第16話 神を憐れむ歌―”amen”―
#16
「カハハッ……! “女王”もあのクソデカ聖女も随分とイカすじゃねぇかッ!」
“滾り過ぎて理性がブッ飛んじまうぜ……ッ!”
麗句と“誘愛者”が見せつける奇蹟の頂きに、我羅は理性もクソもない表情で吼える。
その昂ぶる狂戦士の長駆は、対峙する“叛逆者”の蹴撃を、己が腕に繋がれた鎖で叩き落としていた。
彼等が死闘という舞踏を演じる舞台は、“聖極”の巨人と化した“誘愛者”の進撃と共に、殺風景な岩肌から豪奢な石畳へと姿を変え、神を崇め、奉るかのような荘厳な建造物を、次々と無から生まれ出でさせていた。
――これらは、見せかけの奇蹟ではない。この変異した舞台は“畏敬の赤”を強化する加護を有している。
「景色が……いやこの現実自体が改変され、再構築されている。これはまるで――」
“祭祀場”。
“畏敬の赤”の源泉たる“物質としての神”へと祈りを捧げ、頭を垂れる厳かなる舞台。
其処にある景色を噛み砕き、グチャグチャに咀嚼するような“奇蹟”の暴威が、祭壇を、神殿を次々と殺風景な岩肌の上に“生やして”いく。
(彼等がいままで表舞台に現れなかった理由がこれか――)
シオンの脳裏に残されていた疑問が氷解していく。
彼等“疑似聖人”という存在を構成する奇蹟はあまりに大きく、現実を書き換えずにはいられない。奇蹟という超常で塗り潰さずにはいられない。
故に彼等は、“もう一人のフェイスレス”に総てを一任し、観念世界の奥底に身を潜めていた。
一人が力を解放しただけで、この有様なのだ。もし、あの全員が同時に力を解放したなら―――、
(この大陸――いや惑星全体が変質させられる可能性すらある……!)
すなわち、それは世界の終焉。
そして、それでも尚十体の“疑似聖人”が此処に集結したという事は、彼等はその弊害を承知の上で、“救済”の断行を決断したという事だ。
恐らく、もう一人のフェイスレスが"血に染まり転臨する世界"と呼んでいた、世界を巻き戻しやり直す異能は、あのフェイスレスにしか使えないものだったのだろう。
彼等にしてみれば、これはやり直しのきかない最後の一回。
言うなれば、世界の終焉と天秤にかけられた“救済”だ。
表層上の態度からは測り知れない、焦燥と不退転の決意が、彼等の内面に満ち満ちている事は疑いようがない。
(相手は人ならざる“物質としての神”の眷属……! その強大なる壁に、貴女の“血盟”で孔を穿てますか、”“女王”……!)
身を震わす畏敬とともに、虚空を仰いだシオンの視界に羽撃くは黒の鎧装。人類の未来と可能性を信じた“血盟機”の紅を背負った麗句の鎧装。
“聖極”の巨人と化した“誘愛者”の腕の一振りが、極地的な嵐を呼び、その鎧装の美麗なる飛翔を阻害する。
次の刹那、隕石の直撃を受けたに等しい衝撃とともに、巨大な拳が麗句の身体を弾き飛ばしていた。
因果のすり替えによって、直撃から逆算して構築される攻撃の軌道。“畏敬の赤”の粒子を多く含んだ嵐による五感の撹乱。
――巨大過ぎる程に巨大でありながら、“誘愛者”の攻撃には隙がない。致命的なダメージを避け続けるだけの、防戦一方の戦況を、麗句の黒鎧は飛翔していた。
麗句の飛翔を補佐する“紅翼の聖釘”も嵐の中でその駆動を封じられている――。
「どうしました!? その“聖槍の成れの果て”は飾りですか!? 我が奇蹟を突き穿ちなさい! 斬り裂いてみなさい! 麗句=メイリン……ッ!」
「……承知している」
過剰な“畏敬の赤”の粒子放出、多重に仕掛けられた概念干渉によって歪む景色を、斧槍で斬り裂き、麗句は“誘愛者”の巨躯へと疾駆する。
――躱せないなら躱さない。麗句の思考は元より単純だ。そもそも“奇蹟を殺す”槍と右手で、“奇蹟の塊”相手にやる事は決まっている。それは、
「ま、真っ向から殴り合うつもりですか……!? “女王”……ッ!」
麗句の思考を察知したシオンの叫びが響く中、“誘愛者”の巨大な拳に、麗句の右拳が撃ち込まれる……!
血反吐を吐くような衝撃が、麗句の全身を駆け巡るが、“誘愛者”の拳を覆う黒の鎧装にも大きく罅が生じていた。
「ここから先は潰し合いだ。決して美しくはないぞ、“誘愛者”――!」
“聖極”の巨人と化しても優美な“誘愛者”の美貌へと吼え、麗句は眼前に聳える巨腕を駆け上がる。
目指すは彼女の胸に輝く結晶――“疑似聖人”の“核”だ。
「思い切りはよいですが……賢いとは言い難いですね、“女王”ッ!」
「……!」
麗句が足場とする褐色の巨腕、その毛孔から無数の閃光が迸り、黒鎧を掠め、貫く。
血盟機との契約で、防御力が大きく向上している為か、甚大な損傷はない。だが、
(……! これは――)
――“共繋”。
強大な“畏敬の赤”同士が激突した、その衝撃は、麗句の黒鎧・脳髄を駆け巡り、強烈・鮮明な映像をその脳裏に再生させる。
(好きな人が……出来ただけなのに。人を、愛しただけなのに……)
「記憶……? “誘愛者”の記憶なのか!? これが……!?」
視覚を引き裂くように、脳裏へと切りつけられる鋭利な映像の数々に、麗句の脚が歩みを止める。
その隙に己を貫かんとした閃光を、プロペラシャフトのように回転させた斧槍で蹴散らし、麗句は再度、“核”へと疾駆する。
「“誘愛者”……! 御身は、貴女は――」
男を愛したという理由だけで、実父に殺害された少女。身寄りをなくし、大人という他人に全てを奪われ、街頭に立ち続けた少女。望まぬ姦淫によって自ら生命を断った少女。
様々な記憶が、悲劇が、麗句の精神に注ぎ込まれ、その手足を震わせる――。
「……理解しましたか。私は“聖アグネス”の疑似聖人。ですが、その根幹は“元来その聖者によって救われるべき魂”の集合体」
映像の奔流の中、麗句の内に芽生えた確信が“誘愛者”の口舌によって言葉とされる。
「“聖人そのものではない”と知って失望しましたか? しかし、たかが“聖人”に、只の人間に人類が救えるわけがないでしょう……?」
……成程。
理解と同時に噛み締められた麗句の唇から、一筋の血の雫が流れる。
“物質としての神”が産み落としたのは、聖人そのものでなく、人類が理想とする救済者としての聖人。
――“現実に存在した聖職者”ではない。
「……確かに救済を最も渇望する魂とは、救われなかった生命、魂に他ならない。だが、だが!」
“誘愛者”の巨腕を覆う鎧装が解れ、吼える麗句へと、鉄鎖のように絡み付く……!
麗句は閃かせた斧槍で、その縛鎖を断ち、自らの双翼を“誘愛者”の顔面へと羽撃かせる――。
「真に救われるべき魂が、人類を救うまで救われないとしたら……それはどうしようもない地獄だ。それはどうあっても断ち切るべき地獄だッ!」
殺意ではなく慟哭を秘めた斧槍の鋒。
訴えるように、祈るように“核”へと躍動したその刺突は、シャッターのように新たに構築された鎧装によって、冷徹に拒絶されていた。
「……ええ、そう恐らくは貴女の言う通り。人類という生物の有様は私達にとって“地獄”と呼ぶべき奈落です」
僅かに細められた“誘愛者”の瞳が、堅固な意志とともに、麗句を見据える――。
「その奈落より産まれ落ち、その奈落から人類という汚泥を引きずり上げる――。それが私達という救世主の有り方なのですよ」
“誘愛者”の腕の黒鎧から焔が噴き出し、極大の奇蹟の発現を予感させる。
その様は地上からも観測出来、離れた場所から状況を見守る、街の人々の胸を掻き乱していた。
「なんで、なんだろうね。なんで、あれを……あの人を見てると、こんなに―――」
胸が苦しいのか。涙が溢れるのか。
アレはお嬢ちゃんや響を苦しめる敵だってのに。
カミラ・ポートレイは瞳から溢れ出す涙を拭い、何故か熱くなる頬の火傷痕を撫でる。
――そうだ。あの姿を見ていると、過去の傷痕が無性に疼く。そして、その傷痕があの巨人に繋がっているのを感じる。
身体を、自分自身を売り、自分自身を焼いた、その過去が――。
「貴女は泣いて……いるのかい? 私達の為に――」
「発動せよ――我が救済ッ! “苦痛は繋がりて彼の者に安息を示す”ッ!」
カミラの呟きは、“誘愛者”が発動させた“奇蹟”の轟音で掻き消されていた。
“誘愛者”の両腕の鎧装から螺旋状に噴き出した焔が、翼持つ女神となって、麗句を抱擁。焼き尽くす――。
業火による火刑と、女神の抱擁による安息を混ぜ合わせたかのような、“誘愛者”の救済秘儀。
それは、確かに麗句の黒鎧を灼き、溶かし、この戦闘に一つの終止符を刻んだかのように思えた。
しかし――、
「――“罪罰の血剤”装填」
「……!」
凛とした声音が虚空を撫でると同時に、焔を吹き払うようにして麗句の、“断罪の麗鳳”の鎧装がその顕在を示す。
双翼の中に秘匿されていたアンプル状のパーツが、弾丸のように鎧装に撃ち込まれ、その内部の血剤を鎧装へと直接注入していた。
「馬鹿な……貴女はあえて受けたのですか……! 私の秘儀を……!」
「……それ以外に思いつかなかったのでな。貴女の望みを断つ以上、私には貴女の全てを受け止める義務がある」
鎧装は罅割れ、焼け爛れ、“畏敬の赤”の粒子を血液のように、涙のように流していた。
“誘愛者”を形作る、一つ一つの記憶を刻み込んだかのように、壮絶な姿を晒す麗句の鎧装に、地上の“疑似聖人”達も息を呑む――。
撃ち込まれた血剤によって、その出力を限界まで高められているのか、麗句の黒鎧は細かく震動し、電光化した“畏敬の赤”の粒子を迸らせていた。
それが、“聖極”という最後の手札で、眼前に立つ“誘愛者”への麗句の敬意であり、覚悟。
“誘愛者”もそれを認識し、麗句が仕掛ける“最後の突貫”を真っ向から見据える。
「……来なさいッ! 麗句=メイリンッ!」
「“誘愛者”……! 貴女を……!」
己を抱擁する焔の中で一つ一つ拾い上げ、黒鎧に刻み付けた、数多の悲劇。背負ったその痛みを紅き翼として、麗句は暗夜を駆ける。
「その悲嘆を……断つッ!」
【“罪赦の血剤”――装填】
新たに黒鎧に撃ち込まれた血剤は、極限の出力に軋む黒鎧と麗句の肉体に、慈悲による安楽と、叱咤による増強を与える。
紅い流星となった麗句の斧槍が、再発動した“誘愛者”の救済秘儀を斬り裂き、一直線に“誘愛者”の眉間へと向かう……!
「ぬぅ……っ!?」
「“我異端にして神を穿つ朱”――」
斧槍を左手に持ち換えた、麗句の右腕が放つ円輪状の光が、“誘愛者”の巨躯を拘束し、その奇蹟を抑制する。
しかし、“聖極”の巨人は足掻き、藻掻き、己を拘束する円輪を引き千切らんとその黒爪を突き立てる……!
(終わりはしません……! 救済の為、破壊者の為、こんなとこ――)
(……んだよ)
「……!」
けれど、
(……私達なんかの為に、泣かなくていいんだよ)
「あっ……」
地上から届けられた、一つの祈りが、“誘愛者”の腕から力を奪っていた。それは自分へと捧げられた、厳かな、切なる祈りだった。……救い、だった。
動きを止めた“誘愛者”の瞳に、紅い翼が閃く。
「――“死の果て続く十三階段”ッ!」
炸裂し、突き穿つ紅。
“神を斃す右手”で放たれた麗句の秘儀が、“誘愛者”の眉間を撃ち抜き、巨躯を突き抜けた衝撃が、鎧装に防護された、彼女の“核”を内側から粉々に粉砕していた。
崩壊してゆく自らの巨躯を認識しながら、“誘愛者”は虚空を仰ぐ――。
(ああ……私は、弱いですね。救うべきものの祈りに、耳を傾けてしまうなんて――)
“私達の為に泣かなくていい”。
あまりに素直で、甘く、優しい想い。
人は狡い。自分達を救う事を強制しながら、他人の為に泣く事が出来る。
(貴女は、貴女達はその性を抱えたまま、人を愛し、人を傷つけ、逃れようのない悲嘆に囚われる――)
なんて、救い、難い――。
崩れてゆく視界に、自らの秘儀の衝撃で、仮面を失い、露わとなった麗句の美貌が映る。
人の弱さも、穢れも背負う、気高き表情だった。
血に濡れた、美しい顔だった。
(……その有り方はまるで“疑似聖人”。本当に、腹立たしい、ですね―――)
人類の“悲劇”を背負い、乗り越える、かつて“悲劇”と呼ばれた麗鳳。その眩しさと痛ましさに、“誘愛者”の消え逝く唇が祈りを紡ぐ。
「……amen」
――決着。一つの救済がいま、終わりを迎えた。
第17話 開く悪魔の瞳―”zerumekius”―