第41話 名もなき歌を背に―”resonance“―
#41
「この……歌声は」
骨の芯まで響く爆撃により、疲弊した四肢と鎧装に活力が満ちていた。
円盤群の多重砲撃により、一時地に伏した麗句の聴覚が捉えたのは、罅割れた虚空から流れ込む、包み込むような歌声――。
何処から届き、誰が紡いでいるかもわからぬ、可憐でありながら芯の通った歌声である。
誰もが罅割れた虚空を見上げ、その歌声に聞き惚れていた。
アルとガブリエルを護る為、“神黎児”の”歌“を真っ向から受け止めた、銀蒼の騎士もまた、耳朶を撫で、疲弊した体躯を包み込む、その歌声に突き動かされるように、泥に沈んでいた身体を起き上がらせていた。
「ぐっ……う……」
「無茶をする……。だいぶこっぴどくやられたね、ブルー」
銀蒼の騎士――ブルーと同様に、アルたちを護るべく“盾”となったシャピロの腕が、蹌踉めいたブルーの肩を支え、二人は満身創痍と呼べる身体を”神黎児“へと向け直していた。
「お前こそ、平気なのか? “それ”は――」
「まぁ、僕は”普通の生物“じゃないからね」
軽い物言いとは裏腹に、盾のような形状に変形していたシャピロの腕は、無惨に“醒石”化し、透き通った水晶の如き様相を呈していた。
だが、シャピロは爬虫類が脱皮するように、即座にその外皮を排除! 露わとなった骨格に、新たな鎧装を生成してゆく――。
「君こそ、平気には見えないけどね。その指で剣が握れるのかい?」
「問題ない――」
言うが早いか、ブルーは“醒石”化した五指を、自らの握力で破壊! 失った五指を、周囲を漂う”畏敬の赤“の捕食と同時に再生させ、輝双剣・三日月を構え直していた。
“赤”を塗り重ねた絶望の中、尋常ではない生命が二つ、煌々とただならぬ妖光を放ち始めていた。そして、
「負けて……たまるか」
「ア、アル、血が――」
立ち上がる少年のあどけない顔は、額から流れ落ちる多量の血液で、赤く染まっている――。
だが、彼はそれでも挫ける事なく、歌声に背中を押されるように身を起こし、罅割れた虚空を、神黎児を睨んでいた。
「“雷威我”ッ!!」
【ー-ーー____ーーーッ!!!!!】
アルの諦めぬ不屈に応えるように、ブルーへと託した”輝電人・雷威我“が機械音の咆哮を轟かせる。
「……頼むぞ。俺も、がんばるからさ」
全身で荒れ狂う、激痛を噛み殺した少年の笑みに、雷威我は眼部を黄金に輝かせ、“輝獣形態”へと移行。”神黎児“と対峙するブルーの傍らへと疾駆する。
遠く隔たれた煌都の地で紡がれた祈りは、災禍の中心である辺境の地においても、確かな“希望”となっていた。
(……なんだろう、この光。あたたかくて、心が落ち着く――)
“そのおかげで、こんな状況でも、取り乱さず、自分の仕事と向き合える――”。
そして、歌声の主である、煌都の姫君、リディア・D・ラ=ソリムもまた、周囲に溢れ、罅割れた虚空へと舞い上がってゆく光に、励まされ、鼓舞される自分自身を感じていた。
このような災禍の中、戦場に独り立つ事が、10代の少女にとって、重過ぎる重圧であり、恐怖である事は自明。
災禍に喘ぐ人民に、市街地で命を賭ける勇者たちに想いを馳せる事で、彼女はようやく、その震える、華奢な両脚を支えているのだ。
そんな彼女の繊細にして、強靭な声帯が紡ぐ歌声に、何処からか響く鼓動のようなリズムが重なってゆく――。
(しっかり、私が歌わなきゃ――みんなが、みんながちょっとでも前を向けるように)
“絶望に負けないように”。
酸素を欲しがる肺と脳へと、少女は深く呼吸。自身の限界を無理矢理押し通るように、透き通る、力強い歌声を更に響かせる。
――そして、必死に、終末への反抗の歌を紡ぐ少女はまだ気付いていない。
歌と重なり、次第に重厚な伴奏となっていく、その音色に。
その、”音楽“に。
(え……?)
――理解した少女の肌が粟立ち、鼓動が高鳴る。
少女の”歌声“に魂を奮い立たせたのは、何も戦いに生きるものたちだけではない。
諦めぬ者たち、この絶望の暗夜にあって、何らかの希望を掴もうと足掻く者たち。
彼等、名もなき人々がそれぞれ所持していた、あるいは、瓦礫の下に埋もれていた楽器を手に取り、重ねた旋律。
それは、罅割れた虚空を通じて、全世界に響き渡り、リディアの歌声に、眩い光彩を与えていた。
「……粋な事をするじゃないか、名無しの君。これも君の仕業なんだろう?」
姫君が歌声を紡ぐ”塔“の最深部で、ボブは煌煌と光を放つ“星翔機”たちへと、震える声を投げかける。
――もしかしたら、自分たちはとんでもないものを呼び覚ましてしまったのではないか。
そんな畏れすら湧き上がってくる超常に息を飲みながら、ボブは車椅子の向きを変え、周囲のスタッフへと口を開く。
「姫様の舞台、その管轄部署に繋いでくれ。僕らには僕らのやるべき“援護射撃”がある」
結果的にボブの指示に意味はなかった。
姫君の歌に突き動かされた、”塔“の有志によって、それは自発的に履行されていたからである。
「……!」
耳朶を撫でる”音“に、少女の鼓動がまた、高鳴る。
歌唱を続ける姫君の聴覚に、耳に馴染み、身体に染み付いた音源が響いていた。
其れは、彼女が此れまで、煌都の偶像として歌い踊ってきた楽曲。
裏を返せば、“世界中の人々がよく識る”楽曲であった。
【……Believe、宙に置き忘れた理想を、大地に根付く“君”を、諦めず、逃さないでいて――”I'll always be by your side“】
桜色の唇が紡ぐ、繊細な旋律。
その曲を、自分の”鎧“を奏でてくれた仲間たちに感謝しながら、リディアは胸に刻まれ、喉に染み付いた歌詞へと、自身の想いを注いでゆく。
――そして、罅割れた虚空を通じ、全世界に届いた、その全霊の歌唱が、人々の心を揺り動かし、また数多くの楽器の音色を、共に歌う声を呼び起こし、一つに束ねてゆく。
「姫様の、歌……」
”歌“に寄り添い、重なりゆく想い。
遠く離れた地で、祖父母を“醒石”化によって失った少女もまた、衛星放送を通じ繰り返し聴いた歌を、その幼い唇を震わせて口ずさむ――。
世界中の人々の祈りの、足掻きの結晶たる、その“歌”は、壮大な合唱となって、惑星全体に鳴り響いていた。そして――、
「すごい……」
罅割れた虚空に映る、神話のような、聖戦の如き情景に、翡翠の少女は息を呑む。
全世界の人々によって紡がれる、その”歌“の尊さを噛み締めるように、ガブリエルは虚空を仰ぎ、降り注ぐ歌声を、全身で浴びていた。
地上ではアルが、響が、彼等と奇縁ある人々が、響く“歌”に背中を押されるように、絶望へと壮烈な一太刀を浴びせている――。
それは人類の尊厳と誇り、”美しさ“の証明のように、ガブリエルには思えた。
(……終わらせちゃいけない、この世界を)
途切れさせちゃいけない、彼等の生命を。
硬質な決意が、翡翠の瞳に満ちる――。
虚空へと舞う、彼女の翡翠がいま、その輝きを増していた。
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