第13話 血盟―”alliance”―
#13
「“創世石”と縁を繋いだ者だと……」
現れた異邦者達に双眸を細めたフェイスレスの黒革に覆われた口から、深い溜息が零れる。
嘆かわしい――。此度の“救済”には余興が多過ぎる。
“もう一人の自分”が“救済”の為に数多の因果を歪め、整えた事の“副作用”か。
あるいは、自分達という異端を産み出した“創世石”自身による些細な抵抗か。
どちらにせよ些事ではあるが、鬱陶しい事この上ない――。
「蓋を開けてみれば大した事はない。貴様等は“血に溺れた者達”――要するに観念世界を漂う幽鬼の類ではないか」
「……否定はしない。我等は“創世石”への妄執に囚われ、永く観念世界を彷徨っていた。自分達が本当に成したかった事も、成すべきであった事も忘れて」
応えた声音は、これまで歩んで来た苦難、憤怒、葛藤――その全てを受容し、己自身の血肉としたような、落ち着いたものだった。
フェイスレス達と対峙するヨゼフ・ヴァレンタインの顔は、サファイアの前に現れた時のような、眉目秀麗なものではない。
だが、造られた美では辿り着けぬ、清々しい、凛々しい顔を彼はしていた。自分の悔恨も、無力も、成した事も総て飲み込んだ、人間の顔――。
恐らくはこれこそが“取り戻した”彼本来の顔であり、表情なのだろう。
(サファイア……サファイアの名を、あの男は言ったのか……?)
突然の来訪者が口にした、愛する者の名に、響の両眼はフェイスレスと対峙する、ヨゼフ・ヴァレンタインへと吸い寄せられる。
ヨゼフもまた、響の目線に気付いたのか、その碧眼を響が辿り着いた“黄金”――煌輝の鎧装へと向けていた。
「……極めて希少な世界線だ。これ程までに奇蹟が頻出し、並び立つ。私が観測し、彼女に提示した絶望は、尽く覆り、未知の領域を切り拓いている」
驚愕と感嘆を持って語られる言葉に、“疑似聖人”達の気配が、苛立ちに濁る。
しかし、観念世界より現れた“血に溺れた者達”の存在は、彼等にとっても興味深いのか、各々の戦闘行動は一時的に停止。状況の静観に移行していた。
「――未知ではない。我等“模造されし背信の九聖者”が壇上に立った以上、人類の未来は既に確定している」
それは、すなわち“救済”という帰結だ。
告げたフェイスレスの虚無に満ちた両眼が、ヨゼフを凝視し、その御体から液状化した、高濃度の“畏敬の赤”が滴り落ちる。
一滴、零れただけで、現実の景色が罅割れ、軋む。
腕の一振りであらゆる事象を破砕するだけの異能と苛立ちが、“信仰なき男”の中に確かに満ちていた。
「“救済”……忘れ得ぬ言葉であり想いだ。確かに私もそれを願い、足掻き、愚かにも暗躍した」
その畏れ焦がれるような異能を前に、ヨゼフは穏やかな声音で、言葉を紡ぐ。
「――他の者もそうだろう。我等は等しく、人を守り、救わんとし、尽く挫折した」
血の滲むような悔恨と、全てをやり切った清々しさとが入り混じった言葉だった。
その言葉に、“畏敬の赤”に選定された“適正者”達の目線が、ヨゼフの双眸を捉える。
(……“血に溺れた者達”。彼等は皆、“創世石”の適正者であった者達か……)
麗句はその気配を、観念世界の自分が管理する領域から僅かながら感知していた。“奇蹟”を殺す特性を持つ“麗鳳石”に護られた麗句の領域に、攻め入る事は出来なかったようだが、その侵食の意思は常々感じていた。
恐らく、サファイア・モルゲンは何らかの外的要因で、麗句の領域を逸脱したが故に、彼等と接触したのだろう。そして、
(“救った”、か……)
まったく――とんでもない少女だ。安全の為に漂流させた場所で、そんな畏るべき者達と相対し、救ってみせるなど、正気の沙汰ではない。その底なしの慈愛と献身に、麗句の心身は静かに熱を覚え、奮い立っていた。
その麗句の昂りを感知したのか、ヨゼフは麗句を、少女により救われ、奇縁で結ばれた同胞達――“血に溺れた者達”を眺める。
「そして、我等は忘れていた。我等が何故、“赤”に身を落とし、戦い続けたのかを――」
ヨゼフが投げ掛けた眼差しに応えるように、待機していた“血に溺れた者達”達も聖骸布を脱ぎ捨て、その御姿を晒す。
人の為に奔走し、迷い続けたその雄姿を。
「人間が人間を想い、繋ぐ手は、温かいのだという事を――!」
「……!」
並び立つ“血に溺れた者達”達の姿。その異様に、“疑似聖人”達にすら、息を呑む気配があった。
少年少女もいれば老人もいる。狼のような獣の姿もあった。飽くまで人間に近い風体ではあるが、触角や尖り耳が特徴的な異種族と思しき者の姿まであった。
様々な世界、様々な時代で“創世石”に選ばれた者達の異様が、雄姿がそこにあった。そして、
「ヨゼフさん……」
現実から遠く隔たれた“深淵”で、“JUDA”によって、現実世界の奇蹟を開示されたサファイアは、驚愕と共に、その光景を見つめていた。
「……本来であれば、ありえない事だ。キミ達との戦闘で、彼等は確かに消滅し、彼岸の彼方へと去ったはずだった。だけど――」
“創世石”の管理者であり、かつての適正者でもある“JUDA”の碧眼も、一種の感慨とともに、ヨゼフ達の雄姿を捉えていた。
「現実で戦う者達を想い、贈られたキミの声に、その残滓が共鳴し、信じ難い事に再び“力”を得た。いや……振り絞ったと言ったほうが正確かもしれないな。キミの声を辿り、現実に辿り着くだけの力を」
“それは、キミの軌跡と想いが繋いだ、光だ”。
“JUDA”は告げ、現実で厳かに立つ“紛い物”を凝視する。
「……くだらぬ。そんな世迷言を聴かせる為に、お前達は観念世界から這い出て来たというのか。元“創世石”の適正者ともあろう者が嘆かわしい――。永すぎる漂流に思考回路が腐り果てたか」
その“深淵”からの視線を感知しながら、“破壊者”――フェイスレスは己が苛立ちを吐き捨てる。
「何の為に人を救うのか、という話だ。人が請い願い、産み落とした、憐れなる人造の“救世主”よ」
“疑似聖人”達の出自を、僅かな邂逅の中で看破したヨゼフは告げ、その掌を自らの心臓へと重ねる。
「人が愚かだから、人が醜悪だから、救うのではない。我等は――」
「ぬぅ……!?」
その刹那、フェイスレスの虚無に満ちた両眼が、大きく見開かれる。
ヨゼフの掌が、彼自身の胸を貫き、自らの心臓――“心核を抉り出して”いた。
己自身を成り立たせる、最重要器官であるはずのそれを、ヨゼフは躊躇いなく握り潰してみせたのだ。
「人がその底に光を、温かな光を宿すから、我等は共に立ち、“賭ける”事としたのだ――!」
「貴様……」
ヨゼフの背後に整列する“血に溺れた者達”達も自らの胸を抉り、躊躇いなく自分達の“心核”を握り潰す。
握り潰された各々の“心核”から放出された光が、螺旋を描きながら混ざり合い、その場にいる全ての者を飲み込んでゆく――。
「こ、この光は……」
その光がもたらす効果と身体が帯びる熱に、麗句の声色に驚愕が宿る。
「体力が、肉体が急速に回復している。力が……」
「力が、力が漲るぜ! クハハハハハッ!」
シオンと我羅も、光の螺旋の中で、急激に修復・増強されてゆく自らの肉体に、当惑と高揚を隠しきれずにいた。
――“力”だけではない。幾重もの“共繋”が、光の源となった適正者達の歴史を、その記憶を、彼等の脳髄に刻んでゆく。
それは、幾千の絶望を足掻き、生き抜いた、先人達の“魂”と呼べるものだ。
【………………】
そして、その息吹は“生物としての神”である“獣王”の疲弊し尽くした巨躯をも修復し、人類の生きていた軌跡を、その脳髄へと刻む。
太い弦を革手袋で撫でたような唸り声が、“獣王”の喉から零れ、黒目のない白濁とした眼が、消えゆく生命の残滓を見据えていた。
「……我等は“赤”に飲まれ、償いきれぬ数の過ちを犯した。故に此処で、お前達を糾弾する資格も、阻止する資格もない。だから――」
「……!」
麗句が、自らの手首に熱を感じた瞬間、そこに新たな鋼が生成されていた。――ヨゼフ達の生命、その残滓の“結晶”が、腕輪となって麗句の手首に、しっかりと絡み付いていた。
「我等の残滓、その総てを、この世界線の“適正者”達に託す……! それこそが、我等の贖罪であり、我等を救った少女への贈り物――」
消えゆく青年の口元に、爽やかな、悔いなき笑みが浮かぶ。
「人類が、前に進む価値ある生命であると信じる、“血盟”である」
※※※
「……観念世界でボクが手を握った時、もうヨゼフさん達の生命は、魂は罅割れて、擦り切れ過ぎて、ボロボロだったんだ。なのに、馬鹿だよ……」
“創世石”を通じて、ヨゼフ達の想いを、その“血盟”を感知した少女は、青い瞳からポロポロ溢れる涙を拭いながら、彼等の覚悟と決意を、いま紡がれようとしている“奇蹟”を、真っ直ぐに見据える。
ほとんど消滅していた存在の欠片を燃やし、現実世界へと到達する――その行動がどれ程の苦痛を、覚悟を強いるものなのか、所詮ただの人間であるサファイアには想像もつかない。
だけど、それを彼等は成し遂げた。文字通り僅かばかりに残った自らの残滓を燃やし尽くして、彼等は奇蹟を紡いだのだ。
「ありがとう、ヨゼフさん。ありがとう、先輩達。あなた達が残してくれたもの、必ずボク達が――」
※※※
「望む未来へと繋いでみせる……!」
“深淵”で紡がれたサファイアの誓い――それと同様の想いが、現実世界の麗句の唇によってなぞられ、繋がれる。
受け継いだ歴史、託された奇蹟の、重さを噛み締めながら、麗句は滾る血潮を言葉とする。
「“血盟”……確かに受け取ったぞ、先人達……!」
己が託され、手にした“想定外”を排除するべく、動き出した巨大鎧装をその双眸に捉え、麗句は新たに脳裏へと刻まれた言霊を、滑らかに口舌へと走らせる。
「“契約”……!」
言霊の発声と同時に、腕輪に設えられた山羊の頭骨の如き偶像が展開。神々しくも毒々しい“赤”の焔を、“断罪の麗鳳”の鎧装に纏わせる。
【血盟機XⅢ――鎧醒完了】
焔は雄壮にして壮麗な双翼、追加鎧装へと変換され、麗句の鎧装を新たな姿へと再醒させていた。
神を正し、斃す処刑台が、いま、その威力を天へと示す――。
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