第01話 豊穣なる日々Ⅰ
#1
(……隊長、目標は三軒先の路地を逃走中です。どうやら大通りにでるつもりのようです)
“精神に直接響く”部下の報告に頷きながら、まるで紅茶の葉のように色あせ、古ぼけた、建造物の屋上で、男は街の路地を、そこを往来する人々を騒がせる一つの事象を冷たく照準していた。
風が金色の髪を微かに揺らす。バンダナの下の傷痕が疼く。どんな些細な事件であっても、己が能力を使う時、必ず、この傷痕は疼き、彼を駆り立てる。
“潰セ、壊セ、破壊シロ――殺セ犯セ殺セ犯セ殺セ犯セ!!!”
脳裏に響きわたる内なる咆哮。紅く染め上げられたコートを思わせる戦闘服。“大切な人”から贈られた黒のバンダナの下に彼は、それらの全ての衝動を押し込める。
その瞳に映るのは、お世辞にも美しいとは呼べない、薄汚れた街並みである。この街に景観を娯楽とするような、洒落た、小奇麗な建物など一つもない。
どれも、粗悪な材質のせいでいまにも崩れ落ちそうな様相を呈している。だが、それでも、それでも――護るべき人の営みが紡がれる、大切な場所だ。
男は握っていた手を開き、一呼吸する。暴発寸前だった衝動が必要最低限の力となって、その全身に満ちる。
(はぁはぁ……なんだよ、なんなんだよぉぉぉっ!)
十メートル以上の高さを持つ建造物の上にあっても、彼の聴覚は正確に路地を疾走する標的の呼吸、靴音、罵詈雑言を捕らえていた。正確な距離にすれば、二百メートル以上は離れている。だが、彼にはそれが可能だった。
何故か? それは彼が普通ではないから――正常な人間ではないから、だ。
迷路のような裏路地に入り、追跡から逃れようとする標的を追い詰めるべく、彼は建造物から建造物へと一跳びで跳躍する。どんなに広い通りが両者の間を隔てていようとも、相手がこの街のど
んな場所に抜け出ようとも、彼の肉体は正確にそれを追跡する。
どんな道筋も、路地も無視して縦横無尽に街を駆け巡る。――そして、追い詰める。確実に。
「……行き止まりだ。この先は、な」
「……!」
自分たちの壁であり、盾となる群集の多い大通りへと辿り着いた標的たちの前に彼――響=ムラサメは舞い降りた。
標的であった少年たちは、自分たちが裏路地を使い、大きくショートカットしたはずの通りを、建造物から建造物へ、次々に飛び移るという荒業で追跡してきたこの男に目を剥く。その手には、少年には――十二~十六歳の彼等には似つかわしくない無骨な銃器が握られている……。
「化け物……“化け物”響ッ!」
「――“魔獣”、もしくは“骸鬼”だ。正しい個体識別名は」
ただ冷たく言い放つその声には自嘲するような響きもあった。
“化け物”、“魔獣”、“骸鬼”。どれも相応しいとは思えないような端正な顔立ちが、鋭利な眼光とともに標的……被疑者である少年たちを見据えていた。
ただ、彼が放つ重圧、殺気と呼べるだけの獰猛な気配は、彼が持つ異名、彼が口にした個体識別名に相応しい、いや、それ以上といえるものであった。
そして、彼の常人のそれから大きく逸脱した五感が少年の手にした銃器の咆哮――その兆候を察知する。微かな空気の流れ、少年の呼吸、その乱れが響にこれから起きる事象を、まるで予知や予言のように雄弁に語りかける。
――パン!
その刹那、ひどく渇いた、何かが破裂したような音が空気を切り裂いた。大通りの群集から悲鳴と驚愕の息が漏れる。
「……何故、そんなものを持ってる。パパやママが買ってくれる玩具はもう少し可愛げがあるはずだ。自治区の外でいけない友人から貰ったのか? 初回はサービス。次回からは街から食料と金とほんの少しの情報を持ってくるだけでいい。なるほど、おいしい取引だ。お前らの一時のお愉しみのためにこの街は滅びるがな」
そして、響は瞬時に“黒々としたゲル状の何か”に覆われた指と指の間に捉えた弾丸を少年たちの眼前に落とすと、何事もなかったかのように淡々と言葉を紡ぐ。
弾丸を受け止め、その発砲を造作もなく無効化してみせる。そんな眼前の異常なまでの“力”に少年たちは恐怖する。
「背伸びしたければ、自分に相応しい背伸びをするんだな。爪先を立てすぎれば、人は転ぶ」
「ユーシェンっ! ああっ……なんという事を……!」
少年の一人と顔見知りなのだろうか、年配の女性が響の背後で悲痛な声を漏らす。響の表情が微かに曇る。現場に“情”が混じるのは苦手だ。感情と“衝動”を押し殺して、事件と対峙する響にとって、己を縛る理性の縄がその情によって緩むのが――恐ろしいのだ。
「ユーシェン、お願いだよ、ユーシェン、そんな恐ろしい……」
「う…うるせえババアッ!」
瞬間、銃口が女性へと向けられていた。感情の暴発。銃口を向けた少年でさえも自分が何をしているかわかっていない。母親に銃を向けているなんて理解できていない。
過剰な感情が周囲に溢れ、響の研ぎ澄まされた五感を苛む。自分の内に潜む獣がその感情を餌にして、響自身を食い破りそうなほどに暴れだす。
(殺セ殺セ殺セ……)
黙れ…黙れ……!!
「黙れ……ッ!」
「――!?」
――カッ!
一瞬の出来事だった。響の背に携えられた“カタナ”と呼ばれる刀剣が鞘から引き抜かれ、その刀身の煌めきとともに、少年たちの手から一つ残らず銃器を弾き飛ばす。
“村雨”。響自身の姓と同じ名を持つ刃、否、存在理由そのものとして与えられたその刀剣、妖刀は響に訴えかける。貴様は所詮、俺と同じ――人殺しの刃そのものであると。
(ナニヲ躊躇ウ…ナニヲ恐レル)
……何故、獣としての本性を人の皮などに包む? 何故、その刃を心などという鞘に収めるのだ? 執拗に繰り返される、脳裏に繰り返し響くその問い掛けを響は刀を鍔鳴りとともに鞘に収めることで遮断する。
大戦時に開発された“禁断の刃”。使用者の精神と感応し、刃毀れも、錆つくこともなく殺し続ける忌避すべき血塗れの刃を。
「痛い……痛いぃぃぃ……」
「……そうだな。だが、それに撃たれればもっと痛いだろう」
その内で荒れ狂う葛藤――否、“破壊衝動”とは裏腹に、響は冷静そのものといった口調で言葉を繋いでゆく。銃器を弾き飛ばした村雨の一撃は、峰での一撃とはいえ、少年たちのヤワな肉体を破壊するには充分すぎた。
緩みかけた理性の紐で筋力を最大限に制御した状態でそれである。恐らく、腕が折れ、アバラ骨にも数本ヒビが入っている状態であろう。苦悶に喘ぐ少年たちを見据え、響は溜息にも似た言葉を吐き出す。
力を持つことの恐ろしさも、“力を捨て去ることができない痛み”も知らない、愚かしいまでの“若さ”に。
「自らが傷つく覚悟もなく……そんなものを振り回すな」
「て、てめぇ……やりすぎじゃねぇのかよッ!」
自らの一撃によって事態を収束させた、少年たちを圧倒した響に対し、大通りでこの捕り物を戦々恐々として見ていた街の人々から罵声が飛ぶ。
いつもの事である。
――“強化兵士”。人体を細胞レベルで改造・精煉され、人知を超えた戦闘能力を得た人間兵器。人でありながら人であることからはみ出した存在。
一介の自治区の保安組織には過ぎた自分たちの力。その行使には常に批判が付きまとう。大戦時に自分たちを苦しめた、人体精煉を受けた兵器としての人間――“強化兵士”。そんなものに守られる事が彼等にとっては我慢ならない。
いつ、自分たちに牙を剥くかもわからない、そんなものに守られるなんて――。
まして、いま、響が叩き伏せたのは街の人間、この街で育った子供たちである。
響たち――保安組織『VENOM』に対する嫌悪、強化兵士に対する憎悪が弾けてしまったとしても不思議はない。むしろ、当然の感情である。
「悪いな……だが、これが俺の仕事だ」
響は小さく呟き、後方から少年たちをそそのかした元凶、古風に言えば“盗賊”、内実のみを語れば、この自治区に戦後十数年をかけて蓄えられた実りを奪おうとする下衆な者たちを連行してくる自らの部下へと視線を移す。
『煌都』から遠く離れた、『煌都』の庇護を受けられない辺境においては、こうした下衆との攻防が日常の大半となる。
にもかかわらず、この街の人間たちが平穏に暮らしていられるのは、“強化兵士”である響たちがその絶大なる力で街を防護しているからだ。
だが、たったいま生命を救ったはずの少年の母親も非難するような視線を響に送っている。
そんな視線を受ける度に響は知るのである。“強化兵士”である自分たちが背負った、否――背負わされた“業”の重さを。
「おらおら、見世物じゃねーんだよ。散れ、散れ」
そして、威嚇するようなガラの悪い言葉で群衆を散らせたのは、その言葉が示すとおり実にガラの悪い男だった。真っ赤に染め上げた髪を強引に逆立たせた彼の名はジェイク・D・リー。保安組織『VENOM』に置いて、響の右腕を果たす――副隊長の任に就く男だ。
「この……“化け物”がッ!」
――グチャッ!
だが、ジェイクの威嚇にも屈しないのか、あるいはそれが火に油をそそいでしまったのか、一発の生卵が宙を舞い、響の頭を直撃する。
かわす事はできた。だが、響はあえてそれを受けた。その事実がジェイクの頭に血を昇らせる。
「てめえっ! ナニしてやがっ……」
「かまうな。お前はそいつらを牢に連れてゆけ。ミリィ、お前は子供たちを医者に。ガルド……お前は俺と事後処理だ」
「了解」
ミリィとガルドと呼ばれた二人の隊員は響の指示に短く応え、ジェイクを律するような視線を送る。その視線にジェイクは大げさに溜息を吐き、
「へいへい、了解しましたよ」
と、ボヤきながら賊を連行してゆく。ミリィ――左眼を眼帯で覆った、どこか幼さの残った顔をした愛らしい女性隊員は苦悶する少年達へと歩み寄り、周囲の人間に担架を持ってくるように指示を飛ばす。
響からガルドと呼ばれた男はその二メートルを越える山のような巨体を、隊長である響を守るように立ち塞がらせ、彼の隣を歩んで行く。
“一騎当千”に値する、嫌われ者の兵たちは自らの任を終え、大通りから去ろうとしていた。賞賛の声を、浴びることもなく――。
「兄ちゃーん! 響兄ちゃん!」
だが、
「……?」
ひどく澱んでしまった大通りの空気を吹き飛ばしてしまうような、快活な少年の声が立ち去ろうとする響を呼び止めた。
振り返った彼の瞳に息を切らして自分へと疾走する、無邪気な少年の姿が映る。
「アル……」
「大捕り物……だったみたいだね」
響へと駆け寄り、目をきらきらと輝かせる少年は呼吸を整えながら、少しずつ、言葉を加えてゆく。
アルの瞳には“強化兵士”への嫌悪も、恐怖もなく、響という男に対する憧れだけが煌めいていた。自分に接する、その無垢なる心に響は表情を柔らかなものとする。
厳しく強張っていた物憂げな表情にあたたかな、彼が本来持つ“青年としての表情”が浮かび上がっていた。アルが慕う強く、優しい兄のような彼の表情が。
「もう少しスマートに解決できればいいんだがな。……どうも、俺達は想像以上に不器用らしい」
「悪いことをするやつがいけないんだよ、響兄ちゃん達は悪くない! なのになんで……」
響の金色の髪を汚す生卵に気付いたアルは、憤りに満ちた瞳で周囲の群衆を睨む。純粋すぎるその怒りをなだめるように、響はアルの頭を撫でる。
そして、彼はアルが大事そうに背負ったリュックに視線を移し、彼の行き先と、その目的を把握する。
「アイツのとこにいくのか?」
「うん! ――その様子だと兄ちゃんは昨日も帰ってなさそうだね。あんまり放っておくと、姉ちゃんだって浮気ぐらいしちゃうかもしれないよ?」
「それは……困るな」
響は苦笑してみせると、それをすぐに優しい微笑みへと変え、静かに歩き出す。
「今日はなるべく帰れるよう努力する。そう、伝えておいてくれ」
「うん!」
元気良く応えて、アルは響とは逆の方向、彼女の家へと向かい駆け出していた。その姿に街の群衆は気圧されたように沈黙する。澱んだ街の空気のなか、純粋すぎる少年の在り様が眩しすぎるほど輝いていた。
#2
「おはよう、お嬢さん」
「おはようございます! ゼルウィンさん!」
道行く人々が彼女の姿を瞳に映すたび、なごやかな挨拶が、親しみの言葉が街路に響き渡り、その一つ、一つに彼女の爽やかな声が応えていた。大通りでの喧騒が嘘のように、穏やかな時間がこの空間には流れていた。
「買いすぎた……かナ?」
そして、抱えた紙袋いっぱいに詰め込まれた食料品を見て、その声の主……サファイア・モルゲンは照れ笑いにも似た苦笑を浮べていた。輝く太陽の下、彼女の赤い髪と、白い肌のコンストラストが健康的にきらめいている。
お店の主人であるベルドウィックさんに、たくさんおまけをしてもらえたというのもあるが、今日の買い物の量は当初の予定よりもかなり多めになってしまった。
(ううん、二人ぶんなんだもの、少ないくらいだよ!)
マイナス方面への思考をふきとばすように首をふるふると横に振り、サファイアは強く紙袋を抱きしめる。同居人は悲しいことに家にいる時間のほうが少ない。
よって、食事を共にする機会も当然少ない。昼食用のお弁当や夜食を差し入れることはあっても、作りたて、心づくしの手料理を味わってもらえることはいまやほとんど皆無に近かった。
家に二人分の食料はあるのに、だ。
だから、きっちり二人分、買うのはやめたほうがいいのかもしれない。そんなことを彼女は考えていたのだ。
(背負い込みすぎだよ、一人で!)
買いすぎと思えるだけ、食料が充実しているのも、女一人で街を出歩けるのも、すべて彼の、彼等の功績だ。なのに、その食料が彼の口に充分に入っていないのは納得がいかない。
もっとも、それは本人の問題でもあるのだけれど――。
(働いたぶんは……食べて欲しいよ)
サファイアはつぶやき、少しだけ目を伏せる。
そして――、
(ん……?)
――むに。
陽の光のように朗らかなその表情を暗くさせるような物思いにふけっていた彼女の胸に、妙な感覚が走る。心理的なものではない。もっと身体的な、なんというか――いやらしい感覚だ。
「あれ? また大きくなった? 響兄ちゃんに……揉まれた?」
「ひ……ひゃああああああああああっ!!?」
その感覚に気付いたサファイアの口から悲鳴とも言いがたいような、すっとんきょうな声が漏れる。まるで彼女の実の弟であるかのような親しさを感じさせる少年は、自分の手に残るやわらかな感触を確かめるように、ふにふにと指を動かす。
「うーむ、なんていうか……至高だよね。この揉み心地といい、大きさといい」
「にゃ、にゃにすんの! こんのエロがきぃっ!」
心底、感心したという様子の少年……アル・ホワイトに、サファイアは頬を紅潮させて吼える。
「ボ、ボクのおっぱいはそんな気安くさわったり揉んだりしていいもんじゃない! ていうか女の子にそんなことしちゃダメだっていつも言ってるでしょ!?」
サファイアの抗議にアルは舌をだして、笑んでみせる。ダメだ、コイツ…まったく、反省してない。サファイアの口から諦めにも似た溜息が漏れる。紅くなった頬をポリポリと掻き、彼女は負けてたまるかと言葉を続ける。
「そ、それに……揉まれたとかそんなんじゃなく、その、その……た、食べすぎただけだいっ!」
“彼”が家に帰らない寂しさもあって、少々、食事の量が増えたことは否定できない。でも、その分、運動はしていたし、そんなに増量したとは思わない。なのに、アルときたら、
「なんだ、肥えただけか」
と、簡単に言ってのけるのである。
「肥・え・て・なんかないっ! お腹のお肉も気にならないっ!」
吼えるサファイアに、そうかなぁ…? と、呟くと、アルはサファイアの服の下に手を入れ、お腹をつまんでみせる。あまりのことに、サファイアは悲鳴を上げ、食料を落としそうになってしまった。
「な、なんでキミはそう、ボクの胸とかお腹をためらいなく、さわるかなぁ」
「ガードが甘いんだよ。いくらこの街で一番強い男の彼女でも、油断大敵だ・ぜ」
「なにが、だ・ぜ、よ」
そう言ってサファイアはアルの頭をポカリと叩く。その屈託のない、仲睦まじい様子はまるで、本当の姉弟のようだった。無邪気すぎるほどに無邪気な弟の笑みにサファイアは“まったく…”と嘆息し、彼の栗色の髪を撫でる。そして――、
「ひょっとして……響に会った?」
「う……うん」
瞳に少し憂いを帯びた姉からの言葉に、アルは無邪気だったその表情を少しだけ曇らせる。
見抜かれた。そんな悔しさがそらした視線に滲み出ていた。
「通りのほうが騒がしかったから、もしかしてとは思ったんだけど……」
アルはうつむいていた。ぎゅっと握り締めた拳が彼の感情を伝えている。
――サファイアは知っている。アルが悪ふざけをするのは大抵、何か嫌なことが、辛いことがあった時だ。
知り合ってまだ一年くらいだけど、彼のひねくれているようで真っ直ぐな気質はよく理解しているつもりである。だから、サファイアは優しく微笑んだ。彼の憤りを、想いを受け止めるように。
「俺……許せないよ、響兄ちゃんたちにあんな……!」
「大丈夫! ボクも、響も大丈夫だから」
そう言ってサファイアはグッと力こぶ――といえるほどのものでもないが――をつくってみせる。
その力強い仕草と、可憐ともいえるその笑み、容姿の組み合わせはアルの瞳にまぶしく、輝いて映る。それが、何だか悔しかったので、また、お腹をつまんでやった。――殴られた。
「みんな響たちが一生懸命なのはわかってるよ。ただ、それを素直に認められないだけの理由が――アルが生まれるずっと前にあるんだよ」
サファイア自身、響たちを想うのと同じように――無論、彼に対する想いには一際、特別なものがあるだろうが――街の人々も愛している。彼らが戦時下で“強化兵士”にどんな目に合わされ、どれ程多くの悲しみを背負わされてきたのかも知っている。
それを拭えるだけの時間がまだ経過していない。響たちが多くの功績を残したとしても、強化兵士に対する恐怖や嫌悪を打ち砕くにはまだ、足りない。
彼等がこの自治区に生きる仲間として受け入れられるにはもう少しの時間と、辛抱が必要なのだ。
サファイアもまた、この街にきてまだ三年程しか経過していない。そんな自分でも街の人たちはよそもの扱いすることなく、親しく接してくれる。
そんな皆だから、響達のこともきっとわかってもらえる。サファイアはそう信じていた。ただ、少年の純粋すぎる感性にそれはまどろっこしく、勝手な大人の事情に思えるのだろう。
「それと……アポなしでキミがボクに会いにくるのは、なにか困ったことがあったときだよね? お父さんやお母さんには言えない、あるいは言って断られた何かがあるってとこかな?」
悪戯っぽく微笑み、からかうような姉の瞳がアルを見つめ、アルは目を伏せて頬を染めた。
言い当てられたことが悔しくて、微笑む姉の表情がまぶしくて、まともに顔を見ることができなかった。結局、自分がどんな悪戯をしても、姉より優位に立つことなどできないのだ。それが、やっぱり悔しい。
でも、だからこそ――、
「立ち話もなんだし、ウチに来る? もっともキミはお昼もいただいてゆく予定だろうけど?」
「三時のおやつも食べてあげるよ」
口のへらない弟に苦笑して、サファイアは愛用のミニバイク“エクスシア”へと向かう。後部に無理矢理取り付けた籠に、買い出しした食料を入れ、自分の後ろに乗るよう、アルへとうながす。――もっとも、うながすまでもなく、アルはエクスシアに跨っていたわけだが。
「じゃ、行くよ。しっかりつかまってて!」
自分のメットをアルの頭に被せ、サファイアはエクスシアを自宅へと向け走らせる。アルが今回、持ち込む相談事が何なのか、幾つかの想定を脳裏に組み立てながら――。
(まったく……可愛い弟だよ)
憂鬱だった彼女の心にいま、少しだけ爽やかな風が吹いていた。
NEXT⇒第二話 豊穣なる日々Ⅱ