第08話 模造されし背信の九聖者―”alternative crist”―
#8
「”救世主”など……私しかいないのだ」
「な……あ……」
衝撃が、脳髄へと突き刺さる――。
晒された、フェイスレスの包帯の下の貌に、誰もが言葉を、思考の深層に置き忘れていた。
果たして、それが”顔”と呼べるものであるのかも、わからない。それ程までに奇妙な、醜悪な容貌が、フェイスレスの秘匿されていた顔面にはあった。
「”顔のない男”、そういう事ですか……」
額を濡らす脂汗を拭い、シオンは思考を侵食する衝撃を咬みきるように、言葉を吐き出す。
フェイスレスの右頬に類する位置から”生えた”顔らしき、物体には目がなく、その口と思われる部位は、フェイスレス自身の口と一体化。その内部には歯牙ではなく、おびただしい蕀が生い茂っていた。
”救世主”と崇めるには、極めて歪な容貌である――。
「……貴方が誰を再構成したかは、あえて触れませんが、”救世主”の偶像として相応しい事は否定しません。ですが、人類の価値観、思想は多岐にわたり、一つに束ねられるものではない――。”救世主”という存在にしてもそうです。その思想故に、貴方の”元”となった人物を認めない人間も多いでしょうね」
人類の故郷である地球において、宗教と文明は深く結び付き、多くの衝突と争乱、悲劇を産んだ。
宗教が大きく衰退した、この惑星においても、その記憶は畏怖として残り、その歴史の陰は、この惑星の人類史にも深く突き刺さっている。――宗教への畏れと弾圧。麗句=メイリンの過去が示すように、人類の思想と秩序は歪なまま、変わらぬ轍を描いている。
「人類のその認識の歪さが、人類の願望の集積たる貴方を、そのような不完全な、歪んだ形へと再構成させた。その願望同様、歪んだ救済をもたらす存在として――」
「……その通りだ。故に私は”顔のない男”にして”信仰なき男”。神の子を真似ていながら、神を否定し、終焉という救済をもたらす、”擬似聖人”と呼ぶべき存在だ」
「擬似、聖人……」
泥の上に跪いたまま、麗句は呻くように呟く。
フェイスレスの右頬に”生えて”いるのは、紛れもなく麗句の信仰を具現化した”顔”だった。……正確には、人類史に根付くその肖像を模倣したものであっても、醜く歪められたそれは、麗句にとって、己が信じていたものの無惨を伝えるものに他ならない。
”負の歴史”の集積が、病んだ人心が招く歪んだ認識が、かつての信仰を、かの”救世主”の再臨を歪め、穢したのだ。
恐らくは、最大の”敵”として。
かくも、人間とは救い難く、度し難いものか――。
「”女王”……」
その麗句の絶望と憔悴を察し、シオンはその唇を噛む。その刹那――、
「おおお……ッ‼」
「……! ムラサメ……!」
鋭利な金属音とともに、粉塵と”畏敬の赤”の粒子が舞い散る……!
足に絡み付くような汚泥を蹴り、フェイスレスへと一気に攻めいった響は、蕀の如き刺に覆われた腕甲に、村雨の刃を阻まれながらも、その鋒をフェイスレスの首筋へと突き付けていた。
補食した”畏敬の赤”を満たし、赤く染まった鞘と、”黄金氣”の加護により、金の柄と鍔を新たに得た”村雨”は、既に”妖刀”ではなく、”輝刀“とでも呼ぶべき神々しさに満ちていた。
「……ほう、流石は”畏敬の赤”を喰らう”天敵種”。随分と血の気が多いではないか」
「……アンタが何者であろうと、俺には関係ない。俺は――!」
両者の”畏敬の赤”を灯した眼が、互いを捉え、苛烈な火花とともに刃が鉄甲を弾く……!
足を鋭く踏み込み、間髪入れずに放たれた刺突が、舌舐めずるように蕀を蠢かせる”救世主”の頬を掠める――!
「――俺は、躊躇わない。人間を害する存在を、斬るだけだ」
「……あえて、頭ではなく、体を動かす、か。フン、確かにそれも人間の愚かさか」
刹那、告げた”顔のない男”の顔を、黒々とした革状のベルトが覆い、再び秘匿。その異様に、響が息を呑んだ瞬間、フェイスレスの腕が凪ぎ払うように放った衝撃波が、響の身体を弾き飛ばす……!
「……理屈じゃない。俺の直感が、俺の中の”壊音”が、俺の体に満ちる”黄金氣”が、アンタが危険だと、そう感じている。アンタを倒し――」
”人間を護れ”と。
響は村雨を鞘へと戻し、”煌輝”への『鎧醒』の為、その意識を集中させる――。
呼応するように大気は鳴動し、柄に添えられた指は、黄金の粒子――”黄金氣”を帯びていた。
そして、
「……血の気が多いだけでなく、気の早い男だ。悪いが、君とチャンバラをするつもりはない」
「何――!?」
その刹那、響の五感に、九つの殺意が突き刺さる――!
地の底から涌き出るような、複数の”気配”に、響の足は無意識に飛び退いていた。
――いや、”地の底から”という表現は正確ではない。正確には、天から、地から、”世界そのもの”から、天地を揺るがすような、その強大な気配は噴き出していた。
「……いよいよ、お前達の出番だ。我が同胞にして使徒達」
”模造されし背信の九聖者”よ。
フェイスレスの号令とともに轟く赤い雷鳴……! 虚空を硝子のように叩き割り、聖骸布に身を隠した9人の使徒が、フェイスレスの周囲に、”現実世界”に顕現する。
「な……あ……」
この戦場を、否、世界全体を埋め尽くす程の強大な気配に、息が詰まる。
――畏ろしい事に、この九人、そのどれもが、フェイスレスと同等の”力”の気配に満ちていた。
「まさか、本当に我等の出番が来るとは。もう一人の貴方は、信じ難い程に感傷的だったようだな――“破壊者”」
フェイスレスにそう告げた、一人の使徒が、聖骸布を脱ぎ捨て、赤い鎧に覆われた身体を晒す。
赤の鎧に映える銀の仮面は、何処か道化師を想起させ、鎧の背部に張り付く、無数の処刑道具が、見る者の背筋を寒くする。
……そして、その仮面から覗く瞳は、響を凝視していた。
「フッ……あまり苛めてくれるな、流石に不敬だぞ? ”処刑者”――」
「……”神を殺す男”が何を言う。我等に”救済”以外の信仰はない。そうだろう?」
”処刑者”と呼ばれた男と、軽口を叩き合うフェイスレスを、響達は圧倒されたように見つめていた。
同時に、理解する。
フェイスレスにとって、”模造されし背信の九聖者”と呼ばれる、この九人こそが真の同胞なのだと。
――彼等もまた、人類の願望が産み落とした、”擬似聖人”と呼ぶべき存在なのだと。
「では、早速、役目を果たそう。この”処刑者”たる私のな」
「な……がっ!?」
「……! ムラサメ……!」
”擬似聖人”に対抗すべく『煌輝』への『鎧醒』を試みた響に、”処刑者”の初手が突き刺さる……!
響を包囲するように、彼の周囲に突き刺さった、三本の”逆十字”。それらは鳴動し、響の三半規管を、神経を掻き毟る、特殊な音波を発生させていた。
「“黄金氣“と結び付いた、特殊な状態ではあるが、他の世界線において、”天敵種“に対処した事例など、いくらでもある。対応策は万全なのだよ、響=ムラサメ君」
「ぐっ……ああああッ!?」
体内の“壊音“が荒れ狂っている。
“壊音“の活性を乱す周波数を知り尽くしているのか、“逆十字“が奏でる音波は、響の体内の“壊音“を正確に逆撫で、苦痛に喘がせていた。
言うなれば、響を、“壊音“という生物を知り抜いた、“処刑道具“――。
これでは、“黄金氣“とガブリエルの生命で制御していたとしても、意味がない。力の“核“となる“壊音“自体を乱され、封じられては――、
「ふふっ……苦痛に喘ぐ美男の顔は良いものですね、愛玩にしたいくらい――」
「……!」
そして、また一人、”擬似聖人“が、聖骸布を脱ぎ捨て、その姿を衆目に晒す。
現れたのは、銀の髪に、褐色の肌、美しい顔立ちを持つ女性であった。
脱ぎ捨てられた“聖骸布“とともに、“畏敬の赤“の粒子が舞い散り、彼女の両肩の上に浮かぶ、大型の機甲は、翼のように、天使のように、荘厳に彼女を飾り立てる――。
そして、それとは対照的に、露出の多い、白を基調とした装束は、彼女の褐色の肌を強調し、ひどく扇情的だった。
「その他の有象無象、露払いは是非、この私にお任せください、“破壊者”――」
「……“誘愛者“。君は――」
口を開きかけたフェイスレスの言葉を奪うように、顔面を秘匿する革状のベルトに人差し指を重ね、“誘愛者“は微笑む。
「うふふ……申し訳ありません、“破壊者”。私、あの“魔女“にもなりきれぬ“聖女“顔が、どうにも気に障るもので――」
汚泥の中に膝をつき、憔悴する麗句=メイリンを見据え、“誘愛者“は、その艶やかな唇の端を、妖艶に、加虐的に吊り上げる――。
「滾って、昂って、もう……堪りませんわ」
聖女を再構成した妖婦が嗤う。
此処は、“救世主“と、その使徒が降臨した、新たな戦場。
世界を終焉に誘う、死闘の幕は、早くも上がらんとしていた。
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