第12話 異形―キョウ―
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「隊長……」
「隊長……!」
響=ムラサメ。
彼はそこに在った。
顔の半分以上はゲルに覆われ、その隙間から覗く眼は、赤々とした尋常ならざる光を放っている――。
保安組織ヴェノムの隊長であり、全身に纏わりつくゲル状の魔獣“壊音”の宿主である青年は、己が半身たる妖刀“村雨”を地面に突き立てると、その赤の瞳を周囲の戦況、そして、倒れたままの部下達へと向け、己が唇を血の滲むほど噛み締める。
「ジェイク、ガルド――」
骨は砕け、肉は裂け、
「ミリィ……」
超えてはならぬ限界を幾度も超えてしまった“無残”が、そこにはあった。ゲルから覗く赤の瞳のなかで、怒りと哀しみが入り混じり、唇に滲んだ血が、涙の如く流れ落ちる。
「待たセたな」
喉すらも壊音に侵食されているのか、異様な声音を発し、全身を戦闘員の返り血で染め、いまも腕から夥しい血を滴らせる彼が纏う気配は、禍々(まがまが)しき“戦鬼”そのもの。しかし、
「待たセたな、皆……!」
異音に苛まれながらも、他者を慈しむその声音が紡がれたその瞬間、部下達は、兄妹達は、彼の“到着”を確信する。
夢幻などでなく、彼は現在、間違いなく“此処”に“在”る。
「非ィ穿ァァ――ッ!」
「……!」
そして、そんな彼を歓迎するように銀鴉の喉が奇声を放つ。両腕から垂れ流される水銀、“忌銀の魔爪”が銀鴉の興奮を示すように蠢き、“忌銀の翼槍”は街路を砕き斬り、荒れ狂う。
「やっとおでましか、実験体野郎。すっかり待ちくたびれた是ェ? こいつらもなかなか遊び甲斐のある玩具だったがヨォ、所詮、玩具は玩具――」
やっと姿を現した仇敵に、銀鴉の舌が饒舌に捲し立てる。
だが――、
「大丈夫か、ミリィ?」
「隊、長……」
(アアッ!?)
ナニカガオカシイ。
銀鴉はそこで異変に気付く。
先程まで足元にあったはずのミリィの身体が響の腕に抱かれている。ジェイクとガルドの肉体も自分の認識よりも遥か前方にある。先程までの知覚の攪乱によるものではない。
響自身にも動いた様子はない。ということは、トイウコトハ――、
(無意識に後退さっただと? この俺ガァ――?)
ギリ、と、銀鴉の胸の貌が、有り得ぬはずの屈辱に歯噛みする。
「命令違反とは、お前らシくなかったな、ミリィ――」
「隊長……ダメじゃないですか」
変質しながらも、どこまでも優しい青年の声と眼差しに、ミリィの瞳からとめどなく涙が零れる。
「そんな無理して、ダメ……ですよ」
漏れる声は、もはや嗚咽だった。
ミリィは、ジェイク、ガルド達は既に気付いている。
響の腕から流れる血は、返り血ではない。
壊音の行動範囲、侵食範囲とて無限ではない。響はその範囲を強引に広げた。ミリィ達が銀鴉達を“結界”へと追い込む寸前に、自ら迎え撃ったのだ。
その代償として、響の肉体は深く裂かれ、大量の血液を奪われた。
そして、数時間前の戦闘と、その際に負った損傷を補修するために、“壊音”がいま、響の肉体の大部分を占拠している――。自分達の“非力”が招いたも同然であった。彼の、変貌は。
「……駄目じゃないですか、隊長が来ちゃったら、私達、がんばったのに……」
響の腕から伝わる温もりに、優しさに、自らの非力さに、ミリィは泣き、喘ぐ。
「そんな無理して……駄目じゃないですか」
私、サファイアさんに何て言ったら……。
彼女が戻るべき日常に、“彼”がいなければ意味がない。“彼”を想う同志として、“彼”を、“彼”のまま、彼女のもとへと帰してあげたかった。
そして、その願いを掴み取るには、疲労に震える自分の手はあまりに小さく――無力だった。
「隊長、すまねぇ、すまねぇ……ッ!」
立ち上がれぬはずの体を立ち上がらせ、ジェイク、ガルドも詫びる。だが、そんな彼等に、ゲルに覆われつつある響の口元は、はにかむような笑みを浮かべていた。
「無茶や無理は、俺ノ専売特許かと思ってたんだがな――」
「え?」
「やはり兄妹だ、似てるらしい」
それは、壮烈と言える“有様”のなかで、和やかさすら感じさせる――爽やかな笑みだった。
ああ――と、隊員達は観念する。
このヒトはいつもそうだ。
常人なら精神を病むような極限のなかでも、どこまでも繊細で、優しく、甘い。
自分達が詫びている理由すらわかっていないのかもしれない。
たとえ、本当に人間ではなくなっていたとしても、そんな彼から兄妹と言ってもらえたことが、何よりの勲章であり、誇りだった。彼以外に隊長と呼べる存在などあるはずもなかった。
“お前達の無茶と無理に、俺は答えただけだ。”
そう語る穏やかな瞳が、全てを託す“信”を隊員達の胸に湧き上がらせる。
「命令を伝える。ゆっくり休め。そして、見ていていくれ。俺の戦いを」
ミリィの身体を寝かせ、立ち上がった響の手が、地面に突き立てていた村雨の柄を掴む。
「――隊長として、四人兄妹の長兄として、厳守を願う」
部下達へと告げて、響は倒すべき敵へと体を向ける。同時に、街路に散らばっていた“壊音”の肉片が、黒い絨毯のように集合・結合し、宿主である響へと急速に収束してゆく。
――やはりコイツは他の“強化兵士”とは違う。その街路を這い回る“壊音”の様に、銀鴉は昂り、発情すらしている己を認識する。
「穿ッ! ヘタレ劇団のヘタレ劇場はここらで幕にして暮世ォ。だが、やっぱ手前は“特別製”だ。ゾクゾクくるぜ――」
目前の獲物への“好奇”が、屈辱も、恐怖も上書きし、銀鴉の胸の貌が遊びを捨てた、硬質な表情へと変化してゆく。“忌銀の魔爪”の水銀が銀鴉の昂揚を示すように、グツグツと煮立ち、蠢く。そして、
「そうだな……。“同類”」
ヌ――ッ!?
刹那、響の赤の両眼が銀鴉を鋭く射抜く。
その瞬間、銀鴉は、ジャック・ブローズは理解する。
恐怖していたのは、自身の肉体ではない。
自らに埋め込まれた“醒石”達が怯え、呻いている。
此処には居たくない。居られない、と。主である彼へと訴えている。
「お前には償ってもらう。俺の父を、叔父を、叔母を殺め、友を傷つけ、弟を――アイツを泣かせた罪を、」
響の声音が大気を震わせるのと同時に、銀鴉の忌銀の表皮に、激痛が疾走る。
緑色の単眼が捉えたのは、響の掌、その指の隙間から零れ落ちる水銀――。
導き出されるのは単純な解答。そう、銀鴉にも視覚できぬ響の動きが、その掌が、銀の鎧装の一部を引き千切り、投げ捨てたのだ。
「お前の血と肉で――支払ってもらうぞ」
アア、素晴らしい。銀鴉の胸に恍惚とした感嘆が満ち溢れる。
今度こそ、自分の目の前に、生き写しの、人間としての境界線を踏み越えた同種が在る。
コイツと、こんな怪物と殺り合えるなら、こんな辺境くんだりまで来た甲斐は充分にある。
そして、いま、“醒石”達の恐怖が臨界に達し、元凶たる響を排除せんと、銀鴉の内で咆哮を上げる――。
「始めようぜ、キョウダイイイイイイッ!」
「ゥゥゥゥォォオオオオオオオオオオッ!」
響の喉からも“壊音”と混ざり合った、人ならざる咆哮が迸り、二体の“怪物”はその血と肉を激突させる。
――人柱実験体。“神”をも喰らう獣として創造されたもの達が、互いの肉を喰らい、血を啜ることしか知らぬもの達が織り成す”愚者の饗宴”が、その赤々とした最終幕をいま、上げようとしていた。
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