第01話 犇めく六凶
#1
人の眼の届かぬ空の果て――暗雲に覆われた虚空の海をその“蟲”は轟然と泳いでいた。
雲を切り、高高度の凍てつく風をうけながら、“蟲”はその身の軋みを咆哮のように、虚空の闇に響かせていた。
蜘蛛の如き節足を持つ巨躯は“居住区”及び“開発区”を司る『塔』を腹部に組み込まれ、背部にある巨大な単眼は虚ろげに空を睨んでいる。
“悪魔”と呼称されるに値するその異形は、全長二km超の巨体を地上の誰にも気付かれることなく空に浮かべていた。
それは解析不能の電磁波に覆われ、ほぼ総てのレーダー類を無効化するこの惑星の特性ゆえの“不可視”か、あるいは世界の統治機関でありながら、己の繁栄に心奪われる煌都の驕り、それが生み出す世界そのものの歪みゆえか。
そのような現在を憂い、現在在る世界に満足しない者たちによって建造された、この“悪魔”はその腹に、世界を転覆させるための兵士たちを抱えたまま悠々(ゆうゆう)と空を泳ぐ。
いずれ、訪れる“審判の時”を待ちわび、虚空の闇を静かに食みながら――。
◆◆◆
――蟲を模り、自らを悪魔と嘯くその鉄塊は高き空に在る。
闇を食み、大空を泳ぐ移動要塞“ディアブロ”の中枢。
人の臓器を模したかのような醜悪なパイプや機器が視覚を彩る回廊を抜け、辿り着くは、この要塞の最深部に位置する“六星の間”。
地上の遺跡に眠っていた数百もの“醒石”を合成・精製し、誕生させた要塞の動力源“蟲瞑石”は、無数の人のデスマスクが寄り集まったかのような異形のデザインを部屋の中心に築きながら、呻き声にも似た駆動音を延々(えんえん)と響かせていた。
それはこの要塞を建造したものたちの世界への怨嗟の声、その暗喩か。
あるいは彼等の憎悪とその怨嗟によってあるべき姿を歪められた“醒石”の嘆きの声か――。
「――やはり、“創世石”奪還の任のため、元老院のご希望のためとはいえ、一つの作戦にジャッジメント・シックスを二人……というのはいささか解せない、乱暴な計略だったように思えますね」
そして、組織の最高幹部のみが入室を許されるその場所で、組織の象徴たる逆十字の紋章を、纏うマントに刻んだ黒衣の青年は、自らと同じ“惑星に選ばれし者”でありながら、同志と呼ぶにはあまりに相容れない者たちを視界に捉えながら、清廉な、清水の如く澄んだ声を響かせる。
両肩と胸部に強固なプロテクターを組み入れた彼の装束は、礼装というよりは騎士や武者の戦装束に近い。そして、竜の貌を模したかのような仮面の下に隠されているのは、あどけなさすら残る、若い顔であった。
“剣鬼”の称号を持つ“選定されし六人の断罪者”の一人、シオン・李・イスルギ。
六人の内で最年少の青年は、自分を含む四人によって、極限まで張り詰めた空気へと口舌によって切り込んでゆく。――“剣鬼”という自らに与えられた称号そのままに。
「現地に派遣されている女王と軍医はけっして相性が良いチームとはいえません。否、むしろ相容れないといっていい。目標である“創世石”の回収に際し、余計な問題が生じないとも限らない。そこで、調整役として私の百騎《鬼》衆を派遣したい。そう考えていますが?」
あらゆる権限を与えられ、組織に対する反逆すら許された異能結社アルゲム、最上級の“戦士”にして最高幹部であるジャッジメント・シックスの六人。惑星に選ばれし、世の理すら超越する存在と畏れられる彼等である。
組織に所属しているというよりは、彼等が単に組織を利用しているに過ぎないといえるかもしれない。事実、組織に繋ぎ止めておくにはあまりに強大な力と意志を持つ六人である。
だが、六人にとって組織に利用価値がある状態で一人が反旗を翻せば、残り五人を敵に回すこととなる。
要するに一人一人が絶大な力を持っていながら、組織の力を必要とするほど、彼等が求めるものは“大きい”のだ。
その野心や理想が彼等を縛り、危ういが強固なバランスを作り出しているともいえた。
また、ジャッジメント・シックスそれぞれが、それぞれの理由で、今回の作戦の標的である“創世石”を欲している。
確実に自らの掌中に収めるために、現地に自らの手駒を潜り込ませておきたいと考えるのは必然であった。
“剣鬼”、シオン・李・イスルギが突きつけた提案という名の剣先に、他の三人はいかに応じるか。そして、
「ふん……現場の連中がごねてるってんならヨォ、“仲裁役”だろうがなんだろーが俺はいつでも派遣されてやるぜェ?」
-――仲裁という行為には程遠い、ひどく乾いた声が裂かれた空気を不穏に震わせる。最初に口を開いたのは、シオンの予想どおり、部下の派遣などという、小手先の手段は考えぬその男。
自らの力と衝動を持ってのみ、任務を遂行するその男――彼は至極、直線的な反応を見せる。
「女王と軍医、チクチクちちくりあってるような生温い連中のお遊戯はもう充分じゃないの。ナァ? 刺激的に、徹底的に遊びたいんだよ、俺ァ……」
特攻服にも似た黒衣を纏うその男の名は、我羅・SS。
“毒蛇”、“毒蠍”と、二つの称号を持つジャッジメント・シックスの一人である。
オールバックにした金髪と、額から頬にかけて紫の塗料で描かれた、皮膚がひび割れたかのような奇怪なメイク。
生き血を啜ったかのようにルージュで赤く染められた唇。そのすべてがひどく攻撃的で、本来、端麗とすら表現できるはずのその整った容貌を凶悪な印象へと変質させている。
その首に巻かれた純金製の首輪には複数のアンプルがセットされており、彼が自分自身を制御できなくなった際に、内部の鎮静剤が直接、彼の体内に注入される仕組みとなっている。
現状ではアンプルの六分の三が空となっている。これは充分に危険水域といえた。
残り三本の鎮静剤が尽きれば、“暴走”が始まる――。
「サイッコーに楽しそうじゃないノ。救世主ってやつとの喧嘩はヨォ……」
「喧嘩……? まさか、『鎧醒』した“創世石”と下卑た格闘戦――力比べでもするつもりですか? その行動理念の低俗さ、凡雑さには頭痛と懸念を覚えますね、毒蠍、そして、毒蛇。ですが――」
「あ?」
――実に、貴方らしい。そう嘆息したシオンに、我羅は鋭く発達した犬歯を見せて嗤う。
獲物を喰らう大蛇の如く大口を開けて。
同時に、彼の出自を示す手錠がジャラリと音を立て、幹部でありながら、この要塞内に幽閉される囚人でもあるという彼の特異な立ち位置を浮かび上がらせる。
法に追われ、地上に生きる場所を失くした犯罪者のみを集めた、俗称“特攻部隊”――羅獄衆を束ねる男は、瞬きすることのないギラついた眼をシオンへと、あるいは、まだ見ぬ“喧嘩相手”へと向け、蛇のような舌で唇を舐めていた。
「――“獣王”。貴方はどのような見解を?」
「……………」
その“剣鬼”からの問いに“獣王”の称号を持つ男は沈黙のみを返し、“蟲瞑石”の上部に設置されている、現地の、前線基地の様子を映し出した球状の水晶をただただ凝視していた。
全身を黒の鎧装で覆った巨漢――『G』という名とも、記号ともつかぬ呼称を有するその男は、沈黙こそが己が言葉であるとでもゆうように、ほとんど言葉を発さない。
兜から除く口は、耳まで裂けた爬虫類のそれを想起させ、剥き出しとなった歯は肉食獣の“牙”としか形容できないものである。
背中に在る、鎧の内部から突き出ているような刃状の突起も、彼の非人間的な特徴をより際立たせている。
大戦時に精煉された“強化兵士”を中心に構成された業煉衆の長としては、相応しい容貌なのかもしれない。
それは人が人を兵器とした業罪の象徴のように、シオンには感じられる。
同時に、軍医が彼から部下として借り受けたジャック・ブローズのような下劣な男の存在を思えば、所詮は“獣の集団”でしかないのか――という思いも頭を過り、嘲笑めいた苦笑が自然、シオンの口元に浮かびあがっていた。そして、
【――“元老院”が承認し、二人を適任と見做したのだ。無駄に計画を修正する必要はない】
「……フェイスレス……」
感情の起伏を微塵も感じさせない、だが、強烈な意志が直接、肌に食い込んでくるかのような、実にタイプライタじみた声がシオンの鼓膜を震わせる。
“顔のない男”という名を持つこの男は、その名が示すとおり顔のほとんどを包帯で覆い隠し、自らの素顔を完全に秘匿している。
その声も喉に埋め込まれた機器から発せられた電子的なものである。だが、にもかかわらず彼の声に宿る“意志”は肉声じみた生々しさを確かに感じさせ、例外なく聞くものの肌を粟立たせた。
そして、彼が纏う黒装束はどこか拘束衣を想起させるものであるが、両肩の仰々しい角と、各部を装飾する茨の如き刺で鎧のような印象すら見るものに与えていた。
禍々(まがまが)しく在りながら、厳粛なイメージすら喚起させる出で立ち。
“全能”なる神を殺す“異能”の機関と嘯く組織の実質的な首領の姿として不足はない。
同格であるはずのシオン等をしてそう認めさせてしまう一種の“空気”をこの男は纏っている。
――“信仰のない男”、なるほど神殺しを謳う男の名には相応しかろう。
「確かに出資者ではありますが……貴方が元老院を気にしますか。“破壊者”の称号を持つ貴方が。それも相手が“創世石”故……ですか?」
近くに在るだけで動悸は乱れ、噴出す汗が黒衣を濡らす。包帯で隠されたその素顔同様、正体のつかめぬ――人であるかもさだかではない男へと畏敬を込めて、シオンは尋ねる。
【我等全員が動けば、アレもまた、それ相応の力を覚醒させる。アレはそういうものだ。物質としての神――それが選び、遣わした適正者ならば、“救世主”の呼び名も間違いではなかろう。女王ならばその相手に似つかわしい。かつて、神の子と謳われ、神に裏切られた彼女ならば、な】
辺境の聖処女。そう呼ばれていた女王、麗句=メイリンの過去を思考に過ぎらせ、シオンは微かに瞳を翳らせる。
常に戦場に在りながら、無駄な流血と犠牲を好まず、戦場で生命を散らすのは飽くまで戦士のみであるべきという戦士としての“適者生存”の道理と、その“過去”と自らの信念に基づく、善悪すら超越した“正義”を尊重する彼女の在り方は、その容貌同様、シオンの瞳に美しく映えた。
魑魅魍魎の類にすら思えるジャッジメント・シックスのなかで唯一、共感を覚える人物だといっても過言ではない。
(まるで、姉のよう、か)
僕もまだ甘い――。彼女の安否を気遣う己を認識し、自嘲の苦笑を浮かべたシオンは、“剣鬼”としての仮面を表情内に創り直し、フェイスレスをはじめとする相容れぬ者たちへ向き直る。
【宴はこれから始まる。軍医と女王が相対し、閉ざされた眼を開くかも知れぬ“救世主”の力。いま、我等が眼で確かめようではないか。“神”なき世界で“神”であるために――】
球状の水晶に映し出されている前線基地の様子に変化はない。だが、フェイスレスの目は着実に進展している情況の仔細を、確かに見通しているかのように見えた。
シオン等にしても自らを選び、自らの“力”となっている醒石を通じて、その覚醒の鼓動を秘かに察知していた。
各々の思惑が密室を錯綜し、その目線を球状の水晶と、いずれそこに映し出されるであろう新たな状況へと収束させる。
――いずれ、自らの前に立ち塞がるであろう、覚醒、鎧醒した『救世主』。その、御姿へと。
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