第31話 ほろびのひと―“ADAM”―
#31
「ほろびのひと、だと……?」
地鳴りが、“空間そのもの”の震動が、“救済”に反攻する人類を威嚇し、蹂躙する――。
次元を突き抜けて、五感を震わせる“気配”に、響の鎧装下の皮膚が、とめどなく汗を噴出す。
円盤の撃墜を切っ掛けとして、鳴動を始めた繭は、表皮に生い茂る荊棘を蠕かせながら、賛美歌のように精神に波濤する“産声”を、その内部から響かせていた。
「目論見通り、“本体”は引っ張り出せた。……けど、困ったな。コイツの規模は想定以上だ――」
状況を観測する、シャピロの軽妙洒脱な物言いに、隠し切れぬ焦燥が入り混じっていた。
訪れるのは、さらなる“破局”か。
荊棘に覆われた繭が次元ごと裂け、その別次元から畏るべき生命が、悍ましい、その全貌を露わとする。
其れは、人類を襲う“救済”の根源。
この惑星の内なる“神”。
「目醒めよ、“神黎児”。この“破壊者”が立つ、“されこうべ”の丘に――」
その“破壊者”の言葉に呼応するように、繭の内部から、別次元からの雷鳴が鳴り響く――。
繭から、黒々とした液体とともに持ち上がった“頭蓋骨”は、その骨格に“畏敬の赤”と黒い液体を纏わせながら“再醒”。
“終焉の人類”と畏れられる、その歪な巨躯を、人類たちの前に顕現させていた。
「アダ、ム……」
響の喉が、“畏敬”に慄いた声を零す。
――何が人類への祝福だ。
悪態が無意識に口内から零れ落ちる。
いま正に、惑星に満ちる嘆きを、人類の苦難を凝固させたかのような異形が首を擡げ、響たち人類の魂を覗き込んでいた。そして、
「なんと、悍ましい……」
まるで人類の内側を曝け出し、再構成したかのような異様に、麗句の口舌も、無意識に言葉を紡いでいた。
“畏敬の赤”と黒い液体が混ざり合い、精製された赤茶けた体表では、細かい襞が折り重なるようにして細動。世の理を超えた、その歪な生態を人類の衆目に晒していた。
その体表を部分的に武装する、黒と紫紺の“鎧皮”は、荊棘のようにささくれ立ち、人類を睨め付ける頭蓋は、鬼を喰らう羅刹の如き凶相の“鎧兜”を纏っている。
下半身を繭の中に残したままの“終焉の人類”は、その異様に長い両腕を大地に突き差すようにして、数十メートルはある巨大な体躯を、罅割れた虚空へと持ち上げていた。
その御姿は、神々しくもあり、同時に毒々しくもある――正しく“畏敬の赤”の化身と呼べる異形であった。
「……“円盤”は飽くまで尖兵。“本体”は此方というわけか――」
呟く“蛇鬼”の背を、惑星を、全世界を貫く戦慄――。
““円盤死告御使”と同様に、全世界に“同時に存在する”終焉の人類は、煌都で死闘を演じる“蛇鬼”の背筋をも凍らせ、希望に沸き立ちつつあった人類の心を、ふたたび絶望の深淵へと叩き落していた。そして、
【―――----――――----―――】
「……!?」
響く、賛美歌のような“愛の詩”。
“終焉の人類”――“神黎児”が禍々しい顎を開き、その喉笛で奏でる美旋律は、時に優しく、時に物悲しく人類の胸を打つ――。
其れは、人類を“救済”へと誘う鎮魂歌。
「あ……ぁ……」
「だ、駄目だ……! みんな、歌に、歌に耳を傾けるな……!」
響の絶叫も虚しく、恍惚と、歌に聞き惚れるように、また多くの人類が“醒石”化し、砕け落ちる。
全世界で同時に繰り広げられる、その“破局”に、響は咆哮。その鎧装に満ちる“黄金氣”を滾らせ、“終焉の人類”へと突貫しようとしていた。しかし、
「響兄ちゃん! 危ない……ッ!」
「……!?」
耳朶を叩いた弟の声が、響の脚を止めた刹那。黄金の鎧装の鼻先を、荊棘が凝固したかのような“柱”の刺突が、削り取っていた。
――脚を止めなければ、確実に殺られていた。
露ほどの殺気もない、“愛”の一撃は、響の五感、“強化兵士”としての本能の外側から、彼を狙い撃っていた。それを察知出来たのは、
「アル……」
弟が“創世石”の適正者――すなわち“畏敬の赤”の根幹に繋がる存在だからなのだろう。
いまだに実感がないが、こうした“事実”が伴えば、受け止めざるを得ない。
「兄ちゃん、気を付けて……! “歌”が、“歌”がまた来る……ッ!」
「なにっ……!?」
アルの声に、響は“輝醒剣”を構えるが、大地から次々と現出する“柱”の牢獄が、その動きを阻み、響の反攻を封じていた。
それだけではない。
響同様に、“神輝《器》”という対抗手段を持つ月輝や白輝、他の皆も“慈愛を持って”襲い来る“柱”に翻弄され、足止めを余儀なくされていた。
「くっ……!?」
アルの脳内に響く、割れんばかりの“警鐘”。
同時に、アルの体内、適正者としての五感と呼ぶべきものが、アルの小さな身体を突き上げるようにして、“歌”の再発動を、“新たな破局”の現出を、彼へと訴えかける――。
それを阻止出来るのは、
「くっ……そおぉッ!」
「アル……ッ!?」
突き抜ける衝撃――。
檻の中で足掻く響は、己が目撃した事象に息を飲む。
「くっ……うぅ……!」
――軋む程に噛み締められた、アルの歯牙の隙間から、必死の息が漏れ溢れる。
崩れ、迫り来る土砂を受け止めるように、アルが“終焉の人類”へと両腕を伸ばした瞬間、“終焉の人類の挙動が停止……!
――奇蹟。
信じ難い事だが、アルの身体を通して出る、“畏敬の赤”の光が繰糸のように、“終焉の人類へと絡み付き、縛り付けるようにして、その動きを“制御”していた。
そうだ――響の半分程度もない、小さな身体が、巨大な“終焉”と真っ向から対峙。“食い止めて”いるのだ。
「馬鹿な……“終焉の人類”の体内の“畏敬の赤”を制御しているというのか、“神の子”……!」
その異常な――だが、“物質としての神”の適正者の所業としては当然とも言える光景に、“処刑者”の声音に、焦燥が滲む。
“創世石”が手元になくとも、この“神の子”は、疑似聖人に畏れを抱かせるだけの異能を有しているのだと、実感せざるを得なかった。
それは、純然たる脅威である。
「“もう一人の私”が、“創世石”から加護を奪う“中継地点”にしていたのだ。その副産物として、彼奴の身体に、“畏敬の赤”を意のままにする“回路”が産まれていたとしても不思議ではないさ――」
「“破壊者”……」
だが、フェイスレスは動じる事なく、淡々と推察を紡ぐと、黒手袋に覆われた、その五指を、虚空へと翳す。
「遊興んでいる暇はないぞ、“神黎児”。御身こそが“神の遺児”である気概を示せ――」
【―――----――――----―――】
「……っ!?」
それは、言うなれば、子供の悪戯を、大人が蹴散らすかのような“蹂躙”だった。
フェイスレスの五指から注ぎ込まれた、高純度の“畏敬の赤”が、“神黎児”の禍々しき挙動を活性化させ、アルの繰糸を一薙ぎで切断……!
同時に、禍々しく開いた“神黎児”の顎から放射された衝撃波が、アルを直撃し、その小さな身体を、汚泥の中へと容赦なく叩き込んでいた。
「アッ……」
響の背を駆け抜ける悪寒。
――直撃の瞬間、“畏敬の赤”の加護は、確かにアルを防護したかのように見えた。
しかし、それは彼が“無傷”で済む理由にはならない――。
「アル……アル……ッ!」
――“キレ”た。
弟を襲う暴虐に。
弟を襲う理不尽に。
鞘から刃を引き抜くように弾けた、響の感情と連動するように、黄金の鎧装から高濃度の“黄金氣”が噴き出す。
響は強引に“輝醒剣”を振り抜き、荊棘の檻を斬り裂くと、自分を追撃する“柱”を尽く殴り壊し、弟のもとへと疾駆する……!
「アル……ッ!」
殺到する御使の群れを、鎧装から放出される“黄金氣”が薙ぎ払い、響の腕は倒れ伏した弟の身体を、静かに抱き起こす。
(馬鹿野郎……なんて無茶を)
鎧装越しに伝わる、アルの呼吸に安堵すると共に、あんな無茶を弟にさせてしまった事実に、響は忸怩たる想いを噛み締めていた。
――だが、本当に忸怩たる想いを、悔しい想いを噛み締めていたのは、響ではなかった。
「悔しいなぁ……」
「アル……?」
抱き起こした弟の、涙でグジャグジャになった表情に、響の喉から微かな驚きが、言葉となって漏れ溢れる。
「俺も……兄ちゃん達みたいに、少しは戦えるかもって思ったけど、全然ダメだ。“破壊者”に、全然敵わない……」
“疑似聖人”というあまりに高い壁に、自分自身の弱さに、涙が溢れて止まらない。
自分は“適正者”なのに、兄ちゃんのように、姉ちゃんのように、皆を護る事が出来ない――。
そんな悔しさの、苛立ちの海に、アルはいまにも溺れてしまいそうだった。
「アル……」
“煌輝”の鎧装を掴み、嗚咽とともに告げる、その弟の気持ちを察し、響も人類存続を担う、黄金の騎士として、彼の兄として、真摯に言葉を紡ぐ――。
「……そんな事、お前が背負う事じゃない。適正者だろうが、何だろうが、お前はお前の無事だけを考えていい。考えていいんだ……!」
「でも……!」
それが“子供”の特権だとしても。それが響たち大人の総意だとしても。
アルの抑え切れぬ切望が、響の胸ぐらを掴む。
「俺だって何かしたい……! こんな終わりは認めたくない……! これを引っくり返せるなら、俺は、俺は何だってするよ……!」
「アル……」
アルの想いを目の当たりにした響の脳裏に、“守護者”の言葉が過ぎる。
それは自身の胸に、強く突き刺さっている言葉。
“……お前は勘違いをしている。”護る”とは、”庇護する”事のみを意味する言葉ではない……”。
“お前は彼女を護ろうとしながら、その実……彼女の気持ちを踏み躙っている”。
それは、ガブリエルの自己犠牲を拒絶した自分へと贈られた“守護者”の言葉。
――いま、自分は同じ間違いをしたのかもしれない。
響はそう思った。
「父さんと母さんは、もういなくても……取り返せる日常が、あるはずなんだ。兄ちゃんや姉ちゃん、街のみんなと暮らす毎日が――」
嗚咽で切れぎれになりながらも、切実に紡がれる言葉に頷きながら、響は血と泥に汚れ、傷だらけになった弟の手を握り締める。
その弟の想いは、響自身の想いでもあった。寸分の違いもなく、等しい願いだった。
胸から込み上げる感情を噛み締めながら、響はアルの頬を濡らす涙を拭う。
“わかった”と、“もう大丈夫だ”と告げるように。
「……それに、響兄ちゃんとサファイア姉ちゃんには、もっと、イチャイチャしてもらわないと困るもんな……。二人の子供だって見たいしさ――」
「馬鹿野郎……」
嗚咽に塗れながらも、おどけてみせる弟の気丈さに苦笑し、拳で、その頭を軽く小突くと、響は立ち上り、煌々と屹立する“神黎児”の巨躯を見据える――。
「あのデカブツは、俺達が相手をする。だから、お前はお前の異能で、“その娘”を護ってやってくれ。……お前の生命も、その娘の献身で助けられている事を忘れるな」
「ガブ……」
アルが自身の傍らへと目線を移すと、そこにはいまにも泣き出しそうなガブリエルの表情があった。
――彼女が片腕を犠牲として救った生命を、無為に遣ってはいけない。“神黎児”と相対する、その背中で、響はアルへと、誠実に、切実に語りかけていた。そして、
(……どこまでも強い子だ。故に、“創世石”にも選ばれる――やりきれんな)
響と同様に、アルを救出せんとしていた麗句も、アルの折れぬ、腐らぬ心根に、感嘆の息を零していた。
同時に、戻らぬ過去――かつて自分の傍らにいてくれた弟の笑顔も、彼女の胸に蘇り、鈍い痛みを残す――。
――同じ名と顔を持つアルが“神の子”であった以上、“他人の空似”という事もないのだろう。
飽くまで推測になるが、繰り返され、複雑に歪んだ因果の中で、麗句の弟も、何らかの使命を帯びて、彼女の傍らにあったのかもしれない。
それを知る術は、もはや残されていないが――、
「……まったく厄介な存在だよなぁ、イレギュラー」
「……!」
そして、感傷に瞳を伏せた麗句の、響たちの鼓膜を、“殺戮者”の刃のように尖った声音が刺激する。
その身を横たわらせていた岩肌から、ゆらりと立ち上がった彼は、響に切断された長槍を投げ捨てると、睨め付けるように、対峙する人類一人一人の面構えを見据える――。
「シケた面だ……。現状のお前らに、此の“神黎児”を斃せるとは、到底思えん。だが、これまでの戦績を考慮すれば、お前たちに度し難い“伸び代”がある事も、否定出来ん“事実”だ――」
得物である長槍を両断し、自身を文字通り、地に伏せさせた響を凝視しながら、“殺戮者”は淡々と言葉を紡いでゆく。
言葉を発する度に渇き、ひび割れていくかのような、その声は、各々の聴覚に否が応にも突き刺さり、それぞれの胸に、重い不安を疼かせる――。
「だから、俺も手札を一枚切ろう。とっておきの一枚をな」
「……?」
“煌輝”の仮面の下で、響の表情が怪訝に歪む。
“殺戮者”が、自らの鎧装から取り出したのは、“木の根”の如き奇妙な、みすぼらしくすらある物体――。
其れは、外見上は、切り札としての風格を持たない、粗末な物体である。
――しかし、それを目視した瞬間、自分の中で言い知れぬ不安が蠢くのを、響は確かに感知した。
そして、それは、自身の内に宿る“守護者の”――、
【――――――――---―――----―――――――ッッ!!!!!!!!】
「……!」
――“警鐘”。
そう認識した瞬間、此の惑星そのものを震わせるかのような、”神“の咆哮が耳を劈いていた。
咆哮の主は、最前線から一歩退いた位置で、人類の反攻を注視していた“生物としての神”。――“獣王”・“神璽羅”。
彼は、太い弦を革手袋で擦ったかのような唸りを、喉から発しながら、その白濁とした両眼に、煮え滾る溶岩のような憤怒を漲らせていた。
――その起因となったのは、紛れもなく、“殺戮者”が手にした、あの、みすぼらしくすらある“木の根”である。
「……本来なら、この惑星にコイツを“発芽”させるだけの“養分”はない。だが、この状況なら、この馬鹿げた“黄金氣”の総量ならば、条件は充分に満たされる――」
「な、何……?」
“殺戮者”の目線が、己の鎧装が放出する“黄金氣”に注がれている事に気付き、響は心臓を鷲掴みにされたかのような、怖気を覚える――。
何が始まる?
何が――目醒める?
「……さぁ、咲き乱れるがいい、“生命の覇王”たる黄金樹……! 暗黒の宇宙に輝く、“黄金邪龍樹”よ――!」
「……!」
“殺戮者”が、“木の根”を大地に突き立てた瞬間、“神黎児”とは異なる、電子音を折り重ねたような“産声”が、大気を揺らしていた。
斃すべき脅威は、“神黎児”だけではない。迫る終焉は、“救済”だけではない。
人類に、総ての生命にいま、更なる試練が立ち塞がらんとしていた。
NEXT⇒第32話 落日、彼方より来たる―”king of gluttony“―