第05話 未知―グレイ―
#5
胃液と血の味が口内に満ち、激痛と疲労に麻痺した四肢が、散乱する戦闘員達の死骸の上で、無力に天を仰いでいた。
霞む視界の中、虚空を二枚の朱い翼が羽ばたく。三人の“猛毒”は、その”畏敬の赤”の光を見つめながら、まだ闘える、足掻ける己の血と肉を確認し、再度、震える脚に力を込める。
「フン……愚かに愚かを極めた連中だ。時代遅れの”強化兵士”どもが束になろうが、輪になろうが、最先端のエース、俺達、”超醒獣兵”に敵うわけねぇだろうが」
「ザンカール」
腕の刃に付着した血糊を払い、嗤うザンカールに、“五獣将”の長たるラズフリートは諌めるように眼光を向ける。
「侮辱は許さん。彼等は死力を尽くし、挑んできた。このラズフリートに手傷を与える程の死力をな」
ラズフリートの右腕、獣醒した、鎧装化した皮膚には、確かに仰々しい亀裂が走っていた。
並の“強化兵士”では、触れることすら敵わぬ鎧装に確かに与えられた損傷。
それをやってのけた三人を見るラズフリートの眼には、確かな“敬意”が込められていた。
「フッ、理解ってるよ、ボス」
共に戦場という地獄を、修羅の道を生き抜いてきた雄者であり、武人である長の気質・誇りを理解するザンカールは口舌を鞘に収め、いまもみっともなく足掻く、三人の“強化兵士”へと、刃を張り付けたかのような六つの眼を向ける。
「……よう、生きてるか」
「なんとか、ね。隊長と、約束したもんね――」
ジェイクの軽口に、いつものように応え、ミリィは“痛みに喘ぐ双児”を逆手に持ち直し、構える。呼吸は荒く、余裕はない。
「まったく、この程度でくたばれる……楽な仕事なら良かったな」
軽口を絡ませながらも、疲弊に膝が震えている二人の背を支えながら、巨漢もその身を立ち上がらせる。――自分達が膝を折ってしまったなら、この三体は確実に響の追跡へと、その任務を移行させる。
そうなれば、いかに響といえど、サファイア・モルゲンのもとへと辿り着くことは、困難な道となるだろう。
それだけは――それだけは”盟友”として、”部下”として、”兄妹”として、絶対に許すわけにはいかない。
「ったく、寝てりゃ死なずに済むのによ……ヴェガン!」
「ヌヴォオオオオオオオオオオッ!」
ザンカールの呼び声に、爬虫類と豚を混ぜ合わせたような緑色の巨獣、ヴェガンが咆哮を上げる。
肩部には大型の装甲。
胸部・腰部・両膝にも、その巨体を支え、保持するように鎧装が武装されている。
胴体から生える鎖と鉄球を振り回す様は、重戦車のようでもあった。
生物的な要素と無機的な要素が絡み合う、それが“超醒獣兵”の特徴といえた。
「クソッ、今度はあのでっけえ奴かよ……紫の野郎は確実に俺より疾いだろうしな。さっきの白い親玉との一騎打ちが最後のチャンスだったかもな」
「今更、悔やんでも、愚痴っても仕方ないだろ。……アイツらはまだ遊んでる。隙を突けば、腕の一本や脚の一本、壊せるかもしれない――」
――私達の生命と引き換えに。
鬼気迫る想いがミリィの眼を、知覚強化端子から溢れる光を鋭くする。だが、
「……生えてくるんじゃねーの、アイツらの場合」
「……!」
自らの覚悟を茶化すジェイクの頭を、ミリィの握る“痛みに喘ぐ双児”の柄が怒突く。……まったく、こんな時にまで和ませなくていいんだ。そして、
「そうだな――奴等が本気でない今なら、お前等くらいを逃がすことならできそうだ」
「なっ……!?」
こちらも馬鹿なことを言う。そのガルドの言葉に、ジェイクは嘆息し、応える。
「馬鹿野郎、お前一人格好つけてどうなるってんだ。お前一人残して生き延びて……隊長にどんな顔して会えってんだよ」
“恰好などつけていない”。ジェイクの言葉を遮るように、ガルドは珍しく強い調子で言葉を繋ぐ。
「俺の友人が惚れた女を死なすような派目になるのは、御免なだけだ」
「ガ、ガルド……」
予期せぬガルドの言葉に、ジェイクとミリィの頬に朱が浮かぶ。武骨なこの友人に、そんなことを悟られているとは思いもしなかった。
「ミリィ。隊長も良い漢だがな、コイツも悪くない。生き延びたら検討してやってくれ」
「まぁ――悪くはないんだけどね、だいぶ落ちる」
「オ、オイッ! てめえら!」
酷い。二人の散々な言い様に、柄にもなく朱い頬のまま吠えるジェイクに、ミリィはあえてガルドの方を向いたまま、言葉を紡ぐ。
「――大切な“仲間”なんだ。いい加減に靡くようなことはしたくない。いい加減に応えられないくらいには、いい漢なんじゃないかってと思うからさ」
「フッ……何にしても、生き残らねば始まらんというわけか」
「お前もなっ!」
照れ隠しのように、ドンと、ガルドの胸を強く叩き、ジェイクは、三人は“五獣将”へと向き直る。
――その刹那、
「ヴォオオオオオオッ!」
剛腕一閃。
ヴェガンが投げ放った鉄球が、凶暴な軌跡とともに襲い掛かる!
「お喋りはもういいのか? “強化兵士”」
「――!」
そして、持前のスピードで鉄球をかわしたジェイクの背後に、ザンカールの影が踊り、強烈な蹴撃がジェイクの体を跳ね飛ばす。
(クソッ……! やっぱり野郎のほうが速え!)
「ジェイク……!」
銀鴉にも遥かに及ばなかったのだ。
当然の結果ともいえる。
だが、地面に叩きつけられ、現在、敵に晒してしまっている”隙”と、敵が向ける”殺意”は、あの時よりもさらに、絶望的だ。そして、
「ヌッ――!?」
予期せぬ”衝撃”がザンカールを襲い、紫の異貌が瓦礫の中へと叩き込まれる。
「ナッ……?」
「グッ…オオオオ…?」
それは“幸運”か、あるいは“災厄”か。
ザンカールに生じた“異変”を察知し、巨躯を突進させんとしたヴェガンも、その腕を何者かに掴まれ、動きを封じられている。
剛力自慢のヴェガンの力すら片腕で封じる者。
それは、両肩と胸に三頭犬の頭部を抱き、二本角を持つ凶相の仮面を纏う異形。
「 “黒を付き従える者”――だと!?」
――“骸鬼”。響がそう呼んだ、名乗った異形であった。
いや、正確には頭部の形状と、体色がわずかに異なっている。体色は、黒よりも灰に近く、頭部は側面に蝙蝠のような生物を嵌め込み、無理やり再現したような歪さがあった。壊音の不定形さ、変幻自在な特性を思えば、些細な差異かもしれないが――、
「隊長……?」
「――――」
ミリィの声に、骸鬼の異形は応えない。
ヴェガンの腕を掴んだまま、沈黙している。
だが、その異形が醸し出す気配は、見る者の胸に湧き上がる感情は、“不穏”であり、“不安”であった。
「ドォ…ドケェェェェッ!」
「――!」
ヴェガンの腰部鎧装から閃光が迸り、密着状態にある骸鬼の異形へと膨大な熱量と光量を浴びせる。しかし、
(フフッ……面白い“機能”だね)
寸前で宙へと舞い上がり、難を逃れた異形は、空中でクルリと回転し、ヴェガンの脊髄の辺りへとその肘、“黒獣刺”を叩き込む。
いや、黒よりも灰に近いその体色を考慮すれば、“灰獣刺”と呼ぶべきか。
「グッ……オオ……」
痛烈なる急所への一撃に、ヴェガンの巨体が片膝を付く。
着地と同時に、異形は人差し指と中指をクイクイと動かし、残る二体を“挑発”する。
「や、野郎っ! 舞い戻りやがったか!」
ザンカールの両腕の刃が月光を吸い、妖艶に煌めく。
紫の異貌から発散される殺気は、知覚するだけで切り裂かれそうな程に、鋭い。
常人には、いや、“強化兵士”であるジェイク達にも、視覚することすら敵わぬ速度で異形へと斬りかかったザンカールではあるが、その刃は空を斬り、生じた真空刃が近隣の建造物をバターのように切断してゆく。
(フフ……何処を見ているんだい?)
「――!?」
いつの間にか、ザンカールの背後に立っていた異形へ刃が躍動するが、異形の気配は夢幻のように霧散していた。
――馬鹿な、自らの六つの目は飾りではない。
これは“醒石”によって強化・増幅された知覚・五感を脳内に迅速に伝えるためのもの。己のスピード・駆動に耐えうる視覚を与えるためのもの。
それが標的を見失うなど在り得ない。
まさか、あの隻眼の娘の得手のように知覚を攪乱されたとでもいうのか――?
(ご明察。腕だけでなく、頭も“切れる”みたいだねぇ)
「――!」
刹那、知覚に頼らず、戦闘者としての勘のみで振り抜いた刃が、標的を捉える。
だが、それを受け止めたものは、
「俺の――腕だと!?」
寸分違わず、己と同じ形状・意匠を持つ腕と、刃であった。
対峙する異形の腕は、いまやザンカールのものと同様のものへと変貌し、鍔迫り合っていた。
ザンカールの刃は”高周波振動発生”機能を有した振動剣である。
それは、超高速の振動によって、あらゆる物体を切断する。
その力を、耳を劈くような高音とともに相殺・無効化している事も考えれば、その振動剣の”機能”自体も完全に複製されていると考えていい――。
「成程、素敵な異能だね。コイツは使い勝手が良さそうだ」
異形の喉から、いまようやく明確な声が響いた。そして、異形の三頭犬の口内から閃光が弾ける。膨大な熱と光が密着するザンカールを襲うが、ザンカールの異貌と刃はその光を反射し、熱を周囲へと拡散させる――!
「コ、コレはヴェガンの……ッ!?」
「へぇ……各部に埋め込まれた刃と派手な色彩は、こういった兵装への対策も兼ねてるわけか。互いを“抑止”するという意味でも、良く出来ているね」
異形の、灰色の骸鬼――“灰鬼”とでも呼ぶべき存在の口から、饒舌な感想が漏れる。
明らかに響の声ではない。
「おっと!」
苦闘するザンカールの支援に放たれた“重力操作”による一撃が、“灰鬼”の居た空間を襲い、ザンカールをラズフリートの傍らへと引き寄せる。
当然のようにかわしながらも、“灰鬼”は汗を拭うような仕草とともに、嘆息する。
「その力――厄介だな。いや、それもその大仰な両肩に隠してるものの、副産物なのかな?」
「………」
己の両肩の装甲“禁断の匣に秘匿された異能、それを看破したがごとき、“灰鬼”の物言いに、“五獣将”の長、ラズフリートの鎧装から滲み出る殺気がより硬質化する。
「何者だ、貴様」
「あー聞いちゃう? 面倒臭い組織内で問題にならないよーに、“黒を付き従える者”の物真似までしたってのにさ」
頬を掻く仕草とともに、“灰鬼”はその姿を、本来のそれへと戻す。
「未知なる亡霊――七罪機関はそう呼んでいたよ」
シャピロ・ギニアス。
“百万の奇蹟”の異名を持つ魔法使い。
“女王の誇り“の一員にして、七体の人柱実験体の内の一体。
彼の目的、口許に浮かぶ微笑の意味は何か――。
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