第06話 心重ねて―”the beginning”―
#6
「う……ん……」
それもまた、勝利の残滓。
緊張と血臭に満ちていた戦場に吹く、穏やかな風に誘われたのか、深い眠りに落ちていた、少女の瞳が開く。
(……か、ガブ……ル……)
まだハッキリとは聴こえない。
けれど、次第に自分に近付く、優しい声と足音が、心地好く耳朶を撫でていた。
安堵が疲労しきった身体を包み込み、眩しさとともに瞳に映る景色が、少女の目覚めを出迎える。
「響……さん」
「……よく頑張ったな、ガブリエル」
絶望と奇蹟の渦を潜り抜けた、端正な顔立ちが見えた。
眩さの中、出迎えたのは、少女の意志を汲み、共に戦ってくれた青年の、響=ムラサメの微笑みだった。
痛ましいガブリエルの姿に、歪みそうになる自らの表情を圧し殺し、片膝をつくと、響は、自らの腕に抱かれた安らかな寝顔を、ガブリエルの瞳に映す――。
疲れ切ってはいるが、無事に命を繋いだ、愛しい弟の寝顔だ。
「――君が、護り抜いた生命だ。君がいなければ、俺は弟を救えなかった」
「アル……」
胸が、熱くなる。
そこに在るのは、旅路の果てで自分を迎え入れてくれた、救ってくれた少年の寝顔。
そして、自分が託された"創世石"の持ち主足る、"適正者"の寝顔――。
"――君との出逢いが、私の旅の終着点だったんだ"。
万感の想いとともに、零れ落ちたのは、安堵とやり遂げた事への充足の涙。
柔らかな頬に触れようと、腕を伸ばそうとした時、ガブリエルは――"その先"がない事を思い出した。
「あ……」
「"左腕"一本、か――。俺は君に、大きな代償を支払わせてしまった」
それは自らが喰らい、刻んだ傷痕。
ガブリエルの左肩より先は、砕けた石像のように失われ、彼女が"人工物"である事を示すような、ひび割れた傷痕を晒していた。
深い悔恨が、響の表情に昏い影を落とし、唇を噛み、それが己が腕の痛みであるかのように、表情を歪める響に、ガブリエルは慈しみと憧憬に満ちた笑顔で応える。
「――いいえ、響さんはスゴいです! 本当に最低限の生命だけで、この奇蹟を成し遂げてしまった。"運命の系統樹"にも、こんなのわからなかったんじゃないかな」
「ふぁーとぅむ……何だ?」
重い悔恨の中、唐突に思考に撃ち込まれた、面妖な単語に、戸惑いを浮かべた響に、ガブリエルは微笑み、続ける。
「ラ=ヒルカにあった、この世の中の総てが記されているという遺物の事です。最大の秘匿事項なので、詳しくはお伝え出来ないのですが――そこに記されていたとされる"希望"。それは、貴方のように、私には思えます」
「い、いや、俺は……」
宝石のようにキラキラとした瞳に、真っ直ぐに伝えられ、響は頬を掻いて、目を泳がせる。何やら照れ臭い。
――疎まれる事には慣れていても、このような真っ直ぐな賞賛には免疫のない青年であった。
「見事だったな、"救済者"」
「……! せ……セイヴァー……?」
そんな青年に、更なる賞賛が贈られる。
"運命の系統樹"に、"救済者"。
理解らない単語に、理解らない単語を重ねられて、青年は戸惑うばかりである。
「なんだ? 妙な呼び名は……」
「"救済者"という意味だ。"守る者"にして"剣使い"。そんなお前に、実に相応しい響きだろう?」
すっかり脳内の思考を混線させた響に、"女王"、麗句=メイリンは妖艶な笑みとともに告げ、黒髪を掻き上げる。
「気に入らないか……? 我等6人でも得る事は叶わぬ称号だぞ?」
「……響だ。響=ムラサメ。俺の名はそれ一つでいい」
困惑とともに、そう告げて、立ち上がり、響は改めて、自分達に歩み寄った麗句達の姿を見据える。
「……奇妙な話だが、礼を言わせてもらう。アンタ達の力なしでは、アルを助ける事も、あの男を倒す事も出来なかった。……そもそもの発端は、アンタ達だから、本当に奇妙な話、なんだがな」
「……全くだな、返す言葉もない」
麗句は浮かべた苦笑を、穏やかな微笑に変え、革手袋を外した、その手を差し出す――。
「私達も、"天敵種"であったお前と、我等が滅ぼした、ラ=ヒルカの忘れ形見に救われた。――命を賭して闘った、彼女が見初めた、黄金の騎士に」
「……アイツの目に、狂いはないさ」
そう告げて、響は、サファイアが命を賭して救おうとした麗句の手を握り返す。
死闘と一人の少女を通じた、奇妙な、だが、確かな"信頼"が二人の間に芽生えていた。そして、
「――動かないでください。苦痛を軽減させます」
「あ、貴方は……」
"剣鬼"、シオン・李・イスルギもまた、ガブリエルと目線を合わせるように片膝をつき、自らの『鎧醒器』から"畏敬の赤"の粒子を、ガブリエルの欠損部分へと注ぎ込んでいた。
彼女の欠損を補い、その苦痛を包み込むように――。
「……貴女の勇気に、敬意を。その傷痕は痛ましいが、故に、美しくもある。こんな事では、何の償いにもならないでしょうが――」
「そ、そんな! 貴方の肉体も深い傷を負っています! 止めてください……! 命に関わります‼」
故郷を滅ぼした、憎き仇であるはずの自分の身を思い遣る少女に、シオンは微笑み、額に浮かぶ脂汗を拭う。
「やせ我慢も、武人の嗜みです」
「そんな……」
響が語るように、実に奇妙な縁である。この爽やかで素朴ささえ感じさせる青年こそが、故郷ラ=ヒルカの仇であり、"創世石"を狙う組織の"剣鬼"なのだ。
そして――彼がフェイスレスとアルとの接続を絶たなければ、アルの救出は、この勝利は実らなかった。
複雑な心象が、困惑の笑みをガブリエルの口元に浮かべさせたが、シオンの誠意と薄れる苦痛が、すぐにそれを可憐な、感謝の笑みへと変えていた。
「あの男は……」
「"毒蠍"……我羅・SSか。お前の一撃がよほど心地好かったのだろう。気持ち良さそうに寝てるよ」
響の問に対する麗句の解答は、例え話ではなかった。
我羅は大きな鼾とともに、心底、気持ち良さそうに眠っていた。響は、脳へのダメージを危惧したが、"畏敬の赤"を通じた解析を既に終えている麗句は、"心配ない"とでも言うように、首を横に振ってみせる。
「……不思議な、おかしな男だ。あの男が相手でなければ、俺は――」
「ああ、おかしいし、率直に言って"イカれて"る。そして、真実"自由"な男でもある。時々、心底羨ましくなるよ……」
「……そうだな。"生きる"という事を、戦いの中で教わった――いや、刻み付けられた気がするよ。凄い男だ」
感嘆と敬意を込めて告げた響に、麗句は笑み、自分とシオンの助力を咆哮とともに拒絶した、"獣王"へとその目線を移行させる――。
「"獣王"に関しては、多くは語れぬ。理解らぬ事ばかりだが、彼は――」
「サファイアは」
「……!」
突如として告げられた、その名に、息を飲む。
自らの言葉に割り込む、強い意志と当然の問いに、麗句の表情は強張る。
「サファイアは、やはり戻せないのか」
響の実直な、真っ直ぐな瞳が、麗句に問い掛けていた。
彼にはそれを問う資格があり、麗句にはそれに答える義務があった。
「……そうだな、お前が"天敵種"の性を封じ込めた以上、彼女を隔離する理由の50%は失われている。だが、彼女はいま、私が管理監督する領域を離れ、より深い地点にいるらしい」
麗句自身、サファイアを、この"現実世界"に戻すため、既に"観念世界"への接続を開始していた。だが、サファイアの姿はそこになく、彼女の心身が在る"深淵"への接続権を、麗句は有していなかった。
「……すまない、自分の判断は間違っていなかったと信じてはいるが、元に戻せないとなれば、片手落ちだ。どんな謗りも、罵倒も、あまんじて受けいれよう――」
「――いや、アンタを責めるつもりはない。アイツが無事であればそれでいいし、その事に感謝してる。それに俺は……」
"約束、したからな"。
そう告げて、涼やかに笑む響の瞳には、再会の確信があった。
生きて、必ずまた会おう――深淵より届いた、彼女の声との約束は、強い希望となって、二人の前途に輝いていた。
……全く、どこまでも眩しい連中だ。呆れたように、感服したように息を吐き、麗句は改めて、絶望の果てに立つ、黄金の騎士を見据える。
「……ムラサメ?」
突如として、その表情を強張らせた、響=ムラサメの表情を。
「後方に……後方に飛べ‼ "女王"……!」
「なっ……?」
唐突に、アルの身体を投げ渡された麗句が、反射的に、後方へと飛び退くと同時に、鮮血が弾けた。
身を呈し、麗句とアルを護った響の身体が、片膝をつき、その場にある全ての瞳が、一点を見据える――。
先程までの戦闘で土砂が堆積し、丘のようになった、その一点を。
「一刺しで蒸発させるつもりが……"黄金氣"の加護か。厄介なものだ」
(馬鹿、な……)
誰もが、この現実を受け入れる事が出来なかった。
そこに居るのは、在るのは、包帯で顔面を秘匿し、拘束衣の如き黒衣を纏う魔性。
「――終焉の始まり。苦痛に満ちた"救済"の始まりだ」
フェイスレス。
白髪と化し、より禍々しく、刺々しく変貌した黒衣を纏った、その"信仰なき男"は、高濃度の"畏敬の赤"の粒子の中、己を見上げる戦士達の心に、止めどなく絶望を降り注いでいた。
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