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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第二章 愚者達の饗宴―Triger of Crisis―
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第04話 幻夢―過去の残響―


#3

 

 ――眠りは深く、覚醒(かくせい)はいまだ遠い。


 無意識(むいしき)の指は戻るはずのない時計の針を巻き戻し、二度と邂逅(かいこう)を許されない“過去”をまさぐっていた。


 いま眼前に()る“記憶”という名の情景はあまりに生々しく――いまだ不安定な状態にある響の精神を激しく揺さぶる。繰り広げられた惨劇を示すように視界に広がる血の赤と、鼻腔(びこう)に満ちる錆付(さびつ)いた鉄の(ごと)き血臭。


 街路には自らが四散させた赤黒い物体、街を強襲した“賊”たちの血肉と臓腑(ぞうふ)が散見できる。


 厳しく、長い戦闘だった。死闘は――陰惨(いんさん)(きわ)めた。


 世界の統治(とうち)機関(きかん)たる煌都(こうと)から“民衆の敵(パブリックエネミー)”と認定されるほどの統率(とうそつ)された“強化兵士(カスタム・ヒューマン)”の集団。


 それを実質、一人で殲滅(せんめつ)したのだ。()むべき半身である“壊音(カイオン)”を解放し、破壊の権化(ごんげ)たる“魔獣(ビースト)”と化さなければできぬ芸当であった。


全体重を支えていた両膝が地面へと崩れ落ち、凄絶に過ぎる戦い様の反動であるかのように、彼の喉から吐瀉物(としゃぶつ)が溢れ出る。極限の疲労に意識が混濁(こんだく)する。


“悪意”に満ちた世界を転がるように彷徨(さまよ)い歩き、漂着(ひょうちゃく)したが(ごと)くに辿(たど)り着いた一つの自治区。その見知らぬ自治区のために何故、こうまでして戦ったのか――。それは恐らく響自身にも定かではない。


  そう、それは――、


「ごめん……ね」

「……?」


 そして、響は返り血に濡れた頬に、ふとあたたかさを感じる。惨状に似つかわしくない、優しい声が耳朶(じだ)()で、血の赤とは違う鮮やかな赤が響の視界を(いろど)る。


 響の眼前で彼女の(やわ)らかな赤い髪が揺れ、雲ひとつない()んだ空のような青い瞳が真っ()ぐ響の瞳を見つめていた。

 

 細くしなやかな指が、全身をゲル状の分身――“壊音”に覆われつつある響の頬にためらいなく触れ、(いつく)しむように、いまだ血を流している彼の傷痕(きずあと)をなぞる。


「……ごめんね、こんな姿にさせてしまって……この姿、見せたくなかったんだね。こんなこと……したくなかったよね。それで……あんなに」


 つぶらな瞳に()められた涙がポロポロと(こぼ)れる。


 何故(なぜ)……と(つぶや)いた響の(くちびる)に、彼女の指のぬくもりが伝わり、言葉を奪う。

涙を流す理由(わけ)など見当たらなかった。


 いや、それ以上に――人が人の(ため)に泣く理由を彼はこの時、まだ知らなかった。響の喉が彼女の言葉への肯定とも否定ともつかぬ、惑いの呻きを漏らした瞬間、少女の腕がそっと響の背中に回され、黒の外套(がいとう)のように“壊音”に張り付かれた彼の胸に少女は顔をうずめた。


「ありがとう。こんな姿になってまで守ってくれて……。ごめんなさい。こんなこと、させてしまって……」


 (むせ)かえるような血臭が支配する惨状(さんじょう)のなかで、彼女の髪の、果実のような(さわ)やかな香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。胸元を濡らす涙と少女の体温で、胸に焼け付くような熱さを感じる。


 ……物理的なものではない。


 それは彼の内の内なるもの――戦場以外何も知らぬ、“無垢(むく)”とすら呼べるその“魂”が身体(からだ)に訴えた一つの衝動。彼が生まれて初めて(おぼ)える感情の肉感的な顕現(けんげん)だった。


 見知らぬ“熱”に(うる)む己が瞳に、青年は(まど)う。そして――、


「確かに怪物だな、お前が言っていたとおり」

「……!」


 低く重く岩のように硬い、だが()(しげ)った大樹(たいじゅ)のような雄大さと穏やかさを感じさせる声音が惨劇に静まり返った街路に響き渡る。


 その声に、少女に釘付(くぎづ)けになっていた響の目線が(かす)かに動く。夕日を背に石像のように悠然(ゆうぜん)とそこに立つ、初老の男は、声から想起(そうき)される硬質(こうしつ)な印象そのままの(けわ)しい表情(かお)で響を見ていた。


 少女の唇が“長…”と(つぶや)く。少女に(うなず)き、石像がコツコツと街路を鳴らしながら響へと近付く。


 群集は息を飲み、その様子を見つめていた。端正(たんせい)な顔と引き締まった肉体に醜悪(しゅうあく)なゲル状の分身を張り付かせた()まわしい怪物へと歩み寄る、自分達の“長”の姿を。


「……だが、その“心”が我々を(まも)ってくれた。その怪物に()われなかった“心”が、な」


 大きなゴツゴツとした(てのひら)が響の肩に乗せられる。

 間近で見るその表情の険しさに宿るのは“怒り”や“他者への拒絶”ではなく、深い悲しみであった。響が感じる痛み、戸惑いを察し、噛み締めるような悲痛なる面持ち――。


 そして、響がそこにある感情(ココロ)(かい)せず、(ほう)けるように男の顔を見上げた刹那(せつな)、悲しみに染まっていた石像の顔が瞬時に温かみを(にじ)ませた。


 年齢(とし)を重ねるごとに刻み込まれてきた(しわ)が溢れる感情を示すように動き、男が胸の奥に秘めた真なる心を導き出す。そこに()るのは心から他者を(いた)わる想い――熱く、(たぎ)るような“慈愛(じあい)”である。


「――人間だ。お前は。それも俺が知る限り、もっとも強い部類に入る人間だ。自らの抱えているものに飲まれず(あらが)い続ける……それがどんなに辛いことか、俺にもよくわかるつもりだ。――だから、だからこそ、その抱えているものを我々にもわけて欲しい」


 言葉を進める度に、自らの暗部――その過去と向き合うような(かげ)りが男の瞳に差し、男の声音が(かす)かに(ふる)える。またそれ故に男の口から発せられる言葉は重く、深く、聞く者の胸に突き刺さる。


 そして、響の肩に置かれていた手は静かに離れ、血に(けが)れた街路に膝をつき、自らを見上げる青年へとゆっくりと差し伸べられる。


歓迎(かんげい)しよう、響=ムラサメ。此処(ここ)にあるものを、この疲弊(ひへい)した世界でようやく芽吹(めぶ)いた平穏を、皆の生涯(しょうがい)(まも)るために共に戦って欲しい。お前となら、お前なら――それが出来る」


 それは青年の生涯(しょうがい)のなかで、初めて差し伸べられた手だった。

 瞳に映るその手は、己の全てを包み込んでしまいそうなほど、大きくて、温かい――。


(あ……)

 

 ――そして、戸惑(とまど)いながらも(かた)く傷だらけのそれへと手を伸ばし、握り締めた瞬間、疲弊(ひへい)しきった青年の()から熱い(しずく)が一筋流れた。握った手から伝わる男の体温が、響の胸に熱いものをこみ上げらせる。


 その手に――そっと少女の手が添えられる。


 同時に、胸のなかで(たぎ)る熱いものが嗚咽(おえつ)となって喉から(ほとばし)った。

それは、親からはぐれた迷い子がやっと我が家に辿(たど)り着いたような、安堵(あんど)嗚咽(おえつ)


 そして、後にこの自治区(ナザレス)(まも)りの(かなめ)となる保安組織ヴェノム――それを(たば)ねることとなる男が発した、(キョウ)=ムラサメという一人の人間の、その歩むべき道へと続く“始まり”の嗚咽(おえつ)だった。


(オ、レ、は……)


 (なつ)かしく忘れ()ぬその記憶に、現在(いま)ふたたびの涙が溢れ出すのを感じる。

次第(しだい)に目覚めへと近づく意識が、過去の幻影を(かす)ませ、その優しい輪郭(りんかく)を消し去ってゆく。


(俺は……ッ!)


 過去を(まさぐ)っていた無意識の手は自らを包む懐かしいぬくもりを求め、掴むように、また、振り払うように、激しい怒り、残悔(ざんかい)とともに天へと突き上げられる! ……(まも)りたかった、(まも)れなかった、二度と戻らぬその人の笑みを(まぶた)の裏に焼き付けながら。そして――、


(じい)……(じい)さんッ!」


 ――咆哮(ほうこう)のような叫びとともに青年は覚醒(かくせい)する。


 いまだ意識を朦朧(もうろう)とさせる夢の残滓(ざんし)を振り払うように、頭を振ると同時にベッドの上に横たわっていた四肢(しし)次第(しだい)に感覚を取り戻し、自らの状態を認識しつつある眼球が“此処(ここ)は…?”と、四方へ動く。そして、


「隊長……隊長っ!」


 覚醒(かくせい)したばかりの青年の鼓膜(こまく)を、鈴の()のような()んだ声音(こわね)が震わせる。


 自らに抱きついた柔らかな腕、あたたかな指がぬくもりとともに、(ふか)(ねむ)りから覚め、(よみがえ)りつつある五感を響に再認識(さいにんしき)させる。


「ミリィ…」


 次第(しだい)にハッキリとしてゆく視界のなか、部下のなかでもっとも聡明(そうめい)で、いつも(りん)としている彼女(ミリィ)が泣き()らした目で自分を見つめているのが確認できた。


 そして、一番の泣き虫でもあるその彼女の頭をポンと叩き、響の右腕たる男――副隊長、ジェイク・D・リーは逆立(さかだ)てた髪をさらに()き上げながら、ホッと息を()き出すように口を開く。


「隊長がすげえ()(さお)な顔で寝ちまってるから、コイツ――大変だったんですよ? あの“龍骸(ドラゴンズファントム)”やら“災厄の車輪(カラミティ・ホイール)“の連中と()り合った時もここまでひどい顔色じゃなかったって、さ」


 共に(くぐ)り抜けてきた死線(カコ)(なつ)かしむように、ジェイクは言葉を(つむ)ぎ、幾度(いくど)倒れても必ず立ち上がってきた眼前の隊長へと“畏敬(いけい)”の念を新たにする。ミリィはそれどころではないのか、子供のようにしゃくり上げながら嗚咽(おえつ)していた。


 仲間たちの声、温もりとともに、肌に馴染(なじ)んだ空気が疲弊(ひへい)した肉体に(かす)かな力を吹き込む。


 自身が身を横たえているベッドと、机が申し訳程度に一つ置かれただけの簡素(かんそ)(きわ)まる見慣(みな)れた風景――自分はどうやら、隊員寮の自室に運ばれてきているらしい。


「でも……今回はマジで死んじまったかと思っちまいましたよ。“厄介(やっかい)な”状態だった“壊音(アレ)”を止めるためとはいえ、致死量ギリギリの量を隊長には()らわせちまいましたからね。――それで無事なんだ。不死身の怪物(フリークス)不名誉(ふめいよ)不快(ふかい)な異名ですが、伊達(だて)ではなかった……てことですかね」


 茶化(ちゃか)すような口調ではあったが、そう語るジェイクの声音には真摯(しんし)な“安堵(あんど)”と、深刻(しんこく)な“(おそ)れ”が確かに同居(どうきょ)し、(にじ)んでいた。響=ムラサメ。どのような状況下にあっても彼の痛々しいほどのその強さは、常に変わらずジェイクを驚愕させる――本当に痛々しい程に。


 だから、だからこそ、自らの背中を預けるに値し、また、その“業”にも似た強さを背負う若い背を、命を賭して守り抜くと誓った。そんな男の目覚めにジェイクの目頭(めがしら)は自然、熱くなる。


「……“壊音(ヤツ)”は母体である俺の生命(せいめい)維持(いじ)の為に、どんな毒も、強すぎる麻酔も中和して無効化してしまう――」


 そこまで口にして、響は(かす)かに目を伏せる。


「……戦闘薬のような自身を活性化(かっせいか)させるようなものは別、だがな」


 そう語る響の声音には苦いものが満ちていた。彼のなかで(よみがえ)る戦闘の記憶。ジェイクやミリィが知ることのない事の顛末(てんまつ)を示すその“断片(かけら)”が、二人の聴覚にこびりつくようにして残る。


「だが、“壊音(ヤツ)”がそれに集中しているその(すき)に活動を(おさ)え込むこともできる。飽くまで本体である俺にしか干渉しえないわずかな隙だが」


 それぐらいでないと駄目なんだ。


「んなっ……」


 ――自身の肉体、その死に直結するような、計算というよりは“賭け”に近い重大事を淡々(たんたん)と語ってみせる、らしい返答に部下たちは一瞬、顔を見合わせ絶句する。が、すぐに苦笑交じりの安堵(あんど)の息も腹腔(ふくこう)からこみ上げてきた。


 そうだ――この、まるで自身の腹をナイフで()いて中身を(のぞ)き込み、臓腑(ぞうふ)一つ一つの状態を確認するような自身に対する冷徹(れいてつ)さと、その冷徹(れいてつ)な仮面の下にある、隠そうとしても隠し切れぬ、抑えようとしても抑え切れぬ、他者への深い情念。


 ……間違いない。錯乱(さくらん)自我(じが)喪失(そうしつ)もない。彼は、確かにそこにいる。彼らが愛する、そんな頼もしくも繊細(せんさい)な青年のままで。そして、


「ジェイク、ミリィ――」


 短い沈黙(ちんもく)。その(のち)に、響の憔悴(しょうすい)を振り切ったかのような、()んだ赤の瞳が二人を見据(みす)える。


「――案内してくれ、“爺さん”のところに」

「……!」


 安堵(あんど)(ゆる)みかけた空気が、青年の一言で一気に強張(こわば)る。


 それは抜き放たれた(やいば)(ひと)しい。安堵(あんど)の中、二人がいまだ触れず、無意識ではあっても、これまで切り出せずにいた事柄(ことがら)へと真っ直ぐに切り込んだ青年は、静かに身を起こし、ベッドから下り、用意してあったブーツを手早く足にはめた。


 そして、(かたわ)らに(たた)まれていたヴェノムの制服に(そで)を通すと、彼は壁に立て掛けられていた己が分身――村雨をその背に(たずさ)える。迷いなく、(よど)みないその所作(しょさ)流麗(りゅうれい)なほどで、二人の部下はほとんど見惚(みと)れていたといっても過言ではなかった。


 だが、(ゆえ)に、それ(ゆえ)に、部下たちは(まど)う。


「隊長、長は……」

「俺はあの人に……伝えなくちゃいけないことがある」


 言い切る声は、(かす)れることも、(ふる)えることもなく、室内に(すず)やかに響き渡る。


 満身(まんしん)創痍(そうい)にして疲労(ひろう)困憊(こんぱい)。立つことすらままならないはずの男の背中から滲み出る強靭(きょうじん)な意志が、言い(よど)む部下達に息を飲ませ、(うなず)かせる。


 先ほど確認したように、眼前の青年は錯乱(さくらん)などしていない。彼は全てを飲み込み、その上で“あの人”との対面を望んでいる――。そう理解し、先を導くべく、退室した部下たちを追って、青年の足はゆっくりと、だが確実に最初の一歩を踏み出す。


(爺さん……)


 昏睡(こんすい)のなか、まさぐっていた過去の情景によって()()まされた一つの“決意”。

それは傷だらけの肉体と精神を支える支柱となり、魂の奥底からとめどなく湧き上がる多くの“想い”に満たされたその瞳は真っ直ぐ“現在(いま)”を見据(みす)えていた。


 青年は歩む。焦燥(しょうそう)も、悔恨(かいこん)も飲み込んで。

 (たく)された意志と、(まも)りたい、(まも)るべきものの(ため)に。


NEXT⇒第05話 朱い策謀

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