第02話 創世ノ新星《アルファ・ノヴァ》
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【救世主……救世主、救世主! 救世主ァァァァッ!】
眼前に在るのは白銀の機甲。
立ち込める闇を吹き払うように、光と光が折り重なるようにして輝く“それ”と対峙する彼、惑星に選ばれし六人の内の一人、“ジャッジメントシックス”軍医の称号を持つサウザンドの身を震わせるのは、畏怖か、驚愕か、憤怒か。恐らくそのどれでもあり、どれでもない。
何よりも一瞬の内にそれらの感情を喚起させられたという“屈辱”が、彼を突き動かしていた。
流線型のイクスノヴァとは異なり、鋭角的なラインを持つ白銀の装甲。
その全身のスリットに満ちる神々しくも毒々しい、赤の畏敬の光。
いまは亡き者の想い、力を受け継いだかのように全身を彩る青のライン。
それらが突き刺さるように、サウザンドの網膜に焼き付いてくる。自らの賢我石を通して知覚した映像ではあるが、それは眼前にあるかのように生々しく、憎憎しく視神経を刺激していた。――ヒクヒクと彼の頬が痙攣しているかのように動く。
【フ…フフフ…なるほど、それが貴女の鎧醒態ですか。なかなかに美しい御姿です。
見たところ護者の石を組み込み、それ自体を制御装置としている――という ところですか。初めから二つ で 一つ。併用を義務付けられたものだった というわけだ。とどのつまり、私は試練と覚醒のための体のいい荷物運び を演じたわけですね……】
白銀の機甲の眼前に在る、立体映像のサウザンドの額に大きく血管が浮き出る。
【謀って……謀ってくれましたね、この野郎! 粉砕です。お仕置きです。貴女の五体を引き千切り、その仰々しいバックルから創世石が選んだ適性者の内臓ごと、その御石――抜き取って差し上げます!】
「……………」
――白銀の乙女は答えない。機械的な仮面、その眼部に宿る意思の光は、ただ、掌を見つめている。
自らが手にした“力”……その“未知”を確かめるように、彼女はじっと自らの掌を見つめていた。
【双子っ! いまこそ鎧醒の時――我等が真の力、“救世主”にお見せしなさい。
我が傑作、ビルド・ディストッ!】
「ハッ――我が主!」
無機質な声が応えると同時に、双子の人としての表皮が弾け飛び、鉄の機械人形がその正体を顕わす。
人の骨格を模した素体の如き、その細身は“賢我石”の光を浴び、鎧装と呼べる黒の重装甲を全身に纏わせる。
右腕をチェーンソーのような武装に変質させた一体と、左腕を鉄槌に変質させた一体。
二体の半身が背部へと折り畳まれ、二体のボディは賢我石を挟み込むように結合される。その刹那、毒々しい赤の光が機械人形のスリットに満ち、完成した己自身を確かめるように、ビルド・ディストは昆虫の複眼にも似た眼部を赤々と光らせる。
――噴出した瘴気に空気が震え、淀む。先ほどのインベイド等とは違う、別次元の脅威がそこに確かに誕生していた。
【ハッ!】
「――!?」
その刹那、戦端は開かれた。
白銀の機甲、アルファノヴァと名を与えられたその鎧を纏うサファイアを、連続したフィルムの一部を切り抜いたかのように、突如、眼前に現れたビルド・ディストの鉄槌が激しく殴りつける!
過程がいっさい抜け落ち、攻撃を受けたという事実だけが襲い掛かってくるようなその一撃。それに成す術もなく体勢を崩したように見えるサファイアをさらに蹴り飛ばし、サウザンドは高笑いを響かせる。
【初めて見ますか? 概念干渉! 時間が弾け飛んだように感じたでしょう? 貴女の周囲の時間という概念に干渉し、遅滞・停止させたのです!
これが我等、“惑 星に選ばれし者”にのみ許された特権的能力!】
概念干渉・時軸歪曲陣。
サウザンドの高揚とともにひび割れる音声。
鉄槌を排除し、露わになった左腕が屑鉄を掴み取り、それを大口径の砲身とその砲身を支える砲座へと変化させる。
屑鉄で作られた特別性の弾丸とそれに圧縮されたエネルギーを凶器とするその腕砲は即座に、無数の砲弾をアルファノヴァへと殺到させた。
【貴女の周囲の時間は既に私の管理下にある! 自在に時間差を持って着弾する我が砲弾! 見切れるも のなら見切ってみなさい!】
たとえ、最初の数発をかわしたとしても、自在に加速・減速して襲い来る次弾、次々弾は到底、防ぎきれるものではなく、こちらが防御する時間の流れと、弾丸が飛来する時間の流れがまるで違う事も認識の混乱に拍車をかけていた。
サウザンドの“賢我石”によって干渉・管理されたその両者のズレが不可避の損傷を、次々とアルファノヴァへと与えているのだ。だが、
( “違う”? これは――)
これは目くらましに過ぎない。このような時間操作がサウザンドの真の能力ではない――“創世石”の力なのか、サファイアにはそう“感じる”ことができた。
真に恐るべきは、屑鉄からダイヤ以上の、神幻金属とでも呼ぶべき硬度、強度を誇るアルファノヴァの機甲を削り取るような“弾丸”を作り出すことができる、その能力。
この能力なら、アルミ箔を鋼鉄に変えることも可能だろう。
錬金術――卑金属を貴金属に変えるというそれに酷似しているといえるかもしれない。
弾丸を防御するため、畏敬の光がより強く装甲のスリットから滲み出す――。
【名付けて“鋼亜精練陣”――姑息ですね。気付きますか、“創世石”】
(こ、この力……)
遠慮なしに溢れかえる超常に息が詰まり、重圧で胃液が逆流しそうになる。
しかし、それは絶え間なく続くこの“攻撃”だけを要因とするものではない。自らの手の内にある“それ”。自らの掌が抱えている“力”のあまりの強大さに彼女は震え、戦慄していた。
「大きすぎるよ!」
困惑が思わず声となり、漏れる。恐るべきことに、サウザンドが操っているのと同様の、時間という“概念”がすべて自分の掌のなかにある――。
それはうかつに認識すれば、発狂してしまいそうなほど、緻密に自らの意識のなかに組み込まれている。
そう、この世界を支配する時間という概念の秒針。それに自らの内なる指がたやすく触れられるのだ。
否、時間だけではない。距離。速度。温度。この世界を構築する様々な概念が総て、創世石の、自らの管理下にある。
だが、人間である自分の思考ではどう制御していいのか、皆目見当のつかない代物である。
――そうだ。そんなものを操作する“概念”は人間のなかにはない。
(な……なんだあれ……?)
そして、異変を察知し、この屑鉄置き場へと駆け戻ってきた少年は、駆けつけてみれば始まっていた、黒い鋼鉄の怪物と白銀の機甲の戦闘に、目と声を奪われていた。
姉との約束を思えば、戻ってきたことは裏切りに他ならないとも思う。
けれど、突然、夜の闇を駆け抜けた眩い光。
翼のようなかたちとなって飛散したあの光を目にした時、少年、アル・ホワイトの心は得も知れぬ高揚を覚え、抱えた少女の身体とともに駆け出していた。
アルは戦場の状況を一秒でもはやく把握しようと、つぶらな瞳を右へ、左へ走らせる。
(姉……ちゃんは? ううん、あれが姉ちゃんなの!?)
姉の姿は見当たらない。けれど、姉の気配は感じられた。青のラインに彩られた、眼前の白銀の機甲に、確かに姉の姿を重ねられた。――何故かはわからない。だけど、そう信じられた。
あったかくて、やわらかくて、優しい姉が、あの時、“街に戻れ”と見せた、硬質的な強さ。眼前の白銀の機甲は、その強さがそのまま具現化したもののようにも思える。
それと同時に、白銀の機甲を恐れるに足らずと踏んだのか、鋼鉄の怪物は再度接近し、左腕のチェーンソーで斬り付ける!
無我夢中で振りぬいたかのように見える白銀の機甲――アルファノヴァの蹴りがビルド・ディストへと放たれるが、それは嘲笑われるかのようにかわされてしまった。
“駄目だ、このままじゃ…!”
アルが唇を噛んだその時、疲れ果て、ひび割れた唇が彼の耳元で囁く。掠れた、声で。
「ガ、ガブ……?」
「アル…お願…伝、え…て」
磨かれた陶器のような煌きを持っていた緑髪は泥に汚れ、発する声もいまだ衰弱が激しく、聞き取ることも難しい状態であった。
けれど、状況を見据え、切れ切れに言葉を紡ぐ少女の瞳は、感嘆とも驚愕ともとれる感情に浸され、潤んでいた。
自らに託された“使命”と、眼前の白銀の機甲に対する“想い”に突き動かされた少女は何度も咳き込みながらも、アルに一言一句誤ることなく、正確にメッセージを伝えていた。
「お願い、サクヤ、さん、の……」
そのあらゆる感情が入り混じった、鬼気迫る表情と言葉から友人の想いを汲み取った少年は力強くうなずくと、彼女の言葉を伝えるべく、自らの姿を隠していた屑鉄の固まりから身を乗り出し、防戦を続ける白銀の機甲へと声を振り絞り、叫ぶ。
「姉ちゃん! 青の石の声を聞いて! 青の石が、その人が戦い方を教えてくれるよ!」
(アルっ……?)
予期せぬ弟の声に、白銀の機甲の機械的な仮面が声の方向へと動く。
そして、彼の言葉、その情報を認識するやいなや、天使の遺骸、その彫像を組み込まれたバックル、“ヘヴンズゲイト”に収められている護者の石が輝き、アルファノヴァの機甲を彩る青のラインが連動するように光を放つ。
その瞬間、脳を圧迫するほどに溢れていた情報が一気に統制され、必要な情報だけが意識のなかに浮かび上がる。
(こ、これは……?)
――サウザンドが言っていた。護者の石は“制御装置”の役割を果たしている、と。
それを実証するように、いまや手足すら満足に動かせなかった状態から、『鎧醒』によって強化された自分の肉体がどのように動き、どのような芸当ができるのか、完全に把握できるまでになっていた。
自分の中に、もう一つ脳ができたような、頼もしい内なる“相棒”を得たような感覚と感慨がサファイアのなかに満ちる――。
「姉ちゃんッ!」
そして、その彼女に、少女の青の石への言葉――そこに込められた“気持ち”を感じ取った少年の叫びが届く!
「それは……それは、ガブの大事な人なんだっ!」
アルの友達の想いを汲み取った、涙混じりの叫び。
それにサファイアは頷き、呼応するようにアルファノヴァの額と両肩に埋め込まれた“三位一体の魂石”が眩い光を放つ。
【ヌ――!?】
「はあああああああああああああっ!」
瞬間、繰り出された一発の拳が、サウザンドが歪めていた時間という概念を一気に矯正し、防御のために交差させたビルド・ディストの両腕、その鉄骨を軋ませていた。
衝撃を殺すべく後方に飛び退いたビルド・ディストは足場とした屑鉄に干渉し、弾力あるスプリングのような物質に変質させる。
続け様、“重力”と“速度”の概念に干渉した鋼鉄の怪物は、概念干渉とスプリングによって倍加した突進力とともに、槍の如き形状に変形したチェーンソーをアルファノヴァへと突き立てる! だが、
【――“賢者の石片”起動】
その刹那にアルファノヴァの背部に装備されていた羽のようでもあり、剣の柄のようでもある六つのパーツが、それぞれが放つ光を繋ぐようにして多角形の障壁を発生させていた。
障壁がチェーンソーの一撃を喰い止め、瞬時に時間に干渉したアルファノヴァの機甲がビルド・ディストの後方へと回り込む!
【 “聖翼の光剣”発動】
アルファノヴァの腕部アーマーが展開し、放出されたエネルギーによって構築された光剣がビルド・ディストのチェーンソー、その右腕を斬り落とす。
“賢我石”と“創世石”、二つの醒石を繰る者の意志と眼差しがいま初めて、本当の意味で交差する――。
【ヌ…ウっ!?】
(い、いける! 戦える……この力なら――戦えるっ!)
鎧醒と創世石の力によって、まさしく“超人”と化した己自身に湯立つ思考を認識しながら、サファイアは恐怖と快感が入り混じったような激しい昂ぶりに身を震わせていた。
そして、無尽蔵に涌き出る脳内麻薬を鎧によって制御されているのか、急速に落ち着いてゆく自分自身も彼女は認識する。
素人である彼女に、初陣に臆することない“余裕”を与え、鎧を操るのに必要な格闘術、戦略をデータ化して無意識に組み込んでくれる戦闘システム。
それは“全能なる神を殺す、異能の機関”と嘯く組織の大幹部を相手にまわしても、互角以上となる力を、己の無力を嘆き続けてきた少女に与えていた。
(なるほど……流石は“創世石”。我が傑作とはいえ、操り人形で戦うには、すこし荷が重い相手のようですねえ……)
そして、標的の真なる覚醒を感じとったのか、サウザンドは己の立体映像を消し、ビルドディストの操作に集中する。同時にビルドディストの眼部が赤々と光り、その脚がジリと動いた。
自らの計略、その“標的”を秘かに変更しながら――。
【我が能力の使い道の一端……教えて差し上げますよ! “救世主”!】
「なっ……?」
その刹那、驚愕がアルファノヴァの眼に閃いた。
bとdの二体が合体していたビルドディストの身体がふたたび二つに割れ、分離した二体がアルファノヴァを擦り抜けるようにして、予期せぬ方向へと動いたからである。
「えっ――?」
大地を蹴り、宙を舞ったbの腕がアルを、dの腕がガブリエルを捕獲する!
“しまった!”とサファイアが唇を噛んだその瞬間、bとdは磁石に吸い付けられるかのように自らの身体に寄り集まってきた屑鉄たちを、より強固な外装と、大地を高速で突き進むための巨大な車輪へと変質させていた。
そう、二人の人質を抱えたまま、再連結した二体はその形状を大きく変えていた。
ビルドディスト・スタンピードホイール。
サウザンドがそう名付けた、もう一つの鎧醒形態。
悪路を斬り裂くような刃を組み込んだ二輪と、分厚い外装を禍々(まがまが)しい棘で飾りつけた巨体。
バイクというよりは戦車を想起させる鉄の悪魔は“概念干渉”で時間の壁・速度の壁を突き崩し、アルファノヴァとの距離をみるみるうちに離してゆく――。
(……力業ではかなわないにしても、所詮は小娘。餌があれば、釣れる代物です。後は態勢を整え、“アレ”を万全の状態に――)
……だが、
(ヌ――ッ!?)
サウザンドの視覚と直結したビルドディストの眼部には、確かにそれが映し出されていた。
待ち構えていたかのように自らを抜き去り、悠然と立ち塞がるそれの姿が。
――白銀のマシンに跨る“救世主”の姿が。
【 “創世石”・ヘヴンズゲイトとの連動率100%――“Exscion”“完全起動】
双子の攻撃によって機能を停止していたはずの鉄人。
“機械を超越した機械”。
そう名づけられた鉄馬は搭乗者である“救世主”の覚醒に呼応するかのように、自らのボディに青のラインを加え、再醒――。いま、そのあり余る力をサウザンドの前に誇示していた。
“概念干渉”によって引き離したはずの距離もほぼ零に戻されている。
ビルドディストは再連結した位置から一歩も動いていないに等しかった。
エクシオンが自らを抜き去る際、距離の概念に再干渉し、移動したという事実そのものを掻き消したのだろう。上位種たる自らの能力の使い道、その一端をサウザンドに示すかのように――。
「……躊躇いなく人を巻き込んで、人の気持ちを踏み躙って……! ゆるせない。ゆるせないよ!」
マシンから降り立ち、機械的な仮面、その眼部に怒りの光を灯した “救世主”は、“三位一体の魂石”から放たれた眩い光でその白銀をより荘厳に演出し、腰を落とした体勢が、跳躍の兆候を全身に漲らせる。
同時に、“創世石”から溢れ出した光の波が空間を駆け抜け、この屑鉄置き場全体を、神々しくも毒々しい畏敬の“赤”で染めてゆく――。
【ふん、舐められたものです。そのような一撃、容易くかわして――】
概念干渉をおこなう自らに対し、“飛び蹴り”など笑止。
容易く想定できる標的の次手に、サウザンドは軽く鼻をならす。
たとえ、“救世主”がどのような干渉をおこなおうとも、全力で再度、時間と速度に干渉し、互いの干渉を相殺した対等の状態とすれば、放たれた一撃を受け流し、轢き殺せるだけのパワーはこちらにある。そう読んだ。しかし、
【ナッ――?】
かわすことは不可能だった。
どの方向に目線を向けても、どの方向に身をかわしても、かならず自らの正面に“救世主”の、アルファノヴァの白銀の機甲、その煌きがあった。
退こうが、進もうが、振り向こうが、自らの正面に、大地を蹴り、飛翔する“救世主”の姿が飛び込んでくる。
目に映る景色が変わろうとも、アルファノヴァだけは必ずそこに存在するのだ。
どう足掻いても、自らが一撃を受ける――標的が必ずその一撃を受けるという“概念”が、“創世石”の力、空間に溢れる畏敬の光によって固定されているのだ。
「はあああああああああああああっ!」
【 “SHINING ARROW”――発動】
馬、鹿な。
サウザンドが感嘆にも似た絶望の吐息を漏らした刹那、アルファノヴァの肩部アーマーのスリットから放出されるエネルギーが翼のように闇を切り裂き、光速の矢と化した“救世主”のキックがスタンピード・ホイールの巨体を容赦なく撃ち貫いていた。
漆黒の外装はことごとく砕け散り、母体となっていたbとdのボディも、衝撃で“賢我石”のエネルギーで構築した障壁を打ち砕かれ、粉微塵となって消滅する!
そして、鋼鉄の悪魔を爆散させ、キックによって超加速した自らを減速させるように大地を削りながら着地したアルファノヴァの両腕には、しっかりとアルとガブリエルの身体が抱えられていた。
概念干渉によって“時間”を制御され、距離や速度という概念もほぼ無効化されたこの決着は、抱えられた二人にとって、まさに瞬く間の出来事だった。
“常識”を幾重にも塗り替えて、あり余るほどの“奇蹟”。ただ、それに圧倒され、息を飲むことしかできなかった。湧き上がる感情はただ、“畏敬”のみ――。
「逃げられた……かな」
「えっ…?」
悔しそうな、でも、どこかホッとしたような姉の声が耳を撫で、アルはそこで初めて認識を現実へと帰還させる。自らを抱える仮面の人が大好きな姉――サファイア・モルゲンであるというその現実に。
「でも良かった。二人が無事で……それだけで、充分、かな」
「ね、姉ちゃん!?」
抱えていた二人をそっと大地に下ろしたその瞬間、アルファノヴァの機甲の隙間からいっせいに蒸気が噴出し、弾けるように排除された装甲が少女の肢体を“鎧醒”から解放していた。
同時に、自らの体重を支えきれぬように折れた彼女の膝が地を突き、眠るようにサファイアの身体は泥の上に横たわった。
一時、青ざめた少年の表情であったが、姉の口から安らかな寝息が漏れているのを確認し、ホッと胸をなで下ろすのにそう長い時間はかからなかった。
そこにあるのは、前に姉の家で盗み見たのと同じ、愛らしく健やかな寝顔だ。
(姉ちゃん……ホントに姉ちゃんだったんだ……)
そう、眼前にあるのは見間違いようのない、アルが憧れてやまない姉の寝顔である。
そして、アルの知る常識を捻じ曲げ、超越し、“奇蹟”としか呼びようのない“力”で襲いきた敵を退けたのも、紛れもなく、この姉であるのだ。
また、隣には自分以上の驚きをもって姉の姿を見つめる少女の姿があった。
いま目の前で繰り広げられた超常、その源たるものを背負わされて彼女はここまで歩んできた。そう感じとったからこそ、アルは黙って少女の手を握った。こんなこと、一人で背負うには重すぎる。
【搭乗者、及び随伴者の無事を確認。しばし警戒行動に移る】
そして、鉄馬形態からふたたび鉄人形態に自らを組み替えた“エクシオン”は三人の保護者であるかのように、その機体を大地に立たせ、周囲を見渡しながら、大きな掌でアルとガブリエルを降りしきる雨から防護していた。
「あ、エ、エクス…」
【――“エクシオン”。そウ君が名付ケタ】
不器用な電子音声が応答する。他者と会話するための音声システムではないのだろう。内蔵された音源を無理矢理合成した、歪な声音である。
だが、そうしてまで応答してくれたという事実とその言葉で、“彼”が、自分と姉の会話を聞いていた、あのエクスシアなのだと理解できた。
――もしかしたら、あの時、既にエクスシアのボディは変質を開始していたのかもしれない。自分が“創世石”を姉の家に持ち込んだ、その瞬間に。
(……どうなっちゃうんだよ、いったい……)
眼前の超常と理不尽に対し、動かなければならない。立ち向かわなければならない。そう感じてはいても、アルは半ば呆然とつぶやかずにはいられなかった。
昨日の夜はこんなことになるなんて思っていなかった。
そう――今日は確かに始まりの日だった。
自分個人にとってだけでなく、この惑星という世界にとって――。
その胎動のなか、少年は慕う姉の寝顔を、息を飲み、見つめる。
“創世石”という物質としての神によって選ばれた、“救世主”の寝顔を。
惑星の運命を握った、少女のその顔を――。
NEXT⇒第03話 狂