第46話 勇気、連なるとき―“awake”―
#46
「お月様が……割れてる?」
――割れていた。
禍々しく、大胆に、虚空に浮かぶ月は、その球体を二つに割り、内部の“孔”から触手じみた端末を揺らめかせていた。
“畏敬の赤”が暴威を振るい、何もかもが、“醒石”となりつつある世界の終末の中、当てもなく彷徨う少女は、虚空に新たに映し出された怪異に、その身を震わせる。
――祖父も、祖母も、物言わね結晶となり、哀れに砕け散った。
終末に怯えた心を熱く抱擁してくれた、姫様の歌声も、もう聞こえなくなってしまった。
……やはり、この絶望の夜に、出口などないのか。
失望と諦観が、幼い心を塗り潰す。
気が付けば、周囲には少女と同様に、わけもわからず外に彷徨い出た老若男女が、次第に集まりつつあった。
天変地異という表現も生温いような“終焉”の中、彷徨する人々は一様に足を止め、天を仰ぐ。そして――、
「……!」
彼等は視た。
彼等の視界を埋め尽くすのは、天を突き破るように屹立する、禍々しく、醜い四体の“終焉の超獣”。
“神戒獣”。
“洛陽の獣。
“淫蕩の獣”。
“鏖殺の獣”。
畏るべき異形に、声にならぬ悲鳴が、人々の腹腔から溢れ、黒い絶望が彼等の心を塗り潰す。
折れた、その心を示すように、また多くの命が“醒石”化し、砕け散っていた。だが――、
(歌わ……なきゃ……)
諦めぬ生命も、まだ其処に在る。
“煌都”の中枢である“塔”の屋上階で、世界の姫君である少女は、心に押し寄せる絶望に抗い、倒れ伏した身体を起こそうとしていた。
――しかし、その身は万全ではない。
頭上を飛翔した“淫蕩の獣”の影響により、彼女の四肢は、指先から“醒石”化が進行。立ち上がる事すら容易ではない激痛が、彼女の神経を侵していた。
「く……うぅ……」
希望の歌を紡ぐべき唇から漏れ溢れるのは、悲痛な苦悶。
結晶化しつつある指先で、地面を押し込むようにして、上体を起こそうとする彼女の鼓膜に、無慈悲な足音が響く――。
「……!」
【―-―o――o―℃@<®®®-―――】
自身を“見下ろす”気配に、嘲笑うような、不気味な咆哮に、リディアが顔を上げれば、其処には自分を覗き込む“鏖殺の獣”の昆虫のような顔面があった。
“塔”の全長が120メートルである事を考えると、この“鏖殺の獣”はそれを越える巨躯を持っている事になる。……否、世界各地に同時に存在し、概念すら歪める、此等の獣には、そのような推測すら不粋の範疇か。
【―-―o――o―®®-―――}©―――】
(くっ……!)
神経を逆撫でる嗤い声を発した、“鏖殺の獣”の両眼が発光し、その鋏のような腕が無慈悲に振り上げられる!
“塔”ごと自分を押し潰すであろう暴威に、世界の希望を背負って立つ、勇敢な少女も思わず瞳を閉じていた。
だが、
「はあああああああ……っ!」
「……!」
彼女の視界に飛び込んできた、赤の機甲。“折れぬ炎刃”――レイ・アルフォンスが、盾から発したエネルギーフィールドで、“鏖殺の獣”の顔面を殴り付け、その暴威を未然に阻止していた。
体勢を崩した”鏖殺の獣”がもたれ掛かったビルが、瓦礫の雨を降らせ、“鏖殺の獣”の昆虫の複眼じみた双眼が、憤怒を示すように発光する――。
続けて、レイをここまで運んだ、“戦闘機形態”の“嵐呼ぶ蒼翼”の機銃が、“鏖殺の獣”の注意を引き付け、誘導。
騎士と姫君に僅かな逢瀬の時間を与えていた。
「リディア……! リディア、ごめん! 遅くなった……!」
「レイ、君……」
機械的な仮面越しにも伝わる、レイの必死な表情に、激痛に喘ぐリディアの心に温かな安らぎが灯る――。
軋んでいた心を抱きしめるような、その眩い希望に、彼女は安堵し、心から感謝した。
「ははっ……ダメじゃないか。こんなとこに来て。君はわたし専属でなく、民を護る騎士なのに」
「馬鹿……! なんで……」
“なんで、こんな時まで君は強いんだよ――”。
彼女の痛々しいまでの心の強さが、騎士の心を軋ませる。
“醒石”化の苦痛に抗いながら、可憐に微笑むリディアの肩を支え、レイはきつく唇を噛んでいた。
そうしてる間にも、“醒石”化は進行し、レイの掌の下で“醒石”の範囲がみるみるうちに拡大してゆく――。
彼女の身体を蝕む痛みは、“醒石”化という“救済”に、彼女の精神が抗うが故の痛みーー言うなれば“人としての尊厳”の軋み、そのものなのだろう。
……だから、受け容れない限り、その苦痛は止まらないのだ。
「クソ……! 止まれ! お願いだから、止まれって……!」
「大丈夫……! 大丈夫だよ、レイ君……!」
騎士の狼狽をよそに、姫君は鎧装を掴み、結晶化の進む足腰を立ち上がらせようと奮闘していた。
その脚は、幾度か転倒しそうになりながらも、地をしっかりと踏み締め、激痛を飲み込んだ、世界の姫君を、戦場へと再び登壇させる――。
「……手を貸して。私、歌わなきゃ。“こんな事は乗り越えられる事なんだ”って、みんなに知らせなきゃ、伝えなきゃいけないんだ……!」
「リディア……」
その満身創痍の想いと、凛とした瞳に、騎士は思い出す。
――そうだ、彼女は“ただ守られているだけのお姫様”ではない。
自分と肩を並べて戦う『PEACE MAKER』なのだ、と。
そして――、
【―-―o――o―℃@<®®®-―――】
「この“煌都”を、民が生きる場所を、これ以上、我が物顔で歩かせはしない……!」
『PEACE MAKER』の反抗の焔は、再び燃え上がる。
リディアの決意を嘲笑うように、再び“塔”へと接近する“鏖殺の獣”の顔面を、街路から撃ち込まれた高出力のビームが直撃!
脚部鎧装に設えられたローラーによって、街路を疾駆する翠の機甲は、背部に武装された巨大な砲塔からビームを連射していた。
『PEACE MAKER』隊長であるリオン・マクスウェルの特機鎧装――“救世の聖獣”が、煌都十六戦団最大と謳われる火力を“鏖殺の獣”へと叩き付けたのだ。
――外見上は、防御を重視しているかのように見える、“救世の聖獣”の重装甲だが、その実態は“防壁を貼り付けた巨大なジェネレータ”である。
其れは、超重量の負荷、誘爆の危険性と引き換えに、無尽蔵の火力を与える“諸刃の刃”。
被弾を抑えながら、超重量を捌き切るリオン・マクスウェル以外に扱える鎧装ではない。
「皆……! この個体の行動は此処、“煌都”への指向性を持っている……! ――“塔”を狙うその目標は恐らく、人類の心を奮い立たせた“歌声”!」
「姫の嬢ちゃんか……」
リオンに追随し、街路を疾走する凱の口から苦々しい声が漏れる。
この神様気取りの怪物どもは、吐き気をもよおす最低のクソだ。
デカい図体で、年端もいかない娘に眼を血走らせてやがる。
苛立つ凱――“独り立つ銀狼”の拳が、“鏖殺の獣”の足首に叩き込まれ、その巨体を確実にグラつかせていた。
その股下を潜り抜けたカイルの、“嵐呼ぶ蒼翼”の機銃が、“鏖殺の獣”の表皮を打ち砕き、獣に憤怒の咆哮を吐き出させる――。
「でも大丈夫……! いま姫様には騎士が付いてます! 僕たちがコイツを喰い止め――いや斃せれば!」
「……そうだ。状況は悪化しているようにも見えるが、我々の攻撃は“奴等に届き易くなっている”。恐らく――奴等はあの醜い変転と引き換えに、何らかの“加護”を失ったのだろう」
カイルの通信に応えながら、リオンは射撃を続け、“鏖殺の獣”の巨体に、確実に損傷を蓄積させてゆく。
見れば、他3体の獣も、別の場所で他の誰かと交戦しているのか、“塔”から離れた位置で釘付けとされている――。
この僥倖を、見逃す事は出来ない。
「誰かはわからない。だが、この『鎧醒』も、奴等の加護の消失も、先程の奇蹟のおかげだ。誰かが齎してくれた、あの――」
「あの翡翠の光のおかげか……」
リオンの推測に、凱はその拳を固く、握り締める。
彼等はそれぞれ、心を繋いだ“醒石”を通じて、この翡翠の光に込められた、“想い”のようなものを感知していた。
誰かの未来を想い、懸命に生きた“命”の最後の輝き。
その眩しさは『PEACE MAKER』たちの心に熱く、強く刻まれていた。
「理解ったよ、リディア――」
「レイ君……」
だからこそ、姫君の肩を支えながら、騎士は、斃すべき巨獣へと視線を向ける。
「誰かが必死に紡いでくれた奇蹟だもんな。絶対に無駄にはしない……!」
「うん……!」
レイの言葉にリディアは頷き、衣装に付けたマイクから新たな音源を流して欲しいと通信を送る。
――自身の状態を悟られぬよう、凛と声を張るリディアの姿に、レイは込み上げるものを抑える事が出来なかった。
その彼女の支え、護りとなるように、レイは盾の先端を石畳へと突き刺し、フリーとなった両手で両刃剣――“Schwert・Vulkan”を構える。
奇蹟をもたらしてくれた、見知らぬ誰かと、リディアの勇気に応える為に。
「……俺たちは“受け容れない”。誰かが誰かを想う限り、その想いが連なる限り、俺たちは、人間は“諦めない”……! 必ず、お前たちを乗り越えてみせる……!」
騎士は啖呵を切り、姫君の歌声を背に受けながら、石畳を蹴る。そして――、
【そうだ、その通りだよ! レイ……!】
「……! ボブさん……!?」
その猛き、紅の勇者の聴覚に、興奮に震えた通信が届く。
煌都の遺跡技術の統括責任者であるボブは、聞き取れないほどの早口で、聴覚に興奮を叩き付けると、眼下の都市に目を向けるよう、レイに促す。
【だから、“彼”は応えた……! 全機、出撃するよ……!】
「な――」
――それは、この“煌都”に秘められた、都市防衛機能の発現であった。
驚きの声を漏らすレイの眼下で、都市全体が“変形”を開始。ハイウェイやビルが展開した街路内に収納され、代わりに、“四機”が飛び立つ為の滑走路が、地下から迫り上がっていた。
其処から発進する、マシンの名は――、
「“星翔艇”か……!」
飛び立つ三機の戦闘機と、瓦礫を蹴散らしながら進撃する戦車の雄姿に、レイの全身にも興奮と高揚が駆け巡っていた。
そう――希望はまだ、死に絶えてはいない。
連なる想いに応え、いま·“無銘の勇者”が目覚めようとしていた。
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