第34話 どんな嘘より、ひどい真実―“No quarter”―
#34
……それは、過ぎ去りし、二度とは戻れぬ時間。
現在は喪われた、“ラ=ヒルカ”の地。
「ふぅ……あぁ……」
青い空の下、草花の香りを吸い込みながら、ガブリエルは思い切り背伸びをする。
何処か薄暗くて、黴臭い調整施設と違い、花の色彩や陽の光に彩られた、この庭園は彼女の心を癒やし、リフレッシュさせてくれる。
暖かな気候の中を漂う蝶が、ガブリエルの指先にとまり、その花弁のような白の羽に、彼女は優しく微笑みかけていた。
「不調はないか、ガブリエル? ……ここ数日、だいぶハードな調整が続いているが……」
「サクヤさん……!」
耳朶を撫でた、涼やかな声に、ガブリエルの表情がより明るく煌めく。
その、守護天使の名に相応しい、可憐な笑みに、黒い護者の礼服を纏った青年――サクヤ・F・シュタインは、安堵と苦渋が入り混じった、幾分、曇った息を零す。
この小さな庭園が、癒しになるほど、彼女に与えられた世界はあまりに窮屈で、昏く閉ざされていた。
「へっちゃらです! また、みんなに過保護だって笑われますよ、サクヤさん!」
「かもな……」
サクヤの瞳の中、ガブリエルは庭園の花々を背景として、朗らかな笑顔を咲かせる。
――その笑顔は、庭園に咲く、どの花よりも眩しい。そして、その輝きは、サクヤの胸を深く突き刺し、その目を、わずかに伏せさせていた。
「仕方ありませんよ、私たちは護者! “創世石”を護り、“適正者”様に無事、届ける為には、“強く”ならなくちゃいけませんから!」
「………」
力こぶを作るようなポーズで屈託なく、無垢に笑う少女に気付かれぬよう、サクヤは拳を固く、強く握り締める。
過酷な運命を――否、運命という言葉で誤魔化された、“大人たちのエゴ”を当然の事として、受け容れる少女の姿は、サクヤの胸を大きく引き裂き、夥しい血を流させていた。
(サクヤさん……)
……そして、少女も自分を慮るサクヤの想いを、朧気ながら感じ、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
調整が上手く行っていない事も、本当は心が挫けそうな事も、見通しているかのように、傍らにいてくれるサクヤに、ガブリエルは心から感謝し、その弱った心を赤子のように預けていた。
その事実が、サクヤの胸をより、締め付ける――。
「でも……」
庭園に生い茂る樹々の隙間から差し込む、陽光の中、紅潮した頬を隠すように身を屈め、少女は呟く。
「……サクヤさんが、”適正者“様なら、いいのにな」
――いつか、自分が“創世石”を届ける”運命の人“。
それが、自分の信頼する人であったなら。
その呟きは、少女の密やかな好意の発露ではあったが、朴念仁で通る青年に届いたかはわからなかった。
だが、
「……資格はなくもないんだがな」
「え……?」
穏やかな笑みとともに、サクヤは予想外の言葉を告げる。
「俺は、創世石に記憶された、“未来の適正者”の遺伝子情報を元に造られた複製体だからな――。遺伝子的な意味では、“創世石”に選ばれる可能性もなくはない」
「ク…複製体……?」
まるで、夕食の献立を告げるように、あっさりと告げられた真実に、ガブリエルは目をパチクリとさせて、サクヤの顔を見る。
彼女の驚愕と衝撃を受け止めるように、柔和な笑みを浮かべたサクヤは、ガブリエルの翡翠の髪を撫で、穏やかに言葉の続きを紡ぐ。
「……だが、現実には、俺は本家本元、“創世石”の正式な適正者にはなり得ないだろう。何故なら、同次元で、同一人物が、同時に適正者として存在する事は出来ないからな。飽くまで、適正者を護り、導くのが俺の役目だ――」
「そ、そんなのおかしい……! だったら、だったら、サクヤさんが先に“正式な適正者”になればいいじゃないですか! サクヤさん以上に相応しい人なんて――」
ガブリエルが識る限り、心技体ともに優れた、サクヤ以上に、“適正者”に相応しい人なんていない。
サクヤさんなら、きっと“創世石”を正しく――、
「……そうじゃない。そうじゃないんだ、ガブリエル。俺たちにはきっと、俺たちの役割がある。大事な、役割がな」
その解答は、一種の諦観を秘めながらも、深い“覚悟”と、“祈り”に満ちていた。
遠く、近い未来を見据えるように、空を睨んでいた彼は、ガブリエルへとその目線を戻し、真っ直ぐに告げる。
「信じてやってくれ。俺の根源を。――いつか出逢う、お前の”運命“を」
※※※
そして――現在。
「……この程度で我を縛る魂胆か、“小僧”」
「……!」
“獣王”の咆哮に等しい言葉とともに、“黒鉄の神機龍”に絡み付いていた三つ首が解かれ、“黄金邪龍樹”は羽搏きとともに後退する。
“黒鉄の神機龍”の鱗のような装甲板が展開し、露わとなった砲塔が蒼の熱閃を放射。絡み付く三つ首を貫き、邪龍による拘束を解いたのだ。
「……蹴散らすがいい、“護る者”よ」
「――承知!」
追撃の為、大地を蹴る“獣王”は、邪龍の破壊光線を、響の重輝醒剣“玄武”に薙ぎ払わせ、突破口を抉じ開ける!
「チッ……!」
業を煮やした“殺戮者”は、“操演”の糸を全身から伸ばしたまま、跳躍! 腕部鎧装の袖から顕現させたブレードで、響に斬りかかるも、その一撃は、重輝醒剣に受け止められ、鍔迫り合う刃と、互いの眼光が火花を散らす……!
「虎の威をかる何とやらか! “天敵種”!」
「“共に立つ”。“共に生きる”。それが俺の流儀だ……!」
剛拳一閃!
刹那、響の拳が、“殺戮者”の胸部を撃ち、その長駆を“黄金邪龍樹”の背へと強引に押し戻していた。
“黄金氣”を胸部・腕部・脚部に集中。筋力と正面からの防御を強化した“煌輝《斑》”の腕力は、“殺戮者”の腕力を凌駕して余りあるものだった。
「だがなぁ……ッ!」
「……!」
“殺戮者”にも隙はない。
爆発的に“黄金氣”を捕食した、“黄金邪龍樹”の全身が禍々しい電光を放出。その三つ首が最大出力の破局を吐き出さんと、顎を開いていた。
その絶対的な危機に、響は自身の本能を閃かせる――。
「“獣王”……!」
「……騒ぐな、“護る者”よ」
“我が赤を喰らえ”!
響の意図を察したかのように、“獣王”は自身の鎧装から高濃度の“畏敬の赤”を放出。
その“赤”を瞬時に捕食した重輝醒剣が、秘められし機能を発動させる……!
「吼えろ――“玄武”……ッ!」
響が呼ぶ真名に呼応するように、ブレードを展開した重輝醒剣の鋒が、電光を帯びたプラズマ状の火球を生成! 三頭邪龍が放つ破局を迎え撃つ……!
「おおお……ッ!」
「グッ……!?」
弾ける閃光!
正面から激突した、二つの光は、衝撃波とともに地表を抉り、光の柱となって罅割れた虚空を撃ち貫いていた。
その威力は、付近で蠢く御使の群れをも吹き飛ばし、舞い上がる粉塵の中で、響と“殺戮者”の目線が交差する――。
「まったく……我等の策の尽くに対応し、凌駕してみせる、か。貴様は本当に厄介な存在だな、響=ムラサメ……!」
「……生き汚さも人類の味だ。“救う”つもりなら、よく噛み締めろ――」
激突し、火花を散らす“人類”と“聖人”の矜持。
同時に、大地を削り、地形を歪めた、“神”と“覇王”は、咆哮をぶつけ合うように吼え、その禍々しき牙を剥き出しとしていた。そして、
(スゴいや……兄ちゃんは本当にスゴい……!)
消耗のためか、呼吸が荒くなり始めているガブリエルを支えながら、アルは感嘆の息を零していた。
いつの間にか、輝電人・雷威我もアルたちを護るように、その傍らに立ち、雄々しい駆動音を響かせていた。
これも、あの激しい戦闘の最中、兄が命じた行動なのだと考えると、アルはもう感服するしかなかった。しかし――、
「……!」
感嘆に浸る余裕は許されていない。
アルたちの周囲にも、瞬く間に、御使たちが群がり、彼等を包囲。
茨に覆われた五指を伸ばす!
「このぉ……!」
アルは、持ち前の負けん気で、迫る魔手を蹴り飛ばし、アルの、“畏敬の赤”の加護を受けた雷威我も、胸部のバルカン砲で、彼等に迫る御使を蹴散らしていた。
(こいつら……ガブを狙ってる……?)
そう察知したアルは、ガブリエルを背中に隠し、雷威我とともに、御使の群れを迎え撃つ。そして、
「“歌”が停止している好機を逃すな! また、歌われたなら……どれ程の犠牲が出るかわからん!」
「「「「応ッ!!!!!」」」」
響く麗句の号令と、応える雄声。
号令に従い、勇士たちは“神黎児”へと攻撃を集中。あの畏るべき“歌”の発動を一時的に停止させたそれを、わずかにだが後退させていた。
その光景と、自分を護ろうとするアルの背中を見つめ、ガブリエルは自身の小さな手のひらを握り締める――。
(……私たちには、私たちの役目がある。そうだよね、サクヤさん)
いま、乱れた呼吸を飲み込むようにして、彼女が見つめるのは、“適正者”の、放浪の果てに出逢った少年の背中。
必死に手を伸ばし、“神黎児”内部の“赤”を制御しようとする彼の表情は、幼いながらも、とても凛々しく、頼もしい――。
その横顔は、自然と想い人の表情と重なる。
(アル、やっぱり君は――)
彼の、“根源”。
その確信が、憔悴した少女の瞳に力を与え、その足を前へと踏み出させる――。
(私も果たします、サクヤさん――。自分の、役目を)
その瞬間、ガブリエルの小さな身体が、翡翠の粒子を放出。
――“やっと理解った”自身の役目を遂行する。
だが、
(……認められないな、そんな“悲劇”は)
「……!?」
予期せぬ衝撃が、ガブリエルをアルごと弾き飛ばし、二人を泥濘んだ大地へと転倒させる。
アルが突かれた不意に唇を噛み締めた瞬間、三叉の槍の穂先が、彼の鼻先を撫でていた。
「お、お前は……」
「……乱暴な真似をしてすまない。けど、どうしても見過ごせなくてね」
二人を弾き飛ばした衝撃の主――シャピロ・ギニアスは突き付けていた白輝槍の鋒先を収め、翡翠の粒子を放出したままのガブリエルを見据える。
白輝の仮面に覆われたその表情は険しく、切迫した危惧に、哀切に満ちていた。
「彼女はいま、“死”を選んだ。だぶん――君の為にね」
「え……?」
シャピロが告げた、予期せぬ真実に、アルは硬直した表情で、ガブリエルへと振り返る。
「……嘘、だよな?」
少年が抱いた、儚い願いは、目の前にある現実に、脆くも打ち砕かれる――。
「ガブ……」
“適正者”であるアルには理解出来た。
ガブリエルの体から放出される翡翠の粒子。
罅割れた虚空へと吸い上げられたそれは、円盤群、神黎児の巨体に作用し、その動作を強く抑制していた。
そして、その粒子は――、
(ガブの生命、そのもの……)
響の体内で荒れ狂う“畏敬の赤”を鎮め、制御したガブリエルの生命の力。
――その生命は当然のように、“円盤死告御使”の、“神黎児”の”畏敬の赤“を鎮め、自身の使命に殉じようとしていた。
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