第08話 疾風―ジェイク―
#7
――コレ、は。
その異変を、“到来”を獣は逃さず察知し、観測し、咀嚼していた。
これほどの獲物が、餌が、一同に介することなど、記憶にないことだった。
……騒ぐ、騒ぐ騒ぐ騒ぐ騒ぐ、宿主の肉を喰い破らんほどに、細胞の一つ一つが狂喜し、騒ぎ出している。いま、自らを縛る鎖が厭わしい。
あれほどまでに脆弱に、あれほどまでに衰弱しきっていたはずの宿主の精神は、いまや獣の侵食を微塵も許さぬほどに強固な縛鎖を作り出し、獣の身動きを封印、制御していた。
愚カナ、我に身を任せれば、造作もない局面ダロウニ――。
……まぁいい。この“容れ物”の主が、我なのか、お前なのか。
やはり、そろそろ“決着”を付けるべき時期なのかもしれない。
獣は宿主に挑み、問いかける。
回答は――、
×××
「非…非非…非熬破亜亜亜―――っ!」
その喉から迸るような盛大な嘲笑は、聞く者の鼓膜を引き裂くように大気を震撼させる。
同時に街路を疾走する、水銀の如き物質は、逃げ惑う住民達の足元に忍び寄ると、瞬時に刃のような形状に硬質化し、足の肉を抉らんと、月光と街を焼く炎に、その刀身を光らせる。
「な…なんだ…なんなんだよコイツは!」
無数に枝分かれして、街路を支配しつつあるそれは、数十もの刃となって、悲鳴を上げて逃げ回る甘美な獲物達へと次々に襲いかかろうとしていた。
その刹那、自警団員達の構えた銃が、住民達を護るために火を吹き、銃弾を受けた水銀の刃は火花を散らす。
受けた銃弾を弾き、また時に切り裂き、その水銀の刃はまるで舞踏でもしているかのような優雅な軌跡を描きながら、自警団員達の肉を裂き、血の雨を降らせてゆく。
「非破破破破ッ! なんだよソレ、なんだよソレェ!」
奇声を発するのは、火に包まれつつある街並みに、隕石の如く突如、“落下”してきた白鴉の異形。
この忌まわしい水銀の如き物質は、その鳥のような怪物の腕から次々と垂れながされていた。
――それだけではない。物質は刃であることにとどまらず、再度、液状化すると、一箇所に群れ集まり、巨大な拳を形成して、負傷した仲間に駆け寄ろうとする自警団員達を殴り飛ばした。
その変幻自在な有り様は、数時間前の戦闘の記憶を自警団員達の脳裏にありありと呼び覚ます。
(こ、これは……響=ムラサメの……!?)
――“壊音”。不定形で変幻自在かつ、神出鬼没。この怪物が操る水銀状の武装、“忌銀の魔爪”は明らかにその特性を摸倣、継承しているように思われた。
自警団員達は知る由もないことであるが、それは“適正者”と呼ばれる特定の人間の精神・記憶を解析し、自らの形状・能力を変質させる未知の鉱物、“醒石”による力の顕現であり、白鴉――ジャック・ブローズが“壊音”との戦闘で感じた、“恐怖”、“屈辱”、“憤怒”の感情から“醒石”が産み落とした、怨嗟の申し子たる武装であった。
白鴉の肉に埋め込まれた複数の醒石は、いまも新たな凶器を生み出さんと、ドス黒い感情渦巻く主の記憶・精神をまさぐっていた。
上位種たる“賢我石”により、強制的にジャック・ブローズを“適正者”と認識させられているこれらの醒石は、もはや先住民の残した、惑星の奇蹟などではなく、殺戮のための只の“兵装”へと成り果てていた。
そして、その刹那、
「うおらあああああああああああああああああっ!」
「―――!?」
粉塵を巻き上げながら超高速で接近する影が、倒れた自警団員達にトドメを差さんと、槍のような形状へと変形した“忌銀の魔爪”を蹴り上げ、砕く!
だが、砕かれながらも、再度分散し、無数の水銀の刃と化したそれは、逃げ惑う住民達に牙を剥かんと、凶暴な疾走を開始する。――しかし、影はその全てに追い付き、鉄靴で容赦なく踏み砕いてゆく。
「……壊音の猿真似か? 十年早いぜ、鳥野郎」
苛立たしげに、“忌銀の魔爪”の破片を白鴉へと蹴り飛ばした男の名は、ジェイク・D・リー。
保安組織ヴェノムの副長にして、響=ムラサメの右腕。赤く染めた髪を逆立てたその男は、触れれば焼けるような闘志を宿した双眸で白鴉を凝視していた。
恩人を、“父”を殺害した憎き“仇”を。
「ほぉう…やるじゃねぇか。なるほど、人柱実験体のお仲間か? シケた街かと思いきや、こりゃなかなか楽しめそうじゃねーの…」
その醜悪な声を発しているのは嘴ではなく、白鴉の胸に浮かび上がった、声と同様に醜怪極まる人面であった。
位置としては、先刻の戦闘で響に砕かれた甲殻類の如き装甲に隠されていた部位である。ドクトル・サウザンドによって格段に強化された現在となっては、あえて防護する必要もないということなのだろうか。
ジャック・ブローズの本来の顔を模したそれは、だらしなく口を開き、舌を泳がせたまま、己を昂らせる戦闘衝動に身を委ねる――。
「もっと楽しませろ…踊らせろ…壊させろ…切断サセロォォォォォォッ!」
「てめえは苦しみ抜いて死ぬんだよ! クソ野郎ォォォォォォォォォッ!」
両者の咆哮が交錯し、ジェイクの“加速”が轟と、音となって地を疾走る。
次の刹那、一瞬で、間合いを詰めたジェイクの拳が、数百発もの鉄拳が、白鴉の胸へと、腹へと、嘴へと、絶え間なく叩き込まれる!
だが、その強烈な鉄拳を喰らう白鴉の――ジャックの口の端は常に享楽的に歪み、その目はどこまでも愉しげに嘲笑っていた。
この、己の吐いた血反吐にまみれ、対峙する者の憎悪に溺れるような“戦闘”こそが、至上の悦楽であるとでも言うように。
このような“戦闘”こそが、己が生き甲斐であるとでも告げるように。それこそが、“強化兵士”だとでも嘯くように。
「ひ、ひひ…いいねぇ、感じるぜ、もっとだ……もっとおおおおおおおおお!」
“忌銀の魔爪”ッ! ジャックの号令と同時に、砕かれ四散していた“忌銀の魔爪”の破片が再生・集合し、盾のような形状となって凝固。拳を受け続ける主から引き剥がすように、ジェイクの身体を弾き飛ばす!
……その盾の表面には、ジャックの“切断”、“刺突”の嗜好を示すように、びっしりと細かい刃が生やされていた。それらはジェイクの肌を剃刀のように切り裂いており、ジェイクは袖口から流れ落ちる自らの血をペロリと舐めとる。
(チッ……遊んでやがる)
情けない話だ。自身の全霊の攻撃に対し、この敵はいまだ構えてすらいない。まだ互いの手の内を見せきっていない状況のなかでも、ある程度の攻防で、力の“差”は測れる。
――成程、隊長の言っていたとおり、コイツは化け物だ。だが、
「あの人ほどじゃねぇさ……!」
戦意に猛る瞳のなかに、あの不器用で、無骨な背中が蘇り、ジェイクはさらなる“加速”を全身に強いるため、足腰に渾身の力を込める。託された“役割”は必ず果たしてみせる。己の速度に、この肉体が砕け、千切れようとも。そして、
「……ジェイク・D・リー……」
「……!」
――背に熱い視線を感じる。もし、ジェイクが振り返っていたなら、そこにはいまにも泣き出しそうな自警団員達の顔があっただろう。
ホワイト夫妻と長を殺害した“賊”の特徴は、彼等も響から聞かされている。その“賊”を、“仇”を目の前にして、後退せざるを得ないのは彼等にとって無念の極みだろう。
そう、住民の避難と傷ついた仲間の救命こそが、成すべきことであると知るが故に、彼等は私情を噛み殺し、後退せざるを得ないのだ。その心痛は――、
わかってる。だから、代わりに俺が殺る。俺が叩く。俺が撃つ。
振り返らず、背中で応えて、倒すべき敵を見据えることで、ジェイクは彼等を見送る。
……そうだ。戦闘なんてものは、兵器である俺達がやりゃあいいんだ。
構えた“骨刀”が月光を吸い上げ、“兵器”である己が本懐を果たさんと、凶暴に輝く。
――死闘開始。肺が気合を吐き出し、ジェイクが大地を蹴ると同時に、白鴉とジェイクの距離はほぼ零に縮まっていた。躍動し、唸りを上げる“骨刀”と、白鴉が右腕に発現させた刃翼がぶつかり合い、甲高い金属音と火花を散らす!
不利は百も承知。だが、自分は、自分達は、一分一秒でも長く、この化け物とあの薄気味悪い連中の目を引きつけておく必要がある。
たった四人の保安組織が、全貌も掴めぬ巨大な組織と対峙するために選んだ手段――それは、それぞれ突出した能力を持つ四人が、自分が担当する地区に出現した敵を尽く殲滅し、住民の避難する時間を稼ぐ。
敵の弾切れを待つという一種、無謀極まるものであった。無論、そのような“無謀”は策とはいえない。……だが、隠し玉はある。信頼に値する隠し玉が。
故に、それ故に、ジェイクは躊躇いなく己の“限界”を破棄した。そして、
「ぬぅ――!?」
白鴉の“刃翼”から鍔迫り合っていた“骨刀”の手応えがかき消えると同時に、鋭い斬撃が白鴉の脇腹をしたたかに切り裂いていた。
瞬間的に脱力し、白鴉の力を流体の如く受け流したジェイクが、構えた骨刀を刃翼の刃に滑らせるようにして、懐へと飛び込み、そのまま疾走り抜けたのだ。
常人には視覚できぬ域にまで“加速”した肉体は軋み、呻き、全身が爆ぜるような激痛がジェイクの全神経を駆け巡る――! まるで分身したかのような、無数のジェイクの残像が白鴉を取り囲み、途絶えることなく打撃、斬撃、蹴撃を繰り出してゆく。
「『飛燕』――! 二手、『咆虎』ッ!」
そして、防御のため、盾のように構えられた左右の刃翼の合間を掻い潜るようにして、超高速で繰り出された掌底“飛燕”が白鴉の顎をとらえる。
確かな手応えとともに白鴉の頭上に躍り出たジェイクは脳を揺らされ、昏倒しつつあるはずの仇敵へと全体重を乗せた、鉄靴での踵落とし、“咆虎”を放つ!
滾る憎悪も、噴き出す憤怒も、消せぬ後悔も、全てを込めて。――が、
「ハッ……! いわゆる“残像だ”ってやつだぜ?」
「――――!?」
ドゥーユーアンダスタン? ――次の刹那、そこに在ったはずの白鴉の姿は、夢幻の如く消え去り、代わりに鋭い衝撃がジェイクの背中を襲う!
信じ難いことに、“速度”でジェイクを凌駕した白鴉が一瞬で彼の背後を奪い、強烈な肘鉄を落としたのだ。
「がっ…!?」
激烈に過ぎる一撃に息を詰まらせたジェイクを、白鴉の脚が鞠のように蹴り飛ばす。
地面に叩きつけられ、激しく転げ回ったジェイクは、白濁とする意識のなか、態勢を立て直そうと背筋を使い、その身を強引に立ち上がらせるが、急接近した白鴉の掌は彼の顔を掴み、再度、彼を地面へと接吻させる。
口内に広がる砂利の味が、屈辱と敗北を痛烈に脳裏に印象づける――。
「非破破破破破破っ! 軍医の旦那ァ! こりゃちと強化しすぎと違いますカァ!?」
倒れたジェイクを踏みつけながら、白鴉が捲し立てると同時に、近辺に新たな鉄球が落下し、ほんの数十分前まで、あたたかな灯りをともしていた家々(いえいえ)をまた、次々(つぎつぎ)と破壊してゆく。
「や…め…ろ…」
その鉄球から這い出し、“補充”された戦闘員達の悪意に満ちた単眼が、燃える街を見据え、残された生命すら刈り取らんと動き出す。
深い損傷に喘ぎながらも、ジェイクはその凶行を止めるべく手を伸ばし、声を絞り出す。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「……了解。引き受けた」
「―――!?」
そして、そのジェイクの絶叫を、低く、岩のように硬質な声が拾い、巨大な鉄槌が、ジェイクを踏みつけていた白鴉を一撃する!
舞い上がる粉塵のなかから姿を現した巨漢は、声と同様に岩石を想起させる額から血を流しながら、己が一撃で数メートル先まで吹っ飛ばした白鴉と、戦闘員の群れを凝視していた。
薙ぎ払ってきた戦闘員達、その血肉のこびり付いた鉄槌を構える巨漢の容貌は、まさに鬼。
ガルド・ガルド。保安組織随一の剛力の男は、逃げ急ぐ住民へとふたたび意識を向けかけた戦闘員達の目を、その凄絶に過ぎる“殺気”で、自らへと一気に集中させていた。
「ガルド…すまねぇ」
「無茶をする。この怪物――お前一人で背負いきれる相手ではないぞ」
「へっ…隊長の真似だよ」
自分の担当する地区の戦闘員を殲滅し尽くした巨漢は、相も変わらぬ副隊長のへらず口に苦笑しながらも、いま眼前に在る、確かな戦果への驚嘆を込めて、立ち上がった彼の背を支える。
見たところ、この地区以外に新たな鉄球が落ちた様子はない。弾切れか、それとも何か別の目的のために温存されているのか――どちらにせよ、この地区でのジェイクの派手な暴れぶりが予想外の追加戦力まで使わせたのは確かだ。
そして、彼がこの怪物を一人で釘付けにしてくれたおかげで、ガルドは己の任務を滞りなく果たすことができた。
ならば、あとは自分が引き継ぐ。この怪物の次の相手は自分だ。
「ひひひ……イーッ! 一撃だぁ…。いいねぇ、“スピード”の次は“パワー”! 生まれ変わった俺の力を試すにゃ最高のサンドバッグだぜ、テメーら」
刹那、白鴉の背中から伸びる翼の如き金属の刃が、彼の昂りと呼応するかのように肥大化し、周囲の瓦礫を切り刻む。見れば、白鴉の肉体自体、初見時より金属の占める割合が大きくなってきている。
四肢に、胸に、腹に、埋め込まれている石が輝き、“忌銀の魔爪”の水銀が白鴉の全身を覆うように蠢いている。
そこから発せられる気配は、毒薬を煮詰めた窯から漂う臭気にも似ている。
――断じて、人のそれではない。
「……ならば、遠慮はいるまいな」
ガキン―、と。
ガルドが持つ鉄槌から鈍い音が響く。
錠が外れるようなその音とともに、鉄槌の柄から射出されたのは、ネジや釘と呼ぶにはあまりに無骨で、凶器じみた物体だった。
髑髏の意匠を施されたその止め金は、巨大な銃弾を想起させる形状を持ち、それは一つ、二つ、三つ…と、次々と射出され、地面に転がってゆく。
そして、六つ目のそれが射出された瞬間、柄の“結合”が解かれ、内部に秘匿されていた鉄鎖がその姿を露にする。
――『六腕巨塊』。それが、鉄槌という領域から逸脱し、鎖鎌や鎖分銅のように構えられたその武具の真名であった。
「――手に余る“やんちゃ“な武装だ。戯れるなら、死ぬ気で戯れろ」
構えるガルドの口の端に鬼気迫る、凄惨な笑みが宿る。彼の武器のあまりの異様な容貌と有様に、対峙する戦闘員達は息を飲み、状況を注視する。そして、
「破亜ァ…」
その新たな“驚異”に、白鴉は恍惚とした息を吐き、水銀に覆われている、侵されている全身を激しく震わせる。“戦闘”という美酒が五臓六腑に注がれ、全神経が悦びに咽ぶ。
合わせ鏡の如く――その様は眼前の“強化兵士”達も同様であるはずだった。
だが、眼前のガルド・ガルド、ジェイク・D・リーの目は、この堪えられぬ美酒に酔うこともなく、只々、よくわからぬ情念に突き動かされ、燃えている。
クダラナイナ――そう、それは、境界線を踏み越えていない、クダラナイ、“人間”の目だ。
「破ッ! このトチ狂った饗宴でシラフなんざ、場違いにも程度があるぜ――? お客様ァァァァァッ!?」
――“獣醒”ッ!
その言霊とともに、白鴉の喉からこの世全てを呪い、引き裂くような激情が解き放たれた瞬間、白鴉に埋め込まれた醒石の輝きが爆発的に増幅され、全身を覆っていた水銀が鎧の如く硬質化する!
ジャックの精神をそのまま具現化したかのように、歪に捻じれたまま固形化した水銀の甲冑は鈍く光り、怪鳥の頭部を覆い尽くした鎧兜には、新たに構築された緑色の単眼が輝く。
それはバイザーのように彫り込まれたスリッドの下で、持ち主の昂る“衝動”を示すように凶悪な煌きを、夜の闇へとナイフの如く突き立てていた。
――“超醒獣兵”。
それは醒石というこの惑星に芽吹く“奇蹟”を、欲望と悪意によって歪め抜いた、狂気の産物。“強化兵士”という呼び名すら値しない、純然たる破壊獣。
その顎が哄笑を響かせる。
ここからが、第二幕――殺戮の章(SHOW)の幕開けだと。
NEXT⇒第09話 剛腕―ガルド―