第11話 悲壮―ミリィ―Ⅱ
×××
「い、いやいいんだ、私は本当に……! そ、そのしたことないし」
隊員寮の自室に、申し訳程度に設置された化粧台の前に座らされたミリィは、街の住民に悪鬼の如く畏れられる保安組織の隊員とは思えぬほど、身を小さくして、嬉々(きき)として準備を続ける赤毛の少女を見上げていた。
「したことないからするんですよ! ボク、人にしてあげるのはかーなーり得意なんです」
いま、小さな化粧台に置かれているのは、サファイアが持参した化粧道具一式。
そのミリィにとって見慣れぬ道具の数々は、ある意味では拳銃などの武器よりも多大な重圧を感じさせる品々であった。
忘れようとしていた“女”の部分を突きつけられているような、無意識の圧迫があるのかもしれない。
けれど、それを突き付ける少女の笑みはどこまでも健やかで、ミリィの内にある壁に自然に溶け込み、包み込むように消し去ってしまう。
「ぜ~ったい、キレイになりますよ! ……ミリィさんて、すっぴんでも憎らしいくらい美人さんだから!」
「べ、美人て……私はそんなものじゃ……し、仕事柄、着飾ることには縁遠くて」
「も~なにもしてなくて、様になってるのが既に美人の証拠ですよ!」
“絶対監視”の能力を使い、戦闘状況の報告や異変の探知を行う際の、凛とした“魔法使い”の姿は既になく、どぎまぎとした、穢れを知らぬ十代の少女のような初々(ういうい)しさだけがいま、ミリィの表層に満ちていた。
彼女の圧倒的な“善意”の前では、強化兵士の能力も、矜持も何の意味も成さず、“戦士”としての自らを型作っていた外殻を破られ、ナカに隠蔽していた“人間性”そのものを剥き出しにされたような、気恥かしさがミリィの頬を朱く染める――。
「ボクは子供っぽくて似合わないから、あまり使わないんですよね。たまにしても、アルにからかわれるだけだし」
「………」
――それは半分嘘だと思う。化粧品などのいわゆる“贅沢品”は常に供給があるわけではない。手に入ったそれを彼女は自分では使わず、街で求める人があれば、簡単に譲り、希望があれば、化粧の手伝いもする。自分よりも他者に施す術を指先に覚えさせてしまう程に。
彼女の“優しさ”も、強い要因ではあるだろう。だが、彼女の他者への献身ぶりは、時に痛々しさすら覚えさせることがある。
もし、この街の食料が尽きたなら、水が枯れたなら、彼女は躊躇いなく生きることを放棄し、自らの生命、血肉すら他者に譲りかねない――。
そう直感させる“危うさ”が、彼女の献身には在った。
それは美徳ではない。“歪み”だ。
「じゃはじめますよ! 美人になりすぎたら響には見せてあげません!」
いま、健やかに微笑むこの少女を歪ませたものは何だろう。ミリィに彼女の過去まで探る術はない。
けれど、その歪みも糧として、彼女は他者を救い、多くの人を笑顔にしてきた。
自分にとっても、響にとっても、彼女の存在は聖母が差し伸べた手に等しい。
いつだったか、彼女が言っていた言葉が脳裏に蘇る。
“救世主なんて、自分しかいない”
――孤独な言葉だ。そう思う。自分が他者によって救われることも、他者が自分以外によって救われることも諦めていながら、そんな現実に足掻き続ける“抗い”の言葉。
そんな言葉を指標とする彼女が事態の中心に巻き込まれている。
いや、むしろ、こちら側に自らの意志で踏み込んできているのかもしれない。
助けなれば。
鏡のなかに映る自分が、血と硝煙を忘れ、微笑むことができたように。
彼女の“優しさ”が、“優しさ”でいられる“日常”に戻してあげなければ。
半ば“暴走する”知覚と脳が蘇らせた記憶の破片が、ミリィの戦闘衝動を昂らせ、決意を刀剣の如く研ぎ澄ます。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「奇婢ィ病アアアアアアアアアアアッ!」
唸りを上げる“痛みに喘ぐ双児”の斬撃が、銀鴉が投げつけるように放った“忌銀の魔爪”とぶつかり合い、火花を散らす。
腕力も、スピードも、銀鴉の前に成す術もなく敗れた二人に遠く及ばないミリィではあるが、現状、銀鴉の攻撃を受けることもなく、むしろ、銀鴉の鎧装を部分的に切り裂くなど、一時的にせよ“対等”とすら呼べる戦況を作り出していた。
その状況に、銀鴉の嘴から愉しげな哄笑が漏れる。
「成程ォッ! その鉈ちゃん(ベイビー)も精神感応物質かよッ! これの源、“醒石”の出来損ない! 同種の精神感応による、精神侵食で“斬れる”ってわけか。お勉強になるぜ、お嬢さん!」
ミリィの主たる能力は他者の精神に干渉し、思考を伝える精神感応。
そして、眼窩に埋め込まれた“知覚強化端子”から放たれる精神波の糸による絶対監視。――それらの複合は、刀剣や銃器を凌ぐ凶器と成り得る。
ミリィの左眼を“見て”しまった戦闘員の装備した竜爪が、同輩の喉笛を刺し貫く。安全装置でもあった眼帯を外し、“力”を極限まで解放した現在なら、このように、“知覚強化端子”を経由した精神感応で、相手の知覚を暴走させることまで、可能となっていた。
戦闘員達が銀鴉と死闘を繰り広げるミリィに横槍を入れようとも、この能力がある限り、ミリィの“一睨み”で彼等は無限に同士討ちを続けるハメとなる。
さらに、深手を負っているはずのジェイクとガルドも戦闘能力を失っておらず、戦闘員達にとって大きな驚異となり続けている。
……前菜にしては食い応えがある。苛烈な戦場のなかで、銀鴉の単眼だけが愉悦に歪んでいた。
「非破破ッ! 愉しいネぇッ! 踊れよ、剣闘士ッ!」
銀鴉の足運びが、舞踏のようにミリィが放つ剣閃を受け流す。
そして、ミリィの能力は、銀鴉の肉に埋め込まれた人間の精神と感応する性質を持つ“醒石”と極めて相性が良かった。
ただでさえ、強力なミリィの能力がいま、肉に埋め込まれた“醒石”の感応効果によって増幅され、“睨み合う”銀鴉の知覚に大きな影響を与え始めていた。
故に、決定打も与えてはいないが、ミリィ自身も大きなダメージを負うこともなく、戦闘を継続させられていた。
――要因としてはもう一つある。
ミリィが振るう“痛みに喘ぐ双児”。
響の“村雨”と同じく、精神感応物質で作られたその鉈は、ミリィの“知覚強化端子”と連動し、全身を“眼”とした、ミリィの身体機能を“戦闘型”に匹敵する領域にまで“引きずり上げるように”活性化させていた。非戦闘型である身体が耐え切れぬ程に。
「嗚呼アアアアッ!」
……鉈を振るう度に、肉体のなかで何かが切れてゆくような感覚がある。
“痛みに喘ぐ双児”との連動によって、半ば暴走状態にある“知覚強化端子”から溢れ出すエネルギーはミリィの肉体を強化すると同時に蝕み、著しく損傷させていた。
まさしく、切り札にして死神。
響が飽くまで後方支援に専念するよう命じたのも、この切り札を彼女に切らせないためでもあった。自らを使い捨てる――この忌避すべき切り札を。
そして、
「吩……! 挿入らねぇってぇんならヨぉ! ぶっかけてやるよぉッ!」
「―――!?」
紙一重のところで自分の攻撃をかわし続けるミリィに対し、銀鴉の肩の鎧装が嘴を開るかのように展開。その内部で沸騰したかのように蠢く水銀が、散弾のように空間にばら蒔かれる。
“忌銀の魔弾”。
鎧装そのものを弾丸とした無数の牙が、一斉にミリィへと襲いかかる。
「クッ―――!」
全てを時間停止同様のスローモーションで捉える“絶対監視”の眼が、散弾の一つ、一つを捉え、ミリィの振るう“痛みに喘ぐ双児”の軌跡が正確にそれらを切り裂き、打ち落とす。
しかし、視界の全てを埋め尽くすかのような“忌銀の魔弾”の全弾を捌ききることは叶わず、数発がミリィの戦闘服と肌を裂き、血を舞い散らせる。
「非威歯嗚呼ァ――ッ!」
被弾した隙が見逃されるはずもなく、銀鴉の五指が瞬時にミリィへと襲いかかる。
知覚を狂わされてはいても、ジェイクのスピードと、ガルドのパワーを凌駕する銀鴉の身体能力は、動きを止めてしまった“標的”にとっては、致命的なまでに大きな驚異である。
“忌銀の魔弾”にはソナーのような役目もあったのだろう。
“自らの一部”の着弾を感知した地点から、大体の標的の位置を割り出した銀鴉は、標的へと正確に五指を食い込ませていた。
戦闘服は大きく切り裂かれ、内に着込んだ下着が露となる。新たな鮮血が飛び散り、銀鴉の水銀の鎧装に朱のぬめりが絡みつく。
「チッ……」
が、ミリィの握る“痛みに喘ぐ双児”はいまだ輝きを失っていない。彼女はいまだ、戦闘能力の全てを奪われていない。皮膚は削られたが、紙一重のところで大きな損傷は免れていた。
「外したか――想像以上に厄介じゃねーの、てめえの能力は」
……銀鴉の知覚、五感をじわじわと侵食するミリィの精神感応は、いまや銀鴉の一挙手一投足を深刻に蝕み、また、自らの間合いの内でも捉えきれぬほど、ミリィの“絶対監視”による回避能力は柔軟にして、強靭だった。
一筋縄ではいかぬ標的に、銀鴉の胸の貌が両目をギラつかせ、頭部の単眼が彼女の握る“痛みに喘ぐ双児”を見据える。
「ったく……精神感応物質なんざ、組織が”醒石”の複製を目指し、破棄した贋作に過ぎねえってのによぉ。現にてめえみてえに横流しされた品を持ってる奴も多い、プレミア価値なんかねぇ屑鉄よ。だがよぉ、惑星で誰より早く先住民と、“醒石”――“畏敬の赤”の存在に気づき、対抗手段を模索してた『七罪機関』が作ったってのが厄介だ。その残党はいまや現在の組織にすっかり吸収されちまったがなぁ」
ジリジリと間合いを詰めながら、銀鴉はブツブツと、呪詛のように己が言葉を標的へとぶつけてゆく。ただの“無駄話”ではない。話しながら銀鴉はミリィの精神、その集中を乱し、自らを苛む精神感応を弾き飛ばそうとしている――。
そう直感し、ミリィは縄で縛り上げるように自らの精神の緊張と集中を高めてゆく。言葉の内容を遮断し、銀鴉の捕捉と牽制だけに意識を集中させる。だが、
「その鉈なら……“あの女”も殺せるかもナァ?」
「……!」
放たれた一言でミリィの集中の乱れた一瞬の隙に、銀鴉の強烈な蹴撃がミリィの華奢な身体を天高く舞い上がらせる。ミリィの口内から迸る血塊が朱の軌跡を描き、確かに砕けた骨の感触に、銀鴉の胸の貌が愉悦に歪む。
「奇喜奇ッ! 脆いねぇ、“色恋沙汰”で動きを鈍らせるなんざ強化兵士にあるまじき醜態だぜぇ? だからよぉ、その欲望は素直に突き刺しちまえば――」
「わかってねえのは――」
「貴様のほうだ!」
亜ッ? ――刹那、ジェイクの骨刀とガルドの鉄杭が、ミリィの“痛みに喘ぐ双児”が裂き、微かに脆くなっていた箇所へと炸裂し、銀の破片を舞い散らせる。
それは自らの“隙”を“餌”にすると瞬時に判断し、戦闘員を殲滅した二人の接近を気取られぬよう銀鴉の知覚を狂わせたミリィが放った“カウンター”とでも言うべき一撃であった。そして、
「はああああああああああっ!」
「濡ッ――!?」
心身を軋ませ、精神を刈り取るような痛みを知覚操作――自ら痛覚を遮断することで抑え、空中で身を捻るようにして態勢を整えたミリィは、砕けた骨が内腑に突き刺さることも厭わず、落下のスピードとともに“痛みに喘ぐ双児”を、銀鴉の僅かに露出した白い皮膚へと深々と突き立てる!
位置としては左胸。――だが、一気に心臓を引き裂かんと、渾身の力を込めたミリィの腕を、銀鴉の右手がガッシリと掴む!
「クッ――!?」
「……やるじゃねぇか、ちょっぴり感じちまったぜ……雌豚ッ!」
“忌銀の魔弾”ッ!
刹那、銀鴉と密着し、逃げ場を失ったミリィの身体を無数の散弾が貫く!
骨を砕かれ、肉をズタズタに切り裂かれた標的の身体が、不様に街路へと叩きつけられるのを確認すると、銀鴉は自らに刺さったままの“痛みに喘ぐ双児”の柄をコンコンと叩きながら、下卑た声音を響かせる。
「――この一本はこのまま“没収”しとく是ぇ。テメェのヨーナ小娘が振り回すぶんには怖かねぇが、あの実験体野郎が持ちでもすりゃあ、それなりに厄介だからナァ。――強化されたらされたなりに、“天敵”ってのがでてくる辺、遺跡技術ってのも面倒な代物だぜ」
「ミ、ミリィ――ッ!」
響く絶叫。
自らの五感を圧迫していた精神感応の消失を感じながら、ボロ雑巾のように地面に転がる標的へと歩を進める銀鴉へ、ジェイクとガルドは果敢に挑みかかる。
だが、二人の渾身の一撃も、蚊に刺されたが如く――銀鴉には何の痛痒も与えはしなかった。
そもそも、心臓を損傷してなお、平然と活動するこの怪物に打つ手などあるのか?
絶望などよりも凶暴な力量差が――両者の間に、確かに存在していた。
……ああ、これはダメ、かも、な。
自らの血糊で朱く染まる視界と、白濁とする意識の中、ミリィは自身の負った損傷の重さを、蒼く輝く知覚強化端子を通じて把握。
戦闘能力を、否、人としての能力を著しく奪われている現状を痛みとともに認識し、ミリィは残されたもう一本の“痛みに喘ぐ双児”を、僅かに残存する力で強く握り直す。
(無理するな、ミリィ――)
優しい声が耳の奥で鳴り響く。
それは記憶の底から鳴り響く、大切な、心震わせる声音。
(俺達は結局、俺達にしかなれない)
どこか感情に乏しい、だが、奥底に暖かな光を宿した瞳が、端正な顔立ちの輪郭が、意識ののなかにハッキリと浮かび上がる。
(そして、俺達には俺達の、お前にはお前のやるべきことが、俺達にしか、お前にしかできないことがある。それに専念することが、いつか道を拓く。俺は、そう信じてる――)
――幾つかの事件に対処した際、女であることに、非戦闘型であることに劣等感を抱き、塞ぎ込んでいた自分に、彼はそう告げて、優しく肩に手を乗せてくれた。
それは背負いきれぬものを背負わされた彼の諦観にも似た弱音だったのかもしれない。
けれど、“弱さ”を“優しさ”に変えられる強さが、重すぎる“業”を背負わされながらも、他者に微笑み、慈しむことのできる強さがそこには確かに感じられた。
そんな彼の“部下”として隣にいたいという想いが、“女”として隣にいたいという想いに変わるまで、そう長い時間はかからなかった。同時に、
(そうだ、私は、隊長を、彼女を――!)
彼の隣で、彼を想う、彼女の眩しさへの羨望が、嫉妬が、
(支え、護るんだ。必ずッ!)
彼女のような“人”になりたいという“憧れ”に変わるのにも、そう長い時間はかからなかったのだ。
――なのに、銀鴉の言うところの彼女を“殺める”可能性のある武装が、自分の切り札だとは皮肉な話だ。そして、その程度のことに動揺してしまう自分の弱さも度し難い。
隊長は言っていた。俺達は俺達にしかなれない。
自分は人間ではなく、人間を護る存在であるべきだった、と。
――そうだ、あの女性にはなれなくても。たとえ、真逆の存在だとしても。あの女性を、あの女性を護る存在にはなれる。
隊長を支える存在にはなれる! その覚悟が――必要、なん、だ。
そんな想いが、決意が、既に立ち上がれぬはずの、ミリィの身体を立ち上がらせる。その様に、銀鴉はジェイクの超高速の猛撃を片手で捌きながら、ヒュウと口笛を鳴らす。
「驚いたネェ、アンタ、本当に“魔法使い”か? 根性だけなら――」
「おおおおおおおおおッ!」
「――!?」
刹那、下卑た声音を響かせる銀鴉の横腹を、乱戦のなか、ガルドが拾い上げた『六腕巨塊』の鉄塊が殴りつけ、その異形を派手に吹っ飛ばす! そして、舞い上がる粉塵のなかを閃光の如きジェイクの残像が駆け抜ける。
「ミリィにはもう指一本、触れさせねぇ。釘付け(くぎづけ)にさせてもらうぜっ!」
ジェイクが身に付けていた鉄甲が排除されるのと同時に、両腕だけでなく、両脚、両肩、両肘、腰からも“骨刀”が飛び出す。その自らの血肉を吸い、切り裂いてすらいるような無数の凶器が銀鴉へと縦横無尽に挑みかかる。
「こっから先はブレーキなしの暴走特急。俺自身、どうなるかわからねぇ未知の領域だ。ズタズタに裂かれても文句は言うんじゃねぇぞッ!」
瞬間、全ての者の視覚からジェイクの姿が完全に消失する。
唯一つ、ミリィの知覚強化端子のみがその軌跡を把握することができた。
身を起こそうとする銀鴉を絶え間無い打撃で拘束する、その雄姿を。
いつも仲間達を気遣い、汚れ役すら引き受けようとする彼の骨の軋みを、破砕を、内腑の破損を、その“覚悟”を。
――ガルドも再補充され、街路に溢れ出した戦闘員の群れを『六腕巨塊』で蹴散らしながらも、次々と組み付く戦闘員の竜爪によって夥しい量の血液を奪われている。
彼もまた、ジェイクやミリィの壁となり、一対百の戦をやり抜く“覚悟”を決めている。
岩のような顔と体のなかに、マグマの如く滾る“義”の心が、いままさに噴き出し、若い生命を激しく燃焼させていた。
「ああああああああああっ!」
――知覚強化端子が蒼い光を迸らせ、ミリィの全身を覆う。
握った刃に、仲間達の想いを、仲間達への想いも込めて、断末魔にも似た絶叫とともに、ミリィはボロボロの肉体を銀鴉へと疾駆させていた。
朱い視界のなか、若者達の愚直な、無垢なる“意志”が、稲光のように煌めいていた。
「非歯歯ッ! ひでぇ有様ダナァ、甥! コイツァ軍医の旦那も頭抱えちまうかもしれねーナァ!」
時間としては約数十分後。
――死屍累々。まさにその言葉どおりの惨状であった。
戦闘員の死骸――残骸が散乱し、臓物や、千切れた人体の様々なパーツが街路を敷き詰めるなか、その朱い絨毯の上に、もはや戦闘能力の尽くを奪われ、瞳から精気を失った保安組織の隊員達が横たわっている。
その口惜しくも倒れた勇士達の身体を遠慮なしに踏みつけ、銀鴉は咆哮じみた笑い声を響かせる――。
「オマエら、真剣深刻に馬鹿ダヨナァ。俺と比べりゃ、ミジンコみてぇなもんだが、“強化兵士”としては上等なモンだ。素直に投降すりゃあ組織も上物の“素体”として迎え入れてくれただろうにヨォ」
勿体ネェ、勿体ネェ。
奇声を上げる忌銀の怪鳥の周囲にまた、新たな鉄球が落下し、戦闘員の群れが再度、街路を埋め尽くす。その光景を霞む視界に映し、悔しさと、動けぬ自身への憤怒で震える四肢を、ミリィは確かに知覚する。
敵わなかった。届かなかった。
その残悔の念はジェイクとガルドの心も等しく蝕み、三人の若者は歯噛みし、かろうじて動く指先に力を込める。
もう少し、もう少しで“あの人”のところへ届く。
あと数分で、“策”が結実する。あと――、
「オラァ!」
「――ッ!」
だが、彼等のそんな想いを――銀鴉は動きかけたミリィの手のひらを蹴り飛ばし、踏み躙ることで、蹂躙する。忌銀の鎧装を、街を灼く焔が照らし、異形の朱に染め上げる。
既に“人間”を捨てた凶獣の有様が、刃の如く、視る者の眼に刻み込まれる。
「非ィ――穿ァッ! 本番絶頂はこれからだぜ、野郎共ォッ! 人間狩りだッ! 殺戮ショーの開幕だッ! 一人も残す必要はねぇ、どっかに隠れてやがる実験体野郎と適正者ともども、皆殺し中の皆殺し、死の“芸術”をこの街にぶちまけてやれぇッ! そう――“神”なき世界で“神”であるためにィ!」
守れない、のか。長に、父に託されたこの街を。
隊長に託された使命も果たせずに。
足掻く心が知覚強化端子から微かな光を搾り出す。
「んじゃあ景気づけに三匹とも死んどけや! 三人仲良く串刺しってのがベターかねぇ? ファンファーレに相応しいよう、怒派手に“噴き上げて”くれヨォ!?」
周囲の空気を腐食させるような、醜怪な“悪意”とともに、銀鴉の腕の刃が瞬時に、長剣のような形状に変化する――。
無念だ、あまりに無念だ。
ごめんなさい、隊長。ごめんなさい、サファイアさん。
救世主なんて――自分しかいないのに、私は救世主にはなれなかった。
自分自身を、自分自身の力でこの街を救うことができなかった。
――ああ、でも、神よ、父がこの街を“ナザレス”と名付けた理由を知るのなら、
「さぁ逝っちまいねェッ! 可愛い雌豚さんよぉ!」
(救世主を……救世主をこの街にっ!)
伸ばされた手が、指が、空を泳ぐ。
掴めぬものを、必死に掴もうとするように。――刹那、
「―――!?」
突如、空中のヘリが爆散し、破片を街路へと次々と舞い散らせる。その轟音に銀鴉が動きを止め、視線を上空へと向けた時、そこには常軌を逸した一つの存在があった。
「 “腕”、だとォ?」
「あ……」
そこには、巨大な“腕”があった。
巨木の如く天まで伸び、ヘリを掴みとれるほどに肥大化した、巨大に過ぎる“腕”が。
ヴェノムの隊員達が倒して、倒して、倒し尽くした戦闘員の死骸。その夥しい数の死骸を黒いゲル状の物質が繋ぎ止め、巨大な腕、拳を形成しているのだ。
それはいまにも銀鴉や地上を蠢く戦闘員を喰らい尽くさんと、鎌首をもたげる大蛇のようにも見えた。不定形にして混沌。その元凶たる異形の名は、
「これは……これはあの野郎カッ!」
“壊音”。
死骸を束ね、巨人の腕と化したその魔獣は、鉄球を補充、投下していた全てのヘリを叩き落とし、街路をさらなる焔で包む。
そして、異様極まる事態に、半ば恐慌状態に陥りつつあった戦闘員達を、街路から染み出した無数のゲル状の針が貫き、殲滅する。
街を侵し、蹂躙していた“賊”達はいま、悟る。自分達は稼がれていた。ヘリを叩き落とすための時間を。あの巨腕を構築する為の時間を。そして、自分達はいま、“結界”のなかにいる。
ボロ雑巾のように街路に横たわる三人によって誘い込まれた、決死の結界のなかに――!
「チィッ…! 奇穿亜ッ!」
危機を直感した銀鴉の肉に埋め込まれた複数の醒石が発光し、間髪いれず銀の腕から放たれた衝撃波が、巨人の腕を構築していた死骸の束を吹き飛ばし、肉片と黒いゲル状の雨を周囲に降り注がせる。
そして、その雨の中、銀鴉の強化された聴覚が、遠方から近づく一つの靴音を察知する。
やがて、その視覚には、一人の青年の輪郭が映し出され、歩を止めた青年の端正な顔立ちが、街を包む焔に照らし出される。
「貴…様…」
その時、銀鴉の眼に映された存在は、予想された青年の容貌ではなかった。
思わず息を飲んだ銀鴉の単眼に、左半分をゲルに覆われた秀麗であったはずの顔立ちが映し出される。
青年は、無数のゲル状の蛇を、鷹を、犬を、その身に絡ませ、戦闘員を斬り尽くしてきた妖刀から血を滴らせていた。
その背後に、壊音によって死骸を束ねた“竜”を従える様は、煉獄から這い出した魔王を想起させる――。
組織によって情報は詳細に収集され 既に一度は対峙している者に対し、銀鴉は尋ねる。
「貴様、何者だ……」
そして、
「人間ヲ――護る存在だ」
答える青年の声は既に――人間のモノではなかった。
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