第09話 剛腕―ガルド―
#8
――赤、朱、紅。
飛び散った鮮血が路面を流れる様は、さながら泥の河だった。
ガルドの振るう『六腕巨塊』――鎖の先端に結び付けられた、かつて鉄槌であった鉄塊は、巨人が振るう六本の巨腕の如く、縦横無尽に空間を駆け巡り、飛び掛る戦闘員の群れを次々と粉砕――挽肉にしていた。
掠っただけで人体を完膚なきまでに砕くその破壊力も驚異的ながら、その軌道の制御もまた、驚異的……ヒトの領域を逸脱して余りあるものであった。
ガルドの重心の移動、筋肉の動き一つ、一つが鉄塊を己が身体の一部のように操り、戦場を絶えず乱舞するジェイクを正確に避けたまま、狙いを定めた標的だけを忠実に、躊躇なく潰す。叩き潰す。
この鉄球によってもたらされるものは、不可避の“死”、それのみである。
にも関わらず、戦闘員達が絶えず殺到することをやめないのは、同士であるはずの白鴉がさらに変異した、形容し難い“異物”から逃れるためかもしれない。
異様、異常、異質。かろうじて人の型を想起させる四肢も、もはや、“かつて人間であったもの”の虚しい残骸に過ぎない。
無機的なはずの銀の表皮は、時折、血管が脈打つように蠢き、背にあった翼は裂け、四本の触手――もしくは槍のような形状へと変貌している。
緑色に輝く単眼に至っては、覗き込めば、即座に心を蝕むような底知れぬ虚無を湛えていた。
「怪物め……!」
人々が自分たちを畏れ、罵るように、畏怖と侮蔑を込めて吐き捨てると、ガルドは地を滑らせるようにして、『六腕巨塊』の鎖を“かつて白鴉であったもの”へと投げ放つ。
砲弾の如く粉塵を巻き上げながら滑走したそれは、白鴉――いまは銀鴉というべきか――の脚を絡めとり、地面へと強引に引き倒す。
無可動の人形のように身動き一つ、姿勢一つ変えず、路面に叩き付けられた銀鴉を鎖ごと引きずり寄せるガルドの右腕に、制服の上からでも視認できるほど、雄々(おお)しく血管が浮き立つ。
その刹那、ガルドは背に携えていたもう一つの“得物”を左腕に装着する。
“パイルバンカー”――。
鉄ごしらえのぶあつい盾のような形状を持つその武装は、中央に巨大な鉄杭と、それを押し出すための強力な火薬を孕ませている。
「雄雄雄雄雄雄雄雄ォォォッ!」
ガルドが左腕を振り抜き、持ち手の引き金を引いた瞬間、炸裂した火薬によって、轟然と射出された鉄杭が銀鴉の顔面へと叩き込まれる!
確かな手応えがガルドの腕を走り抜け、銀の表皮、その破片が、火花とともに鮮やかに飛び散っていた。――が。
「ナッ…!?」
「奇奇奇……なかなかの玩具だったがナァ、俺と遊ぶにゃ対象年齢がちと、低すぎたようダゼェ?」
射出された鉄杭は確かに銀鴉の顔面を直撃していた。だが、その金剛石すら砕くはずの一撃は、バイザーの如きスリットすら満足に砕けぬまま、その運動を停止していた。まさしく子供の玩具で殴りつけたのと同様に、なんの意味も成さず――。
そして、鉄杭の先端に溶け出すように液体に戻り、蠢き出した水銀が絡みつき、じわじわとその範囲を広げてゆく。まるで、鉄杭を喰らい、消化するかのように。
「クッ――!?」
本能的に”危険“を悟ったガルドの巨腕が、銀鴉の脚を捕えたままの鎖ごと、力任せに銀鴉の身体を投擲する。
炎上する建造物の外壁にぶち当たり、破砕した外壁と粉塵を巻き上げる様は、並の相手であれば、“決着”を確信するに値する光景である。
だが、それが攻撃としてはおろか、防御としても不十分なものであることを、ガルド自身の本能――“経験”と“勘”が、その場にいる誰よりも察していた。そして、
「ヌ!?」
――グイ、と、握った鎖に強烈な力を感じた瞬間、ガルドの巨体は釣り上げられるように、高く宙を舞っていた。大きく放物線を描き、地面に叩き付けられた巨体は、ガリガリと街路を削り、引き摺られながら、終点へと招き入れられる。
そのガルドの鼻先で、銀鴉の緑色の単眼が妖しく光る。
「よぉ、おっさん。キスしちまおうか? 大サービスでよぉ!」
次の刹那! 強烈な頭突きがガルドの脳を揺らし、『六腕巨塊』の鎖を引きちぎって放たれた蹴りがガルドの巨躯をいとも簡単に飛翔させる!
人間の領域を遥かに逸脱した、ガルドの強化された筋力も、この銀鴉の前ではもはや、児戯に等しかった。
――子供と重戦車が喧嘩しているようなものだ。
パワーとスピード。ガルドとジェイクの特化したその能力を、軽々と凌駕して余りある“超醒獣兵”という怪物に、二人は全身を蝕む激痛を忘れさせるほどの、“絶望”と“焦燥”を噛み締めずにはいられなかった。
「畜生……畜生、くそったれえええええええええええええッ!」
そして、折れそうな心を鼓舞するように、あるいは折れた心をそのままぶつけるように、ジェイクとガルドは半ば“特攻”に等しい突撃を仕掛ける!
――が、その一撃は銀鴉の背にある四本の触手、“忌銀の翼槍”によって弾かれ、二人の身体は虚しく地を転がる。
――次元が違いすぎる。
人間どころか、もはや“生物”の範疇にあるかどうかすら定かではない“怪物”を前に、皮肉にも、強化兵士という怪物として畏れられてきた二人は、自分達がただの人間に過ぎないことを痛感していた。恐怖によって脂汗が噴き出し、立ち上がろうとする脚は、ガクガクと無様に震えている。だが、
(退くわけにゃ……いかねえ)
託された使命がある。護るべきものがある。だからこそ、二人の“防人”は立ち上がり、銀鴉の異貌の前に立ち塞がる。
己が生命を代価としても、この“任務”だけは必ず果たすと――。
「まったく……強がりだけは一流だな、私達チームは」
「――!?」
それは、張り詰める戦場に似合わぬ可憐な声だった。
そして、穢れきった空気に切り込むような凛とした、鋭い声音であった。
短刀を構え、返り血に全身を濡らしたその乙女は、燃え盛る炎を背に、悠然と銀鴉の前にその身を晒していた。
――ミリィ・フラッド。
保安組織ヴェノムの紅一点。隻眼の魔法使い。
敗れた二人よりもなおも非力、非戦闘型であるはずの彼女の瞳は、秘めた決意によって翡翠の如き、美麗な輝きを滲ませていた。
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