第19話 輝きの兆―”signe”―
#19
「なっ……あっ……」
驚愕が、息を飲む音とともに、周囲へと伝播する。
同志である“擬似聖人”の“心核”を抉り出した、“処刑者”の奇行。その“処刑者”が剥ぎ取った聖骸布の下にあったモノ。
それらが、戦闘の最中にある人類達の思考を奪い、釘付けとしていた。
「な……なんだ、ありゃあ……」
「人形……? ミイラのようにも見えるけど――」
「少なくとも、生者、ではないな……」
あまりの驚愕に、保安組織の面々の口から、呆けた声音が零れていた。
“処刑者”が剥ぎ取った聖骸布の下にあったモノ。それは、朽ち果てた、文字通りの遺骸――正確には“遺骸としか表現出来ないモノ”であった。
血の一滴すら零れないような、干乾びた四肢。額に、“心核”と思しき、紅の結晶を埋め込まれた頭蓋骨。
――少なくとも、生命の脈動はまったく感じられない。とてもではないが、“一体”とカウント出来るような状態ではなかった。
「……フッ。諸君らの疑問、混乱は“もっとも”だ。確かに現状では、人類を救う聖人の御姿とは言い難いであろうな――」
そして、その、憐れな人類達の驚愕と混乱を察知したのだろう。“処刑者”は紅の装束を翻し、緊張に表情を強張らせる、“迷い子”達へと向き直っていた。
同胞から抉り出した“心核”に、その掌を焼かれながら、“処刑者”は厳粛に、静謐に、自らの言葉を紡ぎ始める――。
「――元来、“模造されし背信の九聖者”とは、“破壊者”を含めた、我等九体“のみ”で構成されている。この十体目は、言わば、その番外。最後の擬似聖人――その“素体”となるべき存在だ」
左手で頭蓋骨を撫でながら、“処刑者”は、“心核”を抉り出され、倒れ伏した同胞と、“破壊者”を始めとする擬似聖人の面々、その御姿を見据える。
「我等は“人類の救済の為に産まれ、人類の救済の為だけに死ぬ”。その鉄の結束は神幻金属よりも硬く、奈落の底よりも深い。憐れな人類達に、その強さを推し量る事など出来ぬ――」
仮面から流れ出す血涙とともに、“処刑者”の手が“心核”を握り潰し、純粋なエネルギー体となった“心核”は、茨の如き鉄棘へと姿を変える……!
「故に、我等は血を流そう。誇り高く、呪わしい“畏敬の赤”を――ッ!」
「……!」
“処刑者”の手刀とともに、“番外”の遺骸へと撃ち込まれた鉄棘は、噴き出す“畏敬の赤”の返り血をも吸い込み、新たな“心核”として、遺骸の内部で脈打ち始める――。
そして、その尋常ではない“返り血”の量からも理解できた。やはり、これはただの遺骸ではない。高純度の“畏敬の赤”の塊と呼ぶべきものだ。
その塊に、“心核”という更なる生命を撃ち込んでいるのだ。――そこから派生するものが、尋常の存在であるはずがない。
「チイィ……ッ!」
焦燥に、大地を蹴らんとした麗句の挙動を、“極闘者”の巨大な斧槍が、当然のように阻む。
更に、滅尽騎士、破滅の凶事が当然のように、響達の前に立ち塞がり、進行する“処刑者”の“儀式”を、図らずも守護していた。
さらに、響によって砕かれた滅尽騎士の半身は、“処刑者”の暴挙に気を取られた、わずかな時間で、ほぼ完璧に復元。その身が秘める、度し難い“再生能力”を自明のものとしていた。
高火力の一撃で、一気に仕留めなければ、完全に消滅させる事は難しいかもしれない――。
「フッ……見事なものよ。想定外に想定外を重ねるお前達の“足搔き”。“処刑者”殿も、随分と肝を冷やした事であろう――」
「クッ……!」
畳みかけるように響く、“極闘者”の闊達な口調が、麗句の神経をザワザワと逆撫でる――。
麗句が幾度、全推力での突撃を試みようとも、竜巻のように襲い来る斧槍の乱舞が、それを阻止。
血盟機に匹敵、否――凌駕する戦力が、“極闘者”の一挙手一投足に、満ち満ちていた。
「だが――その程度で覆せるほど、我等の計画は杜撰ではない。いまだ盤石も盤石。“堪え難き犠牲”を強いたとしても、計画された救済への道筋は何一つ揺らいではいない――」
有無を言わせぬ“圧”があった。
一語一語に、足首を地面に埋めるような、強い圧力があった。
容易には飛び越えられぬ一線。“極闘者”は正しく、絶対的な防衛ラインとなって、そこに立ち塞がっていた。そして、
(……当然といえば当然だが、“こういうタイプ”も存在するか)
麗句の目は、対峙する“極闘者”が、他の擬似聖人と“明確に異なる特性を持つ”事を、既に看破していた。
他の擬似聖人と同様に、奇蹟の塊でありながら、この擬似聖人はその攻撃、能力の発揮に、“奇蹟の行使を必要としない”。全て彼の肉体と技量によって繰り出されている。
あらゆる奇蹟を封殺する“神を斃す右手”にとっては、己の特性を無効化する、最も厄介な相手だと言える。肉体と技量のみでの対決となれば、体格的にも、麗句の不利は否定できない――。
「クッ……!」
豪然と迫る極闘者の巨躯が、麗句の視界を塞ぎ、巨大な斧槍が凄まじい速度で唸りを上げる……! だが、
「ヌッ……!?」
極闘者と麗句。両者の間に割り込んだ鎧装が、麗句を押し退け、唸りを上げる斧槍の隙間を縫うように、鋭利な斬撃を交差させていた。
麗句の肢体を裂かんとしていた斧槍は、乱入者が放った絶技に、即座に反応。その軌跡を防御のためのものに変えていた。
金属の鈍い衝突音とともに、“極闘者”は半歩後退し、現れた乱入者へとその目を瞠る。その、鎧装は――、
「“剣鬼”……!」
「“選定されし六人の断罪者”は貴女一人ではありませんよ、“女王”」
“この擬似聖人は、私が引き受けます”。
鮮やかなる乱入者――“暗夜征く剣鬼”への『鎧醒』を完了したシオンは、両手に握る二刀を構え、涼やかに言葉を紡いでいた。一撃を阻まれたカタチとなった“極闘者”は、巨大に過ぎる斧槍を肩を担ぎ、首筋をポリポリと掻いてみせる――。
「ほう……貴公、“剣鬼”、だったか。童のようなナリで、その技巧。人類の身で、なんともやるものだ」
一瞬、交差したシオンの剣技の残滓、その軌跡を目で追うように、空間を見つめながら、“極闘者”は呵呵と告げる。顎に指を乗せながら、シオンを観察する様は、彼の技能・体幹を分析し、値踏みしているかのようだった。
「……恐れ入ります。神の子を狙っていた三体の疑似聖人は、“あのような有様”ですので、貴方に標的を変えさせていただきました」
“聖人”と呼ぶには、いささか“武”に偏った方のようですが――。
内臓を鷲掴みにし、嘔吐を誘発させるような圧力を噛み殺し、シオンは毅然と言葉を紡いでゆく。
シオンもまた、“極闘者”という未知数を凝視・観察し、“己の肉体と技量のみを強さの拠り所とする”、その特性を看破していた。そして、徐々に増幅する、五感を軋ませる圧力、肌を粟立たせる“予感”が、鎧装の下の四肢に汗を滲ませる――。
「フゥハッハッ! 確かに私は、他の八体と違い、“聖人”と呼ばれるような存在ではない。どちらかと言えば、天に唾する、神に刃を向けるような存在であったかもしれん――」
「天に唾する、だと……?」
豪放に笑う“極闘者”の解に、麗句の表情が怪訝に曇る。
痛みの、祈りの集合体と言うべき“誘愛者”と対峙し、打倒した麗句にとって聞き流せる言葉ではなかった。この“極闘者”が天に救いを求めた者ではなく、天に唾する者だとすれば、その存在は――、
得体の知れぬ予感に、身を震わせる麗句を横目に、“極闘者”は斧槍を構え直す。
「しかし、“我等”は崇められ、奉られた。人類を救う九体の一つに選ばれるほどに」
“例えば”、
告げる“極闘者”の兜から人骨で編まれた蛇腹状の髪飾りが伸び、その機械的な仮面が禍々しい“赤”の光を宿す。
「“呂布奉先”」
「――!」
語られた名に、シオンが目を見開いた瞬間、振り上げられた斧槍が、シオンの身体を鎧装ごと舞い上がらせていた。
まるで、宇宙が爆裂したかのような衝撃だった。
“ただの一振り”で、まるで、風船のように宙を舞う己の身体と、四肢を痺れさせる衝撃に、シオンは“極闘者”の味付けのない“純粋な強さ”を確信する。
聖人の域に達するまでに、その“強さ”を人類に崇められた者達の疑似聖人。
それが――この”極闘者”という疑似聖人。正しく、“武を極め、奇蹟に至った”存在……! そして、
「シオン……ッ! 受け取れ……ッ!」
「……! “女王”ッ!?」
死闘を確信・覚悟したシオンは、凛とした麗句の叫びと同時に、手首に強い“熱”を覚える。
生じた熱は高濃度の“畏敬の赤”とともに、新たな鎧醒器――“血盟の腕輪”となって、シオンの手首に装着されていた。
それは“血盟”の証であり、異能の根幹。
“血盟機XⅢ”を統べる操縦機。
「ーー契約ッ!」
理解したシオンが、契りの言霊を放つと同時に、麗句の鎧装に装着されていた“血盟機XⅢ”が、シオンの鎧装へと転送・鎧醒装着される。
元々、“畏敬の赤”の適正者達を対象に契られた“血盟”である。状況に応じた、“使用者の変更”は、合理的かつ、当然の運用といえた。
【“双翼紅醒剣”・連結ーー灼熱化】
剣技など接近戦を主体とするシオンの戦闘スタイルに合わせ、血盟機もまた、地上戦用に自らの在り方をアップデート。
背部鎧装の双翼が排除され、シオンが握る二刀と融合。新たな超常の武装となって、夜闇に紅い光を刻み付ける――。
高濃度の“畏敬の赤”を充填し、熔岩のように赤熱化した2つの刀身は、シオンの鮮やかな剣舞と相まって、“極闘者”をその場に釘付けとするだけの圧力を生み出していた。
「ヌゥ……ッ!」
「私の“武”と、血盟の加護――存分に振るわせていただきます! “極闘者”ッ!」
軌跡すら追えぬ紅い斬撃が、闇を乱舞し、深紅の薔薇のように咲き乱れる。そして、
【―――――――――】
「グッ……ウッ……またこの“歌”かッ!!」
立ちはだかる障壁はいまだ高く、厚い。
自らの神経を、五感を掻き毟る“歌”を、掻き消すように咆哮し、響はその黄金の拳を“滅尽騎士”へと叩き付ける……!
しかし、滅尽騎士と接触した五指には、膿の如き体組織が絡み付き、接触毎に、“黄金氣”の放出・充填を阻害。
もはや、相手を仕留めきれぬ、安易な攻撃は、ただ自らの攻撃力を減少させるだけの愚行と成り果てていた。
「隊長……! クッ……!?」
しかも、ジェイク達が援護に入ろうにも、ゼルメキウスによって放射される膿の弾丸が、“正確に急所を狙って“絶え間なく飛来。もはや援護どころか、自分達の防御すらままならない状況であった。
「くッ――ふざけるな……ふざけるナァァッ!」
“歌”に蝕まれる己の肉体を鼓舞するように、咆哮した響の、煌輝の鎧装から黄金氣が噴出す……! 滅尽騎士の特大剣による乱撃を、拳の乱打で押し返し、響は黄金の鎧装を、破滅の凶事へと向け、僅かにだが前進させていた。
しかし、一瞬で両腕の筋肉組織を肥大化させた、滅尽騎士の渾身の一撃が、防御した両腕ごと、煌輝の鎧装を再び後退させる。
それでも、それでも響の脚は前進を諦めず、精神と神経を搔き乱す“歌”の中、彼は滅尽騎士の猛撃に抗う。
――自分一人の身体、力ではない。ガブリエルの生命を喰らってまで生き延びた命、力なのだ。
こんなところで――足踏みをしていていいはずがない。無為にしていいはずがない。そして――、
【……“護る者”よ……】
黄金の輝きの中で、より強く光る響の意志を見据え、“獣王”の喉が、太い弦を革手袋で擦ったかのような唸り声を響かせる。
五獣将とともに、“殺戮者”と対峙していた彼は、かつての“旧敵”が遺した黄金と、それを託された者の雄姿に、僅かにその目を細めていた。
「フッ……この“殺戮者”を相手にしながら余所見とは不遜だな……! “生命としての神”――!」
五獣将の連携を掻い潜り、飛びかかる“殺戮者”の長槍を、巨尾の一振りでいなし、“獣王”はその口顎を大きく開ける。
刀剣の如き背鰭の発光が告げるのは、全てを薙ぎ払う“蒼き熱線”の放出……!
【……受け取るがいい、護る者よ】
「ヌッ……!?」
熱線が飲み込み、弾き飛ばしたのは、響が投げ捨てた輝醒剣……!
機能を阻害していたゼルメキウスの体組織は、熱線によって滅却。輝醒剣はより磨き上げられたかのように、新たな輝きを手に入れていた。
「なっ……?」
その輝きは、響と滅尽騎士の間に割入るように飛来し、響の手に握られる。“生命としての神”の力を注ぎ込まれた、新たな重みに、響の両腕は僅かな痺れを覚える。
「重輝醒剣……“玄武”」
脳裏に、“誰か”が呟いた名を、気付けば口にしていた。元々、大剣状の輝醒剣はその名を持っていたのだろう。輝醒剣に残る蒼い焔に、響は“獣王”と“誰か”の縁を感じる――。
「……感謝する、“獣王”。やはり、俺は此処で止まるわけにはいかない――」
重輝醒剣を手に、前進する響を“歌”と滅尽騎士が阻むも、“黄金氣”の放出量を取り戻し、底上げされた響の筋力が、滅尽騎士の特大剣を弾き飛ばす……!
絡み付く膿状の体組織も、重輝醒剣に残る蒼き焔に焼き尽くされ、“攻撃する事のリスク”は完全に消滅していた。そして、
(――喚べ――)
「……! な、何だ……?」
響の脳裏に、“別次元”からの呼び声は鳴り響く。
それは、煌輝の鎧装と共鳴するように響の五感、精神に響き渡り、次元を超えた“雷鳴”を周囲へと轟かせる――。
(――喚べ、“黄金”を掴みし勇者よ――)
「勇者、だと……?」
次第に大きくなる呼び声と連動するように、煌輝の額に埋め込まれた“制御翠核”が眩く輝き始める。
稲光とともに、脳裏に、そして、虚空に浮かび上がるのは、紅い、人型の輪郭――。
(あ、あれは……)
麗句は、その人型に見覚えがあった。麗句は、かつてその人型と対峙している。あのラ=ヒルカで。
それは、創世石を託すに足る“黄金”に、与えられる力……!
「喚べ、ムラサメ……! いまのお前なら喚べるはずだ……!」
「“女王”……?」
麗句の声に、響が振り向き、僅かに意識を逸らした瞬間、虚空に穿たれた穴から3体の“ガラクタ”が落下……! 骸羅无の“歌”と同様の旋律を、凄絶なまでの音量で奏で始める……!
「ぐっ……ああああああああッ!?」
「……巫山戯ている。あまりに巫山戯ている。無礼るな、人類。これ以上の“想定外”は御免被る」
儀式を一時中断した“処刑者”の怒気を孕んだ声音と指先が、“ガラクタ”達の“歌”をより凶悪に調律し、響の心身を蝕む――。
“ガラクタ”達は、未完成品の骸羅无と思われ、ほぼフレームだけの姿で、歪な“歌”を奏でていた。本来であれば、実戦投入は想定されていない“欠陥品”――。だが、その“欠陥品”は確実にいま、響を追い詰め、その精神を発狂寸前にまで追い込んでいた。
しかし、
「――――――!?」
蒼い閃光。
虚空より舞い降り、駆け抜けた、蒼い閃光が、“ガラクタ”達を一蹴し、黄金を封じる“合唱”を終わらせていた。
布状の刃――“蒼裂布”を風になびかせながら、目の前に立つ、その蒼い鎧装は、響が、麗句が、良く知る鎧装。
――よく知る男の鎧装だった。
「想定外だ。……到着して最初に救うのが、“女王”でないとは、な」
「お、お前……」
抑揚の少ない、だがどこか安堵の感情を感じさせる声が耳朶を撫で、響は“彼”の到着を実感する。
それは、自分と互いの血と骨を砕く、死闘を演じた男。
それは、血を分けた、実の――。
「ブルー……!」
響の呼び声に応えるように、蒼鬼の仮面、そのスリットが碧色の光を宿す。
新たな役者の登壇とともに、戦闘という舞台もまた新たな局面へと突入する。
いま、月灯を纏う蒼き闇が、“擬似聖人”との戦場に蒼い爪痕を刻まんとしていた。
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