第17話 悪夢
「奇比…何だヨ――手前」
死闘は終わりを告げ、“人間の容貌を取り戻した”二体――二人は、崩れ砕けた建造物の残骸の前で、鋭利な視線を交差させていた。
骸鬼によって与えられた損傷は、超醒獣兵――醒石の回復力でも補いきれるものではなく、四肢を失った達磨の様な状態で、ジャック・ブローズは、眼前に立つ響=ムラサメの姿を眺めていた。
銀鴉の異形と四肢を失い、元の“強化兵士”の容姿となったジャックの姿は弱々しくもあったが、それでいてもなお“生命を維持している”という点で、充分に驚嘆、驚異に値する生命であると言える。
骸鬼への“鎧醒”を解除した響は、縛鎖から刀剣の形状を取り戻した村雨を、ジャックへの喉元へと突きつけ、その鋭い眼光を尖らせていた。
その端正な顔立ちはいまだゲルに張り付かれてはいたが、その面積はあきらかに減っていた。
体内の“壊音”を“骸鬼”として制御した事で、人間としての体組織が再生、活性化を始めたのかもしれない。そんな響の貌に、ジャックは唾を吐きかける。
「中途半端な野郎だ。トンデモネェ怪物に成り病がったと思え馬、俺ヲ、殺蹉ネェのカヨ……」
「――お前にはまだ用がある。お前がこの馬鹿騒ぎの首謀者ってわけじゃないだろう」
己の頬を流れる唾を拭いもせず、響は握る村雨の柄に、力を込める。
村雨の刃がジャックの首筋、肌に触れ、裂けた皮膚から緑と赤の混じった体液が流れ落ちる。
「九九九……拷問でもするつもりか? 第一、何を聞き出すつもりだよ。首謀者、組織の事を聞き出したところで手前に理解できるとは思えないが名ァ」
「……“壊音”の使い方はだいぶ覚えた。お前の神経一本一本に潜り込ませて、掻き毟ってやっても、引き千切ってやってもいい。お前の再生能力を考えれば、苦痛が永遠に続く……さぞや愉しい時間になるだろうな」
表情も変えず淡々と告げる青年に、ジャックの内腑にヒヤリとした感覚が走る。
「これだけの事をしてくれたんだ。貴様等には、代価を支払ってもらう。――俺が理解する必要はない。何処に居て、何処からこの悪趣味な騒ぎを眺めてやがるのか吐けば、それでいい。俺が乗り込んで、俺という“猛毒”を喉に流し込んでやる。一人残らずこの街に来たことを万回悔やむほどの“恐怖”を、“絶望”をくれてやる」
凶相の仮面に覆われていた時以上に壮烈な、響の眼光が、意志が、自らの内臓のなかを蠢いているかのようだった。ジャックは唾を飲み込み、”重圧”という名の吐き気を噛み殺す。
そして、その響の瞳に宿るのは、憎悪や憤怒のみではない。
ジャックに解せずとも、状況を見守る保安組織の隊員達、救われた少女、親子には解る。
彼の瞳に宿る最たる感情は、燃え盛る街への、帰らぬ人々への悲しみ、悔恨、滾るような“慈愛”である。それは、今は亡き、響達が父と慕う男の瞳に宿っていたものに、よく似ている。
「俺達は煌都に選抜されていた。それは、お前が殺したホワイト夫妻と長が繋いでくれた道。
――煌都は俺達の返事を待っている可能性もある。そんな街から長時間、連絡が途絶えたら、煌都の連中も、“少しは妙に”思うだろうな。お前の言う組織とやらの詳細も、出自も、遅れて出張ってくる連中に任せればいい。お前には、奴等が来るまで道案内をしてもらう。首謀者どもが落ちる地獄へと続く、その道程のな」
ジャックへと、一歩踏み出した響の影が一瞬、三頭犬をその身に宿す異形の鬼へと変貌する。
「この街の人間を護るためなら、神だろうが、なんだろうが、喰らってやる――俺のこの異能はその為に、在る」
「隊長……」
目に余る、漆黒の異形を内に抱えながらも、響という人間は何も変わっていない。変わった点があるとすれば、その繊細さを覆い隠すだけだった痛々しいまでの“強さ”を、その繊細さが確かに制御し、いまは我が物としている、という点だろうか。
部下達の心に、もはや不安も、畏れもない。だが、
「ククク……おもしれえ、おもしれえぜ、お前。――“神を喰らう獣”か。なるほど、わざわざ精神感応物質なんぞを使ってたわけがようやく飲み込めたぜ」
「何……?」
だが、ジャックの声はこの後に及んで、不穏に、愉しげに空気を震わせる。
「お前が使うにゃ醒石の贋作でなきゃならなかったわけだ。超醒獣兵の異能が通じねえのも納得だ。面白い趣向だ。“適正者”の男が“天敵種”。いや、だからこそあの女が選ばれたのか――」
「貴様、何を言っている……?」
ジャックの言葉に、響の表情が怪訝に歪む。
「クハハハハ、残念だなお前――お前が成っちまったモンは!」
(――まったく何処までも甘いヤツだ)
「何……?」
突如、内側から響いた声に、響の理性が惑いを覚えた瞬間、
「犧、犧アアァァぁぁッ!?」
ジャックの苦悶が、喘ぎが、周囲の空気を、景色の色を一変させる。
瞬きすら許されぬ間に、響も意図せぬ一瞬の時に、三頭犬の形を成した“壊音”がジャックへと喰らいつき、その肉を、その肉に埋め込まれた“醒石”を貪り食っていた。
「なっ……何をしてるッ!? お前――」
(感謝してるぜ兄弟。我にこの“口”を与えてくれた事をナァ)
宿主の戸惑いを余所に、内なる“壊音”は愉悦に歪む下卑た声音を、響の精神へと響かせる。
(不定形な我に、お前が確かなカタチ、成熟した一個の形態を与えてくれた事で、我の機能は完全に解放された。コレを喰らい、消化するには、宿主との一体化。“骸鬼”への鎧醒が段階として必要だったからナァ……)
続く暴虐。ヴェノムの隊員達は言葉を失い、少女は表情を凍りつかせ、少年はただ嘔吐した。母親は子供達の目を暴虐から庇うように、二人の子を強く抱きしめる。
「やめろ……やめろッ!」
響の顔に張り付いていたゲルが引き、満身創痍だったはずの肉体の傷が、凄まじい速度で再生してゆく。
――恐るべき“美味”であった。これを喰らうために生まれてきたのだと、本能が咆哮するような、禍々しい美味。
それは芳醇で、甘く、口内の味覚でなく、全身の五感で味わう、“捕食”であった。
だが、その事実が響の臓腑に吐き気を催させる。
これでは、人間を喰らって悦ぶ魔獣の有様である。
違う。自分がなったものは、人間を喰らうものでなく、人間を護る――、
「碑簸簸……人間を護る存在、か。人知を超えた“神”を殺し、人類を万物の頂点に置くって意味じゃあ、その通りかもなぁ」
「――!」
「醒石と、醒石と繋がった者の肉を糧とする“天敵種”。“畏敬の赤”を打倒・殲滅するために七罪機関が産み出した最悪の失敗作。“神を喰らう獣”。へ、へへ……お目にかかれて光栄ってヤツだぜ」
思考が現実に追いつかない。
衝撃の余り片膝を付く響とその肉を繋いだ三頭犬は、醒石をガリガリと噛み砕きながら、食事の余韻に浸っている。
暴虐から解放されたジャックは、埋め込まれていた醒石を失ってもなお不敵に嗤い、言葉を投げていた。しかし、
「お、おい、待てよ……。何で、手前らが」
「………?」
その表情が凍りつき、蒼白となる。
響の五感も何かを感知する。これは――、
「ま、待てっつってんだろ! 俺は、俺はあの方の――」
次の刹那、四肢を失い、動けぬはずのジャックの肉体が宙を舞い、空へと落ちてゆく。
「ぎ、ぎゃあああああああああああ!?」
「―――!?」
そして、遥か上空で静止したジャックの体は、見えない掌に捕縛されたかのように軋み、崩れ出す。
重力制御。この場にいる誰のものでもない異能が、ジャックをいま捕獲し、握りつぶそうとしていた。
「クッ――!」
反射的に響がジャックへと腕を伸ばした瞬間、ジャックの肉体は握り潰され、破裂するボールのように挽肉へとその姿を変えていた。その飛沫が、響の頬を濡らす。
一瞬の出来事であった。
“何かがいる”。五感が訴えるその先に、響が目線を送ると、燃え盛る建造物の屋上に立つ、“賊”達の姿が視界に溢れる。
それは、漆黒のラバースーツのようなものに身を包んだ、五人の男女であった。
――当然のように、そのラバースーツには逆十字の紋章が刻まれている。
「貴様等は……」
聞こえるはずもない距離にいる彼等に対し、響は呟く。だが、五人の中心に立つ巨漢は、確かにその声を聞き取り、応える。
「超醒獣兵、五獣将」
「何……?」
ジャックと同様に、いやそれ以上に体内に醒石を埋め込んだ“五獣将”達は、闘気漲る獰猛な笑みとともに言葉を紡ぐ。
「我らの目的は、お前がいま喰らった醒石の上位種にして、この惑星の核たる“創世石”と、その適正者の確保」
「創世石、だと……?」
「見るがいい」
巨漢が空を指差したその瞬間、夜の闇に異変が起きた。
朱い、朱く毒々しい光が夜空に溢れ、やがて一つの映像を映し出す。
その巨大なスクリーンに映し出された、虚空に映し出された映像に、響は息を飲む。
「これが我らの求める“適正者”の姿だ」
それは、畏敬を喚起させる“赤”の石を手にした少女の姿であった。
響のよく知る、あの少女の姿であった。
(非常食や保存食だけじゃあ餓死だ…)
非常食、それは、
(精神感応物質なんて醒石の贋作に過ぎねえって――)
本来の食料たる醒石、その模造品である精神感応物質=村雨。
それが増幅させた、自らの戦闘衝動。
(お前が喰らった醒石の上位種、創世石)
それを手にしたのがいま、虚空に映し出されている――
(醒石と、醒石と繋がった者の肉を糧とする“天敵種”)
そして、それを喰らうのは、
(面白いノサ、貴様の七転八倒は――)
「ク…ア…オオオオォォォォォ―――ッ!」
響の喉から、呪いの叫びが、残虐なる運命への叫びが轟く。
「サファイア、さん……」
ミリィの掠れた声が紡ぐように、響の愛する少女の姿がいま虚空に在った。
創世石。人柱実験体。“畏敬の赤”。
血に染まり、焔に包まれる舞台に役者は揃う。
そして、その決戦の幕がいま、静かに上がろうとしていた。
第二章 愚者達の饗宴―Triger of Crisis― 了 NEXT⇒第三章 決戦―Count Zero―