第07話 再臨―”Jesus”―
#7
「お空が赤いね、お爺ちゃん」
「うむ……」
深夜――突然の"異変"に、目を覚ました孫娘に連れられて、家屋の外に出た老人は、背筋を寒くするような、赤々とした虚空に、思わず孫娘の肩を抱く。
まるで、何もかも吸い込んでしまいそうな、底知れぬ"赤"に、孫娘を奪い去られるような、奇妙な感覚を覚えたからだ。
――実に、言い知れぬ不安と、焦燥を掻き立てる色である。
まるで、世界の終焉を示すような。
「……妙な気配じゃ。お家に戻るぞ、レイン。お前に何かあれば、お前の父と母に申し訳がたたん」
「うん……でも、お空からのお姉ちゃんの声、綺麗なお声だったね!」
無邪気な孫娘の言葉に、老人は赤く染まった夜空を仰ぐ。
「ん……そうさな、何やら睦み合うような、気恥ずかしい内容じゃったが」
"若さとは、いいものじゃのぉ……"。
深夜に空から響いた乙女の声に、好好爺はそう感想を漏らし、老人と孫娘は家屋に戻る。――そして、これと似た情景と呟きが、この惑星全体で数多く観測されていた。
「あ~~~~!!!!!!!」
"深淵"に、顔を真っ赤にした、乙女の悲鳴が轟く。
響達との交信後、サファイアに知らされた現実は、あまりに残酷で、"恥ずかし"過ぎた。
"深淵"の殺風景な純白にうずくまる少女の頬は、熟れた林檎のように赤々と染まり、その肩はプルプルと小刻みに震えていた。
「ひ、ひどいよ……ボクの声、惑星全体に、"全人類に響いてた"なんて、全然知らなかった。全然知らなかったじゃないかぁっ‼」
「ぎぃー……」
"心中お察しします"という意訳が聞こえそうな鳴き声とともに、ゲル状の友人――ギィ太は少女に寄り添い、ニヤニヤと頬を緩めながら近寄る、自称"神"を睨む。
その"神"は、愉悦の極みとでもいうような、満面の笑みを浮かべていた。
「いやいや、この"深淵"から限定された一地域に向けて、君の声を届けるなんて、そんな器用な真似、いかに"神"足る私でも、難しいに決まってるじゃないか。(こんな面白いこと)事前に伝えなかったのは、確かに落ち度かもしれないが(大正解だったよ)」
「言葉の端々に( )が見えるんだ! ( )がぁっ‼」
「ぐぼっ……!?」
袖を捲り上げた少女の、ラリアットが自称"神"の喉笛を刈り取り、怒れる乙女の腕が、倒れた"神"の両脚を、己の脚に絡めるように交差させ、極める――!
「か、"神"に、ラリアットからのサソリ固めはやめなさい! ちょ~しゅ~!」
「こんな意地悪する神様は、パワーホール全開でギッタンギッタンのタンだ!」
涙目で頬を紅潮させた少女は、荒くなる鼻息とともに、腰を落とし、自称"神"――"JUDA"の脚をより締め上げる……!
「よくも、乙女の純情をォ――っ‼」
「ま、待ちまたえ……! 君と喜劇を演じるのは楽しいが、現実が……現実世界の方が芳しくないッ‼」
「えっ……?」
それは、思考に突き刺さる一報。
自称"神"の叫びに、怒れる乙女の腕から、力が抜ける――。
"JUDA"が告げた、その聞き捨てならぬ言葉に技を解くと、サファイアは自称"神"へと詰め寄り、その青い瞳を白黒とさせる……!
「ど、どういう事ですか……っ!? 響達に何か……!?」
「き、君の声は、確かに活路を開いた。だが、それによって――"真の敵"がいよいよ登壇した、という事さ」
サファイアの勢いになった押されながらも、"JUDA"は、ショッキングピンクの髪を掻き上げ、その神の瞳で"現実世界"の状況を見据える。
「――ここからが正念場だよ、人類も、この惑星も」
※※※
「フェイス、レス……」
立ち塞がる現実は、砂糖菓子の如き、甘く脆い休息を突き崩す悪夢。
麗句の震える唇が紡いだ名が、認め難い"現実"が、死線を潜り抜けた、戦士達の心に、寒々しく木霊していた。
其処に立つのは、紛れもなく、響に斬られ、消滅したはずの"信仰なき男"の異様。
亡霊や幻覚の類ではない――。否応なく畏敬の念を掻き立てる、凄絶な重圧が、実在する、その身体から溢れ出ていた。
その拘束衣の如き黒衣は、より機械的な、刺々しく、禍々しい意匠となり、その白髪と化した頭髪は、月光と"畏敬の赤"の粒子を帯び、神秘的な輝きを帯びている。
――認め難い事に、その気配は自分達が打ち倒した時よりも、強大になっているように感じる。
「ムラサメ……! 傷は――」
「大丈夫、だ。奴の言った通り、"黄金氣"ってヤツの加護は、強力らしい」
麗句の問に、響は頬の血を拭い、答える。
響の身体に宿る黄金の粒子――"黄金氣"の作用により、ダメージは軽減され、その負傷もまた瞬く間に再生。回復していた。……だが、攻撃を受けた際に発生した"共繋"が、フェイスレスの"力"の片鱗を、響の脳裏に刻み込み、その四肢を震わせる。
――俺は、本当にこんな奴を斬ったのか……?
恐怖と驚愕が、響のこめかみから、汗を滴らせる。
「腹立たしいですね……。私達は、愚かにも、貴方のペテンに踊らされたという訳ですか。フェイスレス」
「――"剣鬼"。シオン・李・イスルギか」
……奇妙な反応だった。圧し殺せぬ、悔しさを滲ませたシオンの言葉に対する、フェイスレスの反応は、まるで、初めて邂逅する者へのそれだった。
シオンの記録と、実在するシオンを照合するような、奇妙な間が、フェイスレスの物言いにはあった。そして、
【――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!!!!】
「……!」
轟く咆哮。
シオンが次の言葉を吐き出す暇もなかった。
"獣王"の戦闘行動に、無益な言葉遊びは存在しない。
刹那、シオンの言葉を消し飛ばすように、"獣王"の顋が開かれ、そこから放たれた熱線が、立ち塞がるフェイスレスへと叩き付けられていた。
古より蘇りし"カイジュウ"の王の思考は明快。滅ぼすべきモノは、滅ぼす――。それだけだ。だが、
「……"諸君"らは、何か勘違いをしているようだな」
「……!」
熱線が巻き上げた粉塵が晴れた時、フェイスレスは五体満足に、平然と、何事もなく、其処に立っていた。
フェイスレスは翳した掌で、地獄の業火足る熱線を容易く防ぎ、高濃度の"畏敬の赤"が渦巻く、赤い両眼を、対峙する戦士達へと向けていた。
そして、その口調は、以前のフェイスレスと何処か違う――。
「諸君らが体験し、観測した事象に、何一つ偽りはない。……間違いなく諸君は、“私を倒した”のだ。"救済"の為に、私が用意した、"私の半身"を」
「な、何……?」
――常軌を逸した解答である。短慮に理解を拒み、血迷い事と笑い飛ばしてしまいたかった。
……だが、出来ない。この現実を絵空事と笑い飛ばすには、響達は”奇蹟“を体験し過ぎていた。
「"世界線移動"に、"血に染まり転臨する世界"。"救済"に必要な異能を、多く分け与え、“救済“に到る因果を集積させた、"人類を救う"事に特化して調整した私。それが、諸君らが倒した"破壊者"、フェイスレスだ」
「なっ……」
“人類を救う“事に特化した存在。
その言葉に、麗句の脳裏に、鮮烈に蘇る記憶。それは、磔刑の聖人の、“救世主"の心中へと、その虚無に満ちた両眼を投げていた、“信仰なき男“の姿。
言い知れぬ予感――不安とざわめきが、麗句の心を蠢く。
「だが、永く、人類の側に置いていた事で、アレは随分と人類に感化されていたようだ。苦痛なく、苦悩なく、諸君ら人類が救済されるよう心を砕いたようだが――愚かな事だ」
消滅した自らの半身を悼み、嘲るように、風を流れる“畏敬の赤"の粒子を指に絡め、フェイスレスは言葉を続ける。
「結局のところ、"私の半身"の慈悲は諸君らに届かなかった。愚かにも"私の半身"を倒したお前達を待つのは、棘を素足で踏むような、苦痛と苦難に満ちた、"救済"の未来だけだ」
「な、何を言っている……。“私の半身“だと? 自分で自分を作っただと? ふざけるな……! "人造人間"だとでも言うつもりか……!」
己の中の混乱と疑問を、整理するように、響はフェイスレスへと、荒々しく言葉を吐き出す。
サファイアに教わった古い小説が、脳裏に浮かんでいた。“生命の謎を解き明かし、自在に操る“という野心にとりつかれる狂科学者の物語――。自らも、“狂科学“から産み落とされたが故に、響はフェイスレスにも、同様の業罪を見出だしていた。しかし、
「……いえ、恐らくそれは違います、響=ムラサメ」
「……!」
“彼を産み出した業罪は、もっと深くにある――“。
シオンはそう断定し、フェイスレスを見据えていた。
「私の推測が正しければ、彼は人類ではなく、"畏敬の赤"を起源とする存在です。"畏敬の赤"に選ばれたのではなく、"畏敬の赤"から産み落とされた存在。それが、彼です」
違いますか――?
生命削り合う死闘の中で、見出だした真実を、シオンの口舌が奏でる。
誰もが言葉を失い、当のフェイスレスだけが、感心したように、両の掌を鳴らしていた。
その様子は、愉しげですらある。
「フッ……そこまで理解しているとは。君への過小評価が、"私の半身"が敗北した要因の一つである事は間違いないのだろうな、シオン・李・イスルギ。そして、であるならば、その一歩先にある真実にも気付いているのではないか――?」
「………」
“畏敬の赤"が円輪となって、毒々しく輝く両眼が、シオンを見据える。
己の意識の深層まで、覗き込まれたような恐怖が、シオンの臓腑を締め付けたが、シオンはそれを振り切り、己が到達した解答を言葉とする――。
「……この惑星の環境を、人類の住める環境としたのは、宇宙を放浪していた地球人類の願望。それは、多くの人類の無意識が、願望が、この惑星に、万能の願望機足る"創世石"に届く事を意味している――。なら、多くの無意識が"救済"を願ったとすれば」
「"畏敬の赤"は"救世主"を産み出す」
「……!」
核心を自ら口にし、フェイスレスは高らかに笑う。
その事実を祝うように、呪うように、高らかに。
「"創世石"を始めとする"畏敬の赤"には、あらゆる時代、あらゆる平行世界の魂の軌跡が記録されている。その中で、"救世主"に最も相応しい魂を模し、再構成されたモノ。それが、私だ――」
「なっ……」
その刹那、強烈な“共繋“が、それぞれの意識に突き刺さる――。
それは、遥かなる古の時代、されこうべの場所にて、人類の罪を背負い、逝ったとされる聖人の御姿。
その受難を象徴する、十字架。
「では、お前は……貴方は、御身は……」
「我が顔に、詫びるがいい、人類ども――」
衝撃に、膝から崩れ落ちた麗句を、呆然とする戦士達を、丘の上から一瞥し、フェイスレスは自らの顔を覆っていた包帯を剥ぎ取る――。
「"救世主"など、私しかいないのだ」
――人類の前に、最後の試練が立ち塞がる。
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