はい」
「逃げたいか?」
「此処に、皆と――此処にいたいです」
貴方と、とは言えなかった。
けれど、言わば“この日の為”に造られたこの生命、彼と共にこの地で残さず燃やし尽くしたかった。だが、
「そうか――」
「えっ…?」
願いは叶わなかった。
次の瞬間、サクヤの振り下ろした手刀は、ガブリエルの意識を奪っていた。
サクヤの持つ“護者の石”から溢れ出す蒼の光が、ガブリエルの身体を包み、その姿を“幼竜”のそれへと戻してゆく。ひどい。言ったのに。お前が選ぶ道なら俺が全力で護るって。戦うにしても、逃げるにしても、俺が護るって――。
「お前の戦場は此処じゃない。ここから始まる旅路が、お前の生きる“戦場”だ」
彼の温かい手が、ガブリエルの首元に“創世石”を括り付けた金属板を取り付ける。
旅路の果てに出逢う者に“彼女”の名がわかるように名を刻んだ、金属板を。
「生きろ。お前が生きて笑ってくれるなら、笑っていられる世界に出逢えるのなら、俺達が此処で散る意味は充分にある」
サクヤの言葉とともに、“創世石”から“畏敬の赤”の光が溢れ出す。
概念干渉により、時間が、空間が捻じれてゆくのを感じる。彼との逢瀬が永遠に別たれる――。
「“それ”を受け取る奴がいい奴だといいな――」
遥か辺境の地への”跳躍”の間際。
そんな彼の優しい声を、別離の間際で“彼女”は確かに聞いた。
「……ガブ、寒い?」
自分の腕の中で震えているガブリエルに、アルは問いかける。心なしか目は充血し、潤んでいるようにも見える。姉が言っていた“彼女”が抱えていることを思い出し、アルは唇を噛む。
あの連中――許せない。
「暖炉なんて上等なものはないし、食べ物もあってもカビだらけとか、そういうオチだろうな――」
友人を抱えたまま、アルは隣室のキッチンへと向かい、戸棚の扉という扉を開けてみる。結果は、後悔と特大の害虫だけであった。
悲鳴を上げかけた自分に頬を赤らめながらも、少年はリビングへと戻り、所々裂けて中身が飛び出ているソファーへと腰を投げる。
「姉ちゃん、あれじゃ晩ごはん作れなくて、困っただろうな……」
一人呟いて、アルは苦笑する。
そういえば、ガブを探しにでた時、姉は食料品店で山のように食材を買い足していた。あれは消沈していた自分のためだったんだろう。……自分の好物でも作ってくれるつもりだったのかもしれない。優しい人だな、まったく。
「――どうしてるだろうな、いま」
不安と何もできない憤りが入り混じった声が、アルの喉から洩れる。信じて待つしかない。本当にその選択肢しかないのか――?
「……優しい人だった。私を逃がした人も」
「あの“青い石”の人――?」
ガブリエルはうなずき、言葉を続ける。
「――サクヤさんだけじゃない。ラ=ヒルカの皆は自分達の生命も、誇りも、異能も、総て私を、“創世石”を逃がす囮にして滅びた。私の生きるべき、戦うべき戦場は此処じゃないって」
「……戦場、か」
出逢った時のガブリエルの傷だらけの体を思い出し、アルは理解する。
“創世石”を護る旅路という“戦場”をずっと、この小さな友人は彷徨い続けていたのだ。
その歩みを止めさせたのは自分だ。
――結果的に、辛い思いをさせてしまったかもしれない。
「……ごめん、アル。君は気にするなっていうけど、私はやっぱり自分を許せない。君のご両親を、この街を、災禍の中に堕としたのは、間違いなく私だから――」
つぶらな瞳から雫が零れる。――違う。そうじゃない。
ガブリエルの、“幼竜”の小さな手を、アルの手がぎゅっと握る。
「そうじゃない、そうじゃないよ、ガブ」
責められないと思った。そんな辛い道を歩んできたガブリエルの意志を、心を“安息”へと曲げさせてしまったのは自分の、不用意な“善意”だったのだから。
父の言葉が脳裏を過ぎる。
“お前自身を取り返しがつかないほどに傷つけかねない、有り余る優しさ”。
そんな上等なものだとは思えないけれど、友人を苦しめてしまったのは事実かもしれない。けれど、
「……俺、そのサクヤって人の事はわからないけど、その人は、そのラ=ヒルカってとこの人達は、お前に生きていて欲しいから、そうしたんだろ? 俺も、お前を放っておけない、助けたいって思ったから、家に連れて帰ったんだ。前にも言ったけど、父さんと母さんも事情を知れば、お前を助けたと思う。それは、“助けたい”って思うからだ。お前に“笑って欲しい”って思うからだ。なのに、肝心のお前が泣いてたら、そのラ=ヒルカの人達も、父さんも母さんも――俺だって辛いし、悲しいよ」
アルの温かな指がガブリエルの涙を拭い、その手がわしわしと“彼女”の頭を撫でる。
「俺が伸ばした手は結果的に、お前を苦しめてるかもしれない。……俺自身も苦しめてるのかもしれない。でも後悔はしない。俺はお前の笑った顔が見たいし、父さんと母さんに胸を張れる自分でいたいから――」
「アル、君は――」
言葉を紡ぎながら、アルは自分の想いを確認してゆく。
このまま、ソファーに“じっと座っていられない”自分自身を。
「俺は父さんと母さんの息子だから――サファイア姉ちゃんと響兄ちゃんの弟だから、俺は前に進みたい。お前を助けた時みたいに、やっぱり、このまま、ここで待ってることなんかできない」
そうだ。姉や兄が、街が喘ぐこの“苦境”を、見て見ぬ振りなんてできない。
「俺は姉ちゃんと一緒にいたい。――何もできないかもしれない。足手まといになるだけかもしれない。けど、姉ちゃんに“帰れる場所“は、”帰ってこなきゃいけない場所“はここなんだって、傍で伝えてあげたい。でないと、姉ちゃん、きっと無理も、無茶もやっちゃうと思うから――」
予感がある。放っておいたら姉は、何処か手の届かないところへ消えてしまう。ガブリエルのために散ったというその人と同じように、自分自身を投げ出してしまうかもしれない。
「姉ちゃんは強い男の手って言ったけど、俺の手はまだ小っちゃくて何も掴めない。でも伸ばさなきゃ何にも届かない。届けたいって思うから」
その危うさを、日常に繋ぎ止める。それこそが“弟”としての自分の役目かもしれない。
既にソファーから立ち上がっている少年は、“畏敬の赤”の光に満たされている窓の外の情景へとその真っ直ぐな眼差しを送る。
「行こう。いや、俺、行くよ。お前はここで待ってていい。もう充分に怖い目にも、悲しい思いもしてると思うから」
「――アル」
そして、ガブリエルの硬い声とともに、決意の少年の瞳に眩い、緑色の光が溢れた。
幼竜の小さな体はアルの腕から離れ、宙に浮かび、その容貌を変化させる。
「ガブ……?」
もはや可愛らしいだけの“幼竜”の姿ではない。
アルの全身を包み込めるほどに大きく広げられた翼は、陶器のような煌めきと、刀剣のような鋭利さを持っていた。白い竜の体は、どこか硬質な印象を見る者に与え、胸と両翼に描かれた黒と赤が渦巻くような紋様は攻撃的ですらあった。
“兵器”と呼んで差支えないような気配が、ガブリエルの全身から漂っていた。
「私の出自は、“創世石”の欠片を人為的に培養・複製し造り出された疑似生命体。“複製されし禁碧”。私がいれば、“創世石”の、“畏敬の赤”の“概念干渉”の中でも動くことができる。“畏敬の赤”の反応を追跡することで、サファイアさんのところへ“跳躍”することもできるかもしれない」
「う、うん……」
またも眼前で繰り広げられた超常はアルの理解を超えていた。だけど、友人の意志は理解できた。自分に協力し、姉のもとへと導こうとする“彼女”の意志は。
「いいのか? 本当に」
「……私も、前に進みたいと思ったから。アルの力になりたいと思ったから。後悔、しない」
告げたガブリエルの心に、サクヤの声が蘇る。
( “それ”を受け取る奴がいい奴だといいな――)
そうだ。自分には過ぎた出逢いだった。
いま、視界を占拠する“畏敬の赤”とは異なる新鮮な光が、色彩が世界に宿った気がした。
この、何の異能も持たぬ少年の意志によって。
お前が生きて笑ってくれるなら、笑っていられる世界に出逢えるのなら、俺達が此処で散る意味は充分にある――そう告げたサクヤに、ガブリエルはいま、胸を張って言える気がしたのだ。
そう、自分は確かに出逢えたのだ。
自分に笑顔をくれる、小さな”救世主“に。
逃避と憔悴しかなかった自分の世界を変えてくれるような大きな”心”に。
アル・ホワイトという少年に。
「いくぞ――」
少年の手が廃屋のドアノブに触れ、回す。
“運命”という名の戦場へと、その足はいま、確かに踏み入った。
NEXT⇒第07話 閃光