第43話 この翡翠の空に誓って―“All for one”―
#43
「なっ……」
――虚空に満ちた、翡翠の少女の命が、状況を大きく動かしていた。
硝子のように罅割れた虚空は、翡翠に染まり、光の破片が天使の羽根のように、地上へと降り注いでいる。
地上の人間たちは、この突然の奇蹟を半ば陶然と見上げていた。
一人の少年の未来を想った、少女の命の光を。
「あの娘が……これをしたのか?」
斧槍を手に、罅割れた虚空を飛翔していた麗句は、翡翠に染まった空を呆然と凝視。
次々と墜落し、機能停止する円盤群を前に、その唇から、震える声音を漏れ零していた。
「くそ……っ!!」
“忸怩”という言葉だけでは言い表せぬ感情が、黒鎧から“赤”を放出させ、彼女の周囲の“現実”を激しく軋ませる――。
……だが、どれほど軋ませようが、歪ませようが、“一人の少女を犠牲としてしまった”現実だけは揺るがず、彼女の眼前にあった。
それは、麗句にとっての、明確な、最悪の“敗北”である。
「……ラ=ヒルカ。ラ=ヒルカの翁め……! これがお前の、お前たちの“計画通り”なら、お前たちは人の皮を被った鬼畜だぞ! これは――外道の所業だ!」
“私は……認めん”。
……何故、人類は“悲劇”を糧にしてしか、未来を作れないのか。
世界はあとどれほどの“悲劇”を贄として求めるのか。
その覆せぬ現実に、己の非力に、黒鎧の魔女は、罅割れた虚空を舞う、紅き双翼を震わせていた。そして、
「…………」
翡翠に染まった虚空から、舞い落ちる羽根を握り締めた響は、悼むように、慈しむように、その拳を胸に置いていた。
噛み締めた歯牙の隙間から漏れる息が、声なき咆哮となって、大気に重く伝播してゆく――。
彼が纏う、眩い黄金の鎧装は、彼の悲しみを、悔恨を示すように小刻みにその輪郭を震わせていた。
その嘆きの黄金へと、彼が騎乗する“獣王”は、太い弦を革手袋で擦ったかのような、“王”の咆哮を響かせる――。
【……“護る者”よ、いまはまだ哭く時ではない。いまはその悲嘆、この“命”に応える礎とせよ――】
「わかっている……」
響の口内から、搾り出すような苦い声音が溢れる。
……そうだ、いまはまだ、涙に暮れる時ではない。
自身が跨る“獣王”から贈られた言葉に、響は重輝醒剣を握り直し、対峙すべき“疑似聖人”――“殺戮者”の突撃へと、その意識を向け直す。
(ガブリエル……お前がくれた黄金、無駄にはしない)
響の意思、動きと呼応するように、ジェイク、ミリィ、ガルドの――魂を繋いだ兄妹たちの鎧装が大地を蹴る!
同時に“殺戮者”が繰り出した刺突を、重輝醒剣の腹で受け止め、黄金の騎士は、再び死闘の渦、その坩堝へと、自らの黄金を飛び込ませていた。
そして――、
「フン……」
――響たちの鍔迫り合いによる、落雷のような金属音が響く中、“疑似聖人”の長、フェイスレスは憐れに蹲る、“神の子”へと歩を進めていた。
その“赤”を湛えた双眼は、アルの腕に残る翡翠の輝きを凝視。湧き上がる感嘆と苛立ちをその口舌に乗せる。
「……見事というべきか。ループする世界の中、“精度を高めてきた”ラ=ヒルカの遺物は、この世界線でようやく完成を迎えたという訳だ」
“……なんとも小賢しく、鬱陶しい話だ”。
自身の“赤”を撥ね退け、奇蹟を成し遂げてみせた翡翠の少女への敬意も含んだ物言いとともに、フェイスレスはアルの顔面を蹴り上げ、泥の上に転がった少年の身体を観察する――。
その双眼に映るのは、まるで、少年を慈しむように、彼の右腕に残る翡翠の光。
これは――、
(この光……ただの“残り滓”ではない。これは――)
「ブルー!!」
「……!」
――刹那。切迫した声音が思考を裂く。
白の鎧装が閃かせた三又槍が、アルへと伸ばされていたフェイスレスの腕を、防御に転じさせ、彼の意識を連続する槍撃へと向けさせていた。
癇に障る、その鬱陶しい些事に、“赤”を湛えた双眸が鋭く歪む――。
「……“人柱実験体”か」
フェイスレスが認識を言葉とした瞬間、その視界の隅で、銀蒼の光が弾ける!
相棒の声に応えたブルーの銀蒼の鎧装が、輝双剣を連結させた輝連刃・真月で、立ち塞がる“赤月の奴隷兵”の巨体を、瞬く間に十文字に切断!
その両眼に溢れる翡翠の光を、涙のように闇夜へ流していた。
「はあああッ!」
「……!」
自身の中を荒れ狂う“感情”に突き動かされるように、ブルーはその勢いのまま、相棒が相対するフェイスレスへと、その鎧装を跳躍させる!
放たれた剣閃は、フェイスレスが“躱す”事を選択するほどに鋭く、尋常ではない“圧”に満ちていた。
「……醜い蛾のように纏わりつくか。“人柱実験体”。“神黎児”の撃破は諦めたというわけか?」
「あの娘の命で、あの“神黎児”の機能は抑制されてる――なら」
“それを操る君たちの排除を優先出来る”。
フェイスレスの嘲りを、自身の解析結果で切り返し、シャピロは三又槍による強烈な刺突を繰り出す。
“救済”への影響を憂慮し、力を制限している状態のフェイスレスであれば、ニ輝がかりで倒す事も可能であるかもしれない。
そのような計算もある。だが――、
「あの少女の“弔い合戦”というわけか。なんとも感情的なことだな、“人柱実験体”」
「…………」
それ以上に身体を突き動かす衝動があった。
譲れぬ動機があった。
「俺の“処置された”脳に感傷に浸る余白はない。だが――」
虚空を翡翠に染める少女の命を瞳に映しながら、ブルーは己の忸怩を言葉とする。
「……いま、涙を流せない事を、俺は確かに“恥じている”」
「ヌ゙……!」
その吐露とともに、荒ぶる輝連刃の鋒が、フェイスレスの黒衣を微かに切り裂く――。
脳に施された処置を凌駕する想いが、ブルーの剣閃に、フェイスレスをわすかに後退させる程の、苛烈な凄味を宿らせていた。
そして――、
「天使の、羽根……?」
遠く離れた煌都の地においても、ガブリエルが残した奇蹟は、大きな状況の変化を呼んでいた。
満身創痍と言って差し支えない状態の身体を包み込む、温かな光――。
その、緊迫した状況を忘れさせる程の温もりを放つ、翡翠の光を手のひらに乗せ、レイはこれをもたらした何かに想いをはせる。
高層ビルを押し潰すように落下する円盤群と鳴り止んだ“神黎児”の忌まわしい“歌”。
――これは、この光がもたらした事のように思える。
そして、
〔……える……聞こえるかい!? みんな……!〕
「わ、わぁ!?」
突如、頭部外装に届いた大音量の通信に、レイは素っ頓狂な声を上げて、思わず尻もちをつく。
「ボブか? なんちゅー声だ、あの野郎!」
「……僕は少し耳をやられました。キーンとします……」
他の『PEACE MAkER』隊員の頭部外装にもその通信は届いており、凱とカイルも耳をおさえ、各々の反応を口にしていた。そして、
「……ノイズのない、明瞭な音声と音質。それも“強化外装”に直接、受信か――。つまり」
――そのわずかな混乱の中、隊長であるリオンは、事象の分析から一つの推論に思い至る。
「“遺跡技術”が復旧している」
「……!」
リオンの言葉に、隊員たちがハッと顔を上げた瞬間、ヘッドギアへと“ボリュームを再調整した”通信がふたたび届く。
〔その通りです! リオン隊長! 要因は何から何まで不明ですが――“遺跡技術”の稼働を阻害していた何かがいま、取り払われた! えーと……ナナヤ団長と代わります!〕
興奮冷めやらぬといった様子のボブは、早口で言葉を並べると、通信を、煌都十六戦団団長イズマイル・ナナヤの回線へと切り換える。
通信からは、この突然の僥倖に対応するべく、慌ただしく動く“塔”職員たちの声も漏れ聞こえていた。
〔……待たせたな。聞いての通りだ、リオン。現在、煌都全域の“遺跡技術”、装備品及び都市機能が回復した。これにより、お前たちが担っていた市民の救助任務は、従来の特務機甲救助隊に引き継ぐ事が可能となった〕
「……なるほど」
話は簡単だ。救助の任を解かれた以上、やる事は一つである。
――より“攻性”の、“特務機甲隊”の役目を果たすだけだ。
〔ビルに引っ掛かってる円盤の群れ、アレが市街地に落下する前に排除しろ。――遠慮はいらん、派手にぶちかませ〕
「……了解した」
リオンは短く応え、左腕に装着された“鎧醒機”の状態を確認する。
其処に在るのは、眩い光。
先程までの機能不全は解消され、心を繋いだ相棒――醒石たちが、逸る想いを伝えるように、自らを強く発光させていた。
――この終末に対し、共に立つ、“主”の背中を押すように。
「聞いての通りだ、皆。賽は投げられた。市民の為、世界の為、“この奇蹟を齎してくれた誰か”の為、我々はこれより都市防衛任務を遂行する」
隊長の言葉に、隊員たちは黙して頷き、翡翠に染まった空を見上げる。
誰かが成し遂げてくれた奇蹟を。
その尊き祈りを。
「いくぞ……!」
「「「応……っ!!!」」」
隊長の号令に各々の声が応え、それぞれが腹腔から全霊の言霊を吐き出す……!
「「「「鎧醒!!」」」」
絶望の夜に迸り、顕現する奇蹟。
“鎧醒機”に装填された“醒石”が眩い光を放ち、四人の強化外装に、雄々しき四色の“特機鎧装”を構築。
“FRAME BLADER”――レイ・アルフォンス。
“STORM WING”――カイル・アルタイス。
“SILVER FANG”――凱=シンジョウ。
“SAVIOR GRIFFON”――リオン・マクスウェル。
四人の勇者の機甲が、勢い良く瓦礫を蹴り、躍動! 市民を、世界を脅かし、その尊厳を踏み躙る円盤群へと突撃を開始していた。
「……機能停止しているとはいえ、未知数の相手だ。戦力を分散せずに、一機ずつの各個撃破を試みる。道は私が切り拓く、レイとカイルは臆せず標的へと向かえ!」
「「了解!!」」
V.F.U(可変式飛行鎧装)によって戦闘機形態に可変した、蒼の機甲に、レイの赤の機甲が跳び乗り、閃光のように標的との距離を詰めてゆく!
同時に街路を蠢き始め、レイたちに絡み付かんとする荊の蔦を、翠の機甲、その重装甲に設えられた砲塔による砲撃が焼き払っていた。
「凱……!」
「理解ってるって!」
そして、砲台と化したリオンの背を護るのは、銀の機甲――。
狼を想起させる意匠を持つ、その機甲は、野獣の如き暴力でリオンに接近する蔦と“御使”の群れを、尽く殲滅していた。
同時に、
「――――ッ!?」
煌都から遠く隔たれた、辺境の血戦の地に、強い“光”が迸る!
「……“神の子”か……!」
“破壊者”の口内から零れる舌打。
フェイスレスと、彼と相対する二輝を押し退けた、その“赤”の光は、強烈な余波で大地を削り、拡散。
粉塵の中、静かに立ち上がる少年の身体、その眼差しを、荘厳に照らし、飾り立てていた。
「……ありがとう、ブルーさん、シャピロさん。ガブの為に怒ってくれて」
「アル……ホワイト……」
まだ悲しみの残る――否、いまだ深く悲しみが刻まれたままの表情で告げる少年に、ブルーとシャピロは掛けるべき言葉を見失う。
だが、そんな大人たちにアルは気丈にうなずき、莫大な量の“畏敬の赤”の粒子とともに、自分へと接近するフェイスレスの異貌を睨んでいた。
「……大丈夫。こいつは俺が引き受ける。だから、ブルーさんたちは、動きの止まってる、あの“神黎児”をやっつけて――」
「なっ……」
あまりに無茶な少年の申し出に、ブルーたちはまた言葉を失っていた。
だが、そんな彼等に少年は、
――お願い、します。
と、大きく頭を下げる。
その健気な、そして、真摯な少年の願いは、二体の人柱実験体の心を動かす、十分過ぎる“理由”となった。
「……ふん、ショックのあまり、正気を失ったか、“神の子”。力量の差は、これまでの戦闘で十分に知らしめたと思ったがな」
アルに接近するフェイスレスの靴底から、液状化した“畏敬の赤”が滴り、その赤を湛えた双眸が、“破壊者”の前に、不遜にも立ち塞がる少年の顔を見据える――。
力を制限されても尚、少年を殺せると明確に詠うような、強烈な“殺気”がその動作には込められていた。
だが、
「関係ないさ、“力量”なんて――」
「………!」
アルの右腕から放たれた光が、不用意に踏み込んだフェイスレスの黒衣を、著しく後退させていた。
“畏敬の赤”とは異なる衝撃に、フェイスレスの両眼が微かに見開かれる。
(あれは……)
「俺は守るよ。ガブが守ってくれたもの、繋いでくれたものを。ガブと、一緒に」
それは、翡翠の光――少女の祈りが凝縮し、物質化した“神器”。
少年の腕を抱き、未来へと繋ぐ、優しい腕。
「この、腕で……!」
(“鎧醒器”か……!)
フェイスレスが認識した瞬間、“神の子”の右腕に装着された神器が、翡翠の粒子を放ち、少年の“赤”を抱擁。
重なったその二色は、鎧装のようにアルを護り、悲しみに崩れ落ちそうな彼の足を力強く支えていた。
その光と、翡翠の空を見つめ、少年は、いまにも嗚咽が漏れ出しそうな口を真一文字に結ぶ。
「この空に誓って、俺は……歩くよ」
決意とともに、アルの瞳は対峙する“破壊者”を見据える。
「俺の、明日を!」
ガブリエルがいるはずだった明日を、彼女が微笑んだ明日を、皆が笑顔でいられる明日を。
あの情景を可能性では終わらせない。
現実とする為に、自分は、何としても、この“救済”を否定する!
拭えぬ悲しみの中に浮かぶ、熱い想いが、少年の瞳に輝きを取り戻させていた。
(見ててくれよ、ガブ――)
少年の――人類の、反撃が始まる。
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