第05話 勝利の残滓ー”intermission”-
♯5
「……ムラサメ……」
麗句の声が感嘆と安堵を奏でる。
”黄金”が、眩き"黄金"が、数多の超常と奇跡で砕かれた大地に舞い降りる。
”骸鬼・煌輝”の黄金の鎧装は、己が捕食した”畏敬の赤”の粒子を、外套の如く棚引かせ、”輝醒剣”に再び大剣状の鞘を纏わせる。
――鮮やかな決着だった。
”煌輝”が、響=ムラサメが繰り出し、虚空に黄金の軌跡を描いた剣閃は、”信仰なき男”の長躯を確かに断ち、”畏敬の赤”の返り血とともに、その亡骸を塩の塊へと、虚空を漂う塵芥へと変えた。
この戦場を半ば支配していた”信仰なき男”の不遜な気配は完全に消滅し、周囲には徐々に、徐々に静寂が戻りつつあった。
(……"勝った"、のだな……)
"何に対して勝ったのか"はわからない。フェイスレスが何者であったのか、彼が口にしていた"救済"がどのようなものであったのか知る由もない。
だが、阻止する事は出来た。
阻止、出来たのだ。
それだけは間違いない。
その一点において、疑いようのない、完全なる勝利がそこにあった。
そして、
「……ぅ……ん……」
「……っ!」
数奇な状況、策謀に翻弄された幼い命も、"赤"の呪縛から解き放たれる――。
フェイスレスによって”赤い柱”の内部に囚われていた”神の子”の身体も、フェイスレスの消滅と同時に解放され、僅かな呻きをその喉から零していた。
「アル……ッ‼」
精も魂も尽きた、その痛ましい姿に、響の脚は岩肌を蹴り、弾丸のように走り出す……!
疾走とともに黄金の鎧装が除装され、響の肉体に吸い込まれるかのように、その輝きを消す。
元の青年の姿に戻った響は、泥に塗れるのも構わずにアルの前へと滑り込み、そのたくましい両腕で、倒れ込むアルの身体を受け止める……!
「ん…………」
アルの唇から溢れたのは、健やかな寝息。
疲弊こそしているが、身体に大きな外傷はない。
少年の身体を抱き締めた響の表情が、安堵に緩む――。
「アル……! 良かった! 本当に……!」
"創世石"の影響で赤く染まった髪を撫で、細い身体を抱き締め、響は無事でいてくれた幼い命に、尊いその命に目頭を熱くする――。
ガブリエルが生命を賭けて、紡いでくれた奇蹟。
その奇蹟の鎧装で掴み取った、最良の現実。
命と命、想いと想いで繋がれた、その光に響は、心からの安堵を笑みとして、その表情に宿らせていた。
それは、先程までの戦い様が嘘のように穏やかな、一個の青年としての、アルの"兄"としての表情だった。
「……ああいう表情も出来るんですね、彼は」
その響の表情に、シオンは口元の渇いた血糊を拭いながら告げ、自分自身も、張り詰めていた表情を解く。
剣の柄に添えられていた指も解かれ、命で命を削るような死闘の終幕を、シオンは安堵の息とともに実感する。
深い、感嘆と感銘とともに。
「……"天敵種"という重すぎる業を、あのような"黄金"に変えて見せる。――その奇蹟を成したのは、彼の、ああいう表情なのかもしれませんね」
"私達には、眩し過ぎる表情です"。
シオンの言葉に麗句は心で頷く。
この奇蹟を成し遂げたのは、響=ムラサメの血統や能力ではない。成し遂げたのは、彼の人間としての力、"心"だ。
そして、あの"創世石"の模造品の少女の覚悟、"彼女"の声。どれ一つ欠けても、この奇蹟は成し得なかった。
これは、人間の心の勝利と言える。
「……なぁ、シオン。覚えているか、いつぞやのラ=ヒルカでの事」
「……あの日のこと、ですか」
しばしの間の後、麗句の言葉にシオンは頷き、周囲を漂う"黄金氣"を指に絡める。
温かく、眩いその黄金は、"畏敬の赤"を塗り潰す程に力強い――。
「因果を断ち切る"黄金" 。……そうですね、業腹ですが、実際にこうなってみると、あの"翁"の話には整合性がある」
「フェイスレスの奴が何だったのか、何をしようしていたのかは結局わからずじまいだったがな……」
繰り返し語られた"救済"という妄執が、何を意味するものだったのか。知る事はなかったが、フェイスレスが時間軸を巻き戻し、世界を繰り返していたのは確かなようだ。そして、それを阻んだのは――、
【……………】
「……! "獣王"ッ!?」
突然の事に、麗句達の喉が驚愕の声を吐き出す。
二人の眼前で、耳をつんざくような轟音、地鳴りとともに、"獣王"の巨躯が倒れ伏していた。
自らの"死"すらも超越してみせた"王"の思わぬ姿に、麗句達は息を呑み、横たわる巨躯へと駆け寄る――。
「"獣王"……!」
【……措くがいい。騒ぎ立てるような、事ではない……】
荒い呼吸と、太い弦を皮手袋で擦ったかのような唸り声が、"王"の喉から吐き出される。
前のめりに倒れ伏した"獣王"は、血相を変えた"小さき者"達に告げると、その巨腕で上体を押し上げ、身を起こす。
鎧装の尽くを失い、ありのままの漆黒の皮膚を晒す"獣王"の姿は、長い年月を共にした麗句達をしても衝撃的な情景だった。
かつて"地球"で百年間、人類と闘争を繰り広げた怪獣王――"神璽羅"の異貌がそこにあった。
畏怖と畏敬の念が沸々と、麗句達の胸に沸き上がる。
「まさか、お前がこれ程に消耗するとはな――。にわかには信じ難い話だ」
「……捨て置けとは言いますが、あの時、貴方は確実に"死"を迎えたように見えた。そこから甦ってみせた事は驚異的ですが、だからこそ、現状の貴方を放置する事は出来ない――」
【…………】
沈黙の中、"神璽羅"はその白濁した目を、半身のみを起こしたいま、同じ目線の高さとなった麗句達の表情へと向ける。
……不思議なものだ。
自らを真摯に見据え、漆黒の皮膚に触れる"小さき者"達の瞳には、確かな敬意が、親愛が垣間見えた。
かつての己が滅ぼさんとした最大の仇敵にして、旧き宿敵が、愚かにも護らんとした、"知恵で大地を灼く者"。
人類がまさか、己にこのような眼差しを送る日が来るとは――。
"王"は口の端を歪め、旧き宿敵が力を託した青年へと、黄金の希望へと、その目線を移す。
(護る、者よ……)
その希望は、この勝利の先にある闘争の鍵となる。
穏やかな勝利の残滓の中、"獣王"は"壊す者"を打ち倒した青年。そして、その青年へと生命を分け与えた少女にその白濁とした目を細める――。
刹那の休息が、各々の胸にいま、柔らかな風を届けていた。
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