第51話 すべての人生が薔薇色ならば―“LA VIE EN ROSE”―
#51
「暗号だと……? 舐めおって……」
“カシウス・L・サイファー”。
光の輪を跨ぎ、出現した異邦人――“人柱実験体・第0号”が名乗った、その名に、“殺戮者”の口舌が苛立ちを奏でる。
紫紺の鎧装を纏う、白蛇に似た面立ちを持つ、その怪物は、戦場に立つ各々の容貌を観察。
災禍の元凶たる“疑似聖人”たちを睨め付け、紫紺の鎧装の隙間から、排熱の為か、大仰に蒸気を噴出させていた。
(人柱実験体、第0号……?)
――そして、その異邦人の容貌に息を飲んだのは、“疑似聖人”たちだけではない。
同じ“人柱実験体”である響もまた、“蛇鬼”が放つ圧力に、全身の毛孔から汗が噴き出すのを感じていた。
恐らく、この個体は、響が幾重の奇跡の果てに辿り着いた“煌輝”に匹敵する力を、その身に有している。
そう確信させるに足る覇気や瘴気のようなものが、“蛇鬼”の全身からは溢れ、絶え間なく響の五感を刺激していた。そして、
(な……何だ、“彼”は……? 人柱実験体、だって――?)
迫る“神戒獣”を喰い止めるべく奮闘するブルーとシャピロもまた、その突然の来訪者に、注意を割かざるをえなかった。
特に、“蛇鬼”を“観測”したシャピロの様子は、尋常のそれではなかった。
――ほとんど“取り乱していた”と言っていい。
限りなく“恐怖”に近い衝撃が、シャピロの思考の一端を支配していた。
(何故……何故、彼の中に“アレ”と同じものがあるんだ……?)
指の震えを堪え、“白輝槍”を握り直したシャピロへと、“神戒獣”の体組織が変化した触手が殺到!
そのまま激しい攻防戦へと雪崩込み、シャピロの思考と戦慄を、半ば強制的に中断させていた。そして、
「お、おい、ミリィ。あれ、なんか解析してるか――?」
仲間たちと“黄金邪龍樹”と対峙していたジェイクも、突如として出現した、“ただならぬ”異邦人の異幌に、思わずミリィへと震える声を投げていた。
ミリィは頷きながら、“黄金邪龍樹”へと、光の矢を連射……!
知覚強化端子に流れ込む、膨大な情報の整理を試みる。だが、
「いや、“彼”は、私には荷が重い。……“人柱実験体”と名乗ってるみたいだけど――」
その躰に秘められた“謎”は、とてもミリィ一人で解析できる類のものではなかった。
思考全体を占拠しかねない、その情報の渦を、ミリィは一時遮断。
目の前の戦闘へと、意識を向け直していた。
この信じ難い、情報の規模は、まるで――、
「隊長と同じ、という訳か――」
“黄金邪龍樹”の尾による薙ぎ払いを、戦斧で防ぎながらガルドは呟き、戦慄と高揚に身を震わせる。
――彼が、何者かはわからない。
だが、自分たちと同じ“強化兵士”に分類してよいかもわからない、禍々しい瘴気と、それを抑え込むに足る、あの堂々とした佇まい――。
それが、高い“格”を演出し、他者の迂闊な動きを封じているのは、感覚的に理解出来た。
そして、その紫紺が秘める異能は、自分たちが信奉する隊長をも凌駕するのではないか――と、密かな予感を抱いてしまう程に、“蛇鬼”が放つ圧力は強烈だった。
そして――、
「フン……!」
「……!」
裏拳のような回転とともに、“殺戮者”の“龍体抜刀”が躍動……!
“蛇鬼”へと襲いかかっていた。
だが、閃光の如き、その斬撃を、“蛇鬼”の拳が迎撃……! 空気が破裂したような轟音と共に、即座に“撃ち落として”いた。
“殺戮者”から贈られた挨拶への、強烈な返礼である。そして、
「……手癖の悪い蛇だ」
――迫る、地を這う咬牙。
拳による迎撃と同時に、“蛇鬼”の背から伸びる蛇腹状の武装――“狂歌紡ぐ毒蛇“が、“殺戮者”の足首を狙っていた。
“殺戮者”はその狡猾な蛇を踏み付け、憤怒を吐き出すように、“龍体抜刀”へと焔を纏わせ、吠える。
だが、
「そう、油断すれば、即座に“毒”は廻る」
「……!」
危険なのは、蛇の咬牙のみではなかった。
蛇腹から滲み出した、腐食性の毒液が、踏み付けた“殺戮者”の靴底を瞬く間に溶かし、侵していた。
“殺戮者”は即座に、自らの足に燃え盛る“龍体抜刀”を突き刺し、毒液を焼却。
負った損傷を瞬時に再生させながら、僅かな舌打ちを零していた。
「小癪な……」
「“だけ”ではないぞ」
“……!?”。
“蛇鬼”の行動に、無駄はなかった。
再生の隙を逃さず、素早くステップを踏むと、拳の弾幕を、“殺戮者”へと間断なく叩き込んでいた。
“殺戮者”の防御をすり抜け、胸、腹、腰を確実に捉えるジャブの連打は、確かな拳闘の技術に裏打ちされたものである。
やがて、防御の隙間を縫うように繰り出された、“蛇鬼”の拳が“殺戮者”の顎先を捕捉!
脳を揺らす衝撃が、その態勢をガクンと、大きく崩す――。
「コォォォ……」
静謐にして凶暴な呼吸と共に、“蛇鬼”の両腕、その筋肉が膨張し、硬化!
そのまま、野球の投手のように、大きく拳を振りかぶっていた。
――それは、“決着”を予感させて、余りあるものである。
だが、
「待ってくれ……!」
「……!」
――割り込む、叫びがあった。
両者の狭間に、差し込む“黄金”があった。
突如、割り込んだ、その黄金の鎧装は、“蛇鬼”の拳を、真っ向から受け止め、“決着”の一撃を阻止……!
その翡翠の双眸を、真っ直ぐ“蛇鬼”へと向けていた。
「君は……」
自らの一撃を阻んだ男――響=ムラサメの姿に、カシウスの喉奥から驚愕が溢れる。
“畏敬の赤”を大量に捕食し、掌に“黄金氣”を集中させる事で、“蛇鬼”の全霊を受け止める事には成功したものの、その黄金の鎧装は罅割れ、衝撃に大地は砕けていた。
予期せぬ妨害に、“蛇鬼”の双眸が、僅かに細められる――。
「……奇妙な行動だな。私は、斃すべき“敵”を読み違えたか?」
「……すまない。コイツとの決着は俺に“譲って”くれ。この、俺に」
“譲る……?”
小さくない負荷を負ってまで、“敵”を護った響の真摯な声に、蛇鬼は、その拳を下ろし、静かに耳を傾ける。
「コイツは、“強化兵士”、俺たちの願望に歪められた“疑似聖人”だ。その決着は、俺の誤りは、俺自身が絶たなければならない――そう、感じるんだ」
「………」
“蛇鬼”は、疑似聖人および、その成り立ちを知らない。
だが、響の切迫した声は、それを察するに十分な、切なる祈りにも似た響きを有していた。
――カシウスは、それを無視できる男ではなかった。
「……頼む」
切迫した戦局の中、真っ直ぐに己を見据え、告げる響の姿に、カシウスは不思議と緩む、自身の口角を認識していた。
「……なるほど。“話通り”、歪みのない男だ。理解できる気がする。君を託そうとしたホグラン翁の気持ちが」
「……えっ?」
カシウスが告げた、予期せぬ名に、響は思わず息を呑んでいた。面喰らう響の様子に、静かに頷きながら、カシウスは彼の肩に、鱗に覆われた掌を置く。
「――確かに、私は事情を知らない。ならば、この“決着”を君に託すのも理に適う。同じ“強化兵士”である私のぶんもな」
「……すまない」
彼の言葉に多少の戸惑いはあったが、響もカシウスの裏表ない意志を感じ、素直に感謝を伝えていた。
初の邂逅であり、現状、互いに異形の風体でありながら、二人には不思議と心許せる感覚があった。
そして、
「何を、ごちゃごちゃと“連んで”いる――」
「……!」
歯軋りとともに、“殺戮者”の口舌が苛立ちを吐き出していた。
何故、必滅すべき対象の戯言を、黙して聞き逃したのか。
何故、“あのような暴挙”を、易々と見過ごしたのか。
“殺戮者”の脳髄を、自身への怒りが掻き毟る。
“憐れまれたとでも言うのか、この聖人が――”。
――響の行動は、ある意味で、“蛇鬼”の攻撃以上に、“殺戮者”を一撃し、その思考を、著しく停滞させたと言ってよかった。
その赦し難い“醜態”を振り切るように、“殺戮者”の全身から夥しい量の荊棘が這い出す――。
「おおおおおおおおおおおお……ッ!」
「……!」
這い出した荊棘は蔦となり、嵐のように荒れ狂う! それは黄金と紫紺の鎧装を斬り裂き、先端から液状化した“畏敬の赤”を滴らせていた。
「元より、抵抗する人類の抹殺は、“破壊者”より、この“殺戮者”に一任されている! 貴様らに譲り譲られる権利も、託す資格もない……!」
“一人足りとも逃すものか――”。
“殺戮者”の双眸が、黒々とした光を灯し、その全身から“畏敬の赤”を帯びた焔が、爆発的に噴き出す。
昂り、自身の肉と魂をも、燃やし尽くすかのような、“赤”と“焔”。
その苛烈さが、状況を注視する“破壊者”――フェイスレスの脳裏に、看過できぬ“予感”を走らせる。
「“殺戮者”、まさか――」
「“聖極化”ァ……ッ!!」
“言霊”の吐瀉と共に、“殺戮者”の長駆から湧き出した荊棘が、響とカシウスの周囲を、牢獄のように包囲!
燃え狂う“畏敬の赤”の焔とともに、“殺戮者”の躰は、数倍のサイズに肥大化していた。
――“畏敬の赤”に染まり、各関節を禍々しく歪曲させた、その御姿は、彼が狩らんとする“竜”そのものに見える。
「“殺戮者”……」
斃し、乗り越えるべき“疑似聖人”が切った“最後のカード”に、響は、“強化兵士”の本質でもある、其の名を呟く――。
あの禍々しさこそが、自身の罪から目を逸らし、“救われ”ようとした自分たちの弱さ、醜さ、そのものなのだと。
そして、
「選択肢は一つだ、“響=ムラサメ”」
「……!」
突如、耳朶を叩いた、自分の名に、響は言葉の主であるカシウスへと振り返る。
「……私が後方から支援する。君は憂いなく自身の目的を果たせ」
「何故、俺の名を――」
加勢を頼もしく告げるカシウスへと、響は至極当然の疑問を投げかける。
その問いに、カシウスは頷き、白蛇の貌に、涼やかな笑みを浮かべていた。
「――私は、“煌都”から来た。ならば、解答は自明だろう」
「……!」
充分に過ぎる解答だった。
“父”と慕う人が進めていた、“煌都十六戦団”への、自分たちの参加。
その縁が、この出逢いを導いた。
その縁が、この頼もしき救援者を此処に呼んだのだ。
熱くなる目頭と胸に、躰を震わせる響の背を、カシウスの掌が叩く――。
“いけ、己が想いを果たせ”、と。
そして、
「おおおおおおおおおッ!!!! 死ねよやぁああああッ!!!」
「……!」
頷いた響へ、“殺戮者”の肩口から生えた竜の首が、火球を放射……! だが、それは響の腕に、想いに猛る、黄金の鎧装に、容易く弾かれていた。
響が巻き上げた粉塵に、鎧装が放射する“黄金氣”が重なり合い、眩い黄金の世界を、響の周囲に作り出す――、
「……もし、すべての人生が薔薇色なら、“疑似聖人”達が産まれる事はなかった」
行く手を阻む荊棘を蹴散らすように、黄金の鎧装を歩ませ、響は己の道筋を定めるように、言葉を繋ぐ。
「……俺が見てきた景色もそうだ。薔薇色には程遠い、くすんだ、灰色の世界。混じる色は血の“赤”しかなかった」
その絶望が、救いを求める心が、眼前の“疑似聖人”――“殺戮者”を産んだ。
この逃れられぬ“現実”と対峙するように、響は真っ直ぐに“殺戮者”を見据え、続ける。
「だが、その灰色の世界を薔薇色に変えるため、互いに想い合い、懸命に生きている人がいる。藻掻きながら、明日を拓こうとする人がいる……!」
もはや、瑣末な迷いもない。
“殺戮者”を見据える翡翠の双眸に、いまは戻らぬ“父”の、愛する人たちの笑顔が灯る……!
「だから……人は、この世界は美しいと、俺は信じる!」
「戯言を、戯言をほざくなぁッ!!!!!」
ならば、何故、お前は、お前たちは、いまだ“救い”を求めている……!
禍々しい牙に覆われつつある、“殺戮者”の仮面から、呪詛にも似た咆哮が轟いていた。
虚勢を、嘘を吐くな、と。
「なら、俺はその“嘘”から始める……!」
“封印解除”……!
響の“覚悟”、その発声と同時に、重輝醒剣はその外殻を排除!
“畏敬の赤”――“赤”の禍根を断つ、“輝醒剣・村雨”の白銀の刀身を露としていた。
同時に、“蛇鬼”の“狂歌紡ぐ毒蛇”が、荊棘の牢獄を斬り裂き、黄金の騎士は雄々しく大地を蹴る!
いけ、疾風の如く。
数多の想いを、縁を背負った黄金が、いま、拓くべき“未来”へと駆け出していた。
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