第17話 破滅の凶事―”zeru:me:kius”―
#17
「“誘愛者”……」
……一つの救済の終焉。
核を打ち砕かれ、朽ちゆく“誘愛者”の巨躯。
「“誘愛者”……!」
その最期を、虚空から降り注ぐ、彼女の残滓を仰ぎ見る“破壊者”の――フェイスレスの声音は誤魔化しようもなく震えていた。
その渇いた、虚無を湛えた両眼は悲嘆に歪み、黒革に覆われた表情に慟哭の色が滲む。
(哭かないでください、“破壊者”。これもまた、私の選択なのです――)
消えゆく残滓が、わずかに残る“誘愛者”の意思を、その遺志を静かに囁く。
その声は優しく、柔らかく、故に――哀切に満ちていた。
「赦さん……赦さんぞ、“誘愛者”。このような終焉は、君には似つかわしくない――」
叱責の如き言葉を紡ぐ、“破壊者”の声も、悼みに、悔いに満ちていた。
舞い散る羽根の如き“誘愛者”の残滓を、掻き集めるように抱きながら、彼は口元を覆う黒革から、その静謐なる声を絞り出す。
「君が示すべき神威は、その救いは此処で終わるようなものではない――。君は、新たに産まれ来る生命の聖母であるべきだ」
消え逝く奇蹟の体温と呼ぶべき温もりが、次第に冷たくなり、雪のように溶けて消える。
そして、その最期の輝きが描くのは、まさしく聖母のような、慈愛に満ちた“誘愛者”の微笑みだった。
「……いや、“破壊者”。彼女はやり遂げたのかもしれん」
「“処刑者”――」
その微笑みに、凄烈にして清廉なる遺志に、“疑似聖人”の同胞たる“処刑者”は頷き、空を泳ぐ彼女の残滓を握り締める。
掌に残り、刻まれる熱が、残り火のように、救済に散った聖女の遺志を、“処刑者”の体内に灯す。
「……見給え。“聖極”によって受肉した彼女の半身はまだ残存している。核を砕かれ、疑似聖人としての生命を失おうとも、彼女の遺志はそこに“生きている”」
道化師の如き“処刑者”の仮面が、朴訥と言葉を紡ぎ、その指が同胞が成し遂げた偉業を指し示す。
「君の残骸は、終焉の人類の“苗床”となる。そうだな? “誘愛者”――」
「……!」
“処刑者”が指差した先には、頭部から右胸を喪失した、“誘愛者”の残骸がいまだ屹立していた。
麗句の秘儀を受けながらも、“聖極”の巨人はその残骸をいまだ現世に残し、そのカタチを留めていた。
「因果の調律を乱す度重なる想定外と、そこに撃ち込まれた“血盟機”という危険因子。……これでは麗鳳石を始めとする“畏敬の赤”級の回収は困難と言えるだろう」
“その高いリスクを容認出来る程、いまの我々に猶予はない――”。
そう続けた“処刑者”は、一足先に旅立った同胞へとその眼を向ける。
「……君にはもう少し、安らかな最期が望ましかったが、救済に全てを捧げたその有り様もまた、生命を抱き護る聖母のもの。我等“模造されし背信の九聖者”の誇りである」
厳かに同胞へと言葉を贈り、“処刑者”は胸で逆十字を切る。
「――amen」
「amen」
厳粛なる“処刑者”の祈りに、“疑似聖人”達の唱和が続く。
悲嘆に満ちたその声は、鎮魂歌のように、“疑似聖人”達の連帯を示すように、周囲へと響き渡る――。そして、
「……おい、アイツ等の様子、妙じゃねぇか?」
降り注ぐ、触手による刺突の雨。
立ち塞がる“骸羅无”の攻撃を捌きながら、“疑似聖人”達の様子をうかがっていたジェイクの口から、焦燥の入り混じった、怪訝な声が漏れる――。
多くの戦場、修羅場を駆け抜けて来た戦士の“勘”が、“疑似聖人”達の動きに、“よからぬもの”を感知していた。
戦場において、自らの勘を軽視すれば、死の雨が降り注ぐ――。
それが彼等“強化兵士”達の経験であり、真実だった。
「ああ、あの女性に一体を倒された事で――」
「計画を変更した……あるいは何らかの“覚悟”を固めたか――!」
槍のように刺突の雨を降らせる“骸羅无”の触手を、矢の連射で射落とすミリィと、“骸羅无”の懐へと轟然と飛び込み、戦斧による一撃を繰り出すガルド。
二人もジェイクの予感に同調し、先頭で“骸羅无”と鍔迫り合う黄金の騎士――響=ムラサメへの援護を、より攻撃性の高いものに移行させる。
そして、
「ぐっ……おおおおおおおおッ!」
内部より溢れ出した肉で、刀剣状に変貌した“骸羅无”の左腕と鍔迫り合っていた響の輝醒剣が、咆哮とともに跳ね上げられ、炸裂……!
“骸羅无”の頭部を、一撃で斬り飛ばしていた。
“骸羅无”が放つ“歌”は、変わらず響の体内で蠢く“壊音”を蝕んでいたが、練り上げられた“黄金氣”によって底上げされた筋力と瞬発力は、難敵を屠るに足る火力を輝醒剣に与えていた。
麗句と“誘愛者”の激突によって生じた、“畏敬の赤”の奔流が、煌醒剣によって“黄金氣”へと変換された事も大きい。
この意図せぬ、しかして強固な連携は、確実に“疑似聖人”達の策謀に、強烈な一矢を報いていた。
「クッ……」
「……! 隊長……!」
そして、その身体をグラつかせ、片膝を付いた黄金の騎士に、ジェイク達は駆け寄る。
(厄介な相手だったが……何とか、なったか)
響は、大剣状の輝醒剣を大地に突き刺し、“黄金氣”を迸らせる黄金の鎧装を、疲労に喘ぐ己が体を預けていた。
刎ねられた“骸羅无”の首。
蛇のようにも、能面のようにも見えるその貌が、響の足元へとコロコロと転がり、恨めしげに響を睨むが、その首を、ジェイクが素早く踏み潰し、粉々に破壊する……!
「……これでもう、歌えねーだろ。クソ野郎」
中指を立て、“骸羅无”の破片を蹴散らしたジェイクは、視界の奥に控える“処刑者”へとその身体を向け直す。
ミリィもガルドも、既に“処刑者”へと意識を向けており、“疑似聖人”の参謀格と思しき彼へと、響もその輝醒剣を構え直していた。
しかし、
「愚かな連中だ。自ら楔を引き抜くとは」
“処刑者”は動じる事もなく、冷笑じみた溜息を吐いてみせる。
「言ったはずだぞ? よくないものを積んでいるが故に――ソレとは“気を付けて、戯れろ”と」
「……!」
――まだ、“終わって”いない。
首を刎ねられたはずの“骸羅无”の胴体は、いまだに不気味な鼓動を響かせていた。
そして、鼓動と同調するように痙攣する“骸羅无”の胴体から、黒々とした膿が、醜怪な肉塊が溢れ出していた。
肉塊は蜥蜴や鴉、鼠などに似た、様々な生物の形を模しながら、より仰々しい、禍々しい異形へと変貌してゆく――。
(な、何だ……? コイツは――)
この数時間、人ならざる奇蹟と対峙し、怪物と呼べる存在と斬り結んできた響にとっても、ソレの異形は、気配は異常だった。
“生きる世界が違う”。
そう五感が、“本能”が吼えている。
コレは――、
「ほう……察しが良いな。ソレは確かに“この世界のモノ”ではない」
響の直感を肯定し、“処刑者”は懐から取り出した鍵状の機具を虚空へと突き刺す――。
「私達“疑似聖人”は観念世界を通じ、“畏敬の赤”を起源とする多くの異世界に関わっている。ソレはその一つ“幻想世界”に存在した破滅の獣」
処刑者の指が虚空に突き刺した鍵を回し、解錠したのは“おぞましき幻想”。
「開くがいい、悪魔の瞳……! “破滅の凶事”……!」
「な……」
――希望を飲み込み、根絶やす破滅の門が開く。
黒々とした膿の塊は、やがて人型を形成し、外骨格のように表層に鎧装を纏わせる。
当然のように、それは尋常の鎧装ではなく、数多の生物の生皮や骨、脊髄を繋ぎ合わせたかのような死臭を漂わせていた。
刃状の甲殻を蛇腹状に繋ぎ合わせた巨尾。
朽ち果てた龍のようでもあり、古代魚のようでもある禍々しき頭部。
スカートのように脚部を覆い、木の根のように大地へと絡み付く膿状の下半身。
それらを申し訳程度の人体が繋ぎ、かろうじて人型を保っている。
わずかに女性を想起させる、そのシルエットは、さながら退廃と死を司る女神である。
「……コレのオリジナルは幼体時に討滅されているが、いま顕現させた“彼女”は、私独自の解釈で再生・進化させた完成体。天敵種どころか人類さえも滅ぼしかねない、異世界より召喚されし“最悪の災厄”だ」
“処刑者”が紡ぐ言葉と連動するように、首をもたげたゼルメキウスの眼が、昏い朱を灯す。
その朱に、凍り付くような、冷え冷えとした神々しさと、多くの毒物をかけ合わせ、混ぜ合わせたかのような毒々しさを併せ持つ“蒼”が混じり、この世ならぬ妖艶な輝きを産み落としていた。
ゼルメキウスの左眼は潰れたように塞がれていたが、煌々と輝く右眼が放つ重圧は、響達を飲み込み、その動きを封じていた。
そして、ゼルメキウスの膿状の下半身が波打ち、抜け殻のように打ち捨てられた“骸羅无”の残骸を“胎内”へと取り込む――。
腐臭に満ちた、その膿の中で、残骸は破砕され、組み換えられ、新たな“災厄”として膿の中から吐き出されていた。
紫紺と漆黒に染め上げられた、その鎧装は、
「コ……コイツ、は――」
神話生物のように、両肩と胸部に鎮座する牛頭。凶相の騎士兜を飾る禍々しき大角。その巨腕が携える龍の牙を削り、精製したかのような巨大剣。
“破滅の凶事”の尖兵として立ち塞がる、その異形の容姿は禍々しき、人ならざる存在でありながら、何処か、響の“煌輝”を想起させる構成を有していた。
「……模倣したのか、“煌輝”の鎧装を――!」
響の咆哮を肯定するように、両眼を蒼く輝かせ、異形の騎士は巨大剣を振りかぶる。
騎士の名は“滅尽騎士”。
“黄金”を喰らい、斬り裂く破滅の狂兵――。
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