第10話 悲壮―ミリィ―Ⅰ
×××
喰わせろ、喰ワせろ、喰ワセロ!!!!!!
全く巫山戯ている。これほどの獲物が、これほどの状況がありながら貴様は何故――!
貴様はいつまで、こんなチマチマとした小細工に終始しているつもりだ?
荒れ狂う憤怒と衝動。一行に動かず、自らに退屈よりもなお悪い“作業”を強いる宿主に対し、獣は牙立てるような“意志”による圧迫を繰り返していた。
動け、動け、動け、動け! 神経に直接、刺激を与えてやろうか。皮膚を強引に裂いて、外に這い出てやろうか。腸のなかに潜り込んで、内から喰いちぎってやろうか。
あらゆる脅迫と制裁を吟味しながら、獣は宿主の精神の内側を、“揺らぎ”をまさぐる。
(ほう……)
そして、その過程で獣は、宿主たる青年の焦りを感知する。
――中継が途切れた。
それが宿主の腸を蠢く焦燥の元凶であった。恐らく一部地区の賊の掃討、状況の監視と精神感応による報告を任せていた部下が、“好き勝手”を始めたのだろう。
“馬鹿な…! よせ…っ!”
青年の内なる咆哮が、獣の黒々(くろぐろ)とした肉を“心地よく”震わせる。
クク、成程。コレはコレで美味なるエサだ。
青年の焦りを貪るように喰らい、獣はほくそ笑む。
まぁいい。動かないのなら、動かずにいられるかどうかを眺めるのもまた、一興だ。
さぁ、試験の始まりだ。
例によって、“人間を捨てる”とほざいた――貴様の覚悟を見せてみろ。
舌舐めずりするように、獣は青年の内側に己が肉を這わせ、蠢く――。
×××
「ミリィ……」
鼻腔を刺し貫くような、強烈な血臭と、散乱する臓腑から漏れでた汚物の悪臭。
積み上げられた屍――否、残骸の数はもはや百はくだらない。地獄と呼んで相違ない修羅の情景である。
そして、その情景を生み出した要因である、二人の強化兵士は、地獄を呼んだ戦鬼に似合わぬ狼狽をその表情のなかに浮かべていた。
多量の返り血に頬を、半身を染め、銀鴉の前に立ち塞がる戦友――ミリィ・フラッドの姿に、ジェイクとガルドの二人は息を飲み、なんとか彼女を退がらせようと、満身創痍の肉体を引き摺るようにして、前へと進ませていた。
「ミリィ……ば、馬鹿か、お前……! 何指示を無視してやがる! お前の役目は隊長の補助でこっちじゃねえだろう!」
自身でも驚くほどに震える声は、作戦の詳細すら勘繰られかねない言葉を紡ぎ出す。
下がらせなければならなかった。男の醜態を晒してでも、彼女をこの戦場から遠ざけねばならなかった。
気持ちは、わかる。ホワイト夫妻を殺め、長を――父を奪った怨敵を自らの手で滅したいという衝動。また、その犠牲となった夫妻と父の為にも、何としてでも、この任務を達成させるという、胸焦がす“想い”。その共有は確かだ。
だが、非戦闘型の彼女が対峙するには、眼前の銀鴉はあまりに規格外過ぎる。
「……かといってお前たち二人だけに任せられるほど、事態は容易じゃないだろう。それは状況を監視していた私が一番よくわかってる……」
「奇奇奇…しまらないねぇ、“女の子”のご登場は華やかでいいが、俺の好みは尻突き出した、 淫乱な“雌”のほうデネェ…」
腰に手を当て、単眼をわざとらしく細めた銀鴉は、背から伸びる触手“忌銀の翼槍”を揺らめかせながら、下卑た声音を詠わせる。胸部に再度、浮かび上がるジャック本来の貌が、視覚するミリィの肢体を舐めまわすように舌舐めずりし、その貌にジェイクの激情は軽々と沸点を飛び越える。
「ね、寝ぼけてんじゃねぇ、てめえの相手は変わらず俺とこのガルドだ。てめえみてえな怪物――」
「爬ッ!」
ジェイクが骨刀を躍動させんとした瞬間、残像すら視認させることなく、背後へと回り込んだ銀鴉の触手がジェイクとガルドの肉体を弾き飛ばす。
「てめえら相手の“試験”は既に終わってんだよォ。ったく――前戯も長すぎると萎えちまうだろう我」
銀鴉は唯一、五体満足なミリィを眺めながら、溢れる異能を確かめるように指を蠢かせる。
「あの人柱実験体、響……ムラサメとかいったか、俺がここまで強化されちまってるとなると、歯応えがありそうなのは奴ぐらいかねぇ。あの男にゃ組織としても用があるらしいしなぁ――しかし、例によって人柱実験体の女が“適正者”とはねぇ」
「女……?」
聞き捨てならぬ言葉に、ミリィの表情の険しさは増し、その背筋には、悪寒が走る。
脳裏に、“彼女”の赤い髪と、透き通る青空のような青の瞳が蘇る。
「ヘッ――てめえらの個人情報なんざ、“組織”、“畏敬の赤”の連中の前じゃ丸裸も同然だぜぇ? 特に直接、闘り合う可能性のある保安組織関連の下調べは念入り万全って訳だ。そこに有難ぇことに、俺達のお目当てがたまたま“いた”って事だヨォ…」
「……!」
その言葉に、いままでミリィのなかで繋がらずにいた幾つかの要素が、綺麗に符号した気がした。これまで“勘”を絶え間なく騒がせてきた感覚。それは言葉にすれば、何者かに覗き見されているような感覚、ではなかったか。
自分達、“魔法使い”の絶対監視とも違う、もっと異質な、言葉を与えられるまで気付かないような、圧倒的な視点。
そして、先程、街の人達を避難誘導している時も、街の状況を把握するために能力を発現させた時も、彼女――サファイア・モルゲンと、アルの姿を感知、発見することはできなかった。
響も口にはださないが、いや、口にだせないほど――その現実を憂慮しているに違いない。
そう、間違いない。
(彼女は巻き込まれている……。この事件の、状況の中心に――!)
「奇奇奇…oioiッ妙な顔して、何を考えこんでやがる。……あ、そーカァ、てめー、あの人柱実験体に惚れてやがんのかぁ? なるほどぉ、そりゃあ、あの女が死んでくれりゃあ万々歳って訳カァ……」
「――!?」
わかります、わかりますよ、お嬢さん。そう呟きながら、ミリィに歩み寄った銀鴉は己の指をミリィの顎へと添える。挑発するように、銀鴉の胸の顔がほくそ笑む――。
「何も動揺することなんかない是ぇ? 他者から奪う“欲望”と、獲物を切り刻む“衝動”こそが俺達、“強化兵士“の本質だ。そう感じたてめえは他の連中に比べてだいぶ見所がある。おっ勃っちまいそうなほどになァ……」
「フン、そんな……粗末なものでいきりたつなッ」
「ア――?」
――ザン!
ミリィの唇から、矢の如き言霊が放たれた次の瞬間、ミリィの顎に添えられていた銀鴉の右手は一文字に裂かれ、緑色の体液を撒き散らしていた。
――いや、体液と見えたのは飽くまで視覚状のことで、正確には、水銀の鎧装を構成していたエネルギーの残滓と言うべきかもしれない。
その銀鴉にとって予想外の損傷を与えた得物を、銀鴉はまじまじと眺める。
最初に手にしていた短刀ではない。
短刀は既に投げ捨てられ、刀身が青白く発光する大型の鉈のような武装が彼女の両手に握られていた。
“痛みに喘ぐ双児”。
それが“魔法使い”である彼女の切り札であり、ジェイクやガルドが何としても使用を避けさせたかった、“死神”でもあった。
「……何を勘違いしてるんだ、下郎……」
そして、ミリィの左眼を覆っていた眼帯は内から溢れた光によって爆ぜ、藻屑となって闇に四散する。
露になったミリィの眼窩に埋め込まれた球体――“知覚強化端子”が眩い光を放ち、ミリィの全身を、その周囲を、青白く染めていく。
その姿は美しい――。だが、彼女の全身を染める、“知覚強化端子”から溢れ出した青の光は、死化粧のような儚さも、見る者の脳裏に印象付ける。
「たとえ届かなくとも…! 私、ミリィ・フラッドは響=ムラサメを愛する女として――サファイア・モルゲン、彼女を護るのだ!」
「ほぉう……?」
己の生命そのものを燃焼させているかのような、凄絶な気迫とともに鉈を突き付けるミリィの姿に、銀鴉の下卑た声音に興味の色が添えられる。
そして、銀鴉の背後、ミリィ達の周囲を囲うように、また新たな鉄球が落下。内部から次々と戦闘員を吐き出す。
……いったい、コイツらはいつ底を突くのか。恐らく近隣に“中継基地”があり、上空を忙しなく飛ぶヘリがそこから“補充”して運んでくるのだろう。
成程――隊長の読み通りだ。隊長は言っていた。相手は煌都を真っ向から敵に回し、一都市を一夜で廃墟に変えたという“組織”。百や二百、当然といって然るべきだ。
やはり、元から断たなければ。この“作戦”を、何としてでもやり遂げなければ。
ミリィの握る“痛みに喘ぐ双児”の刀身の輝きが、決意とともに勢いを増す。
「三発目、か。本番前に萎えさせるなよ、“お嬢さん”」
――闘れ。
銀鴉の舌舐めずりと呼応するように、補充された戦闘員の群れはミリィ達へと一斉に襲い掛る。
互いの剣閃が閃くと同時に、新たな血飛沫が舞い散り、さらなる血の“赤”が街路をその陰惨なる色彩で覆い尽くす。
(…ミリィ…)
死臭漂う戦闘の再開。その光景を想起させる情念を、体内で蠢く黒の獣を通して感知した青年は歯噛みする。
状況の打開にはいましばらくの時間を有する。
まもなく――戦闘の開始から一時間が経過しようとしていた。
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