第15話 聳え立つ聖極―”ultima”―
#15
なんとも美しく、胸を打つ御伽噺だ。
“私”の元となった聖女が、売春宿に入れられると、神から遣わされた天使が彼女をお護りになったそうだ。
男たちは彼女を見ることも近づくこともできず、眩い奇蹟に、唇を噛んだと言う。
……だけど、“私”にそれはなかった。
聖女を再構成すべく、“創世石”により人類の歴史から吸い上げられ、並べ奉られた幾千の魂。
その、“私”のもとになった幾千もの魂、その全ての記憶にそんな優しい奇蹟は記されていない。
数多の悲劇が、悲嘆だけがあった。
憎悪と哀惜だけが沈殿していた。
そう――人類の歴史の中からドロドロと流れ出し、固まった“赤”の私生児。
それが、私だ。
※※※
「なんて……事だ」
アルとガブリエルを自らの背に隠し、“疑似聖人”達と対峙していたシオンの唇から、驚愕の声が漏れ零れる。
大地は、顕現した禍々しき奇蹟に揺れ、赤く染まった虚空は、天高く聳え立つ、巨大な脅威を映し出す。
視界を埋め尽くす褐色の肌。地獄から這い出した亡者達が絡み合い、解合ったかのような意匠を持つ四肢の鎧装。
そこに在るのは、紛れもなく“誘愛者”の御姿。
だが、その体躯は、少なく見積もっても、二十メートルはある。
「“聖極”をここで遣うとは……“誘愛者”、愚かな」
“処刑者”は苦々しく呟き、眼前に聳え立つ奇蹟を凝視する。
“聖極”は、“疑似聖人”が持つ、一度限りの切り札だ。総ての人類を救済する為の、一度限りの――、
「……そうなった以上、もはや後戻りは出来ぬ。せめて、その愚挙が全う出来るよう、私も力を尽くそう……」
仮面の溝から覗く“処刑者”の眼が鋭く光り、彼とリンクした絡繰人形――骸羅旡が、響達へと襲い掛かる。
「クッ……!」
樋熊の如き五指による獰猛な一撃を、大剣状の輝醒剣で受け止め、響は猛然と迫る骸羅旡の蛇の如き、能面の如き顔面と視線を交差させる。
煌輝の鎧装の構造は愚か、己の神経・筋肉・臓腑の裏側まで覗き見られたかのような不快感が、響の心身を苛む。
「グッ……オォッ……!」
輝醒剣を跳ね上げる事で、骸羅旡の凶爪を弾き、響は腕部鎧装の牙状の突起“輝獣刃”ごと正拳を叩き付ける……! だが、
(駄目、か……!)
……鋼を砕く手応えはあったが、決定打とはならない。
やはり、骸羅旡の内部から鳴り響く音色――“歌”が、体内の“壊音”を抑制し、“煌輝”の力を弱めている。
「隊長ッ!」
「……! ミリィ……!」
罅割れた胸部から覗く“何か”を蠢かせ、反撃に転じようとする骸羅旡に、連射された“矢”が突き刺さる……!
纏う鎧装の源である、疑似醒石のエネルギーを硬質化させた“矢”を射ながら、ミリィは急速接近。
弓を右手に持ち替えた彼女は、上弦に設えられたブレードを、散る火花とともに骸羅旡へ叩き付ける……! そして、
「はい! おかわり、どうぞおっ!」
ジェイクの飛び蹴りとガルドの大斧が、骸羅旡を続けて一撃し、その体躯を後退させる。
三人は響を護るように陣形を組み、奇妙な方向に関節を蠢かせる、歪な絡繰人形の動きを注視する。
「へっ……隊長のと見た目は近いが、俺達の鎧装にテメェの歌声は通じないぜ……! EXオウガ――“護鬼”ってところか」
「お前達……」
頼もしい仲間達、兄妹達の雄姿に、響の、煌輝の鎧装に“黄金氣”が漲り、滾る。しかし、
【―――――――――――】
「……!」
おぞましい程に透き通った歌声とともに、骸羅旡は天を仰ぎ、その身に生じた亀裂から触手の如き肉塊を溢れさせる。
「……っ! きっしょッッッ!!! なんなんだよコイツは!」
あまりのおぞましさに、ジェイクは吐き捨て、右腕のブレード――“蒼狼牙”を構える。
触手状の肉塊は、蜘蛛の節足のように硬質化。
罅割れた、その胸部の奥深くで、胎児のような貌がケタケタと嗤っていた。
……詳細はわからずとも、コレが存在してはならないモノである事は確かだ。
「……醜悪しいだろう。コレは数多の世界線で製作されながらも、残念ながら完成しなかった“対天敵種用兵器”――。各世界線で部分的に完成した、その部品を掻き集め、私手ずから完成させたのが、この“骸羅旡”だ。元来、人類には無害な代物だが、天敵種以外との戦闘と自律行動の為、“よくないモノ”を仕込んでいる―――」
“気を付けて戯れる事だ”。
“処刑者”は明確な殺意とともに告げ、その両眼を標的である響へと向ける。
冷たい、体温を感じさせぬ硝子玉のような眼が、此処で響を葬ると決意していた。そして――、
「“処刑者”……感謝します。これで、二つの最たる危険因子を、私達は排除出来る」
「な……あ……」
図上に聳え立つ“誘愛者”の妖艶な笑みに、麗句は絶句し、全神経を圧し潰し麻痺させるような重圧と対峙する。
物理的な巨大さだけではない。
目眩のするような、広大にして深淵な“力”が、現在の“誘愛者”には満ち満ちていた。
「フフッ……麗鳳と呼ばれる貴女が“鳩が豆鉄砲を食らったような顔”というのは傑作ですね、麗句=メイリン。そう、我々“疑似聖人”という奇蹟は、その行使に『鎧醒』を必須としない――」
麗句の、仮面の下の表情を見透かしたかのように、“誘愛者”は告げ、いまは麗句を飲み込むほどのサイズとなった眼球を細める。
「何故なら私達という存在自体が既に“奇蹟”であり、“究極”。先程の巨大鎧装も飽くまで補助装備に過ぎません――」
それは虚勢ではない。出鱈目ではない。
麗句はいま、“奇蹟”に質量という概念がある事を知った。
これが、これこそがまさに――、
「……そう、いま貴女の眼前に在るのが、私という奇蹟の終着点であり、究極系。我等が“聖極”と呼ぶ形態です」
「ウル、ティマ……」
それは究極の神秘にして、絶対の奇蹟。
渇いた唇で反覆した麗句を、“誘愛者”が振り下ろした、巨神の如き掌が襲う……!
(……“質量”が増したなら、速度は落ちるはずだが――!?)
物理法則を破壊し、容赦なく牙剥く神秘。
麗句は、紅の双翼を羽撃かせ、全速力で掌の間合いから離脱する。だが、
「グッ……!?」
神秘は彼女を追尾し、直撃する……!
その刹那、躱したはずの掌が、麗句の上空から轟然と襲い掛かり、彼女の身体を弾き飛ばしていた。
(……この攻撃の軌道は、結果から逆算して構築されている。言わば因果のすり替え、再構築か……!)
あの少女の“SHINING・ ARROW”のように“結果の固定”はされていない。だが、“誘愛者”は畏るべき事に、それに類するものを“毎動作”行えるのだ。
――脅威としては同等か、それ以上だ。
「……ならばッ!」
躱す事を放棄した麗句の覚悟が、威風堂々と神秘を迎え撃つ……!
跡形もなく圧し潰すかのような掌撃を、麗句は、紅の追加鎧装“血盟機”を纏った右手で受け止める……!
「私は先達と繋いだ、この“血盟”で、その奇蹟に抗うまでだ……ッ!」
大気が、世界が震撼する。
凄絶な衝撃と同時に、大量の“畏敬の赤”が飛び散るが、“誘愛者”の巨大な掌を切り崩すには至らない。
“神を斃す右手”でも、“聖極”と名乗る、この“膨大な質量を持つ奇蹟”を一撃で消滅させるのは不可能らしい――。
しかし、それも想定内だ。
「“血盟”の紅き羽根よ……! 私の軌跡を隠せ……!」
「ムッ……!」
号令とともに、虚空を舞っていた“紅翼の聖釘”達が、飛翔する麗句の姿を隠すように、その軌跡を断ち切るように乱れ飛ぶ……!
“紅翼の聖釘”にも奇跡を殺す特性はあるらしく、紅翼の聖釘”が乱れ飛び、裂き散らした因果を、“誘愛者”は追跡・再構築できない――。
そして、自らを、“紅翼の聖釘”を撃ち落とすように、“誘愛者”の胸部から放たれた閃光を掻い潜りながら、麗句は自らの“切り札”を起動させる。
「対“聖人”用の武装なら……私自身にも用意がある」
黒の鎧装から射出された金属片、その周囲に“畏敬の赤“の光が集中し、次第に一つの形状へと収束・物質化を果たす。そして、その新たに顕われた赤々とした、禍々しい形状をした長槍は、主の、”女王“、麗句=メイリンの手へと握られる。
「この“聖遺物”の使用は私にも大きな消耗を強いる。だが、万全を取り戻し、多くを得た私であれば」
“扱える”……!
そして、奇跡は、長槍の構築で停止しない。
長槍の穂先で輝くのは、フェイスレスとの死闘の最中、麗句と同調し、『双醒』を行った醒石。
輝く醒石は『鎧醒』するのかのように自らのエネルギーを長槍へと絡みつかせていた。
顕現するは、救世主を殺した聖遺物を宿す“神殺しの聖槍”。
「“朽ちるも反抗契りし聖槍”――起動」
鈴を鳴らすような玲瓏な声音とともに、完成した武装は、聖槍を核とした斧槍と呼ぶべき得物だった。
その顕現を地上から観測した“処刑者”は、苛立ちに震える己が舌を鳴らす。
「……最悪の持ち物のご登場だ。何とも胸糞が悪い。ああいったものは、もう一人の貴方に処分しておいていただきたかったな、“破壊者”」
「………………」
その沈黙が示す感情は何か。
聳え立つ“聖極”の巨身を、悲嘆を宿した、嶮しい面持ちで凝視するフェイスレスを横目に、“処刑者”は指で首を掻き切るようなジェスチャーを“誘愛者”へと贈る。
「ソレはもはや“天敵種”以上の害悪だ……! “聖極”の全力を持って潰せ! “誘愛者”……ッ!」
「……御心のままに」
赤く染まった虚空を支える巨柱のような、“誘愛者”の脚が前進を開始する。
耳を劈く轟音と地鳴りの中、因果が、現実が書き換えられていく。
“誘愛者”の、“聖極”の巨人の進撃は、周囲の景色を破壊し、全く異なる異形に再構築しながら、標的である麗句=メイリンへと迫る――。
「……受けて立とう、奇蹟の極みに立つ聖人よ」
人類の未来を信じる“血盟”の鎧装を纏い、“救世主を殺す”斧槍を構えた魔女は、迫る脅威を威風堂々と迎え撃つ。
――託され、重ねられた想いがいま、極みへと挑む。
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