第12話 鎧醒《アームド》
#13
【この惑星の核たる六つの醒石の一つ、賢我石に選ばれし男です】
左半分が束になったヒューズ等で構成された、彫りの深い舞台役者のような顔立ちと、それを彩る銀の髪に、赤の瞳。
そして、そのヒューズ、コード類の隙間から飛び出している黄金の爪、赤色光を放つ機械の目が、眼前の男が“一線を越えた存在”であることをアルへと如実に伝えていた。それも強化兵士などとも異なる、より常軌を逸した存在だ、と。
「あ、あれは……」
また、アルの目線を何よりも釘付けにしたのは闇夜に男の立体映像を投影している一つの物質であった。
闇夜に呪われた妖星の如く、赤々とその身を浮かび上がらせる球状の石。
それはまるで血液が凝固したかのような――既視感を覚えさせるものだ。
「ガブが持っているのと……同じ石……?」
【ご明察です、少年。しかし、お隣の天使に託されたものは、我々が所持する六つの核を凌駕する上位種――いや、この惑星という概念を制御する、まさしく、“王者の石”とでも呼ぶべきものです。……否、“創世石”というもう一つの呼び名とその秘めたる力を鑑みれば、“神”とすら呼べるかもしれない】
そして、その石を目にしたガブリエルの表情は蒼白、といってよかった。闇に浮かび上がる赤の光とは対照的に、ガブリエルの表情からは血の気が失われ、その身は全身を突き上げる恐怖を堪えるように小さく震えていた。
「ガ、ガブ……?」
――絶望。アルが視線を送った時、全てを黒に塗り潰す、諦観の極みたるその感情がガブリエルを徐々に支配しようとしていた。
だが、一欠片、少女の精神を支え、踏みとどまらせているものがあった。自らの首元にあるものと同種の赤の石。
それを捉える少女の瞳には、確かな怒りが、憎しみとすら呼べる感情の渦が見てとれた。
【お互い因縁深い間柄ではありますが、貴女とは初対面となりますかね、天使。残念ながら、かの戦場で貴女は我々と対峙する前に、“逃げ出して”しまいましたからねぇ……。仲間達を犠牲にして、こんな辺境まで落ち延びたのはいいですが、所詮は無駄な時間稼ぎです。貴女の旅はここで終わるのですから】
立体映像の男の言葉によって蘇る記憶が、ガブリエルの怒り、痛みに火を点けたのだろう。
アルが驚くほどの激情が、憎悪と呼べるほどのそれが、涙を貯めた彼女の瞳から迸っていた。故に少年は知る。少女が背負っている過去の重さと、その悲しみを。
【逃亡という旅路の果てに、貴女が受胎を告げるべき聖母、そして、覚醒を告げるべき救世主は見つかりましたか? まったくとんでもない徒労です。あれだけの犠牲を払ったにも関わらず、貴女は結局、我々にキャッチ! すなわち発見されてしまったのですからね……】
「な……なんなんだよ、お前ッ! さっきから訳わかんないことベラベラしゃべっ……!?」
直接、姿を見せずに、石の向こう側から身振り手振りを入れて、少女を嬲るように言葉を紡ぐ男に、アルがたまらず吼えたその刹那、彼への回答であるかのように屑鉄の山の上に、二つの影が降り立った。
ひどく場違いな二人である。二人とも執事のような、妙にかしこまった身なりをしており、その上、まったく同じ顔を持つ“双子”であった。
顔立ちは男とも女ともとれるような、中性的なものだが、感情がまったく読み取れない、人形が服を着て歩いているに等しい有様であった。
【……失礼致しました。なにぶん、多忙なもので今回は代理人を用意させていただきましたよ、少年。王者の石……“創世石”を受け取るのです。敬意を払い、我が傑作を二体、ね】
【――呪われし一本角。倒錯の破砕獣】
【――象牙持つ簒奪者。忌避すべき鉄槌】
双子が腰に装着されているバックルのようなものに、カード状の端末を装填すると同時に、その電子音声は鳴り響き、バックルから放たれた光が空間を乱舞する。
光は線画を描くように、バックル……“獣醒機”に入力された真名、そのイメージを具現化するように舞い踊り、やがてひとつの形、二つの異形となってアルとガブリエルの前に顕現する。
【驚きましたか? ――醒石。星石とも呼びますが、これは、この約束の地、メタ・クゥーリアに眠る、大いなる力のひとつです。我々人類の、この惑星を訪れる者の意識・無意識と感応し、姿を無数に変える未知の物質! 実体化した形態は煌都では、星獣。もしくは、“無意識という彼岸からの侵略者”という意味を込めて、インベイドと呼称しているようですが、私としては後者のほうが好みですね。この二体は星石を組み込んだ端末から意図的に顕現させた、インベイド。この自治区を狙っていた盗賊たちの意識を吸収・利用した前菜といったところです】
“ライノス・インベイド”と“エレファント・インベイド”。
双子に召還されたが如く実体化した犀と象の怪物は、その巨体でアルとガブリエルの行く手を阻むようにして立ち塞がっていた。
共に紫と赤で彩られ、鎖やパイプで鎧の如き表皮を飾る二足歩行の鋼獣は無機的でありながら、ひどく獰猛な獣臭さに満ちていた。
【そして、星石には彼等すべてを統率する上位種が存在します。宇宙を彷徨い、安住の地を求めていた人類の意志に共鳴し、我々が生きてゆける環境へと、自らを造り替えた程のこの惑星の力。その源となる上位種が。――それが我々、“選定されし六人の断罪者”に与えられた六つの石ッ!】
声に混じる高揚と感応したかのように、闇に浮かぶ赤の石が、赤々とした電光を放ち、ドクトル・サウザンドの立体映像の輪郭をよりクッキリと浮かび上がらせる。
【そして、その六つすら凌駕するのが、惑星の力そのもの……惑星の中心核とも呼べる王者の石――“創世石”です】
赤の電光に彩られた禍々(まがまが)しいシルエットがガブリエルの首元の石を指差し、不気味に嗤う。
【星石は、適正者と呼ばれる特定の人間に邂逅することにより鎧醒と呼ばれる、化学反応を起こします。その創世石も例外ではありません。しかし、かの戦いの時も、現在も、まだ鎧醒に値する適正者には出会えていないようですねぇ。覚醒の兆候と呼べるエネルギーの高まりがあったため、我等はその存在を感知できたのですが……】
「なっ……あっ……」
十一歳の少年には突飛すぎて、理解し難い話である。
だが、現実としていま、アルの周囲は“超常”で溢れかえっており、常識などという概念は既にねじ伏せられている。
もはや、アルがこれまで生きてきた、十一年間で得てきた知識は、眼前の真実を計る物差しにはなりえなかった。
そんな呆気にとられているアルを、“石の向こう側”から眺め、“選定されし六人の断罪者”の一人、ドクトル・サウザンドは口元を愉しげに歪める。
【――では、天使。その覚醒間近の“創世石”を得るに相応しい応援を呼ぶことにしましょう。きっと――懐かしい顔ですよ】
「えっ……?」
サウザンドの言葉に嫌な予感を感じたのだろう。ガブリエルの表情が瞬時に強張る。
【再醒の時です! 蒼き聖邪断つ剣!】
刹那! 屑鉄の中から青い、創世石に良く似た石が飛び出し、サウザンドの意志を注ぎ込まれるが如く、赤い石の光を浴びる。
同時に、青い石からも光が放たれ、その尋常ならざるエネルギーはやがて一つの形へと収束する。
「あ……あ……?」
顕れたのは白と青に彩られた甲冑。
赤い眼の下に青の隈取を持つ、機械的な仮面を纏った騎士を想起させる存在――。
首に巻かれた血に染まったような赤のマフラーは風にたなびき、剣の柄と鍔を模したと思しきバックルはひび割れ、そこに収められた青い石のエネルギーを、漏電したかのようにバチバチと周囲に飛び散らせている。
「そんな、それはサクヤさんの! サクヤさんの鎧!」
【そうです。貴女を逃がすために、愚かにも我ら六人と対峙した勇者が纏っていた鎧です。彼が使っていた星石は研究目的で回収されましてね。晴れて再利用されたというわけです。しかし、どんな信念のもとに扱われていたものでも、所詮、上位種の前では傀儡に過ぎないというわけですね。もはや彼は我々の下僕……操り人形です】
刹那、ガブリエルの小さな体が絶叫とともに石へと殴りかかっていた。
だが、再醒した鎧、イクス・ノヴァが石の前に立ち塞がり、ガブリエルの体を容赦なく弾き飛ばす。「ガブ……っ!」倒れたガブリエルを抱き起こしながら、アルは迫る鎧を睨み付ける。
その鎧が、姉が夢のなかで遭遇した、朽ち果てた鎧であることをアルは知らない。
【終わりです。貴女たちはこれ以上ないというほどに詰んでいます。二体のインベイド。イクスノヴァ。我が傑作たる双子。そして、この私、ドクトル・サウザンド。貴女たちに逃げ場はありません。まぁ、おとなしく創世石を差し出せば――私の実験の披見体となる栄誉・光栄・青春くらいは差し上げましょう!】
「願い下げだっ!」
サウザンドの下卑た提案への返答、それを合図に、アルはガブリエルを抱えるようにして走り出す。サウザンドがあそこまでベラベラと喋ったのも、自分たちを生かして帰す気がないからだ。せいぜい自分たちを潰し、石を持ち帰るまでの退屈しのぎ。真実を語る舌など、あの男にとって、人を嬲る道具でしかないのだ。アルはギリと唇を噛み、ガブリエルへと叫ぶ!
「正解だっ! ガブッ!」
「えっ…?」
「巻き込まれたとかじゃない! あんな話を聞いたら、あんな連中に狙われてるって知ったら、父さんと母さんもお前を守ろうとしたはずだ! 俺の大好きな父さんと母さんなら……!」
走る少年の瞳から溢れた雫が、風にさらわれる。
「だから、俺はお前を守る! 絶対に、絶対に!」
《逝カせナ胃》
立ち塞がった鋼獣の巨体がアルとガブリエルの行く手を阻む。
象の怪物が振り下ろした巨大な鉄槌が、地面を文字通りに叩き割り、飛び散った土砂と粉塵が二人の視界を塞ぎ、したたかに打ちのめした。
ゴロゴロと地面を転がったアルは、身体を貫いた、味わったことのない衝撃に思わず嘔吐した。恐怖などという言葉は既に超越した“動転”。
ただ対象をひき潰す、ブルドーザやロードローラのような無機的な“破壊の意志”、迫り来る“絶対の死”に対する思考の硬直がそこにあった。
回りこまれてしまったことを考えれば、象も犀も見た目どおりの“鈍重”さを持ってくれているとは考え難い。
アルは目撃していないが、連中の力まかせの跳躍が子供の全力疾走を帳消しにしてしまったことからもそれは突破口とは成り得ない視覚情報であった。
「くっ…そおおおおおおおおおおおっ!」
けど、けど、諦めたくない! 諦められない! 目の前にある断固たる“理不尽”にガタガタと震える歯を抑えつけるように、少年は歯をきつく食いしばる!
反射的に拾い上げた鉄棒はいわば、“特攻の決意”に等しかった。そして、それは石を通して状況を観察する軍医にとって、任務成功の合図のようなものだった。だが――、
「二人ともさがって!」
「!?」
瞬間! 爆音上げる一台のマシンが、屑鉄をジャンプ台代わりにして飛び込んでくる!
飛び込んできたオンロードバイクの前輪が象を一撃し、それは着地と同時に後輪を跳ね上げ、犀の顎をしたたかに蹴り上げる!
その突然の乱入者に、見慣れぬ白銀のマシンを操る見慣れた人物の姿に、アルは思わず声を上げる。
「ね、姉ちゃん!?」
「走って! そうながくは食い止められないよっ!」
凛とした声が硬直していたアルの精神を震わせ、身を縛るような緊張から解き放つ。
アルの良く知る、姉の優しい青の瞳が、事態の切迫に鋭くその表情を変えていた。
バイクの躍動とともに揺れる束ねられた赤い髪が、アルの瞳に場違いなほどに美しく、鮮烈に焼き付く――。
「な、なんです!? あの来訪者は!」
ドクトル・サウザンドは突然、出現したマシンに、半分機械化した眉間に皺を寄せていた。
一般市民の舞台への闖入など、とるにたらない、些細なイベントに過ぎない。
しかし、インベイドを弾き飛ばすほどの馬力にしろ、周囲数百メートルを監視下に置いている自らの“賢我石”に察知されずにこの場に侵入してきたことにしろ、この闖入者が只の一般市民、つまらないオートバイだとも考え難い。
もう一人のジャッジメント・シックス、女王・麗句=メイリンに悟らせないために、戦闘員の配置を控えたのが仇となったか。
「あの方は潔癖ですからねぇ。好機を卑劣などと罵りかねない。……まぁ、いいでしょう。多少のイレギュラーなら握りつぶすだけの戦力はあります」
「きゃっ!?」
――サウザンドの言葉を証明するかのように、バイクの前輪をエレファント・インベイドの鼻が絡めとり、その猛力でバイクごとサファイアを投げ飛ばす!
機体から投げ出された瞬間、サファイアはくるっと体を回転させ、最低限の衝撃で身体を着地させてみせる。それは彼女が持つ高い運動能力と、長い旅路のなかで潜り抜けた修羅場の数を垣間見させる動きだった。
(ちょっと……無茶がすぎたかな。こんなの久しぶ……)
体を起こそうとした瞬間、足首にズキンと痛みが走り、サファイアは自分の勘の鈍りと、この自治区に来てからの三年間の平穏に想いを馳せる。
こんな時が来ないことを願ってはいたけれど――いたけれど、現実は“此処”だ。肌をひりつかせるような“危険”と、内臓をむかつかせるような“悪意”が充満する“此処”こそが現実なのだ。
【現行の出力ではビークルモードでの対抗は不可能と判断。搭乗者の安全を最優先。機能レベル、3まで解放】
そして、投げ飛ばされ地面へと墜落したマシンは機械的に合成された擬似音声で自らの状態・状況を診断し、迫り来る二体の怪物を注視する。
【――REMODERIZE開始】
その刹那、機体が自動的に起き上がったかと思うと、マシンの各パーツが綺麗に分離・変形し、次々と再連結する!
人と同じく可動する五指を持つ『手』。大地をしっかりと踏みしめて立つ『脚部』。武装した騎士、その兜であるが如き『頭部』。
そこに組みあがったのは、もはやオンロードバイクなどと呼べるシロモノではない。――完成したのは、一体の鉄人であった。
バイクの象徴であった二つの車輪は鉄人の翼であるかのように背面へと移動し、かつて天使の名を冠した過去の自分、その名残を描く。
【ROBOT MODE】
緑の眼が雄雄しく光を放ち、鉄人はエレファント・インベイドとライノス・インベイドの二体を迎え撃つ。
タックル気味に二体の巨体と組み合った鉄人は弟、そして、ガブリエルと手を繋ぎ、素早く走り出している搭乗者の姿を確認すると、“創世石”から注ぎ込まれた自らの生命を燃焼させるかのように車輪を回転させ、風力に後押しされた剛力でインベイド達の進撃を阻んでいた。絆ある姉弟を守らんとする“鉄の意志”がそこにあった。
「ね、姉ちゃん! あ、あれ……あのバイクへ、へへ変形っ!?」
「わかんない、なんでああなってるかはボクにもわかんないけど……! あの子、ボクたちのために……ボクたちのためにいま、すごいムチャしてくれてるっ! 付き合い長いけど、これじゃ、これじゃ恩が大きすぎるよ……!」
辛そうな姉の声に、アルはハッとしたように二体の鋼獣を食い止める鉄人へと視線を送る。
――そういえば似ている。自分が姉の家で、姉の相棒に“こうあるべきだ”と抱いたイメージに。それは人型へと変わり、響達とともに街の治安を守ってくれるような、機械を超越した機械――。
「エクシオン…!?」
アルから送られた視線に応えるように、鉄人は自らという障壁を突破しようとしたエレファント・インベイドの脚部を、腕部から射出されたワイヤーで絡めとり、ジャイアントスイング気味に振り回すと、力任せにぶん投げ、屑鉄の山へと突っ込ませる!
続けて一本角を旋回錐のように回転させながら突進してきたライノスの顔面を、殴り付けるように掴むと、鉄人は掌の装甲を展開させ、顕わとなった球状の攻撃用端末から強烈な電撃を流し込む。
思わず見惚れてしまいそうな、屈強たる守護者の姿がそこにあった。
「無機物に生命と意思を与える……なるほど、これが創世石の力! その一端ですか! 素晴らしい……素晴らしすぎます!」
賢我石から興奮に咽返るサウザンドの声が響き渡り、その主である当の本人は身悶えするように自身の体を抱き、恍惚の吐息を漏らす。
「双子ッ! 卑怯・姑息・残忍、目に余るような手段で構いません! なんとしてもその創世石、我が手元に持ち帰りなさいッ!」
「お、お前等っ!?」
「――b」
「――d」
その刹那! 主の命に従い、二体のインベイドを生んだバックルを装備した双子は人間離れしたスピードでサファイア達の前へと回り込み、彼等の退路を容易に断ってみせる。
彼等へ死を宣告するかのように、自らのコードネームを告げた双子は、感情の篭らない瞳を淡々(たんたん)と獲物へと向けていた。
そして、
「サクヤ…さん…」
「キ、キミは……!」
後方から、赤い眼の下に青の隈取を持つ、機械的な仮面を纏った騎士を想起させる存在――“イクス・ノヴァ”が迫る。
「創世石がいくら奇跡を起こそうとも関係ありません。最悪の事態まで想定して捕獲メンバーは厳選されているのです。たかがロボット一体だけで対抗できるほど、我らの戦力層は薄くありませんよ」
――流石に鎧醒されては厄介ですが。
創世石は現状、“奇跡”は見せても、まだ“覚醒”は遂げていない。
しかし、兆候を見せている以上、この近隣に適正者が存在するのは確かなのだろう。そして、存在してもなお覚醒していないとすれば、まだ何らかの条件が揃っていないのか。
あるいは覚醒の兆候と思われたエネルギーの高まりも、蓋を開ければ自衛のための“力の発現”に過ぎなかったというオチなのか。……どちらでも構わない。ここまで詰めれば後は奪取するのみ、だ。
「サクヤさん……サクヤさん! お願いです、止めてください! 貴方がこんな、こんな……!」
「下がって! その子はもうっ!」
少女の頭をサファイアが無理矢理下げさせた刹那、少女の頭があった位置へと、イクス・ノヴァの蹴撃が容赦なく躍動する。
――やっぱりあの夢のなかにでてきた鎧!
続け様にイクス・ノヴァから放たれる攻撃を、少女を胸に抱き、地面を転がるようにしてかわしながら、サファイアはその認識を新たにする。
この再会はあまりに突然で、血生臭い。
「キミっ! どうしたの!? 夢の中のキミはそんな子じゃ……!」
歪められている。そう直感できた。
赤い眼の下の青の隈取が涙の痕のようにも感じられ、サファイアは胸が締め付けられるような思いだった。
夢のなかで血を流し、無数の傷を負い、文字通りその身を砕かれながらも誰かの為に戦っていた彼。その意志が踏み躙られ、汚されている。
その事が直接、脳に情報が流れ込んできたかのように理解できている。
そして、いま自分が抱えている少女があのガブリエルなのだということも、不思議と理解でき、納得もできる。
もしかしたら、気付かないうちにまた夢を見ているのかもしれない。いまだ宇宙を彷徨っている人類が、新天地に辿り着いた夢を夢と気付かずに見続けているというあの説と同じように。
けれど、可愛い顔と小さな体を擦り傷でいっぱいにしたアルと、いま胸に抱いている少女の泣き腫らした目は、その悲しみは夢なんかじゃない。
救わなくちゃいけない、現実だ!
「アル、この娘を連れて逃げて。この事をみんなに、みんなに伝えて!」
「な、何バカなこと言ってんだよっ! 姉ちゃん一人で何ができるって言うんだよ!」
強いショックのため脱力したガブリエルの身体を姉から預かりながら、アルは一人、イクス・ノヴァと向かい合った姉の背中へと叫ぶ。
「男の子はさ、女の子を守ってあげなくちゃいけないんだよ。そして……子供を守るのは大人の、ボクの仕事なんだ! キミはその子をちゃんとみんなのところに届けて、この危険を長や響に伝えて。それがいま、キミが一番、しなきゃいけないことなんだ!」
一人が皆が生きるために動き、皆が一人が生きるために動く。それがこの倫理も秩序も崩壊しきった大地の上に、新たな共同体を構築するうえでの絶対の掟だった。
この自治区が長い時間を無事に過ごしてきたのは住民一人一人がその掟を忘れず、実践してきたからに相違ない。
いまは自分がそれを実践する番なのだ。
【――搭乗者!】
そして、その彼女の決意に突き動かされたかのように、白銀の鉄人は二体のインベイドを蹴散らすように飛翔し、彼女を護るが如く、その傍らに降り立つ。
胸部に内臓されたバルカンは前方のイクス・ノヴァと背後の双子を牽制するように乱射され、その名の由来たる火神、Vulcanの権威を示すが如く周囲の屑鉄を破砕、炎上させる。
生み出された炎の壁はまるで盾となるように、サファイアとアルの前後に広がり、その熱が肌を焦がすなか、サファイアは弟へと凛とした声を響かせる。
“いきなさい”――と。
「嫌だ! いけるわけないよ!」
いきたくない。いけるわけがない。いってしまえば、二度と姉とは会えない気がする。今朝、家をでたら、それっきり会えなくなってしまった両親のように。
アルはすがりつくように、泥と雨に汚れた姉のレインコートを掴む。
「だ、大丈夫だよ、きっと……きっと響兄ちゃん達がきてくれるよ! 響兄ちゃんがあいつらをやっつけてくれるよ!」
こんなひどい状況がいつまでも続くわけがない。きっと、きっと、誰か助けにきてくれる。
煌都で見ていたカートゥーンみたいにさ、悪役は英雄によって倒されなきゃ、駆逐されなきゃいけないんだ! ひどい混乱と恐怖のなか、追い詰められた少年の思考は、そんな非現実的な希望を“真実”へと置き換えていた。
だが、それは何も入っていない箱の底をまさぐるような、むなしすぎる希望だ。そして、
【お涙頂戴のお芝居はその辺でよろしいですか? 私としてはもう少し鑑賞していたい気分もあるのですが――】
“賢我石”が悪意という血流を夜に伝播する心臓であるかのように鳴動し、双子は前方にいるイクス・ノヴァを先導するように炎の壁を突っ切ってくる。
炎に焼かれた彼らの衣服の下には鈍く光る鉄の肌があった。二体はエクシオンへと殺到し、人間離れしたスピードで拳を、蹴撃を叩き込んでゆく!
【遊びは終いです。この遊戯を嗅ぎ付け、怖い女王様が黒い麗鳳の翼をひろげないとも限りませんからね。その“創世石”、ぜひとも穏便にお渡しください。――穏便に、ね】
(創世、石……)
その言葉に、トクン、と胸にうずくものがあった。
それが何か、“知っている”気がした。
「……ごめんね、ガブくん!」
「ね、姉ちゃん!?」
事態は動く――サウザンドの“脅迫”は意味を成さなかった。
その瞬間、意を決したサファイアの手がガブリエルの首元に付けられた金属板、それに括り付けられた赤い石へと伸び、意識を失ってもなお石を護ろうとするガブリエルの手がそれを掴む。
だが、もう片方のサファイアの手が包み込むように彼女の手を撫でた時、金属板は開錠されたかのように、ガブリエルの首から外れ、石をサファイアの手に落とした。
痛む足で地面を蹴り、サファイアはアル達が進むべき道とは反対方向に身を躍らせる。
【ほう、あえて煉獄に飛び込みますか。面白い!】
そして、サウザンドは哂う。そのサファイアの行動がこたえられぬ喜劇だとでもいうように哂うのだ。
“姉ちゃん!”と響く少年の必死の叫びすら心地よい旋律。
惨劇を奏でる指揮者たる立体映像が腕を振ると、ライノス、エレファントの二体のインベイドがサファイアの行く手を阻み、イクス・ノヴァが瞬間移動でもしたかのように、彼女の背後に姿を現す――。
「きゃっ!?」
イクス・ノヴァの拳が空を裂き、その風圧が衝撃波となって、サファイアの背を抉った。身体のバランスを崩した彼女の赤い髪をイクス・ノヴァのグローブが掴み、無理矢理、引き起こす。
「ああっ!」
痛みに喘ぐサファイアの表情を、イクス・ノヴァの無機質な、機械的な仮面が覗き込み、もう片方のグローブが創世石を握る彼女の手を、その手首を骨が軋むほど握り締める。
「こ…このおっ!」
それでもサファイアは怯まず、近くにある屑鉄の山、エクシオンの銃撃によってグラつき、燃え盛っているそれに、それを支えている鉄棒へと思いきり蹴りを入れる!
それにより、いよいよバランスを崩した、倒壊した屑鉄の山はイクス・ノヴァへと圧し掛かり、その両腕が防御に動いた隙に、サファイアは地面へと身を投げ、転がるようにしてイクス・ノヴァから距離を離した。それは、彼女の“諦めない”意志の成せる業といえた。
「ね、姉ちゃん……」
「忘れないで、アル。いま、その娘にはキミしかいない。……自分の守りたいものは自分で守るしかないんだよ。いまある力で精一杯。だから、だからね」
手に握られた赤い石が肌を裂いてしまうほど、強く拳を握り、サファイアは青い瞳を弟へと真っ直ぐに向ける。
「いまはいくの。キミがキミの救えるものを救うために。――大丈夫。ボクは死なない。キミがみんなのところにつけば、ボクも助かる。みんなの、響たちの心強さはキミもよく知ってるでしょ?」
気丈な笑みだった。それは思わず信じてしまいそうになる、アルにとっては残酷な笑みだった。
その笑みと行動を通し、繰り返し伝えられた姉の覚悟は、既に振り切れるものではないと知った。
だから、アルは意識を喪失しているガブリエルの手を強く握り締め、その小さな身体を抱えた。潤んだ瞳が姉を見つめ、“街で待ってる!”と叫んだ。
走り出した弟のその背中にうなずいて、サファイアは自らを包囲する“悪意”へと自らの視線を真っ直ぐに送る。
そして、標的である“創世石”を持たない逃亡者には目線すら値しないとでもいうように、ドクトル・サウザンドの立体映像は酷薄な笑みを獲物にのみ向けてみせる。
震える足で大地を踏みしめ、身体から逃げ出してしまいそうなほどに暴れる心臓を抑えるように、サファイアは胸に手を当てる。
相棒は双子に組み付かれ、動きを完全に封じられている。そうだ――。
「ここにはボクしかいない!」
言い聞かせるように言葉にして対峙したサファイアに二体のインベイドが背後から襲い掛かる。
反射的に身を屈ませ、危機を脱したサファイアを、炎の中に揺らめくイクス・ノヴァの赤い眼が捉えていた。
イクス・ノヴァの脚部に力が込められ、バックルから漏れる電光がイクス・ノヴァの手刀へと伝達される――。
【やりなさい、我が傀儡! いまが千載一遇の好機! すべての原初にして終焉、“創世石”をその掌に掴むのです!】
不思議と、諦観は微塵も湧き上がらなかった。いま地面を蹴り、自らの胸に手刀を突き刺さんとするイクス・ノヴァを前にしながらも、絶望という感情が彼女の瞳を汚すことはなかった。
死ぬわけにはいかない。諦めたらそこに死が待っている。一片の光も見えない闇のなかでも闇の底から自分を引っ張り上げて、しっかり前を見つめていかなくちゃ、必死に生きていかなくちゃ。
自分を助けるのは自分。長い旅路のなかで彼女を奮い立たせてきた言葉が脳裏に蘇る。
そうとも、
「救世主なんて――救世主なんて自分しかいないんだ!」
踏み込んだイクス・ノヴァの脚甲が粉塵を巻き上げ、刹那、鋭い衝撃がサファイアの身体を揺らす! ズン…と、胸元に熱い感覚が走った。
サウザンドの口元が狂喜で緩み、主人の勝利への確信に、双子もその視線を哀れな生贄たる少女へと移す。だが、
【……な、何です?】
勝ち鬨たる鮮血と悲鳴が闇を彩ることはなかった。
空間には、サウザンドの期待に反する甲高い音が鳴り響いていた。金属と金属が触れ合ったかのような、聖堂の鐘楼の鐘の音のような、何かが共鳴しあうかのような――。
信じ難いことに、イクス・ノヴァの手刀はサファイアを貫いてはいない。
手刀は彼女の皮膚の上で静止し、イクス・ノヴァの機械的な仮面は手刀を通じて彼女の鼓動を聴き、その意志を確かめるように、ただ静かに彼女を見つめていた。そして――、
【――承認しよう、強き娘よ】
「え……?」
その時である。
機械的な仮面が金属的な冷たさと、雨で冷え切った体を包み込むような“父性”を併せ持つあたたかな声を響かせたその瞬間、イクス・ノヴァは剣の柄と鍔を模したバックル――その柄の部分を強く押し込み、その機能を発現させる。
【Excalibur――起動】
右脚の装甲が展開し、眩い粒子が溢れ出す。それはさながら鞘から抜き放たれた剣。イクス・ノヴァは華麗な蹴撃として、その剣を瞬時に振り抜く!
【発動!】
イクス・ノヴァの右脚が一閃するとともに、サファイアの背後に立っていた二体のインベイドの巨体が胴から真っ二つに断ち切られる。
核である『星石』を破壊された鉛の巨体は己が存在を維持できず、次の刹那、粉々に爆散した。
突然のことに言葉を失うサファイアを、イクス・ノヴァの機械的な仮面、その下にある優しげな眼差しが見つめていた。
かつて、この鎧を纏っていた人の息吹が、サファイアにはその時、確かに感じられた。
「キ、キミは……」
【――“力”を手にするには選ばれただけでは足りぬ。運命に選ばれながらも自らの運命を自ら選択し、絶望のなかから希望を自ら掴むものでなければ、たとえ仮初であっても“創世”の力を得ることは叶わぬ。言ったはずだ。お前も選ばれたことを選ぶ日が来る、と】
夢のなかで眼前の鎧に告げられた言葉が、意識の奥底にぼんやりと記憶されていたそれがいま、ハッキリと蘇る。
【お前はいま、お前の意志でお前自身を我に示した。あとはお前自身が選ぶだけだ】
「ボクが……?」
その瞬間、視覚が一つの違和感を訴える。
羽虫のように闇を舞う粉塵。
サファイアが崩した屑鉄のなかに紛れている、頭のない犬の彫像。
周囲の風景に、視覚を通じて意識が確かに既視感を訴えている。
あの夢のなかで飛び回っていた羽虫と、吼え続けていた頭のない犬。――符号する。
泥のなかの足跡は歪み、無数の人のデスマスクのような容を地面に刻んでいた。これもあの夢のなかのそれと符号する光景だ。
手に握った赤い石が脈打つように発光し、彼女の指をすり抜けるようにして、ふわりと宙へと浮かんでゆく。
そして、その赤い石、“創世石”の周囲に、強烈な磁力に引き寄せられるかのように集められた無数の屑鉄たちが瞬時に凝縮・精製され、一個のバックルとなってサファイアの手に戻る。
天使の遺骸とでもいうべき彫像が掘り込まれたバックル。その中心には“創世石”が埋め込まれ、神々しくも毒々しい畏敬の光を放っていた。
その光景に、奇蹟に、サウザンドの立体映像が心なしか上ずった声を漏らす。
【馬鹿な……この少女が“適正者”だとでも言うのですか!?】
信じ難い事態だった。
完璧に支配し、制御していたはずのイクス・ノヴァの裏切り。
そして、まるでこれまでの事は少女を試すための芝居だったとでも告げるようなその言動。
余裕に満ちていたサウザンドの表情にも翳りが差す。だが、イクス・ノヴァの核たる“護者の石”は上位種たる、この惑星の核の一つたる自らの“賢我石”によって、その一挙手一投足を確かに制御されていた。
”護者の石“の適正者はあの戦いで確かに死亡している。適正者もなしで上位種の支配・制御をはねのけることなど不可能だ。第一、“護者の石”をここに持ち込んだのはサウザンド自身だ。
それがまるで予定されていたかのように“創世石”の依り代となり、“試練”を演じることなど――。
【いや、まさか……!】
――上位種には上位種がいる。“賢我石”が“護者の石”を操ったように、賢我石が上位種に干渉されていたとしたら。その賢我石と精神を繋いだ自分の意思にすら干渉していたとしたら。自らの求めるものがそれほどの力を秘めているとしたら。
思い至った瞬間、サウザンドの口内に苦いものが満ちる。
屈辱と、羞恥の味が。
【謀って……謀ってくれましたね、創世石!】
憤怒が言葉となり、闇を疾走るのと同時に、双子が大地を蹴り、冷たい鋼鉄の地肌を剥き出しにした手刀をサファイアへと躍動させる。だが、それはサファイアの眼前に、盾の如く立ち塞がったイクス・ノヴァの胸部を深々(ふかぶか)と貫いた。
「あ…!」
衝撃でひび割れ、砕けた鎧の欠片がパラパラとサファイアの眼前に降り注ぐ。
しかし、自らの痛みであるかのように表情を歪めたサファイアに、その仮面は笑んでいるようにも見えた。その眼差しには目を細めたような確かな温かさがあった。
【――抗え。そして戦え】
重すぎる損傷に、その声に多くのノイズを混じらせながらも、イクス・ノヴァはサファイアへと告げるべきメッセージを紡ぐ。
【世界と、その世界に蔓延する尽きることない悪意と対峙するだけの強さも、優しさも、既にお前の胸にある。そのお前の意志だけが道を切り開く。願わくば――】
「ソコマデダ」
その刹那、冷たい電子音声とともに双子の鉄腕がイクス・ノヴァの胸部を力まかせに引き千切る。内臓をぶちまけられたかのように、鎧の内部に満ちていた光の粒子が飛び散り、空間を乱舞する――。
「あ…あああああああ!」
その光が瞳を通じて、心に、意識の奥底に染込んでくる。同時に、その光の源“護者の石”に込められていた人の想い、記憶がサファイアの胸に溢れて弾けた。
守るべきものと守るべき人のためにその身を切り刻み、散ったその強さと優しさが。自らの道を、自らの意志で選び、切り開き続けたその姿が。
「ボクは、ボクは……!」
自分自身は変わらず無力だ。泣きたくなるほどに無力だ。
けれど、いま託された大きな何かを、いま目の前で散った人の優しさを、無視することなんかできない。無駄にすることなんかできない! 背負ってあげられるのなら、この力を託した人達が救いたいと思ったものを救えるのなら。
ボクの守りたい、大切な人達を守れるのなら――。
「ボクは、選ぶ!」
【クッ…! 双子! 急ぎ――】
決意とともに溢れた涙を飲み込み、サファイアは叫んだ。そして、その意志に応えるようにバックルは彼女の腰に装着され、覚醒をうながす“言霊”を、その意識に深く刻み込む!
「――『鎧醒』っ!」
その瞬間、兆候はすべて実を結び、覚醒の刻は、きた。
バックルの彫像が展開し、溢れ出した赤の光が飛び掛る双子を弾き飛ばす!
言霊の発声と同時にサファイアの全身に聖痕が浮かび上がり、白いアンダースーツがそのしなやかな肢体を包む。
続け様、空間を砕くようにして、突如、出現した盾のような機甲がパーツごとに分離し、白銀の鎧として彼女の聖痕の上に装着されてゆく。
それは、サファイアの夢のなかに出現した鋭角的なアーマー。それそのものである。生まれたばかりの機甲を保護するように各部に装着された折りたたまれた羽の如きパーツは、力を抑制するための拘束具のようにも見えた。
そして、畏敬の光に満ちたバックルに、鎧を砕かれ、その身を消失させたイクスノヴァの青い石――“護者の石”が収められると同時に、その羽根型の外骨格は弾け飛び、白銀の装甲に青色のラインが浮かび上がる。
【ALPHA NOVA――起動完了】
響き渡る電子音声とともに誕生した機甲の乙女の両肩のアーマー、そのスリットから鎧に充填されたエネルギーが放出され、翼のように闇に映える。
同時に機械的な仮面にサファイアの意志を象徴する眼光が宿り、漲る力を確かめるように彼女はその手を覆うグローブを軋ませる。
いま、あの夢のなかで見た奇蹟、その全てが眼前にあった。
だが、自らを救った白銀の機甲。それを纏っているのは紛れもなく自分自身である。
――そうだ。そのとおりだ。自分を救うのは、結局は自分自身。
救世主など、自分しかいないのだから。
第一章 覚醒の兆候―NEXT LEVEL― 了 NEXT⇒第二章 愚者達の饗宴―Triger of Crisis―