第14話 血と焦燥と疑念とⅡ
「娑、娑、娑ァッ!」
チッ……! 腕の鎧装を鋭い長剣と化し、連続して放たれる銀鴉の刺突を、村雨で捌き、響は自らの状態へと思考を巡らせる。
(あの瞬間――)
そう――銀鴉と対峙した瞬間、体内でもう一人の自分が、決定的に変質した。
【喰ワセロ、喰ワセロ、喰ワセロ――!】
(クッ……!)
刺突に肩を抉られながらも、カウンター気味に銀鴉の腹部へ膝を突きたてた響は、身を転がすようにして、態勢を整えられるだけの距離をとる。
(クソッ――静まれッ!)
存在の奥底から突き上げてくるような、圧倒的な“空腹感”が、響すらも蝕み、侵す。
どういう訳かはわからない。だが、いま、奴は――“壊音”は飢えている。
何が喰いたい!? 憎悪か。憤怒か。嘆きか。
“村雨”によって、戦闘衝動や殺意を増幅した状態にあっても、“壊音”の飢えはとどまることを知らない。
肉から滲み出し、荒れ狂うゲル状の魔獣はいまや、周囲への意図せぬ攻撃は愚か、響自身の肉にも食らいつく有様であった。まるで、飢餓に咽る獣の狂態である。
響の殺意や、戦闘衝動では収まらず、より大きな何かを求めて、猛り狂っている。
「どう舌、どう舌ァッ! テメェの危険性はそんな門じゃネェ駄郎ッ!」
「クッ――」
響の右脚が、響を試すように、不用意に間合いを詰めた銀鴉の左胸に突き刺さったままの“痛みに喘ぐ双児”の柄を蹴り上げ、心臓ごと銀鴉の胸から肩口までを切り裂く。
勢い宙に舞い上がった“痛みに喘ぐ双児”を左手で掴み、二刀流となった響は二刀による剣撃の乱舞を、鋭利な斬撃を銀鴉へと叩き付け、再度、間合いを一定に保つ。
その一瞬の隙。
自らの意識を塗り潰してしまいそうなほどに飢える“壊音”を諌めるように、響は呼吸を整える。
「……心臓を損傷して、“問題なし”か。お前も、人間はとうに捨てているようだな……」
幾ら切り刻まれようと、もはや朱い血すらも流れない、その肉・内臓すらも水銀と同化してしまったかのような、銀鴉の様を眺めながら、響は思考を蝕む“飢え”を、少しずつ眼前の仇敵への戦意、“殺意”へと変換してゆく。
そして、その忌銀に全身を埋め尽くされた銀鴉の有様が、響に自らの状態を改めて認識させる。
数時間前の戦闘で負った深い損傷――それをいま、壊音が“補って”いる。
破損した体組織へと壊音が染み出し、壊音が体組織そのものとなることによって、響の身体能力、戦闘能力を異常なまでに高めているのだ。
“生物”として、いま自分が何と呼ばれるべきなのか、響自身にも、もはや定かではない。
そう、眼前の得も知れぬ怪物は、忌まわしい程に自らと同種なのだ。
「軍医の旦那に結構、イジられちまったからナァ。直属の上司じゃねぇってのに好き勝手してくれる是ェ、それもこれもブルーのオカマ野郎のせいだが名ァ――」
告げた銀鴉の胸の貌が、響ではない、何処かを見据える。
ブルー。
ホグランが、父が生命を奪われたあの時、現れた青の青年。
恐らくあの青年も、自分や銀鴉と同じ“人柱実験体”と呼ばれる存在なのだろう。
傷を負った状態だったとはいえ、一瞬で叩き伏せられた記憶は、父を護れなかった悔恨、敗北の屈辱とともに響の脳裏に刻み込まれている。
――そうだ。難敵は銀鴉のみならず、あの青年や、それを束ねるもの……組織を統べる連中が後ろに控えている。
「コォォォ――」
そのような戦況下で、もはや躊躇いも、惑いも許可できない。
滾る血潮とともに、響は飢える“壊音”を、己の筋肉に、神経に集中させてゆく。
喰らうなら俺を“残さず”喰らえ。俺の肉を。俺の怒り、憎悪を。
「濡ッ――!?」
瞬間、人間の視覚からは掻き消えた響の残像、その軌跡を、銀鴉の緑色の単眼が解析・追尾する。
全身から迸る異能に弾かれたように、響の肉体は宙へと舞い上がり、暴力的な軌跡を描きながら、銀鴉の視覚を攪乱していた。
槍状の触手と化していた銀鴉の翼が再度、二枚の翼へと変貌し、銀鴉は飛翔。
空中で両者は激突する。
響が方向転換に使う建造物の壁は、粉々に破壊され、響の脚力、筋力の増強の凄絶さを見る者に伝える。
逆手に持ち替えた村雨と、“痛みに喘ぐ双児”による連撃と、銀鴉の刃翼の交差によって飛び散る火花が、空中に花びらの如く、華麗に舞い散らされていた。そして、
「破唖―っ!」
村雨の柄ごと放たれた響の掌呈が銀鴉の顎を捉え、続け様放たれた踵落としが、銀鴉を燃え盛る民家へと墜落させる。
飛燕――咆虎。
それは、保安組織の副隊長であり、響の右腕であるジェイクの技である。
部下の借りを返すように放たれたそれは、銀鴉の脳を確実に揺らし、一瞬であれ、着実に銀鴉の意識を刈り取っていた。
「カァァ……」
着地した響の喉から漏れる唸りは、果たして、人間のそれだろうか。
見れば、着地した響の両腕、両脚を黒い鎧装が覆っている。
響の意志によって手足に集中した“壊音”が凝固し、鎧装と化しているのだ。
(ボクの家に一緒に住もう)
次第に変貌しつつある肉体と意識のなか、懐かしい映像が、記憶が、脳裏に響きわたる。
目に涙を貯めて、熟れた林檎のように頬を朱く染めて、肺のなかの空気を搾りだすようにして、一大決心を伝えてくれた彼女。そんな彼女に確か、自分は――、
「……馬鹿を言うな、か」
“猛獣の檻に入って自分で鍵を閉めるような真似はよせ”。
そんな言葉を投げかけた。
間違ってはいない。
“強化兵士“に、同棲と交際を同時に申し込む少女など、前代未聞だ。まして、自分は、人柱実験体などと呼ばれる怪物だったのだから尚更である。
けれど、頑なな意志も、人の温もりを求めながらそれに怯える弱さも、彼女の率直な想いの前ではまるで無力だった。
彼女の想いを阻むのに、この猛獣の檻の錠はあまりに脆すぎた。
その檻のなかで笑む彼女に、響は請う。
「オオオォォォォォ――ッ!」
――全てを捨てる“勇気”をくれ。
野獣の如く歯を剥き、四肢に黒い鎧装を纏わせた肉体が大地を蹴る。
焔のなかに飛び込んだ響の村雨と、“痛みに喘ぐ双児”が、銀鴉へと襲い掛かる。が、
「舐めンな、コノ飢鬼ィィィッ!!!」
迎え撃つ銀鴉の腕が響の喉笛を掴み、両肩の球状の器官が発光。再装填された、“忌銀の砲門”の灼熱が響へと叩き込まれる!
戦闘という享楽に耽っていた銀鴉の胸の貌に、憤怒の様相が加わり、怨嗟を込めて放たれた熱線が響の肉を、黒の鎧装を灼き、引き裂く――。
しかし、己の前に舞い散り、沸騰する自身の血も、肉片も意に介さず、響はなおも肉体を銀鴉へと躍動させる。
本能のみで放たれたかのような乱撃が銀鴉の“忌銀の翼槍”によって弾かれ、焔の外で再度、両者は“殺意“を交差させる。
「ハァァ……雄ォォッ!」
ガルドの手を離れ、街路に放り出されていた“六腕巨塊”の鎖を右脚の鎧装に絡めると、響は脚一本の増強された筋力で鉄塊を操り、銀鴉へと叩き付ける。
刹那、銀鴉を包むように防御態勢をとった“忌銀の翼槍”と“忌銀の魔爪”が鉄塊を弾き、その隙に突貫した響の“痛みに喘ぐ双児”が、精神感応物質が、防壁ごと銀鴉の腹肉を貫き、抉る。
ジェイクの技、ガルド、ミリィの得物、響の異能、それはヴェノムの力が渾然一体となった、“決着”を本能に確信させる、神経を痺れさせるような重い手応えを伴う一撃であった。
そう――相手が尋常の存在ならば。
「簸呬熬ィィィィィッ!」
銀鴉の肉に埋め込まれた醒石が輝き、“痛みに喘ぐ双児”に貫かれた腹部の肉を蠢かせる。
腹筋は忌銀と混ざり合い、凶悪な“牙”を形成し、己を差し貫いた鉈を噛み砕く。
銀鴉の臓腑や脂肪、筋肉は既に人類ではない、別種のものに変貌しつつあるのだろう。
刺し貫いた際に腕に伝わった手応えも、血肉などではなく限りなく“鉄”に近いそれだった。
「いいねぇ……滾る、滾るんだよぉ。最高に。手前の憎悪、俺の昂揚――混ぜ合わせて最高の、究極の饗宴を愉し妄是ェェェッ!」
腹部に構築された牙をガチガチと鳴らしながら、銀鴉は街路を蠢く水銀を独立した武装の如く浮遊させてゆく。“念動力”もこの男の武器なのか、短刀の如く形成された水銀は、響を包囲するように配置され、その肉を、生命を断たんと、鋭利な鋒をもたげる。
「斬っても裂いても無駄なら――」
繰り返し再生と強化を続けるこの銀鴉に、斬撃や細かな損傷は無意味に等しい。ならば、
「お前の生命を残さず、殴り潰す!」
黒の鎧装に覆われた拳が、握り締めた己が力に耐えられず血を噴き出す。まだ、か。この器はまだ、人間のままか。焦りと身が爆ぜるような空腹感に、再度、獣の如く歯を剥きながら、響は飛来する短刀の群れへと突撃する。
忌銀の短刀が何本体に突き刺さろうとも、響の脚はひるまず標的へと向かう。痛覚すら遥か彼方へ置き忘れてきたかのように、只、愚直に。
×××
「――第二段階、か。人柱とされた贄は、人間の領域を脱し、次なる進化を迎える。それは遺跡に痕跡を残した先住民の再現、“神”に及ばなかった者達の、“神殺し”のための再生――」
「もっともジャック君の場合は、他ならぬ、その“神”の眷属の力で進化したわけで、七罪機関の目論見とはちょっとズレてるかもネェ。――まぁ、敵の技術を利用するのはよくある話だけどね。いま、“彼”が振り回してる精神感応物質だって、対醒石用の醒石のコピーだしさ」
状況を注視するブルーとシャピロの声音に、“観戦者”の域を逸脱した昂揚と硬質さが添えられている。
やはり同種である“人柱実験体”同士の戦闘は、血を滾らせるのか、あるいは冷えさせるのか、二人の面持ちは鋼の如くに硬く、冷気すら漂ってくるようだった。
「しかし、死体を蒸発させ、街路を溶かすような熱線の直撃を受けても無事だなんて、“彼”の耐久力、ちょっと普通じゃないねぇ。高熱に異様な耐性を持つ個体なのか、他に要因があるのか、“失われた三種”には未知の要素が多いからねぇ。これは“解析”のしがいがあるよ――」
推測に推測を重ね、シャピロは魔法使いとしての眼、“知覚強化端子”で解析を試みる。
額の一つだけではなく、両肩、胸にも知覚強化端子の光が浮かび上がっており、この男の異能が単なる“魔法使い”という次元にないことを示唆している。
そして、その隣に立つブルーの青の衣服、その刃の如き布が主の踏みしめる床を貫き、砕く。
まるで主の身体をその場に縛り付けるように、青の布達は周囲のフェンスや隣接する建造物の壁面へと次々と絡みついてゆく。
また、眼下の死闘を見据える青の青年の瞳には、表層には表れぬ様々な感情が凝固し、混じりあった、言いようのない“澱み”が生じつつあった。
その様子を察知し、対象の解析を中断したシャピロは、尋常ならざる様相の“相棒”へと向き直る。
“魔法使い”としてではない、“戦友”としての瞳は既に、その要因を解しているかのように、整った唇に静かに言葉を紡がせる。
「いや、あるいは“彼”がそうなのかな? 組織が、否、キミが探し求めていた――だとすれば、事態は相当に複雑だ」
「――“解答”は不要だ。どちらが残るにせよ、“女王”の御意志に背く者には」
瞳の“澱み”が弾け、監視者から、戦闘者へと完全に切り替わった声音がブルーの声帯から響き渡る。
――己のなかに渦巻く感情を断ち切るように只、冷徹に。
「この“似て非なる蒼”が、裁きを下す」
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