第02話 足掻く者たち
#2
「フフフ……醜く足掻くものですね、弱者。こちらとしても、策という姑息を弄する、バラ撒く甲斐があるというものです」
己の“提案”に対する、街の住民達の反応を感知し、ドクトル・サウザンドは優雅な、だが、どこか下卑た笑みを、左半分を機械化した異形の美貌のなかに浮かべていた。
――愚かな事だ。あれらが散らばれば散らばるほど、“救世主”が護る、護らなくてはならぬ対象は多くなる。
そう、互いの“善意”が茨の刺のように、互いに喰い込み、縛るのだ。
その様を想像したサウザンドの口元が愉悦に歪む。
「そして、私の指示で動きながら、私の知りえぬ情報を所持していたジャック・ブローズ。なるほど、“貴方”の関与は“決定的”というわけだ。業腹ですが、認めざるを得ませんネェ」
サウザンドの機械化された鉄の掌、その爪が壁に叩きつけられ、散った火花が闇を彩る。
「嗤ってみせますよ。最後に、この私が」
紡がれるその声は、屈辱に震えているようにも、悦びに震えているようにも聴こえた。
×××
「ミリィ……」
響の声が粉塵に塗れた大気を震わせ、その声に凛とした眼差しが頷く。
彼を下がらせるようにして、絶大なる異能を秘めた五体の超醒獣兵の前に立ちふさがった、隻眼の乙女は、知覚強化端子から放たれる蒼白い光で全身を包みながら、一本のみとなった“痛みに喘ぐ双児”を構えていた。
「ほう、“魔法使い”か。華奢な体、身体能力。我等の前に立つには、力不足――と言いたいが、ジャック・ブローズとの戦闘を見る限り、そうも言い切れんようだな」
「……!」
ラズフリートの竜の眼が、ミリィの挙動・所作を凝視し、その喉が結論を吐き出す。
恐らく戦端が開かれた頃から、この五人は戦況を監視し、分析していたのだろう。
彼等はプロッフェッショナルだ。彼らには“油断”も“慢心“もない。
「その“左眼”、俺達、超醒獣兵には効果絶大らしいなぁ。綺麗な顔だ。いい女じゃないか、見つめられないってのは惜しいぜ」
“切り刻む”のも惜しい。ラズフリートの隣に立つザンカールが続け、両腕の刃を火打ち石のように打ち合せる。散る火花は散らされる花びらのように、見る者の視覚に刻み込まれる――。
「ムッカァ☆ ザンカール! アンタ、アタシよりあんなのがキュートだっていうわけぇ!?」
そう吐き捨てたのはアーロウ。
“五獣将”の紅一点である紅紫色の超醒獣兵。
女性らしく丸みをおびたボディラインではあるが、両肩には砲門と思しき不穏な球体が武装されており、おびただしい醒石のエネルギーがそこに集中しているのを、ミリィの知覚強化端子は確かに視ていた。
遠距離からの砲撃型であろうか。集積しているエネルギー量から見て、その破壊力が銀鴉の“忌銀の砲門”を遥かに凌駕するであろうことは想像に難くない。
「安心しろ、お前も美人だ」
「あらん♪ うれしいよぉ、ボス」
特に感情の籠らぬ声で宥めたラズフリートの腕にアーロウが組み付く。
(こいつらは……)
ジャックのような、戦闘衝動に溺れ、人格を破綻させるような“強化兵士”ではない。恐らく、超醒獣兵へと精練される前は、真っ当な人間であったのだろう。
傭兵くずれか、あるいは元軍人か。
どちらにせよ、彼等は衝動ではなく、意志で動く。
任務を全うするという“鉄の意志“で。
響が足を止めている間、不必要に攻撃を仕掛けてこない事からそれは伺える。
彼等の目的は、任務は、響をここに釘付けにすること。
響が動かない限り、彼等もまた動く必要はないという事か。
「察したか。利口な、聡明な男のようだな。だからこそ、そのような怪物も制御、鎧醒までも可能としたか。――“黒を付き従える者”、これ程、年月を経て“完成”するとは、七罪機関も想定していなかっただろう」
「……詳しいな。貴様も関係者か」
響のかけた“カマ“に鼻をならし、ラズフリートは言葉を続ける。
「七罪機関に関わりなどない。だが、俺も知り得るほど、お前の異能は、天敵種としての機能は“有名”なのだ」
ラズフリートの獣醒した指が響を、その内を這い回る黒々とした獣を指し示す。
「醒石喰い、“神を喰らう獣”と呼ばれる特性はな」
「クッ……」
確かに五獣将は強敵、突破し難い壁である。
だが、それ以上に、響の足を止める“迷い”も確かに存在する。
……予測できないのだ。自分が、自分という存在が、彼女の前に立った時、どうなってしまうのか。自分が、内なる壊音が行った、ジャック・ブローズに対しての暴虐は――。
(どうすればいい、どうすれば……!)
握り締めた拳、噛み締めた唇に血が滲む。だが、その傷跡も醒石を喰らい“満たされた”壊音によって瞬時に癒される。響に、“人間から遠い存在”となってしまった己自身を示すように。
「……迷ってるんですか?」
「……!」
そして、疑念という闇の中を彷徨する響の意識に、鈴の音のような優しい声音が響く。
「貴方がいま望むことは何ですか? 貴方の知る彼女は……どんな女性ですか」
「ミリィ……」
振り返り、響を見つめるミリィの眼差しには、硬い“意志”があった。揺るがぬ、硬い“決意”が。
「サファイアさんはいま、あの機械仕掛けの男が言っていたように、この事態の中心にいる。私も戦いの中、確かにそんなイメージを感知しました」
空間を浮遊し、自分達の傷を癒した赤の光。
あの光を解析し、導き出した彼女の姿。いまも脳裏にハッキリと焼き付いている。
「私の知るサファイアさんなら、そんなチカラを自分の為には使えない。そんなサファイアさんがそんなチカラを手にしてしまったら、あんなイメージを見せられてしまったら」
「……!」
そうだ、そんなことになれば、アイツは、きっと一人――、
「一人で、あの連中に挑んでしまう。一人で背負込んでしまう。違いますか?」
「……そうだな。アイツは、いつもそうだ。人に無茶をするな、抱え込むなと言って、自分は人一倍――」
そう呟いて、響の中で想いが、愛しさが弾けた。
そんな彼女が愛しくて仕方がなかった。腹立たしくすらあった。
そうだ、単純な事だ。
俺は、アイツに会いたい。アイツを――、
「もう一度、聞きます。貴方がいま、望むことはなんですか?」
「決まっている。アイツを助ける。……そうだな、最初から決まっている。俺は最初からアイツを傷つけることを恐れて、避けて、ジェイクの奴にどやされて、こんな怪物になって護ってやるって爺さんに誓って……」
響が見つめた掌に、内なる獣、ゲル状の魔獣、“壊音”が溢れる。
「“壊音”も言っていた。俺を喰らってみろと。喰ってやるさ。俺は俺のまま、アイツを護って、助けてみせる」
壊音の嗤う声が聞こえた気がした。そうだ。コイツは、俺の七転八倒を愉しむ。この足掻きも、奴の“望むところ”か。そして、
「ええ、それでこそ――私の愛する人です」
「……なっ?」
自らの言葉に呆気にとられ、言葉を失った響の頬に、そっとミリィはくちづける。
「んまぁ♡」
アーロウが浮かれた声を出し、五獣将は次なる“彼等”の行動を予測し、その異貌に“醒石”の力を漲らせる。
「――行ってください。ここは私が食い止めます。彼等も言っていたでしょう。私の力は、彼等に有効だと」
ミリィは力強く告げると、響へと背を向け、五獣将へ鋭い視線を送る。
「 “彼女”との決着はそれからです」
「ミリィ、お前……」
冗談ではない。ここに残るということは――、
「ったく、信用ねえなぁ。二人足りねえってだけですよ、隊長」
「……!」
ジェイク。自らの右腕であり、ヴェノムの副長である男。彼の、不覚にも安堵を覚えさせる声と笑みが響の胸に、五感に響き渡る。
「ガタイはあちらのほうが良さそうですが、さして問題とは思えませんね」
ガルドも六腕巨塊を手に、不敵な笑みを浮かべていた。二人も響を下がらせるように、前へ出ると、威風堂々と五獣将の前に立ち塞がる。
「お前達……」
「行きなよ。自分の欲を貫くくらいの権利は、アンタにはもう十二分にあるんだぜ?」
ジェイクが告げた刹那、ラズフリートの掌から放たれた重力操作による一撃が、響達が“いた”場所を、そこに在る瓦礫を握り潰すかのように破壊する。反射的に飛び退いていなければ、四人ともグシャグシャに潰されていただろう。そして、
「……チッ」
脳内で壊音が何事かを囁く。
不快だが、それは極めて“有効”な事柄であった。
「――包み、喰らえっ! “壊音”ッ!」
響が投げ放つようにして飛ばした“壊音”のゲルが、近くに在った建物の残骸を破砕し、その下に眠っていた一台のオートバイを包み込む。
その途端、オートバイの形状は鋭く、禍々しい形へと変貌する。
“鬼夜叉”。般若面に酷似した凶相を車体の先頭に抱いた、骸鬼の鎧装とよく似た意匠を持つその漆黒のバイクは爆音とともに、主である響の元へと疾駆する。
跳躍した響の体がその機体へと降り、握ったスロットルからマシンの鼓動が響に伝わる。
「お前ら……」
成すべきことに既に迷いはない。だが、未練はある。だから、
「――無様でいい。姑息でいい。生きろ! 必ず、俺にまた、そのしみったれた顔を見せろ! 俺がチームを組む人間は、お前達以外いないんだからな――兄妹」
響は叫んだ。
戦友達は言葉では応えなかった。
信じて走り出せ。
そう表情で伝えていた。
「いかせると思うか、ダボがッ!」
「はああっ!」
ミリィの知覚強化端子から迸る光。目を晦ませるほどの眩いそれが、醒石を通じて五獣将の知覚を狂わせる。響が“鬼夜叉”とともに疾走を開始するには、充分過ぎる“隙”であった。
「ふえぇ☆ はっ!?」
そして、その隙に“鬼夜叉”を駆る響の脚が、アーロウの顔面を激しく蹴り飛ばしていた。瓦礫を撒き散らしながら地面を転げまわったアーロウの肩がわなわなと震え、激情がその眼をギラつかせる。
「てめえええ、よくも乙女の顔を足蹴にぃぃぃっ!」
「………」
激昂したアーロウと、寡黙なる五獣将、最後の一体――ティターンがムササビの如き翼を広げ、響の追跡を開始する。
五獣将を分断し、部下達の負担を削ぐ。そんな響の意図を読み、ラズフリートは低く嗤う。
「フッ……良い男だな。任務としては失敗だが、その気概嫌いではない。ジャッジメント・シックスへの良い牽制になるやもしれんしな」
恐らく響は、脳内に送信されたルート情報を元に疾走を開始しているのだろう。ならば、行き先は知れている。どうするかは、後は連中の仕事だ。
「三対三、決闘には相応しい状況だな。一般市民も避難を完了したようだ」
「……!」
少年達親子は密にジェイク達がはっぱをかけ、避難を開始していた。
このラズフリートという男は、それを知っていて見逃したというのか。
「気骨あるものと合いまみえる機会もそうはないのでな……。その気概、覚悟、味合せてもらうぞ」
この男は根っからの“戦士”だ。戦闘衝動ではなく、誇りと信念を持って戦闘に臨む“戦士”なのだ。
いま、彼は、彼等はミリィ達の覚悟に応えるべく、ここに立っている――。
「へっ……こりゃ恰好つけすぎたんじゃねぇか、ミリィ」
「……逃げてもいいんだぞ。お前自慢の早足で」
肩を竦めるようにして、お道化てみせるジェイクに、ミリィは笑み、構えた鉈の柄で彼の脚を小突いてみせる。
「――ふっ、お互い、道連れを選べんのは辛いものだな。俺には充分すぎるが」
ガルドの言葉に二人とも異論はない。
冗談を絡ませながら、三人の“猛毒”は死地へ向かう。
三体の超醒獣兵と三人の強化兵士の戦意。覚悟。
それがいま、街路を疾走し、ぶつかり合う。
そして、
あらゆる者の目の届かぬ超常の果て。
この街の誰もが知る、誰もが行き来した場所でありながら、いまや、誰も目視できず、誰も立ち入れない“異界”と化した空間。
そこに、創世石の“鎧醒”がおこなわれた屑鉄置き場に程近い廃屋に、彼は、彼女はいた。
「姉ちゃん……」
ロクに灯りもない部屋の隅で膝を抱えながら、彼は、アル・ホワイトは冷たい床の上で眠り続ける姉の姿を見つめていた。
サファイア・モルゲン。
彼女の瞳がいま、静かに――、
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