第49話 僕は逃げない―“resolve”―
#49
「む……」
「ハッ……! やりやがったか……!」
罅割れた虚空に映し出された映像に、““洛陽の獣”と交戦していたシオン、我羅の喉奥から驚嘆の声が漏れ溢れていた。
雄々しき機神が、“鏖殺の獣”を両断し、塩の塊へと変える様は、全世界で歓声を呼び、絶望に塗り潰されていた夜に、“希望”という虹彩を刻んでいた。
「ふん……“煌都”にも骨のある連中がいたか。業腹だが、“認めて”やる――」
“血盟機”の紅翼を羽撃かせ、“淫蕩の獣”と、死闘を演じていた麗句の唇が称賛を紡ぎ、“淫蕩の獣”へと更なる一撃を加えていた。
黙示録の様相を呈する状況の中、彼等が“淫蕩の獣”、““洛陽の獣”を足止めしていた事が、“機神”の勝利を呼び込んだとも言える。
罅割れた虚空と、体を包む“畏敬の赤”を通じ、全世界の歓声を感知したアルは、こみ上げる感情を飲み込み、改めて前進。
罅割れた虚空を睨むフェイスレスへと、凛と声を張っていた。
「見ろよ、“”疑似聖人”の“救済”なんて、俺たちにはいらない! ここだけじゃない、世界中で、人類はそう叫んでるんだ!」
「……喚くな。此れは“来訪者”という外部因子がもたらした事。貴様らの手柄ではない」
吠える“神の子”へと視線を下ろし、フェイスレスは憤怒を侮蔑で塗り潰したような、重々しい声を響かせる。
“鏖殺の獣”を撃破されたという事実は、この不遜なる“破壊者”にも、明確な“痛手”を与えたと思われた。だが――、
「――この程度の“些事”、我等にとっては、“対処”出来る範囲のものに過ぎん」
「……!?」
感覚が捉えた“異常”に、アルの表情が曇り、その瞳が罅割れた虚空を睨む。
フェイスレスが罅割れた虚空へと、指を鳴らした刹那、“煌都”の機神の映像が消失。
同時に、“煌都”の空の罅割れも消失し、煌都の街路を埋め尽くしていた御使どもが、忽然と御姿を消していた。
「こいつら、いったい――」
オーティスの操縦席で、レイの口内から戸惑いの息が溢れる。
其れは、僥倖か、厄災か。
信じ難い事に、御使だけでなく、“機神”が対峙すべき“終焉の超獣”たちも、霧のように、その存在を“煌都”から消していた。
事実として、現在――“煌都”は、“疑似聖人”たちの“救済”から完全に切り離されていた。
「……予定外の“来訪者”には、ひとまず舞台から下りてもらう。彼奴は最後に我等が手ずから葬ろう――」
“終焉の超獣”に対抗し得る障害を、“隔離”したフェイスレスは、“赤”を湛えた双眸でアルを見下ろし、告げる。
「お前たちの悪足掻きは、結局のところ、憐れな時間稼ぎでしかないのだ。おとなしく“救われる”のが、お前たちの“最善”だ」
「…………」
アルは、その憐れみの双眸を真っ直ぐに受け止めながら、一歩前進。反抗の焔を幼い瞳に燃やしていた。
“疑似聖人”の頭目である“破壊者”を前にしても、少年に臆する様子はまるでなかった。
「……そう考えるしかないよな、アンタ達は。その為だけに生まれて、その為だけに生きているんだから」
「…………」
――彼等もまた、人類を見おろしながら、その実、“救われたい”という人類の願いに縛られた複雑な存在。
少年の脳裏で、己に課せられた運命に苛まれながら、生き抜いた少女の笑顔が瞬く。
「人間だけじゃない。俺に言わせれば、アンタ達だって十分に憐れだ」
「……囀るな、“小僧”」
少年が触れたのは、“破壊者”の逆鱗か。
アルが啖呵を切った瞬間、アルの体を防護していた“畏敬の赤”の粒子が渦巻き、少年の頚部、心臓を圧迫。
筆舌に尽くしがたい激痛を、アルの心身に与えていた。
「ぐ……あああああ……っ!?」
「驕るな。また、“柱”にしてやっても良いのだぞ、“神の子”。そうしないのは、ただ“必要がない”だけだ――」
腰に手を添えたまま、目線だけで“畏敬の赤”を操るフェイスレスは、嬲るように、苦悶するアルの表情を眺めていた。
誤魔化せぬ“苛立ち”が、“破壊者”の表情を確かに歪めていた。そして、
「お前は、この状況において――」
〈――ああ、重要な“隙”を生んでくれた――〉
“何……?”
苛立ちの中、割り込んだ思念に、フェイスレスが僅かな反応を示した瞬間、巨大な腕が彼を掴み、自らの巨体ごと高く飛び上がっていた。
――恐竜の骨格を、そのまま装甲に転じたような、その巨体の名は、ラズフリート。
その身に複数の“醒石”を埋め込んだ、“超醒獣兵・五獣将”の長である。
ラズフリートの両腕が、フェイスレスの頭骨と腰をむんずと掴み、突き刺すようにぶつけられた大角が、不遜なる“破壊者”の背骨を軋ませる……!
「重力の“底”に落ちろ! “恐骸獣重獄葬”……!」
“重力”の渦と共に、彗星の如く落下したフェイスレスとラズフリートの身体が、巨大な大穴を穿つ!
其れは、規格外の剛腕と、重力操作というラズフリートの機能を融合させた秘儀の炸裂であった。
だが、
「……やれやれ。“超醒獣兵”如きが今更、何のお遊戯だ?」
「……!」
冷徹な“破壊者”の声が、“赤”に侵された空気を震わせる。
悍ましい程の殺気を感知したラズフリートはフェイスレスの拘束を解き、素早く大穴の外へと飛び退いていた。
「……ふん。やはり、通じぬか」
全霊の秘儀を破られてもなお、ラズフリートに動揺は見られなかった。
通じない事は折り込み済みだったのか、ラズフリートは“無傷”のフェイスレスの御姿を冷静に観察。発熱した鎧装から蒸気を放出する――。
「……貴様の重力操作、概念干渉を跳ね除けたな。雑兵ではあるが、只の“超醒獣兵”でもないという訳か――」
「……俺は、“畏敬の赤”との戦闘を想定し調整された個体。通じぬまでも、対抗する術は持ち合わせている」
フェイスレスの睨め付けるような言葉に、ラズフリートは、自身の両肩に設えられた大仰な装甲、“禁断の匣”を指差し、答える。
「だが、只の人間だろう。この状況においてはな」
自嘲も、諦観もなく、“事実”として言い切ったラズフリートは、大穴から自身を凝視する“破壊者”と堂々と対峙する。
その身を浮遊させ、大穴より抜け出たフェイスレスは、黒衣の土埃を払い、巨像に挑む、憐れな蟻を見下ろしていた。
そして、
(ただの、人、間……)
ラズフリートの言葉に、アルは、苦痛に喘ぐ息を整えながら、泥に塗れた、自身の小さな手の平を見つめる。
ラズフリートの介入により、“畏敬の赤”の渦から解放されたアルは、まだ痛みの残る体を引きずり、前進。
恩人であるラズフリートと並び立っていた。
「……ありがとう、おじさん。おかげで一呼吸できた」
「無理をするな、悪いが俺は何の役にも立たん」
“ただ、見過ごせなかったのでな”。
短く告げられた、ラズフリートの言葉に、アルの口元が少し緩む。
普段なら、子供扱いは拒むところだが、この局面で、当たり前にそう言ってくれる、ラズフリートの心根が、アルには心底ありかたかった。だが、
「う……あぁぁぁ!っ?」
「ヌッ……!?」
再び“畏敬の赤”への干渉を開始したフェイスレスにより、アルの全身に言葉にならぬ激痛が轟いていた。
ラズフリートが、再度の救援を試みるも、真正面からの被弾を許す程、“破壊者”は甘くはない。
フェイスレスによって召喚された聖槍の雨が、ラズフリートを包囲し、その動きを封じていた。
ラズフリートが操る重力の渦が、聖槍を薙ぎ払うも、豪雨のように降り続ける聖槍を、殲滅するのは容易ではない――。
しかし、
「……大丈夫だよ、おじさん」
“畏敬の赤”の渦に飲まれながらも、アルは気丈に声を搾り出し、自分を見下ろす“破壊者”の双眸を睨んでいた。
足元に散らばるのは、ラズフリートが薙ぎ払った聖槍の破片。
それを手に取ったアルは、鋭利な穂先を“創世石”の力で伸ばされた自身の赤髪へと押し当てる――。
「俺も……抗うよ。ただの、人間として」
「なっ……」
穂先が赤髪を切り落とし、アルの体を覆っていた“畏敬の赤”が撓み、消える。
同時に、赤く染まっていた頭髪の一部が、元の栗色の色彩を取り戻し、青く染められていた目も、その右目を元の色彩に戻しつつあった。
その様に、“破壊者”の双眸が歪み、彼の喉が呻くような驚愕を零す――。
「まさか……自ら破棄したのか、“畏敬の赤”の加護を……」
「……違うね。取り戻したんだ、“俺自身”を!」
アルが啖呵とともに、左腕の“鎧醒器”を掲げた瞬間、フェイスレスの“畏敬の赤”による干渉は、跡形もなく跳ね除けられていた。
アルは、“殺戮者”と激しく剣閃を交える響を、“終焉の超獣”と交戦する麗句たちを、みんなを、栗色の瞳で捉えながら、フェイスレスへ“人間”として向き合う――。
「……これからだよ。これから、お前たちの“救済”を俺たちが覆す! 人間を――舐めんな!」
「…………」
眩い光を灯しつつあるアルの“鎧醒器”に、フェイスレスの目が鋭く細められる。
……だが、いかに活性化しようとも、ここに、この少年と繋がる“創世石”はない。
であれば、この“鎧醒器”が“鎧醒”させるものは何か――。
一抹の不安のようなものが、フェイスレスの臓腑の奥で蠢いていた。
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