第37話 託す願い 吼える雷―”stand together“―
#37
――遠い過去。
「はぁ、はぁ……」
血臭が鼻腔を絶えず擽り、渇いた大地を濡らす夥しい血液が、ヌルリと足を滑らせる。
土地勘も無く、右も左もわからぬ荒野で、“殺し方”だけを良く識る少年は、強化された身体を、あてもなく走らせ続けていた。
(……生きなきゃ、逃げなきゃ……)
体内に埋め込まれた“壊音”の暴走により、わけもわからぬまま”七罪機関“の施設から脱走した、少年時代の響を、”七罪機関“という組織は、一日たりとも放置してはおかなかった。
辿り着く場所どころか、自分自身の記憶、認識すら定かではない放浪の日々――。
絶えず、送り込まれる刺客たちとの戦闘が、まだ、あどけない顔立ちの少年の心身を疲弊させ、軋ませてゆく。
――気付けば、少年の進む道は、毒々しい、血の”赤“に塗り固められていた。そして、
「―――――――っ!」
少年の喉を突いて出る、祈りにも似た咆哮。
遮蔽物のない荒野に、刺客の一団を誘き寄せた少年は、背に携えていた妖刀を引抜き、一息に斬り伏せていた。
震える腕は、人間らしい安らぎを知らぬまま、殺し方ばかりを覚えてゆく。
周囲に満ちていた“殺気”の消失を確信した少年は、大地に突き立てた妖刀に体重を預け、呼吸を整えると、血に濡れた地面へと、静かに腰を落とす。
「……………」
――このまま眠りに落ちてしまいたい。
そんな肉体の切なる欲求に抗い、少年は自分が斬り伏せた刺客の遺骸へと、不意に視線を落とす。
……どんな怪物だろうか。
鼠のような、すばしっこさでナイフを突き刺してきた小柄な刺客たち。その獰猛で精緻な動きは、とても人間のそれとは思えなかった。
いや――そう”思いたかった“のかもしれない。響は、遠い未来から、当時の自身の心境を慮る。
「………」
手にした妖刀の刃先で、響は刺客のフードを捲りあげる。
――見てみたかった。自身を執拗に追い続け、その肉を何度も突き刺してきた“怪物”の容貌を。
だが、
「……え……」
それを目にした瞬間、響の喉から、幼い吐息が零れ出ていた。
其処に、“怪物”なんていなかった。
――代わりに、十歳にも満たないような、幼い死に顔が、響を言葉なく見つめていた。
「う……」
理性が理解するよりも早く、体が空っぽの胃から吐瀉物をこみ上げさせる。
「あぁぁ……あぁぁぁ!」
何故、こんなに気持ち悪いのか。何故、涙が溢れ出すのか。何故――こんなに悲しいのか。
其れを理解出来ない、”殺し方“しか識らない体を突き上げる、深い慟哭。
その慟哭が少年の瞳を曇らせ、理解させる。
怪物は彼等じゃない。
怪物は――、
※※※
【“護る者”よ……!】
「……!」
――“自分だ”。
“共繋”の影響か、過去へと彷徨いでていた、響の精神が、”獣王“の一喝とともに、現実へと帰還する。
鼻先まで迫っていた“殺戮者”の大剣を、すんでのところで躱し、響は間一髪、体勢を立て直す。
【どうした――“何を視た”!? “護る者”よ。これ以上の停滞は看過出来ぬぞ――】
「奴の……」
言葉を交える、その僅かな間にも、戦局は動き続ける。
半ば本能的に振るわれた、響の重輝醒剣と、”殺戮者“の大剣が重い金属音とともにぶつかり合い、“獣王”がその顎から放射した熱線が、”殺戮者“の巨体を、再び三頭邪龍の背へと後退させる……!
その隙に響は息を、知り得た“事実”を吐き出す――。
「……奴の根幹には、”俺たち“がいる。奴は俺たち“強化兵士”の願いが産み出した存在――“救われたがった”俺たちが産み落とした”疑似聖人“だ」
【……ヌゥ……】
響の言葉に、“獣王”の喉奥から、苦虫を噛み潰したような、低い唸りが零れる。
滅び去った地球に跋扈していた、“カイジュウ”との闘争の中で、人類が進歩させてきた生体工学。
其れの最悪の成果と呼べる、”強化兵士“との“奇縁”に、“カイジュウ”の王たる”獣王“もまた、幾ばくかの思考を巡らせているようだった。
――その一連の様子を見据え、”殺戮者“もまた、仮面の奥に、砥ぎ過ぎたナイフのような笑みを浮かべる。
「……小癪にも俺の中身を覗き見たか、“天敵種”。“畏敬の赤”を喰らう貴様だ。むしろ、”共繫“の発生を抑制するほうが難しいか――」
「“殺戮者”……」
根源を知れば、自分たち“強化兵士”のそれと理解る名を呟きながら、響は対峙する”疑似聖人“の鎧装を見据える。
自分たちの願いか産み落とした、倒すべき敵――。
此の存在をどう受け止め、対処するべきか、響の精神はまだ、迷いの最中にあった。
「お優しい事だ――いや、“弱い”というべきか。有象無象の”御使“は倒せても、自身の因果が産んだ“聖人”には、惰弱な感傷を禁じ得ない、か?」
「……!」
刹那。”殺戮者“の嬲るような物言いとともに、突如として上半身を襲った激痛に、響は呼吸を失う――。
心の間隙を突かれたか。
“殺戮者”が掌を翳した瞬間、響の上半身を夥しい”結晶体“が覆っていた。
醒石化――ではない。
醒石とは異なる、未知なる結晶が、響の肉身に喰い付き、その生命を吸い上げているのだ。
「ぐっ……あぁ……?」
【此れは――“寄生結晶体”か!?】
搭乗者を襲う脅威を察知した“獣王”は、体内に燃え滾る蒼き焔を放射……!
結晶体の殆どを焼き払う……!
だが、響の鎧装の表層を焼き、少なからずダメージを与えた、その蒼き焔も、肉身に深く喰い込んだ、根の如き結晶までは除去出来ずにいた。
響はそれを、鎧装に覆われた五指で刳り抜き、乱れた呼吸を整えんと試みる――。
その間の“殺戮者”の猛追を、”獣王“はその巨尾で薙ぎ払い、憤怒の咆哮を轟かせていた。
【“寄生結晶生物”まで用い、命を愚弄するか、”人間の成れ果て“よ――】
「何でも遣う、何でも手中に納めたがるのが人間の性だ。神が赦せぬ”人間の流儀“、骨の髄まで味わってもらおう――“獣王”」
そう語る”殺戮者“が搭乗する“黄金邪龍樹”の双翼、胴体にも結晶体が増殖! 追加装甲のように、金色の巨躯を彩り始める――。
まるで、覇王の冠のように自らを飾り立てる結晶体に、三頭邪龍は歓喜の歌の如き、悍ましい鳴き声を響かせていた。
「…… ”生命喰い“の王と、その生命に寄生し、自らを無限に増殖・増強する“寄生結晶生物”。この婚姻。“綺晶三頭覇竜”とでも呼ぶべきか。”神“といえど、その捕食の埓外ではないぞ――」
その”殺戮者“の言説に、”獣王“の白濁した眼が鋭く歪む。
不遜にも他者の生命を無尽蔵に吸い上げ続ける、“黄金邪龍樹”と、その生命力と共鳴・一体化し、無尽蔵に自身を増強する結晶生物。
此れ等が双翼をはばたかせ、世界へ”渡り“を行ったなら、人類どころか、この惑星の全生命に、計り知れぬ“犠牲”を強いるだろう――。
だが、
【――――踏み躙らせはせぬッッ――!!!!】
“獣王”の咆哮を狼煙に、巨獣たちの闘争が激化する。
“黄金邪龍樹”を起点として。大地に根を張るように増殖した結晶体が、自らの一部を投擲槍のように射出……!
”獣王“はそれを口内から発した熱線で迎撃し、結晶体を蹴り剥がすように、その巨体を、響と共に疾駆させていた。
そして――、
「くっ……!そぉ……!」
響と“殺戮者”の死闘が、次なる段階へと進む中、”神の子“――アルもまた、“神黎児”との凄烈な対峙を続けていた。
「ぐっ……!?」
何度も跳ね返され、泥の中へと叩き込まれる、幼き身体――。
それでも、御使や”神黎児“の攻撃を、輝電人・雷威我の助力で潜り抜け、アルは“神黎児”の巨体に、自身の”繰糸“を埋め込まんと、その両手を果敢に翳していた。
――力の差は、どうしようもなくある。
噛み締めた歯は軋み、口内には絶えず血の味が満ちていた。それでも、それでも――、
(“やりきる”んだ! ガブが馬鹿な真似をしないよう、ちゃんと“生きられる”よう――)
“俺が、守るんだ……!”
強い意志を宿した双眼が、”神黎児“を射抜いた瞬間、限界を超えた“負荷”が、アルの両腕の毛細血管を破裂させる――。
激痛に、膝を折りかけたアルの心を挫くように、”神黎児“が放った衝撃波が、小さな身体を撥ね飛ばしていた。
「ぐっ……あっ……」
「アル……! もういいよ! もう……十分だよ!」
響く、悲痛な声――。
苦痛に喘ぎながらも、立ち上がろうとするアルを、ガブリエルは、その体を覆い被せるようにして、制止する。
遮二無二、“神黎児”を睨む少年へ、少女の慟哭を示すように、血の赤に塗れた腕に、翡翠の涙が零れ落ちていた。
「アルの気持ちは嬉しい……嬉しいけど、その為にアルが死んじゃったら、死んじゃったらダメだよ――ダメだよぉ!」
「ガブ……」
少女のその嗚咽は、ある意味では、”神黎児“の攻撃以上に、アルの心を挫いていた。
確かに――自分のしている無茶は、ガブリエルのそれと大差ないのかもしれない。
けれど、自分には出来る事がある。
――”あるはず“なんだ。
アルは血の滲む唇を噛み締めながら、罅割れた虚空を睨んでいた。
そして、
「……!」
泥の中から身を起こし、尚も“神黎児”に立ち向かわんとするアルへと、複数の御使が融合したと思しき巨大な個体が迫りつつあった。
荊で編まれた猪の如き異形が、大仰な咆哮とともに、”神の子“へと襲い掛かる……!
だが、
「退け、“適正者”――」
「……!」
刹那。
銀蒼の剣閃が、アルの視界に閃き、巨獣型の御使を両断!
結合を解かれ、灰化する荊を、眩い光を放つ輝甲が、鮮やかに蹴散らしていた。
「あ……」
生死を分ける、緊迫した状況だというのに、その輝甲の美しさに、アルは一瞬、言葉を、思考を奪われていた。
――輝甲の、鎧装の名は、”蒼鬼・月輝“。
勇壮にして精緻な造形を持つ、銀蒼の鎧装の輝きが、泥の中から立ち上がろうとする少年の視界を、眩ゆく照らしていた。
「あ……あんたは……?」
たしか、響兄ちゃんと“破滅の凶事”を斃した――、
激闘の記憶を紐解きながら、鎧装を見上げるアルに、鎧装の主は細波のような、静謐なる声音で応える。
「俺はブルー。無駄は省く。俺の素性は、”あの男“と大体同じと考えてもらっていい――」
「兄ちゃん、と……?」
頷き、ブルーは、背後に迫った御使を、最小限の剣捌きで両断。淡々と言葉を言い紡ぐ。
砥済まされた剣のような硬質さと、氷に抱かれた焔のような微かな熱――。
そのブルーの声が漂わせる気配は、確かに、アルがよく識る響のそれと似ていた。
未曾有の状況下で、不動の“冷静”を保つ青年の五指が、逸る想いを鎮めるように、輝双剣の柄を軋ませる。
「“適正者”――”輝電人“を俺に貸せ」
「……!」
――文字通りの無駄を省いた要求に、アルの目が点になる。
いま、”輝電人・雷威我“は、アルにとって肩を並べて戦ってくれる“主戦力”と呼べる存在である。
それを――、
「業腹だが、”あの男“抜きでは、”神黎児“とやらを斃す決定打に欠ける。だが――“輝電人”があれば、その壁に活路を穿てる可能性がある」
「ちょっと……」
言葉を制ように立ち上がったアルを、意に介する事もなく、直立不動の銀蒼の騎士は、言葉を続ける。
「傲慢かもしれんが、”煌輝“と同様の誕生経緯を持つ俺が、ラ=ヒルカと縁あるお前たちの信託を受ければ、“輝電人”を借り受ける事も出来るはずだ。俺と”白輝“、“輝電人”が揃えば――」
「ちょっと待ってよ……!」
堪らず叫んだアルに、ブルーの口舌がようやく言葉を区切る。
銀蒼の仮面に輝く翡翠の眼光に怯みながらも、アルはブルーの鎧装へと縋り付く……!
「あ、“輝電人”は、俺がカブを助けるための大事な”力“なんだ! 俺、俺が必ず、あの“神黎児”を止めてみせるから――!」
「……無理だ。俺の“相棒”がそう解析した」
”俺に輝電人を使わせて……!“
そう追い縋るアルに、ブルーは冷徹に告げ、銀蒼の鎧装を掴む彼の手を一瞥。諭すように言葉を続ける。
「無謀な賭けと知れたものに、人類の命運を預けられる程、俺たちに猶予はない。廻り道でも、最善の一手を積み重ねていくしかないんだ」
「けど……けどさぁ!」
運命だと、役目だと、生命を散らさんとする少女を救う為に、少しでも”力“が欲しい。
“神の子”でありながら、いまはまだ、多くを掴めぬ手を、銀蒼の鎧装に叩き付け、アルは込み上げる嗚咽を飲み込む――。
「…………」
その感情を受け止めるように、ブルーは膝を屈ませ、アルの真っ直ぐな瞳に、自身の目線を合わせていた。
そして、自身の半分以下の年端の少年に、真摯に対峙するその所作が、ブルーの提案が驕りではなく、抜き差しならぬ状況を突破する為の“最善策”である事を、アルに自然と理解させていた。
「……だから、お前に援護を頼む。アレの動きを、僅かでも抑制出来れば、俺たちの仕事は捗る」
「ブルー、さん――」
輝双剣を握り締めたブルーの腕では、アルの肩を抱き、慰めてやる事は出来ない。だが、それに等しい慈愛と優愛をアルは、”感情を抑制された“ブルーの声音から感じ取っていた。
そして――、
「……ガブリエル、だったか。アンタにも伝えておきたい事がある」
「え……?」
ブルーは、アルの無茶を心配し、彼の袖を引くガブリエルへと、その声音の行き先を変える。
二人に面識自体はない。
――だが、ブルーにも、ガブリエルにも、無視できぬ“繋がり”があった。
「兄の捕食から生き延びた以上、アンタにも“生きる”意志はあるはずだ。アンタから流れ込み続ける“命”で、俺たちの鎧装は、輝きを、”奇蹟“を維持しているが――」
「え……えぇっ!?」
ブルーから不意に語られた事実に、アルは素っ頓狂な声を上げ、ブルーとガブリエルの顔へ交互に視線を送る。
ガブリエルが、片腕を捧げる事で、響が体内の”畏敬の赤“を制御出来た事は聞いていたけれど、まさか、その“命”は継続して――?
蒼白となるアルの表情に、彼等の対話を御使から護り続けていたシャピロは、物憂げに目を伏せる。
人類の未来を護る、眩い輝きの”代償“に。
「……“神黎児”を斃す事で、それも終いにする。例え”生死に関わる“ような量ではないとしても、俺も、俺の相棒も、“あの男”もそのような”奇蹟“に頼るつもりはない」
【――--――!】
そして、ブルーの意思に共鳴するように、アルたちを守護していた“輝電人・雷威我”が、銀蒼の隣に並び立つ。
彼もまた命の護り手。
人類の守護者であった。
「ブルーさん――」
猛々しく電光を放つ輝電人に頷き、アルは銀蒼の騎士へと想いを、願いを託す。
「お願い……一緒にガブを助けて」
「……承知した」
信託は、成された。
アルの願いに、ブルーが応えた瞬間、“月輝”の額に輝く”制御翠核“が、輝電人との“契約”を示す円輪を輝かせていた。
同時に、“輝電人”、“神の子”と並び立った、銀蒼の光が雄々しく”神黎児“を見据える――。
「いくぞ、輝電人。適正者。あの”神黎児“に、この状況に、まずは”穴“を穿つ――」
【―――-―――---――――――ッ!】
剣閃に裂かれ、雷光に爆ぜる“御使”の群れとともに、戦端は開いた。
”神黎児“の圧力を受け止め、鈍らせるは“神の子”の手。
そして、“月輝”の脚甲が、動きを鈍らせた”神黎児“目掛け、鮮やかに大地を蹴ると同時に、第二の主人を得た雷威我の咆哮が轟く。
赤に歪んた闇の中、束となった”希望“がいま、未来への道を切り拓かんとしていた。
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