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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第二章 愚者達の饗宴―Triger of Crisis―
25/172

第11話 悲壮―ミリィ―Ⅱ

×××

「い、いやいいんだ、私は本当に……! そ、そのしたことないし」


 隊員寮の自室に、申し訳程度に設置された化粧台の前に座らされたミリィは、街の住民に悪鬼の(ごと)(おそ)れられる保安組織の隊員とは思えぬほど、身を小さくして、嬉々(きき)として準備を続ける赤毛の少女を見上げていた。


「したことないからするんですよ! ボク、人にしてあげるのはかーなーり得意なんです」


 いま、小さな化粧台に置かれているのは、サファイアが持参(じさん)した化粧(けしょう)道具(どうぐ)一式。


 そのミリィにとって見慣れぬ道具の数々は、ある意味では拳銃などの武器よりも多大な重圧(プレッシャー)を感じさせる品々であった。


 忘れようとしていた“女”の部分を突きつけられているような、無意識の圧迫があるのかもしれない。


 けれど、それを突き付ける少女の笑みはどこまでも(すこ)やかで、ミリィの内にある壁に自然に溶け込み、包み込むように消し去ってしまう。


「ぜ~ったい、キレイになりますよ! ……ミリィさんて、すっぴんでも(にく)らしいくらい美人(べっぴん)さんだから!」

「べ、美人(べっぴん)て……私はそんなものじゃ……し、仕事柄(しごとがら)、着飾ることには縁遠くて」

「も~なにもしてなくて、様になってるのが既に美人の証拠ですよ!」


 “絶対監視”の能力(ちから)を使い、戦闘状況の報告や異変の探知を行う際の、凛とした“魔法使い(ウイザード)”の姿は既になく、どぎまぎとした、(けが)れを知らぬ十代の少女のような初々(ういうい)しさだけがいま、ミリィの表層に満ちていた。


 彼女(サファイア)の圧倒的な“善意”の前では、強化兵士(カスタム・ヒューマン)能力(チカラ)も、矜持(きょうじ)も何の意味も()さず、“戦士”としての自らを型作っていた外殻(がいかく)(やぶ)られ、ナカに隠蔽(いんぺい)していた“人間性”そのものを剥き出しにされたような、気恥かしさがミリィの頬を(あか)く染める――。


「ボクは子供っぽくて似合わないから、あまり使わないんですよね。たまにしても、アルにからかわれるだけだし」

「………」


 ――それは半分嘘だと思う。化粧品などのいわゆる“贅沢品”は常に供給(きょうきゅう)があるわけではない。手に入ったそれを彼女は自分では使わず、街で求める人があれば、簡単に(ゆず)り、希望があれば、化粧(けしょう)の手伝いもする。自分よりも他者に(ほどこ)す術を指先に覚えさせてしまう程に。 

 彼女の“優しさ”も、強い要因ではあるだろう。だが、彼女の他者への献身ぶりは、時に痛々しさすら覚えさせることがある。


 もし、この街の食料が尽きたなら、水が()れたなら、彼女は躊躇(ためらい)いなく生きることを放棄(ほうき)し、自らの生命、血肉すら他者に譲りかねない――。


 そう直感させる“危うさ”が、彼女の献身(けんしん)には()った。


 それは美徳ではない。“歪み”だ。


「じゃはじめますよ! 美人になりすぎたら響には見せてあげません!」


 いま、(すこ)やかに微笑むこの少女を歪ませたものは何だろう。ミリィに彼女の過去まで(さぐ)(すべ)はない。


 けれど、その(ゆが)みも(かて)として、彼女は他者を救い、多くの人を笑顔にしてきた。


 自分にとっても、響にとっても、彼女の存在は聖母が差し伸べた手に等しい。


 いつだったか、彼女が言っていた言葉が脳裏に(よみがえ)る。

 

 “救世主(メシア)なんて、自分しかいない”


 ――孤独な言葉だ。そう思う。自分が他者によって救われることも、他者が自分以外によって救われることも(あきら)めていながら、そんな現実に足掻(あが)き続ける“(あらが)い”の言葉。


 そんな言葉を指標とする彼女が事態の中心に巻き込まれている。


 いや、むしろ、こちら側に自らの意志で踏み込んできているのかもしれない。


 助けなれば。

 鏡のなかに映る自分が、血と硝煙(しょうえん)を忘れ、微笑むことができたように。

 彼女の“優しさ”が、“優しさ”でいられる“日常”に戻してあげなければ。


 半ば“暴走する”知覚と脳が蘇らせた記憶の破片(かけら)が、ミリィの戦闘衝動を(たかぶ)らせ、決意を刀剣の(ごと)()()ます。


「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」

奇婢(キヒ)()アアアアアアアアアアアッ!」


 (うな)りを上げる“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”の斬撃が、銀鴉(ジャック)が投げつけるように放った“忌銀の魔爪(アルジェント・ナーゲル)”とぶつかり合い、火花を散らす。


 腕力(パワー)も、スピードも、銀鴉(ジャック)の前に()(すべ)もなく敗れた二人に遠く(およ)ばないミリィではあるが、現状、銀鴉(ジャック)の攻撃を受けることもなく、むしろ、銀鴉(ジャック)鎧装(がいそう)を部分的に切り裂くなど、一時的にせよ“対等”とすら呼べる戦況を作り出していた。


 その状況に、銀鴉(ジャック)(くちばし)から(たの)しげな哄笑(こうしょう)()れる。


(なる)(ほど)ォッ! その鉈ちゃん(ベイビー)も精神感応物質(ヒヒイロカネ)かよッ! これの源、“醒石せいせき”の出来損ない(デッドコピー)! 同種の精神感応による、精神侵食で“斬れる”ってわけか。お勉強になるぜ、お嬢さん!」


 ミリィの主たる能力(チカラ)は他者の精神に干渉(かんしょう)し、思考を伝える精神感応(テレパシー)


 そして、眼窩(がんか)に埋め込まれた“知覚強化端子”から放たれる精神波の糸による絶対監視。――それらの複合は、刀剣や銃器を(しの)凶器(きょうき)()()る。



 ミリィの左眼を“見て”しまった戦闘員の装備した竜爪(ガルグイユ)が、同輩の喉笛を刺し貫く。安全装置(リミッター)でもあった眼帯(がんたい)を外し、“力”を極限まで解放した現在なら、このように、“知覚強化端子”を経由した精神感応で、相手の知覚を暴走させることまで、可能となっていた。


 戦闘員(シャグラット)達が銀鴉(ジャック)と死闘を繰り広げるミリィに横槍を入れようとも、この能力(チカラ)がある限り、ミリィの“(ひと)(にら)み”で彼等は無限に同士討ちを続けるハメとなる。


 さらに、深手を負っているはずのジェイクとガルドも戦闘能力を失っておらず、戦闘員達にとって大きな驚異となり続けている。


 ……前菜(ぜんさい)にしては食い(ごた)えがある。苛烈な戦場のなかで、銀鴉(ジャック)の単眼だけが愉悦に歪んでいた。


非破破(ヒハハ)ッ! (たの)しいネぇッ! (おど)れよ、剣闘士(グラディエーター)ッ!」


 銀鴉(ジャック)足運び(ステップ)が、舞踏(ダンス)のようにミリィが放つ剣閃(けんせん)を受け流す。


 そして、ミリィの能力(チカラ)は、銀鴉(ジャック)の肉に埋め込まれた人間の精神と感応する性質を持つ“醒石”と極めて相性が良かった。


 ただでさえ、強力なミリィの能力がいま、肉に埋め込まれた“醒石”の感応効果によって増幅され、“(にら)み合う”銀鴉(ジャック)の知覚に大きな影響を与え始めていた。


 故に、決定打も与えてはいないが、ミリィ自身も大きなダメージを負うこともなく、戦闘を継続させられていた。


 ――要因としてはもう一つある。


 ミリィが振るう“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”。


 響の“村雨”と同じく、精神感応物質(ヒヒイロカネ)で作られたその(なた)は、ミリィの“知覚強化端子”と連動し、全身を“()”とした、ミリィの身体機能を“戦闘型”に匹敵(ひってき)する領域(りょういき)にまで“引きずり上げるように”活性化させていた。非戦闘型である身体が耐え切れぬ程に。


嗚呼(アア)アアアアッ!」


 ……(なた)を振るう度に、肉体のなかで何かが切れてゆくような感覚がある。


 “痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”との連動によって、(なか)ば暴走状態にある“知覚強化端子”から溢れ出すエネルギーはミリィの肉体を強化すると同時に(むしば)み、(いちじる)しく損傷(そんしょう)させていた。


 まさしく、切り(ジョーカー)にして死神(ジョーカー)


 響が飽くまで後方支援に専念するよう命じたのも、この切り札を彼女に切らせないためでもあった。自らを使い捨てる――この忌避(きひ)すべき切り札を。


そして、


(フン)……! 挿入(はい)らねぇってぇんならヨぉ! ぶっかけてやるよぉッ!」

「―――!?」


 (かみ)一重(ひとえ)のところで自分の攻撃をかわし続けるミリィに対し、銀鴉(ジャック)の肩の鎧装(がいそう)(くちばし)(あけ)るかのように展開。その内部で沸騰(ふっとう)したかのように(うごめ)く水銀が、散弾(さんだん)のように空間にばら()かれる。


忌銀の魔弾(アルジェント・ゲショス)”。

  鎧装(がいそう)そのものを弾丸とした無数の牙が、一斉にミリィへと襲いかかる。


「クッ―――!」


 全てを時間停止同様のスローモーションで(とら)える“絶対監視”の()が、散弾の一つ、一つを(とら)え、ミリィの振るう“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”の軌跡(きせき)が正確にそれらを切り裂き、打ち落とす。


 しかし、視界の全てを埋め尽くすかのような“忌銀の魔弾(アルジェント・ゲショス)”の全弾を(さば)ききることは叶わず、数発がミリィの戦闘服と肌を裂き、血を舞い散らせる。


非威歯嗚呼(ヒイハアア)ァ――ッ!」


 被弾(ひだん)した(すき)が見逃されるはずもなく、銀鴉(ジャック)の五指が瞬時にミリィへと襲いかかる。


 知覚を狂わされてはいても、ジェイクのスピードと、ガルドのパワーを凌駕(りょうが)する銀鴉(ジャック)の身体能力は、動きを止めてしまった“標的(ミリィ)”にとっては、致命的(ちめいてき)なまでに大きな驚異(きょうい)である。


 “忌銀の魔弾(アルジェント・ゲショス)”にはソナーのような役目もあったのだろう。


 “自らの一部”の着弾を感知した地点から、大体の標的(ターゲット)の位置を割り出した銀鴉(ジャック)は、標的へと正確に五指を食い込ませていた。


 戦闘服は大きく切り裂かれ、内に着込んだ下着が露となる。新たな鮮血が飛び散り、銀鴉の水銀の鎧装に朱のぬめりが絡みつく。


「チッ……」


 が、ミリィの握る“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”はいまだ輝きを失っていない。彼女はいまだ、戦闘能力の全てを奪われていない。皮膚は削られたが、(かみ)一重(ひとえ)のところで大きな損傷(ダメージ)(まぬが)れていた。


「外したか――想像以上に厄介(やっかい)じゃねーの、てめえの能力(チカラ)は」


 ……銀鴉(ジャック)の知覚、五感をじわじわと侵食するミリィの精神感応は、いまや銀鴉(ジャック)一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を深刻に蝕み、また、自らの間合いの内でも捉えきれぬほど、ミリィの“絶対監視”による回避能力は柔軟にして、強靭だった。


 一筋縄ではいかぬ標的に、銀鴉(ジャック)の胸の(かお)が両目をギラつかせ、頭部の単眼が彼女の握る“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”を見据(みす)える。


「ったく……精神感応物質(ヒヒイロカネ)なんざ、組織が”醒石(せいせき)”の複製(コピー)を目指し、破棄(はき)した贋作(フェイク)に過ぎねえってのによぉ。現にてめえみてえに横流しされた品を持ってる奴も多い、プレミア価値なんかねぇ屑鉄(くずてつ)よ。だがよぉ、惑星で誰より早く先住民(ネイティブ)と、“醒石(せいせき)”――“畏敬の赤(アームド・ブラッド)”の存在に気づき、対抗手段を模索(もさく)してた『七罪機関(セブン)』が作ったってのが厄介だ。その残党はいまや現在(いま)組織(アルゲム)にすっかり吸収されちまったがなぁ」


 ジリジリと間合いを()めながら、銀鴉(ジャック)はブツブツと、呪詛(じゅそ)のように己が言葉を標的(ミリィ)へとぶつけてゆく。ただの“無駄話”ではない。話しながら銀鴉(ジャック)はミリィの精神、その集中を乱し、自らを(さいな)む精神感応を弾き飛ばそうとしている――。


 そう直感し、ミリィは縄で縛り上げるように自らの精神の緊張と集中を高めてゆく。言葉の内容を遮断(しゃだん)し、銀鴉(ジャック)捕捉(ほそく)牽制(けんせい)だけに意識を集中させる。だが、


「その(なた)なら……“あの女”も殺せるかもナァ?」

「……!」


 (はな)たれた一言でミリィの集中の乱れた一瞬の隙に、銀鴉(ジャック)の強烈な蹴撃(しゅうげき)がミリィの華奢(きゃしゃ)身体(からだ)を天高く舞い上がらせる。ミリィの口内から(ほとばし)血塊(けっかい)(しゅ)の軌跡を描き、確かに砕けた骨の感触に、銀鴉(ジャック)の胸の(かお)が愉悦に歪む。


奇喜奇(キキキ)ッ! (もろ)いねぇ、“色恋沙汰”で動きを鈍らせるなんざ強化兵士(カスタム・ヒューマン)にあるまじき醜態(しゅうたい)だぜぇ? だからよぉ、その欲望は素直に突き刺しちまえば――」

「わかってねえのは――」

「貴様のほうだ!」


 ()ッ? ――刹那(せつな)、ジェイクの骨刀(ボーン・ブレイド)とガルドの鉄杭(パイル・バンカー)が、ミリィの“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”が裂き、(かす)かに(もろ)くなっていた箇所(かしょ)へと炸裂し、銀の破片(はへん)を舞い散らせる。


 それは自らの“隙”を“餌”にすると瞬時に判断し、戦闘員(シャグラット)殲滅(せんめつ)した二人の接近を気取られぬよう銀鴉(ジャック)の知覚を狂わせたミリィが放った“カウンター”とでも言うべき一撃であった。そして、


「はああああああああああっ!」

()ッ――!?」


 心身を(きし)ませ、精神を刈り取るような痛みを知覚操作――自ら痛覚を遮断(しゃだん)することで(おさ)え、空中で身を(ねじ)るようにして態勢を整えたミリィは、砕けた骨が内腑に突き刺さることも(いと)わず、落下のスピードとともに“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”を、銀鴉(ジャック)(わず)かに露出(ろしゅつ)した白い皮膚へと深々と突き立てる! 


 位置としては左胸。――だが、一気に心臓を引き裂かんと、渾身(こんしん)の力を込めたミリィの腕を、銀鴉(ジャック)の右手がガッシリと(つか)む!


「クッ――!?」

「……やるじゃねぇか、ちょっぴり感じちまったぜ……雌豚(ビッチ)ッ!」


 “忌銀の魔弾(アルジェント・ゲショス)”ッ!


 刹那(せつな)銀鴉(ジャック)と密着し、逃げ場を失ったミリィの身体を無数の散弾が貫く!


 骨を砕かれ、肉をズタズタに切り裂かれた標的の身体が、不様に街路へと叩きつけられるのを確認すると、銀鴉(ジャック)は自らに刺さったままの“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”の柄をコンコンと叩きながら、下卑(げび)た声音を(ひび)かせる。


「――この一本はこのまま“没収(ぼっしゅう)”しとく()ぇ。テメェのヨーナ小娘が振り回すぶんには怖かねぇが、あの実験体野郎が持ちでもすりゃあ、それなりに厄介(やっかい)だからナァ。――強化(カスタム)されたらされたなりに、“天敵”ってのがでてくる(あたり)遺跡技術(レリクス・テクノロジー)ってのも面倒な代物(シロモノ)だぜ」

「ミ、ミリィ――ッ!」


 響く絶叫。


 自らの五感を圧迫(あっぱく)していた精神感応の消失を感じながら、ボロ雑巾(ぞうきん)のように地面に転がる標的へと歩を進める銀鴉(ジャック)へ、ジェイクとガルドは果敢(かかん)に挑みかかる。


 だが、二人の渾身(こんしん)の一撃も、()に刺されたが(ごと)く――銀鴉(ジャック)には何の痛痒(つうよう)も与えはしなかった。


 そもそも、心臓を損傷してなお、平然と活動するこの怪物に打つ手などあるのか?

 絶望などよりも凶暴な力量差が――両者の間に、確かに存在していた。


 ……ああ、これはダメ、かも、な。


 自らの血糊(ちのり)(あか)く染まる視界と、白濁(はくだく)とする意識の中、ミリィは自身の負った損傷(ダメージ)の重さを、(あお)(かがや)く知覚強化端子を通じて把握(はあく)


 戦闘能力を、(いや)、人としての能力(チカラ)(いちじる)しく奪われている現状を痛みとともに認識し、ミリィは残されたもう一本の“痛みに喘ぐ双児(シュメルツ・ツヴィリング)”を、(わず)かに残存(ざんぞん)する力で強く握り直す。


(無理するな、ミリィ――)


 優しい声が耳の奥で鳴り響く。

 それは記憶の底から鳴り響く、大切な、心震わせる声音。


(俺達は結局、俺達にしかなれない)


 どこか感情に(とぼ)しい、だが、奥底に暖かな光を宿した瞳が、端正な顔立ちの輪郭(りんかく)が、意識ののなかにハッキリと浮かび上がる。


(そして、俺達には俺達の、お前にはお前のやるべきことが、俺達にしか、お前にしかできないことがある。それに専念することが、いつか道を(ひら)く。俺は、そう信じてる――)


 ――幾つかの事件に対処した際、女であることに、非戦闘型であることに劣等感(コンプレックス)を抱き、塞ぎ込んでいた自分に、彼はそう告げて、優しく肩に手を乗せてくれた。


 それは背負いきれぬものを背負わされた彼の諦観(ていかん)にも似た弱音だったのかもしれない。


 けれど、“弱さ”を“優しさ”に変えられる強さが、重すぎる“業”を背負わされながらも、他者に微笑(ほほえ)み、(いつく)しむことのできる強さがそこには確かに感じられた。


 そんな彼の“部下”として隣にいたいという想いが、“女”として隣にいたいという想いに変わるまで、そう長い時間はかからなかった。同時に、


(そうだ、私は、隊長を、彼女を――!)


 彼の隣で、彼を想う、彼女の(まぶ)しさへの羨望(せんぼう)が、嫉妬(しっと)が、


(支え、(まも)るんだ。必ずッ!)


 彼女のような“人”になりたいという“憧れ”に変わるのにも、そう長い時間はかからなかったのだ。

 

 ――なのに、銀鴉(ジャック)の言うところの彼女を“殺める”可能性のある武装が、自分の切り札だとは皮肉な話だ。そして、その程度のことに動揺してしまう自分の弱さも()(がた)い。


 隊長は言っていた。俺達は俺達にしかなれない。


 自分は人間(ヒト)ではなく、人間(ヒト)(まも)る存在であるべきだった、と。


 ――そうだ、あの女性(ひと)にはなれなくても。たとえ、真逆(まぎゃく)の存在だとしても。あの女性(ひと)を、あの女性(ひと)(まも)る存在にはなれる。


 隊長を支える存在にはなれる! その覚悟が――必要、なん、だ。


 そんな想いが、決意が、既に立ち上がれぬはずの、ミリィの身体を立ち上がらせる。その様に、銀鴉(ジャック)はジェイクの超高速の猛撃を片手で(さば)きながら、ヒュウと口笛(くちぶえ)()らす。


「驚いたネェ、アンタ、本当に“魔法使い(ウィザード)”か? 根性だけなら――」

「おおおおおおおおおッ!」

「――!?」


 刹那(せつな)下卑(げび)た声音を響かせる銀鴉(ジャック)の横腹を、乱戦のなか、ガルドが拾い上げた『六腕巨塊(へカトンケイル)』の鉄塊(てっかい)が殴りつけ、その異形を派手に吹っ飛ばす! そして、舞い上がる粉塵(ふんじん)のなかを閃光の(ごと)きジェイクの残像が駆け抜ける。


「ミリィにはもう指一本、触れさせねぇ。釘付け(くぎづけ)にさせてもらうぜっ!」


 ジェイクが身に付けていた鉄甲が排除(パージ)されるのと同時に、両腕だけでなく、両脚、両肩、両肘、腰からも“骨刀(ボーン・ブレイド)”が飛び出す。その自らの血肉を吸い、切り裂いてすらいるような無数の凶器が銀鴉(ジャック)へと縦横無尽(じゅうおうむじん)に挑みかかる。


「こっから先はブレーキなしの暴走特急。俺自身、どうなるかわからねぇ未知の領域(エリア)だ。ズタズタに裂かれても文句は言うんじゃねぇぞッ!」


 瞬間、全ての者の視覚からジェイクの姿が完全に消失する。


 (ただ)一つ、ミリィの知覚強化端子のみがその軌跡(きせき)把握(はあく)することができた。


 身を起こそうとする銀鴉(ジャック)を絶え間無い打撃で拘束(こうそく)する、その雄姿(ゆうし)を。


 いつも仲間達を気遣(きづか)い、汚れ役すら引き受けようとする彼の骨の(きし)みを、破砕(はさい)を、内腑(ないふ)の破損を、その“覚悟”を。


 ――ガルドも再補充され、街路に溢れ出した戦闘員(シャグラット)の群れを『六腕巨塊(へカトンケイル)』で蹴散らしながらも、次々と組み付く戦闘員の竜爪(ガルグイユ)によって(おびただ)しい量の血液を奪われている。


 彼もまた、ジェイクやミリィの壁となり、一対百の(いくさ)をやり抜く“覚悟”を決めている。


 岩のような顔と体のなかに、マグマの(ごと)(たぎ)る“()”の心が、いままさに噴き出し、若い生命いのちを激しく燃焼(ねんしょう)させていた。


「ああああああああああっ!」


 ――知覚強化端子が(あお)い光を(ほとばし)らせ、ミリィの全身を(おお)う。


 握った刃に、仲間達の想いを、仲間達への想いも込めて、断末魔(だんまつま)にも似た絶叫(ぜっきょう)とともに、ミリィはボロボロの肉体を銀鴉(ジャック)へと疾駆(しっく)させていた。


 (あか)い視界のなか、若者達の愚直(ぐちょく)な、無垢(むく)なる“意志”が、稲光(いなびかり)のように(きら)めいていた。



非歯歯(ヒハハ)ッ! ひでぇ有様(ありさま)ダナァ、(オイ)! コイツァ軍医(ドクトル)旦那(だんな)も頭抱えちまうかもしれねーナァ!」


 時間としては約数十分後。


 ――死屍(しし)累々(るいるい)。まさにその言葉どおりの惨状(さんじょう)であった。


 戦闘員(シャグラット)死骸(しがい)――残骸(ざんがい)が散乱し、臓物(ぞうもつ)や、千切(ちぎ)れた人体の様々なパーツが街路を()()めるなか、その(あか)絨毯(じゅうたん)の上に、もはや戦闘能力の(ことごと)くを奪われ、瞳から精気を失った保安組織(ヴェノム)の隊員達が横たわっている。


 その口惜(くちお)しくも倒れた勇士達の身体(からだ)遠慮(えんりょ)なしに踏みつけ、銀鴉(ジャック)咆哮(ほうこう)じみた笑い声を(ひび)かせる――。


「オマエら、真剣(しんけん)深刻(しんこく)に馬鹿ダヨナァ。俺と比べりゃ、ミジンコみてぇなもんだが、“強化兵士(カスタム・ヒューマン)”としては上等なモンだ。素直に投降(とうこう)すりゃあ組織も上物の“素体”として(むか)え入れてくれただろうにヨォ」


 勿体(もったい)ネェ、勿体(もったい)ネェ。


 奇声(きせい)を上げる忌銀の怪鳥の周囲にまた、新たな鉄球が落下し、戦闘員(シャグラット)の群れが再度(ふたたび)街路(がいろ)()()くす。その光景を(かす)む視界に映し、悔しさと、動けぬ自身への憤怒(ふんぬ)で震える四肢(しし)を、ミリィは確かに知覚する。


 (かな)わなかった。届かなかった。


 その残悔(ざんかい)の念はジェイクとガルドの心も(ひと)しく(むしば)み、三人の若者は歯噛みし、かろうじて動く指先に力を込める。


 もう少し、もう少しで“あの人”のところへ届く。


 あと数分で、“策”が結実する。あと――、


「オラァ!」

「――ッ!」


 だが、彼等(かれら)のそんな想いを――銀鴉(ジャック)は動きかけたミリィの手のひらを蹴り飛ばし、踏み(にじ)ることで、蹂躙(じゅうりん)する。()(ぎん)鎧装(がいそう)を、街を()(ほのお)()らし、異形の(あか)に染め上げる。


 既に“人間(ヒト)”を捨てた凶獣の有様が、刃の(ごと)く、()る者の()に刻み込まれる。


()ィ――穿()ァッ! 本番絶頂はこれからだぜ、野郎共ォッ! 人間狩り(マンハント)だッ! 殺戮(さつりく)ショーの開幕だッ! 一人も残す必要はねぇ、どっかに隠れてやがる実験体野郎と適正者ともども、皆殺し中の皆殺し、死の“芸術(アート)”をこの街にぶちまけてやれぇッ! そう――“神”なき世界で“神”であるためにィ!」


 守れない、のか。長に、父に(たく)されたこの街を。


 隊長に(たく)された使命も果たせずに。


 足掻(あが)く心が知覚強化端子から(かす)かな光を(しぼ)り出す。


「んじゃあ景気づけに三匹とも死んどけや! 三人仲良く串刺しってのがベターかねぇ? ファンファーレに相応(ふさわ)しいよう、()派手に“噴き上げて”くれヨォ!?」


 周囲の空気を腐食(ふしょく)させるような、(しゅう)(かい)な“悪意”とともに、銀鴉(ジャック)の腕の刃が瞬時に、長剣のような形状に変化する――。


 無念だ、あまりに無念だ。


 ごめんなさい、隊長。ごめんなさい、サファイアさん。


 救世主(メシア)なんて――自分しかいないのに、私は救世主(メシア)にはなれなかった。


 自分自身を、自分自身の力でこの街を救うことができなかった。


 ――ああ、でも、神よ、父がこの街を“ナザレス”と名付けた理由を知るのなら、


「さぁ()っちまいねェッ! 可愛い雌豚(ビッチ)さんよぉ!」


救世主(メシア)を……救世主(メシア)をこの街にっ!)


 伸ばされた手が、指が、空を泳ぐ。

 掴めぬものを、必死に掴もうとするように。――刹那(せつな)


「―――!?」


 突如(とつじょ)、空中のヘリが爆散し、破片を街路へと次々と舞い散らせる。その轟音(ごうおん)銀鴉(ジャック)が動きを止め、視線を上空へと向けた時、そこには常軌(じょうき)(いっ)した一つの存在(モノ)があった。


「 “腕”、だとォ?」

「あ……」


 そこには、巨大な“腕”があった。


 巨木の如く天まで伸び、ヘリを掴みとれるほどに肥大化した、巨大に過ぎる“腕”が。


 ヴェノムの隊員達が倒して、倒して、倒し()くした戦闘員(シャグラット)死骸(しがい)。その(おびただ)しい数の死骸(しがい)を黒いゲル状の物質が繋ぎ止め、巨大な腕、拳を形成しているのだ。


 それはいまにも銀鴉(ジャック)や地上を(うごめ)戦闘員(シャグラット)()らい()くさんと、鎌首をもたげる大蛇(だいじゃ)のようにも見えた。不定形にして混沌。その元凶たる異形の名は、


「これは……これはあの野郎カッ!」


 “壊音(カイオン)”。


 死骸(しがい)(たば)ね、巨人の腕と化したその魔獣(ビースト)は、鉄球を補充、投下していた全てのヘリを叩き落とし、街路をさらなる(ほのお)で包む。


 そして、異様極まる事態に、半ば恐慌(きょうこう)状態(じょうたい)(おちい)りつつあった戦闘員(シャグラット)達を、街路から染み出した無数のゲル状の針が貫き、殲滅(せんめつ)する。


 街を(おか)し、蹂躙(じゅうりん)していた“賊”達はいま、悟る。自分達は稼がれていた。ヘリを叩き落とすための時間を。あの巨腕を構築する為の時間を。そして、自分達はいま、“結界”のなかにいる。


 ボロ雑巾のように街路に横たわる三人によって誘い込まれた、決死の結界のなかに――!


「チィッ…! 奇穿亜(キハア)ッ!」


 危機を直感した銀鴉(ジャック)の肉に埋め込まれた複数の醒石(せいせき)が発光し、(かん)(ぱつ)いれず銀の(かいな)から放たれた衝撃波が、巨人の腕を構築していた死骸の束を吹き飛ばし、肉片と黒いゲル状の雨を周囲に降り注がせる。


 そして、その雨の中、銀鴉(ジャック)の強化された聴覚が、遠方から近づく一つの靴音(くつおと)察知(さっち)する。


 やがて、その視覚には、一人の青年の輪郭(りんかく)が映し出され、歩を止めた青年の端正(たんせい)な顔立ちが、街を包む(ほのお)()らし出される。


「貴…様…」


 その時、銀鴉(ジャック)()に映された存在(モノ)は、予想された青年の容貌ではなかった。


 思わず息を飲んだ銀鴉の単眼に、左半分をゲルに覆われた秀麗であったはずの顔立ちが映し出される。


 青年は、無数のゲル状の蛇を、鷹を、犬を、その身に(から)ませ、戦闘員(シャグラット)を斬り尽くしてきた妖刀から血を滴らせていた。


 その背後に、壊音(カイオン)によって死骸を束ねた“竜”を従える様は、煉獄(コキュートス)から這い出した魔王(サタン)を想起させる――。


 組織によって情報は詳細に収集され 既に一度は対峙している者に対し、銀鴉(ジャック)は尋ねる。


「貴様、何者だ……」


 そして、


人間(ヒト)ヲ――(まも)存在(モノ)だ」


 答える青年の声は既に――人間(ヒト)のモノではなかった。


NEXT⇒第12話 異形―キョウ―

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