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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第二章 愚者達の饗宴―Triger of Crisis―
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第03話 狂

#2


 それは、

 光を知らない。

 情を知らない。

 心を知らない。

 愛を知らない。


 それは――自分が何であるかを知らない。


 それはただ、己と精神と肉を混じり合わせた青年のなかで静かに牙を()ぎすましていた。

 

 戦場のなかで心を()ませ、(けが)れてゆく“彼”の憎悪と殺意を(すす)り、空虚(くうきょ)な腹を満たす日々。


 だが、少年時代から“彼”の苦悩をせせら笑い、食いものにしてきたそれをしても、自らの同種に己のような“化け物”を移植し、“神をも喰らう獣”を創造(そうぞう)せんとした人類種の傲慢(ごうまん)さと獰猛(どうもう)さには鼻白(はなじろ)むものがあった。


 ――(キョウ)壊音(カイオン)


 “天敵種”、“対なるもの”、“魔獣(ビースト)”、“骸鬼(スカルオウガ)”。

被検体番号とそのような個体識別名しか持たなかった“彼”と自分に、誰がどのような想いでその『名』を与えたかは定かではない。


 ……(キョウ)。"神をも喰らう獣”としては優しすぎる名だ。その(ひび)きを(けが)し、壊す内なる怪物である己が名は“壊音(カイオン)”。その精神をかき乱す壊れた音を制し、自らの響きを保つことができるのか――問いかけにも似たその命名には“彼”の宿命を熟知し、案ずる者の確かな情が感じられる。


 “情”、か。

 ……そうだ。程好(ほどよ)く腐り、(よど)んでいた“彼”の瞳は壊音(それ)が解することができぬそのような“情”を受け取ることで洗われ、内なる怪物が喰らわんとする人間(ヒト)としての“芯”を保持させてきた。


 だが、無駄なことだ、と内なる怪物は考える。


 “彼”の身に染み付いた血臭が新たな血を呼び、その“情”を与え(たも)うた者の生涯(しょうがい)を奪い去ってゆく――。それはこれまで幾度も繰り返されたことであり、その度に“彼”の精神はより(すさ)み、深い闇へと()ちていった。


 いまも“彼”の魂は闇のなかにある。


 壊音(おのれ)の意のままになりそうなほどの、深遠なる闇のなかに。


 足掻(あが)くな、()ちろ。そうすれば、貴様は真の魔獣となれる。

 だが、咆哮(ほうこう)めいた壊音(おのれ)の誘惑に、抗う一欠片(ひとかけら)の意思が確かに存在している。


 何の…為だ? あの男か、それとも……あの女のためか。


まぁいい。壊音(それ)は物好きな己を(わら)うように低く(うな)る。

面白い。見せてみろ、人間(ヒト)としての力を。


“神をも喰らう獣”をも手なずけんとした、その、業を。

そうすれば、貴様は――、


×××


「隊……長?」


溢れ出していた。

それはどうしようもなく溢れ出していた。


青年の精神に()いた(うつ)ろな穴から、黒々とした内なる獣が嬉々として溢れ、青年の肉体を中心として、街路を埋め尽くさんばかりに自らの領域(テリトリー)を増やし続けていた。


蜥蜴(トカゲ)のようでもあり、狼のようでもあり、その実、(むし)群体(ぐんたい)であるかのようにも見えるゲル状の怪物、“壊音”は、自らのなかに記憶されている様々な生物のデータをランダムに顕現(けんげん)させているらしく、一つにとどまらないその形状(フォルム)は“混沌(ケイオス)”、その一語に尽きるものである。


 そして、この(いびつ)な形状は、主導権が青年側にも、壊音側にも存在しない――暴走状態であることを何よりも如実(にょじつ)に示している。


(何が……起きた?)


 駆け抜ける戦慄がそれを視覚する全ての者の足を縛る。


 影や霧のように街路に充満する黒の魔獣……“壊音”は無数の犬狼をゲル状の体内に構築し、対峙するヴェノムの面々、自警団員たちを威嚇(いかく)する。


 宿主(ホスト)であり、主人(マスター)である響=ムラサメの意思が感じられぬいま、それらはいつ、その容貌(カタチ)どおりの凶暴さを持って活動を開始するか予期できぬ状態にあり、状況を注視するヴェノムの副長、ジェイク・D・リーの首筋に冷えた汗を滲ませていた。


「隊長……隊長ォッ!!」


 搾り出した叫びは(むな)しく夜闇に飲まれる。


 ひどく(よど)んだ空気のなかに混じる血臭。


 ここで戦闘が起きたことは間違いない。それも響が“壊音”を開放し、挑むほどの戦闘が。


 しかし、彼が、響が何故、このような状態になってしまったのか――繊細(せんさい)でありながらも屈強な意志で“壊音”を(おさ)え込んでいた彼が、何故、理性の(ひも)を手放してしまったのか。


 ……推測できる要因は幾つかある。


 だが、そのどれもがジェイクの胸を(えぐ)り、肌を粟立(あわだ)たせる。それは想像だけで、握り締めた拳に血を滲ませるほどの――。


【クゥ…オオオ…】

「―――!?」


 青年の喉から人ならざる唸りが漏れ、乱れた前髪によって隠された眼が赤々とした光を放つ。同時にゲル状の犬狼達が咆哮(ほうこう)を上げ、粉塵(ふんじん)を巻き上げながら周囲の建造物、その壁面を破砕(はさい)する! そして――、


「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

「ジェ、ジェイクっ!?」


 眼前に()獲物(ヒト)ではなく、“無機物”へと動いたその一撃にジェイクはある、 ”賭け“を思いつく。その刹那(せつな)、ジェイクは判断を(にぶ)らせる想定のすべてを思考の(すみ)へと追いやり、暴走状態にある隊長のもとへと疾走を開始していた。


 同時に彼のコートを思わせる真紅の戦闘服、その(みぎ)(そで)から鋭い刃が飛び出す。


 ()の名は“骨刀(ボーンブレイド)”。


 ――生体金属(バイオメタル)。有機物によって構築(こうちく)されたそれは、移植者の体内で体組織と一体化し、対組織そのものを強靭(きょうじん)な武器とする。彼の場合、それは自らの“骨”であり、その“骨”によって人間の限界を強引に突破させた、卓越(たくえつ)した運動能力――“人知を超えたスピード”であった。


 “壊音”から放たれる犬狼たちの牙を、自らの影すら振り切るようなスピードでかわしながら、ジェイクは本体である響へと一気に疾駆する!


 瞬間移動でもしているかのように、標的の眼前に突如として出現する様はもはや俊足というよりも、“縮地”である。


「目ぇ覚ましやがれえええええええええええッ!」


 ジェイクの骨刀が(ねじ)れるようにクルリと回転し、拳とともに超高速で放たれた(みね)が強烈な打撃として響を襲う。だが――、


「クッ……!?」


 鮮やかに放たれた蹴撃がその一撃を弾き、投げ飛ばすようにジェイクの身体(からだ)を、“骨刀(ボーンブレイド)”が届かない間合いの外へと放り出す。


烈蹴(れつしゅう)”。


 居合いの達人によって(さや)から抜き放たれた刀のように高速で空を裂き、適中すれば、確実に相手を昏倒(こんとう)せしめる渾身(こんしん)の上段蹴り。それは確固たる響の技であり、彼がまだ彼である、響=ムラサメである何よりの証拠と感じられた。


《――ジェイクっ! 左下段!》

「!!」


 そして、脳に直接伝えられた情報(こえ)に、ジェイクは跳躍し、足払いのように接近していた壊音の一部を回避。ゲル状の(むち)とでも呼ぶべきその“触手”の追撃を、空中で竜巻の如く体を回転させたジェイクの骨刀が切り刻み、(はば)む。


(ありがてぇっ! ミリィっ!)


 ミリィが瞬時に張り巡らせた精神波の糸が“壊音”の微細な動きを感知し、その軌道を予測。同時にそれは精神感応(テレパシー)によってジェイクの脳内に直接伝達され、ジェイクの人の領域を突破した身体能力がその情報を元に“壊音”の攻撃を次々とかわしてゆく。


「ぬぅんっ!」


 そして、街路から()み出すようにして出現した“壊音(カイオン)”の犬狼の牙を、ガルドの(きょ)(わん)、その大きな(てのひら)ががっしりと受け止め、ジェイクへの牽制(けんせい)阻止(そし)する。


 ジェイク同様、ミリィからの精神感応で“壊音(カイオン)”の動きを把握したガルドは出現位置を予測、鋭利な牙をその掌のなかに捕獲するやいなや強引に宙へと投げ飛ばし、高く舞い上がらせた自らの巨体ごと地面へと叩きつける! 


 街路を占拠しつつある“壊音(カイオン)”の質量とて無限ではない。ジェイクへの迎撃のために構築したもっとも大きな“固まり”をガルドに抑えられ、ジェイクへの牽制力を大幅に削がれた“壊音”を確認し、ジェイクは自らのスピードをさらにもう一段階引き上げる。


「悪い…隊長!」


 遠距離からさらに掻き集まろうとする“壊音”を振り切り、響の間合いに飛び込んだジェイクは再度、“骨刀(ボーンブレイド)”を響へと躍動させる!


 ――だが、それは意図的に空を切り、ジェイクは腕を振りぬいたその勢いのまま、響の背後へと身を躍らせた。


「俺も……()らうからよっ!」


 ……それは、閉幕(へいまく)の合図か、あるいは開演(かいえん)狼煙(のろし)か。


 背後をとったジェイクの両腕が響を羽交(はがい)()めにした瞬間、自警団員たちが構えた麻酔銃の群れがいっせいに咆哮(ほうこう)を上げる!


 銃声と銃弾が響の身と緊迫(きんぱく)した空気、瘴気(しょうき)(つんざ)き、衝撃が響とジェイクの身体を土埃(つちぼこり)とともに後退させる。――それは響が“もしも、自分が自分でなくなった時には……”と、自警団員たちに(たく)していた指示どおりの連携(れんけい)であった。


 自分たちヴェノムと(なか)ば対立していた街の人間――自警団員たちが、その指示を正確に履行(りこう)してくれるかどうかは“賭け”だったが、その点はうまくいったようである。


 撃ち込まれた銃弾も、響達が自らを実験台(モルモット)として調整(ちょうせい)した、対強化兵士(カスタムヒューマン)用、そして、対“壊音(カイオン)”用の特殊麻酔弾である。


 実戦投入は初だが、効果は覿面(てきめん)――(かす)っただけの右腕の(しび)れが尋常(じんじょう)ではない。


(なんとか……なったってところか……)


 緊張からの解放と、これまで懸命(けんめい)に噛み殺してきた“恐怖”によって全身から汗が噴出(ふきだ)す。


“壊音”を起動させた響の動きを止めることができるかどうかもジェイクにとって危険な賭けだったが、響の意識の深層(しんそう)に残された、確かな“自我”がそれを可能とさせてくれた。


 ジェイクの機転、ミリィとガルドとの連携(れんけい)、響が残してくれていた指示と自我。それが噛み合ったことでなされた勝利。麻酔によって肉体機能をほぼ停止させた本体とともに“壊音”は活動をゆるやかに停止させ、ゲル状の体を響の肉体へと収束(しゅうそく)させてゆく。


 数分後――街路には人間、響=ムラサメの傷つき、疲れ果てた身体のみが残されていた。


「隊長……」


 響を羽交(はが)()めにしていた体を起こし、ジェイクは血と泥に汚れた青年の顔を見つめる。壊音が溢れ出した額の付近から流れ出した血が、涙のように頬を濡らしている。


 いや……痛々しく視覚に焼き付くそれは事実、彼の無念を示す血涙(けつるい)なのかもしれない。ジェイクは内腑をムカつかせる悪寒とともに、付近にある“最重要施設”、あの飾り気のない無骨な建造物を見上げる。


「お、おい! 誰かァ……誰か来てくれッ!」


 ――そして、壁面を破壊され、内部を(あらわ)にしている一室からその上ずった声は響いた。


“予感”が疾走(はし)った。


 その声を耳にしたすべての者の背筋に、冷たい汗が流れる。


 あの部屋は、あの部屋にいた人は――、


「………ッ!」


 複数の足音が階段を駆け上がり、やがて辿り着く。


 そして目にする、室内に残された異様な物体を。


 そこに()る何かを(まも)るように凝固(ぎょうこ)した、ゲル状の(かたまり)を。


「………」


 戸惑(とまど)いと悪寒(おかん)が刃のような緊張となり、全身に突き刺さる。


 長い沈黙の後、意を決したガルドがその(かたまり)に触れると、それは役目を終えたかのように霧散(むさん)し、(まも)り続けていた亡骸(なきがら)をそこにいる全ての者たちの視界に(さら)す。

そこに()るのは――、


「そ…ん…な…」


 誰かの喉から憔悴(しょうすい)しきった、弱々しい声が漏れる。

 誰もがそれは己の声と信じた。


 等しい衝撃と絶望を、彼等(かれら)は味わい、響の暴走――その引き金(トリガー)を同時に知った。


 耐え切れぬ現実であった。

 認められぬ現実であった。


「あああああああああああああああああああああああッ!」


 街路から状況を直感し、見守っていたジェイクの喉から獣じみた咆哮(ほうこう)が響く。

響の頬を濡らしているのと同様の血涙がいま、彼の頬を流れていた。


 憤怒(ふんぬ)憎悪(ぞうお)(みにく)(ゆが)んだ強化兵士の顔を、あの部屋で眠る“父”に見せぬよう両手で顔を隠したまま、ジェイクは月へと()え続ける。


 それぞれの精神、その理性を維持(いじ)させてきた支柱は折れ、時間(とき)慟哭(どうこく)に悲しく凍りつく。


 いま誰もが理解する。平穏に満ち、人々の安息の地であった自治区(ナザレス)はもはやない――。


 此処(ここ)はすでに、血と硝煙(しょうえん)の匂いが充満する無慈悲(むじひ)な“戦場”なのだと。


NEXT⇒第04話 幻夢ユメ―過去ノ残響―

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