第18話 滅尽の使徒―”vulgar”―
#18
「やはり……休んでいる暇はなさそうだな」
紅い翼を広げ、虚空を飛翔する血盟機から、紅の粒子が羽毛のように舞い散る――。
“誘愛者”との烈戦を終え、状況を注視していた麗句の唇から、物憂げな、疲労を孕んだ吐息が零れていた。
血盟機との連結で、鎧装の治癒機能が増大した事もあり、“誘愛者”との戦いで受けた、身体的な損傷は回復しつつある。
だが、血盟機という“未知”を背負っての死闘、“誘愛者”の精神との強烈な共繫は、麗句の精神を確実に削り、摩耗させていた。
本来であれば、わずかでも呼吸を整えたいところだが―――、
(まったく……“初陣”から無茶をするものだ。これでは先が思いやられるぞ、“女王”――)
血盟機から血盟機のインターフェースとなっている“先人”の、呆れたような声が響く。
“誘愛者”は掛け値なしの強敵だった。その全てを受け止め、勝利するために、麗句は本来切り札であるはずの“血剤”を連続使用。
結果的に、血盟機の限界を振り切り、先人達も予期せぬ性能を引き出していた。
(――死地に飛び込み光明を拾う、無謀と紙一重の勇気と高潔さ。我等の力……その気高さ翼に託そう。麗句=メイリン)
「……了解した」
麗句が握り締めた“神を斃す右手”に、赤々とした粒子が滾る。
「……こんな酷使ではすみませんよ。彼等が、相手であればね」
※※※
「これが、異世界の……怪物、かッ!」
そして、滅尽騎士が振り下ろした特大剣を、響の輝醒剣が受け止め、迸る黄金の粒子が、苛烈な滅尽騎士の連撃を押し返す……!
滅尽騎士が振るう斬撃は、獰猛残忍にして精緻。とても単なる怪物と侮れるものではなかった。
技量もパワーも侮れぬばかりか、煌輝に匹敵するレベルに到達している。“黄金氣”による筋力の底上げがなければ、特大剣の一振りで頭を割られていたかもしれない――。
「クッ……!」
――それは奇蹟と対峙し続けた者の直感、本能か。
“滅尽騎士”との幾度目かの鍔迫り合いの後、響は生じた畏怖と違和感に、己の身体を後方へと跳び退かせる。
己が手の握る輝醒剣の挙動が、僅かに重く、鈍い。これは――、
「……! なっ――」
思考を貫く驚愕。生じていた事態は、想像以上の異常だった。
輝醒剣の刀身には、黒々とした膿――恐らくゼルメキウスの体組織と思しきもの――が絡み付き、“黄金氣”の放出を著しく阻害していた。
そればかりか、“畏敬の赤”の捕食も膿によって吸入口を塞がれ、機能を封じられている様子だった。
鍔迫り合いの際に、流し込まれたのだろう。まるで、響自身、完全には把握出来ていない輝醒剣の構造を識り尽くしたかのような“やり口”である。そして、
「隊長……ッ!」
滅尽騎士の猛攻は続く……!
衝撃に一瞬、脚を止めた響を、ガルドの戦斧が護り、ジェイクの“蒼狼牙”が鋭い踏み込みとともに、滅尽騎士の脇腹を裂く……!
続け様、閃光の華が咲き乱れるように放射されたミリィの矢が、本体であるゼルメキウスへと殺到するが、それらは全て鞭のように薙ぎ払われた膿によって破砕されていた。
矢一つ一つの軌道を完全に捉えた、正確・精密な迎撃に、ミリィの背に悪寒が走る――。
「隊長………! コイツは多分、私のような……いえ!私以上の“知覚強化端子”を持っています! 私達の動きも機能も、コイツはきっと、既に“識り尽くして”る……!」
ミリィのその報告は、響達の精神に甚大な戦慄を走らせる。
「ミ、ミリィ以上ってオイ……!」
「……合点がいった。まさに」
それは唾棄できぬ脅威。
ミリィの知覚強化端子、その異能を知り、信頼するが故に、響は、響達は実感せざるを得なかった。
「まさに、“悪魔の瞳”というわけか――!」
“破滅の凶事”という怪物の恐ろしさを。
大地を破砕する程の、強力な踏み込みとともに放たれた斬撃が、防御した輝醒剣ごと、響の身体を弾き飛ばす……!
斬撃を受け止めるごとに、輝醒剣に絡み付く膿の量も増加してゆく。――このまま防御に徹するのは得策ではない。
「ならば……ッ!」
「……!?」
響のその“選択”に、滅尽騎士の動きに驚愕が満ちる。
稲光のように閃く機転。
響は煌輝という存在の根幹たる、輝醒剣を躊躇いなく投げ捨て、空となった己が手刀で、滅尽騎士が振るう特大剣の猛威を受け止めていた。
――“白刃取り”。
古武術に伝わる技巧が、特大剣を絡め取り、叩き折る……!
ゼルメキウスの悪魔の瞳でも読み取れぬ、人間が磨き上げ、繋いできた技巧。
それが、滅尽騎士の牙たる、巨大な刀身を破壊していた。
「オォオオオオオオオオオッ!」
「――!?」
刹那! 激しい咆哮を轟かせる黄金の鎧装が、大地を蹴り、渾身の拳を滅尽騎士へと叩き付ける……!
腹部を刳る衝撃に後退……! 体勢を崩した滅尽騎士へと、響が両掌の中で練り上げた、“黄金氣”の奔流が直撃する。
“守護者”としての本能に導かれ、放たれし御業である。
放射された黄金の渦は、閃光とともに“矢”となり、滅尽騎士を射抜く……!
「塵となり還れ……! 貴様の世界に!」
黄金が滅尽騎士の巨躯を木っ端と砕き、その破片が、響の周囲を舞い散る。
右半身を吹き飛ばされ、文字通り、皮一枚で身体に繋がる頭部、その瞳が、ゆらりと虚ろな光を宿していた。
そして、
【――――――――】
「……ッ!?」
滅尽騎士の顔面が展開! 内部から、天使を想起させる、美麗なる偶像が顔を出す。
刹那――その紅く腐敗した唇から奏でられた“歌”が、響の五感を、全神経を搔き乱していた。
「これ、は……骸羅无の……!?」
骸羅无の機能。
当然といえば、当然である。
滅尽騎士は骸羅无の残骸から造られたのだ。
その機能が受け継がれていたとして、何の不思議もない。
――その上、滅尽騎士に叩き込んだ拳には、膿状の体組織が執拗に絡み付き、“黄金氣”の放出を著しく阻害していた。
この滅尽騎士が、骸羅无以上に、自分の“天敵”である事は、もはや疑いようがない。そして、
(――ここは私が引き受ける……! 下がれ、ムラサメ!)
「……! “女王”!」
虚空より急降下した紅の翼が、“畏敬の赤”の放出とともに、“神を斃す右手”を滅尽騎士へと叩き付ける……!
その一撃は、奇蹟ではなく、純然足る“生物”である滅尽騎士を消滅させるには至らない。しかし、物理的な破壊力のみでも、滅尽騎士を足止めするに足る威力を有していた。
滅尽騎士の頭部に、鉄爪を突き立てたまま、麗句は凛とした声音を響かせる――。
「災禍は一気に消し飛ばす! 罪過の――」
だが、
「――ッ!?」
横腹から叩き込まれた衝撃に、紅い翼はきりもみしながら、滅尽騎士から引き剥がされる……!
(新手の“擬似聖人”か……!)
斧槍を地面に突き立てることで、その場に踏み止まり、麗句は新たな脅威を捕捉する。
彼の在り様は不遜にして、唯我独尊。
衝撃の主――聖骸布を纏ったままの、その擬似聖人は、麗句を吹き飛ばした、その無骨な手で、“拍手”を奏でていた。
その悠然とした挙動は隙だらけのようにも思える。
だか、その場にいた響達、麗句に察知されることなく、麗句を一撃した“事実”を思えば、表面的な隙などアテにならない――。
「フッ――鮮やかなものよ。“誘愛者”に挑み、屠り、尚も衰えぬ、その気迫、闘志。“女王”というより英傑と呼ぶべきそれよ」
“擬似聖人”は呵呵と笑うと、自らの聖骸布を掴み、愉しげに剥ぎ捨てる……!
同時に、“畏敬の赤”の粒子が爆発的に吹き荒れ、その嵐の中、“擬似聖人”は、赤みがかった紫紺と漆黒に彩られし、自らの異貌を顕す――。
「その美貌、この“極闘者”が相手をするに相応しい」
“極闘者”と名乗った擬似聖人はそう告げると、鎧装に覆われた巨躯をゆらりと前進させ、機械的な仮面の下にある眼光を鋭利に砥ぎ澄ます。
その掌が、虚空に穿たれた穴より顕現させた得物は、奇しくも麗句と同じ斧槍である。
だが、その身の丈は麗句のそれの倍以上。言うなれば、巨大な戦斧と斬馬刀を組み合わせたかのような異形の兇器であった。
それを振るう腕は神殿を支える石柱の如く太く、鎧装の上からでも、強靭な骨格や、隆々と盛り上がる筋肉を想像させるに足るものだった。
“味わった”のは一撃のみだが、“奇蹟”によるトリッキーな異能ではなく、己の技量、肉体のみで“充分に闘える”タイプである事は、容易に想定出来る。
更に、この“極闘者”も、“誘愛者”と同様に、“聖極”などの切り札を隠し持っていると仮定すれば、容易ならざる難敵である事は、疑いようがない――。そして、
【クゥ……アァァ―――――――――ッッ―――――――――ッ!!!!】
「……!」
“極闘者”の出現に刺激されたのか、滅尽騎士の後方に控えるゼルメキウスの腹腔から、兇暴な咆哮が吐き出されていた。
その凄絶な憎悪と敵意は、響達や麗句だけでなく、“擬似聖人”達にも向けられているように思えた。
「嘶くな、“破滅の凶事”。いまは我が傀儡に堕しているとはいえ、そもそもは対なる“滅尽の蒼”の申し子。やはり、我等“擬似聖人”の存在は癇に障るか――」
この凶悪無比にして最悪の堕慧児は、いつまでも自分達の制御下にはないだろう。
“処刑者”は呟くと、僅かに目を伏せ、“決して違える事の出来ぬ”計画の履行へと思考を移行させる。
――その傍らには聖骸布を纏ったままの、三体の“擬似聖人”の姿もあり、彼等は、“処刑者”の意図を、これから始まる“儀式”を察したように跪き、その頭を垂れていた。
「“征服者”、“祭祀者”、“絶滅者”。……遺憾ながら、我等は“プランB”を実行せざるを得ない状況となった――」
そう告げる“処刑者”の声音は、厳粛でありながら、沈鬱な残響を持って周囲へと響いていた。
“誘愛者”が命を賭して遺した萌芽。それは必ずや“救済”という華となり、紅く世界に咲き乱れる――。
その祈りが、誓いが、“処刑者”の仮面に、紅い雫を、血の涙を流させる――。
「――amen」
「なっ……」
――その刹那、鮮血が、毒々しくも神々しい“畏敬の赤”が舞い散っていた。
己が身を濡らす“返り血”に、道化師を想起させる“処刑者”の仮面は、泣き笑いの表情を浮かべる。
「き、貴様……何を、何をしているッ!?」
響く麗句の怒号。
――驚くべき事に、“処刑者”の腕が、跪く“擬似聖人”の胸を貫き、その“心核”を容赦なく抉り出していた。
紅く、熱く輝く“心核”は、自らを抉り出した“処刑者”の五指、掌を焼き、そこに秘められたエネルギーの強大さを誇示していた。
「我等のもたらす“救済”に、躊躇はない。妥協はない。慢心など持てるはずもない。精密に、抜かりなく、“終焉の人類”という夜明けは来る――」
血涙を、悲嘆を零しながら、“処刑者”は語り、フェイスレスの背後に控えていた、最後の“擬似聖人”の聖骸布を剥ぎ取る――。
「なっ……あっ……」
其処に、聖骸布の内部に秘められていたモノに、その場にある全ての人類が息を飲む――。
世界の終焉――人類の試練たる儀式が始まる。
NEXT⇒第19話 輝きの兆―“signe”―